忘れても未練の断たれることはなく
ウィトゥスと名乗る科学者の研究施設は広大な面積であるらしく、彼に連れられて歩くハリコとマナコが歩く廊下は隅々まで明るく照らされていながら、どこまで続くとも知れぬ長さであった。
研究施設という名称とは裏腹に、建物内はすっきりと片付いた印象であった。研究用の資料や実験器具が乱雑に散らかっていることもなく、磨き上げられた床や壁が清潔な表面を晒して延々と続いている。
至る所に警備兵が配置されていることからも、この施設の維持管理には膨大な人員が割かれているであろうことは明らかだった。
「いやはや、しかし純粋なリズァーラーというのは中々入手が難しいんだ。」
ハリコとマナコを任務として呼び寄せたことを、「入手」と表現したウィトゥスの発言は多少不穏であったが、ハリコとマナコには彼について歩く以外の選択肢は無かった。
「そうなんですかぁ。けど、あなたの隣におられるグレッサちゃんもまた、リズァーラーじゃないんですかぁ?」
マナコは、先ほどからウィトゥスと手を繋ぎ、彼と寄り添って歩いている少女型のリズァーラーを指さして問いかける。
老科学者は一瞬の間も置かずに答えた。多少の認識の違いもすぐさまに訂正せずにはいられないのは、科学者としての性らしかった。
「いや、違う、違うのだ、グレッサは私が調整を施し、リズァーラーとして活動可能な状態にまで仕上げた存在だ。」
「私たちと、変わりないように見えますけどぉ……。」
物わかりの悪いマナコは、先ほどとさして内容の変わらない言葉を繰り返している。
彼女は会話の進展を妨げる類の、いわば優秀ではない聴き手であったが、説明することにも歓びを見出す科学者は嬉々として口調を早めた。
「なるほど純粋なリズァーラーと違わないように見えるというのは、私がグレッサに施した処置が完璧であったことの証だろう。だがまず根本に立ち返って考えてみてくれたまえ、そもそもリズァーラーというのは地上に遺棄された死体の中からごく低確率で生まれる存在だ。」
「はぁ、そういう話だけは聞いたことありますけどねぇ。」
「稀にしか発生しない存在ということで、管理局は私にリズァーラーの身体を提供することを渋りがちなのだ。私の研究内容には十分な価値があることぐらい、彼らも認めているはずだというのに。」
地上に降り注ぐ胞子に触れた遺体が全てリズァーラーになるわけではない、という点では確かに希少な存在ではある。
が、管理局の任務に使われている存在ばかりではなく、富裕層の家庭に召し抱えられている者や、その他の労働に駆り出されている者も居ることは事実であり、ウィトゥスの主張する通り実験のためにリズァーラーを用いる余裕ぐらいはありそうだった。
あるいは、この老科学者の実験にリズァーラーの身体を提供することを、管理局が渋る別の理由があるのかもしれない。
「だから、私は自前でリズァーラーを賄う手段を編み出した。不慮の事故によって、あるいは君たちの処刑任務によって、生み出された死体の状態を安定させ、菌糸の繁殖を促すことで、積極的にリズァーラーへと変容させることが可能になるのだ。」
「へぇ、すごいですねぇ、じゃあもうリズァーラーに困ることも無いんじゃないですかぁ?」
「いや、まだ完璧に全ての死体をリズァーラーへ加工できるわけではない、未だ失敗例もあれば、純粋なリズァーラーの機能を再現しきれていない面もある……それに、リズァーラーへと変容する遺体には、その死に方にも一工夫が必要なのだ。」
「一工夫って、なんですかぁ?」
「未練だよ、遺恨と称してもいい。己の死を受け入れまいとする、痛烈で切実な感情だ……着いたぞ、この実験室だ、入りたまえ。」
マナコから問われるがままにあれこれと喋っていたウィトゥスであったが、その内容がさも大したことでないように話題を切り上げ、廊下に並ぶ扉の一つを引き開けて入っていく。
実験室の内部もまた、地下都市ではまずお目にかかることのない、明るさに満たされた空間であった。白く塗装された壁面は磨き上げられ、部屋の隅々まで埃など微塵も積もっていない。
