互いに覚えなき再会
上層街のライフラインを管理している設備へ、ハリコとマナコは迷うことなく到着した。以前シェルやベスタと共に赴いた任務のときと同じ、排水管のルートを辿ればよかった。
前回ここに来た時と同様、排水管の蓋を開けて顔を出したマナコを、やはり以前と同じく待ち構えていた警備兵が出迎える。
「あ、どうもぉ。またまた来させていただきましたぁ、市民生活管理局の任務で……」
「知っているから、さっさと出てこい。お前たちの身体を消毒する。」
一様に全身をアーマーで覆い、空気タンクに接続されたマスクで顔を覆っている警備兵に外見上の区別などなかったが、その口ぶりからはハリコとマナコを見知っているかのような雰囲気が滲み出ていた。
指示されるがままに、排水管から這い出してきた二名は壁面に沿って並ぶ。こちらへ消毒剤の噴霧ノズルを向ける警備兵の所作も見覚えのあるものだったが、ひとつ以前とは明確に異なる点があった。
物々しい装備を身につけた警備兵の傍らには、この場に似つかわしくない一人の少女が居たのだ。ハリコやマナコよりも更に小柄な、幼さを残した容姿である。
両の眼が人間とは比べ物にならぬほど大きく見開かれ、口のあるべき位置は皮膚で覆われている。が、皮膚を内側から押し上げるような突起物が頬の形を歪めており、発達した牙が口腔内に生えているのだろうと示唆された。
外見上からも人間でないことは明らかであり、彼女もまたリズァーラーであることをハリコもマナコも見て取った。
「おやぁ、新しいお仕事仲間さんですかぁ?はじめましてぇ。」
「……。」
「可愛らしいリズァーラーさんですねぇ、あなたも生活管理局の所属でしょうかぁ?」
マナコが話しかけても、少女の姿をしたリズァーラーは無言で見開いた目から視線を返している。口のあるべき場所が開かず皮膚で覆われている以上、それも仕方なかった。ルビー色の瞳が印象的であった。
相手が無言を貫いているにもかかわらず雑談を続けようとするマナコを遮るように、警備兵は消毒剤の噴霧ノズルを突きつける。
「無駄話をしていたら口の中に消毒剤が入るぞ。嫌なら口を閉じていろ。」
「はぁい、黙ってまぁす。」
「ウー。」
人権の無いリズァーラー相手ならば何の警告も無く消毒剤の噴霧を開始しても良いところ、わざわざ忠告を与えるあたりは相変わらず異質な警備兵であった。
ハリコとマナコに向かってて真っ白な薬剤が勢いよく吹き付けられている間、少女の姿をしたリズァーラーは一歩下がってじっと様子を見つめていた。
噴射音が途絶え、もうもうと立ち込める薬剤の煙の中、前回同様にハリコもマナコも念入りに薬品の粉を体から払っている。
「ひー、やっぱり全身がヒリヒリしますねぇ。」
「ウゥ、ウゥ。」
「ちなみに、そちらの子も私たちと同じリズァーラーですけど、消毒剤はかけなくていいんですかぁ?」
マナコが指さした先で、幼い少女のリズァーラーはルビー色の目をぱちくりさせている。
口を物理的に開けない彼女に代わり、警備兵が返答した。
「この子は清潔な場所で暮らしている。排水管の内部を這いまわっているお前たちとは扱いが違う。」
「さいですかぁ。同じリズァーラーでも、ちょっと良い暮らしをなさってるんですねぇ。」
「ウー……。」
マナコはいつものニヤニヤした口元から僅かに愉快さの色が薄れ、ハリコは露骨に不満げな唸り声を上げたが、リズァーラーの中にも暮らしのレベルに差があるという事実の認識など今さらである。
どれだけ貧困にあえいでいる人間よりも、更に地位が低いリズァーラー。彼らには市民権も住居も与えられず、不潔でジメついた排水管の中に潜むばかりの存在であると表向きは扱われている。
が、例えばハリコたちのチームへと任務の通達を行っている管理官を始めとして、市民生活管理局に所属するリズァーラーの中には、人間の職員同様の環境を得ている者もあった。
また、富裕層の邸宅で奴隷のように扱われているリズァーラーも、これは雇い主の方針次第ではあるものの、場合によっては貧困層の人間よりもずっと居心地の良い部屋で寝食を行っていることがある。
現に、薄汚れた作業服を常に身につけているハリコとマナコとは対照的に、この少女型リズァーラーは可愛らしい清潔なワンピースに身を包んでいた。処刑任務に就くリズァーラーであれば決して着ることの無い、動きやすさをあまり重視していない恰好である。