清潔そのものな室内であったが、中央の実験机には異様な存在が据えられていた。
人間の男の身体、それも両手足が無く、胸部から上だけの部分が、複雑に管の絡み合う装置に繋がれていたのである。
「やぁ、デリク。体の状態はどうかね。」
ウィトゥスからの問いかけに対し、その上半身だけの男は即座に返答を返す。
「良好です、ウィトゥス博士。」
デリクと呼ばれたその男は、明晰な意識を保っているらしい。
身体の切断面は縫合されることもなく、装置に繋がれた隙間からは内部組織の露出する様が見えている。人間であれば相当な重傷と呼べる状態であったが、体内の組織が白い菌糸に覆われている様を見るに、彼もまたリズァーラーであることが確認できる。
普段この研究施設に居ないリズァーラーが来たことに気づいたデリクは、ハリコとマナコの方へ視線を向け、大して表情を変えぬままに挨拶を投げかけた。
「はじめまして、あなた方はウィトゥス博士のお知り合いですか?僕はデリクです。」
「どうもぉ、私はマナコです。隣に居るのがハリコです、この子は喋れないのであしからずですよぉ。」
「ウーウ。」
リズァーラーたちが言葉を交わし合っている一方で、ウィトゥスは壁際の棚からあれやこれやと器具を引っぱり出し、実験の準備を始めている。
彼が手を触れた所は目に見えて散らかっていくのを見るに、この研究施設での後片付けは他の者に任せきりなのだろうと推測された。老科学者はハリコとマナコに実験テーブル脇のスツールを指し示しながら告げる。
「その辺に座って待っていてくれたまえ、すぐに実験を開始するから。えぇと、あれはどこに入れておいたかな……」
「デリクさんも、科学者さんが作ったリズァーラーなんですかぁ?」
「リズァーラーへの変容を促した、と言うほうが正確だ。回収された死体へとマイコリズァールの菌糸を可能な限り早く植え付けたのだが、身体の末端部や下半分は既に使い物にならなくてね。」
ウィトゥスによる説明を黙って聞きながら、当のデリクは頷いている。
彼としては、身動きの取れない状態で装置に繋がれている扱いに文句など無いようであった。リズァーラーの活動の本質が養分と水分を得ることにある以上、それが供給されてさえいれば不服が見いだされることがないのは当然であったが。
「だが、思考および発話の能力が残されてさえいれば十分、実験の役に立ってくれる。デリク自身が、その体を用いた実験の結果を喋ってくれるからね。さて、準備が出来た、さっそく実験を開始しよう。」
「何をするおつもりなんですかぁ?」
マナコからの問いかけにすぐ答えることなく、ウィトゥスはごく短い刃先を有する小さなナイフを手に近づいてくる。
そしていきなりマナコの顎を片手で持ち上げたかと思えば、あちらこちらと覗き込みはじめた。老科学者の震える手が握るナイフの刃先が目元を幾度もかすめ、人間であれば顔に傷が入ることを恐れるような状況である。
傍らからハリコは心配そうに見つめていたが、もとより損傷をさして気にする必要のないリズァーラーであり、マナコはさして気にすることなくウィトゥスの手で顔をいじくりまわされるに任せていた。
「これ、取れないのかね?」
ナイフの小さな刃先で、ウィトゥスはマナコが顔面に装着している器具をコツコツと軽く叩く。
それはマナコの左目の瞼を全開のまま固定するための器具であり、固定するための硬質バンドが右目を完全に覆い隠しながらもマナコの頭部を一周し、がっちりと填められている。
ハリコは彼女がその器具を頭から外したところを見たことが無く、あるいは自身の意思で着脱出来ないのではと考えていたが、果たしてマナコの返答も同様であった。
「これはですねぇ、私、目を閉じると上下のまぶたが固着してしまうので、ずっと開きっぱなしにする装置なんですよぉ。」
「見たところ、取り外せそうな構造になっていないのだが。」
「外しちゃダメなんですよぉ。勝手に取り外したせいでまぶたがくっついちゃって、目が見えない状態になった時に任務を言いつけられたら、すぐ対応できませんからねぇ。」
「ふむ……できれば眼球に近い部位を切開したかったのだが、仕方ない。管理局からは、二人の処刑任務に支障が出ぬようにと言いつけられてしまったものだから。」
物騒な思惑を発言内に覗かせながらも、ウィトゥスは当初のプランを諦めたらしかった。
代わりにと言わんばかりに、彼はやにわにマナコの首元にザクリとナイフの刃を入れた。隣に座っていたハリコは思わず立ち上がりかけたが、反対側から小さく柔らかな手に引っ張られる。
見れば、あまりに静かにしていたためその存在を忘れられかけていたグレッサが、ルビー色の瞳でこちらを見つめていた。皮膚で覆われきった顔の下部をもごもごと動かしたのは、彼女なりに口角を上げたつもりなのだろうか。
ハリコが動揺している様を見て、マナコとウィトゥスもまた共に笑みを浮かべた。
ウィトゥスの方は相手を安心させようとする類の笑みであったのに対し、マナコの方はオドオドしている自分の相方を滑稽がる類の笑みであり、両者の認識は少なからずズレていたが。
「リコくん、ビクついてますねぇ。落ち着かない気持ちは分かりますよぉ、こんな清潔な場所に来たのも初めてですからねぇ。」
「心配しなくていい、君たちは任務行動の可能な状態で帰すとも。まず私が知りたいのは、純粋なリズァーラーだけが有する特殊な身体能力についてなのだ。」
リズァーラーが有する特殊な身体能力、とウィトゥスが称したのは、暗闇でも機能する視力、および変異した顎と牙を以て発揮される咬合力のことであろう。
処刑任務に携わる面々も、その活動において発揮している能力である。ハリコの場合は常に顔の大部分を覆っているフードの下に大きく変形した顎を隠しており、処刑対象から抵抗する余力を奪うため、脚の筋肉を食いちぎったり頸部の動脈に噛みついたりなどといった用い方をしている。
そして今、ウィトゥスが関心を向けているのはマナコの視力であった。この地下都市においては当然ながら、人工照明が落ちれば一切の外光が差し込んでこない。その状況で処刑任務を円滑に遂行するため、暗闇でも視覚を働かせる能力は大いに重宝されていた。
「ウィトゥスさんがお作りになったリズァーラーたちには、そういう能力が無いんですかねぇ?」
「そう、無いのだ。いや、劣化していながら似たような能力を備えた者も生まれるのだが……」
たしかに、今実験テーブルの上の装置に繋がれているデリクは、血の気こそ失せてはおれど人間と大差ない外見であったし、グレッサは口が消えて両の眼球が肥大している程度の変異しか見せていない。
「特にきみ、暗闇の中でも物を見通せる能力を発現するリズァーラーは未だに一体も作れておらんのだ。地上世界の胞子に触れて生まれた、純粋なリズァーラー以外におらん。」
「へぇ、となると私とかシェルさんとかは、希少な存在ってことですねぇ。なんか褒められたみたいで照れますねぇ。」
マナコは口元のニヤニヤ笑いを隠す気もなく照れていた。
その一方で、先ほど首元に入れられた傷口にはデリクの体内から引っ張り出された菌糸の束が突っ込まれていた。彼女とのお喋りを続けながらも、ウィトゥスは手際よく実験の手順を続けていたのだ。
マナコの首元の傷口の中で、蠢いている菌糸が互いに絡み合い始めたのを確認し、ウィトゥスはグレッサへ声を掛けた。
「グレッサ、部屋の照明を切ってくれるかね。真っ暗にしなければ、実験できん。」
「……。」
コク、と無言のままに頷いたグレッサは、腰掛けていたスツールから降り、部屋の照明スイッチの元へと向かう。
その歩いていく姿を背後から眺めれば、所作は生きた人間の幼い少女そのものであった。
「ところで今さらですけど、何の実験なんですかぁ?本当に、今さらですけどぉ。」
「以前、君たちの管理官にも頼んだのと原理は同じだ。リズァーラー同士であれば、菌糸を通じての情報交換は可能であるはず。すなわち、暗闇でも目が利くきみの視覚情報を、菌糸で接続した他のリズァーラーに流せるのではないかという仮定の証明だ。」
「なるほどぉ、管理官に命じられて実験した時は、これといって何も起きなかったんですけどねぇ。」
「だからこそ、今こうして私の研究施設に来てもらったのだよ。ここで、私自身が実験するのであれば、様々に条件を変えて試せるからね。」
パチリ、と音を立てて照明スイッチが切られ、部屋には一瞬にして暗闇がもたらされる。
実験室の扉はピタリと閉まる構造になっているのか、廊下から漏れて入ってくる光も一切ない。完全に視覚を失ってしまったかのごとき暗闇に包まれた中で、ウィトゥスの声だけが響いた。
「どうだね、デリク。何か見えるかな、接続された菌糸を通じて。」
「いいえ、ウィトゥス博士。何も見えません。」
「そうなのかね?多少時間がかかるのかもしれんな、菌糸が情報を伝える役割を有するのは確かなことなのだが……。」
デリクの明瞭な報告に対し、ウィトゥスがその声に多少の落胆を滲ませる。
その後も暗闇の中で一同は待ち続けたが、老科学者の期待通りの結果が報告されることは無かった。
「ダメか。通常の受容器から伝えられる信号とは、別種として扱われているのかもしれない。マナコ、きみはこの暗闇の中でも目が見えているのだね?」
「はいぃ、ウィトゥスさんが困り顔であごひげを擦ってるのも、グレッサちゃんが壁に沿いながらヒマそうにウロウロしてるのも見えてますよぉ。あはは、グレッサちゃん、見られてたとは思ってなかったのか、恥ずかしがってますねぇ、可愛いですねぇ。」
視力が変異しているわけではないハリコの方は真っ暗闇の中で目が利かなかったが、マナコが声を掛けている方向で軽い足音がうろたえたように幾度か鳴ったのは聞こえた。
「フム、ありがとう。純粋なリズァーラーの特殊な視力と、ついでに愛らしいものを見た時の反応についてだけは確認できた。グレッサ、部屋の照明をつけてくれんか。」
「グレッサちゃん、もうちょっと右です、あ、行きすぎ、ちょっと左……そう、そこに照明のスイッチがありますよぉ。」
照明を消した所でじっとしていればよかったものの、退屈がって暗闇のなかを動いてしまったためにスイッチの位置が分からなくなっているグレッサを、やはり暗闇を見通せるマナコが誘導した。
満足いく結果の得られなかったウィトゥスは多少渋い顔でメモ用紙にペンを走らせていたが、次にマナコとデリクが行った会話を耳にしたときは、思わず動きが固まっていた。
「デリクさん、ずっとグレッサちゃんの方を見てるんですねぇ。」
「分かるんですか?彼女の愛らしさは、目の保養になります。」
「ですよねぇ、グレッサちゃん、可愛いですねぇ。」
「……。」
そんなやり取りを前にして、幼い少女の姿をしたグレッサは口の無い両頬に手を当てながら、照れたように俯いている。
しかし、逆に顔をガバッとあげたウィトゥスは、マナコに飛び掛からんばかりの勢いで近づき、その両手で彼女の両肩を掴む。傍らのハリコが警戒の視線を投げかけるのもお構いなしに、一気に早くなった口調で尋ねる。
「ちょっと待ちたまえ、まさかキミは接続された菌糸を通じて、デリクの視覚情報を得ているのか?」
「え?えぇと……視覚、情報、ですか?」
「質問を言い換えよう、デリクが今見ているものを、君も見ているのか?」
「はい、見えてますねぇ。」
「これは興味深い!期待していたのとは逆であったが、特殊な視力を得ているリズァーラーは、接続された別のリズァーラーの視界を得ることが可能だと明らかになったじゃないか!」
ウィトゥスは余りにも早口でまくし立てたため、その場に居合わせるリズァーラーたちは彼が口走った内容の半分も理解できないままであった。デリクとグレッサには表情らしい表情は無かったものの、ハリコとマナコは目を丸くして顔を見合わせている。
が、この老科学者は周囲の戸惑いなどお構いなしに、ブツブツと独り言を呟きながらその場を歩き回り始める。
「すなわち、通常の視力を有するリズァーラーの得た情報であれば、菌糸を通じて別個体へと伝えることが可能なのだ、これは仮定した通りだ。だが純粋リズァーラーの特殊な視力は、また別の伝達経路を有するのか、あるいはそもそも信号として扱われないのだろうか?えぇと、キミ、キミの名前は……」
「マナコですよぉ。」
「そう、マナコ、管理局の許可が下りていればキミを解剖して詳細を知りたいが、今は外部からの実験を以て知るしかない。ほら、これで顔を覆って、詳細に伝えてくれ、デリクの視界には何が映っている?」
先ほどまで自分の汗を拭いていたハンカチをマナコに渡し、それで顔を覆うように指示するウィトゥス。老いた男の汗臭いそれを顔面に当てるなど、リズァーラーでなければ受け入れがたい行為であったが、逆にリズァーラーとしては養分と水分を吸収できる機会である。マナコは何らの抵抗なく従った。
その後、ウィトゥスは装置に繋がれているデリクの正面へと躍り出て、大げさに手を振り回して見せている。
彼としては真剣に、リズァーラー間で伝達し得る視覚情報を調査するつもりの行為であったが、老科学者がはしゃいでいるように見える光景は実に滑稽であり、グレッサは目を細めて肩を震わせていた。口の無い彼女は笑い声を上げられなかったが。
「ウィトゥスさんが、手を振り回しているのが見えます。」
「そうか、そうだろうな!あぁ、ならば接続は問題ないのだろう、特殊な視力のリズァーラーは、いかにしてこの世を見ているのか……」
「あと、一人の女の子と、大人の女性が見えます。」
「何だと?」
ウィトゥスは虚を突かれたように目を丸くし、自分の背後に誰かが現れたのかと振り返る。もちろん、この実験室にはウィトゥス以外、4名のリズァーラーしか存在しない。ハリコもあらためて目を擦ってから周囲を見回したが、この場に居るはずの無い少女と女性の姿など見えるはずもない。
科学者はしばらく考え込んだのち、多少落ち着いた声色で質問を行った。
「その女の子というのは、グレッサのことかね?」
「いえ、人間の女の子ですねぇ、見た目は似てるような感じですけど。」
「同時に見えている女性に、今ここにいる者たちと似ている要素はあるかね?」
「いいえ、そっちは誰にも似てません。まるきり今の状況と関係ない人ですねぇ、なんで見えているのか不思議です。」
「フゥム、では視覚情報が歪んだ結果、というわけでもないのか。」
またしても沈黙を続けて考えこむ様子を見せた後、ウィトゥスは実験テーブル上のデリクにも質問した。
「デリク、キミにも問いたい。キミは普段から、女の子と大人の女性を幻覚として視ることがあるのかね?」
「僕は……」
そこでデリクは言葉を詰まらせた。先ほどまで、あらゆる質問によどみなく返答していた彼が、初めて作った沈黙であった。
何らかの異変を感じ取ったウィトゥスは、興味深げにデリクの顔を覗き込みつつ、再度質問を投げかける。
「答えてくれたまえ、明確に視たことがなくとも構わない。」
「いえ、視たこと自体は無いのですが、今、そのことを告げられると、とても自分に関係ないとは思えなくて……」
遠目には目立った変化は見えなかったが、デリクの表情をまじまじと覗きこんでいたウィトゥスは唐突に大声を上げ、興奮した様子を見せた。
「ほう!これは面白い結果だ!あぁ、キミたち二人はちょっと席を外してもらえるかな、せっかく来てくれたところ悪いが。グレッサ、この二人を実験室の外へ案内してくれんか。」
「あ、もういいんですかぁ?この私の喉に繋いでる菌糸の束、外してもらえますかねぇ?」
「構わんさ。」
マナコの喉の傷口に突っ込まれていた菌糸の束は、ウィトゥスが手にしたナイフでアッサリと切除された。
変わらず不審そうにウィトゥスの方を見つめるハリコの手を、グレッサが引っ張って移動を促す。マナコと共に実験室を後にする時、振り返ればウィトゥスが覗き込んでいるデリクの表情が見えた。
デリクの見開かれた目の下まぶただけが、不自然に湿り気をおびていた。