「そんじゃあ、本日私たちがお呼ばれするのも、さぞかし良いお家なんでしょうねぇ。」
マナコの冗談めかしたそんな発言には、警備兵からの無機質な声が返されるばかりであった。
「家ではない、科学者様の研究施設だ。これより移動を開始する。」
無数のパイプラインが絡まり合いながら壁や天井を這っている、長大なトンネルの中を進むのも以前の任務と同様である。
ハリコとマナコを警備兵が先導する形で進んでいたわけだが、少女型のリズァーラーは背後から監視を行うでもなく、警備兵と手を繋いで歩いている。
すなわち、ハリコとマナコに対して両名が背を向ける形となってしまっているのだ。彼らに対してハリコとマナコが攻撃を行ったり、あるいは逃亡することに何の意味も無かったのは確かであるが。
「そちらの子は、私たちを挟む位置じゃなくていいんですかぁ?」
「構わない。」
「じゃあ、警備兵さんだけで来るのと変わりないですよぉ。なんでわざわざ、その子まで連れて来たんです?」
「科学者様の指示だ。」
警備兵からの答えは何の疑問解決にも繋がらず、マナコはハリコと顔を見合わせて首を傾げた。
ただ、長身の警備兵と幼い少女の姿をしたリズァーラーが手を繋いで並んで歩いていく様は、まるで親子のようにしっくりと馴染む光景ではあった。
相変わらず道案内がいなければ簡単に自分の現在地を見失ってしまいそうな、これといって標識となる目印も無い通路を通り抜け、警備兵に引率される一同は急に開けた空間に出た。
一般の家へ水や空気を供給するためだけであればパイプラインを接続するだけで済むところ、その空間には備蓄用と見られるタンクが無数に設置されていた。
「ここから上がる。」
警備兵が壁面に埋め込まれていたパネルを操作すると、天井部分が開き、その中から梯子のように急角度の階段が降りてくる。
その間も、マナコは見開いた目であちらこちらを眺めまわしていた。
「ここにあるタンクには、全部清潔な水や空気が溜められてるんですかぁ?すごい量ですねぇ、下層街の街ひとつ分ぐらい、まかなえそうですよぉ。」
「研究施設では使う必要がある。」
おそらく自身も詳細を知らされていないのであろう警備兵が、またしてもマナコの発言を無視することなく答えている。
やがて警備兵に監視されながら床面へ接地した階段を上がり、真っ先に研究施設の中を覗き込んだマナコは息を呑んだ。
目の前に別の警備兵が待ち構えているのは予想の範囲内であったが、その建物ほど清潔に磨き上げられた場所を未だかつて見たことが無かったのである。微かに周囲の光景を反射している壁面はもとより、踏んで歩くのが前提の床面までシミひとつついていない様はとても信じられなかった。
「へぇぇ~……こんなにきれいな場所、よく作れましたねぇ……。」
「ウゥ……!?」
マナコに続いて床下から顔を出したハリコも、声を失って目を丸くしている。
これほどの光に満たされた空間というものが、この地下都市に存在するとは思いもよらなかった。一定間隔で照明が設置されていることは下層街も同様だったが、あれは光の届く範囲ばかりが眩しく、その周囲をむしろ暗く感じさせる代物だ。
かくも空間全体を柔らかく照らし出し、部屋の隅々までを光で満たす照明を現実に見たのは初めてであった。ハリコが時折幻視する、真っ白な空間を満たす光にも多少似ている気はした。
が、床の上に自分の影が落ちている様は、その幻視と異なる点であった。
マナコはひとしきり見回すのに飽きたのか、自分たちの後に続いて階段を上ってくる少女型リズァーラーと警備兵を待たず、元から施設内に立っていた警備兵に話しかけている。
「えぇと、私たち、市民生活管理局所属のリズァーラーです、今回は科学者様のご依頼ということでお伺いさせていただきまして……」
「そこで待て。お時間が空けば、科学者様はこちらへと来られる。」
研究施設内で待っていた方の警備兵も、マナコを無視することなく応対した。
呼びつけられた側とはいえ、リズァーラーは待遇を期待できる立場ではない。部屋に通されるわけでもなく、会える目安の時間も示されず、ただ待たされる。
科学者というからには、研究や資料の整理に忙しいのだろう。リズァーラーではなく、彼の都合に合わせてスケジュールが組まれていることは想像に難くなかった。長く退屈な時間を半ば覚悟したマナコは、多少沈んだ声色を返す。
「はぁい、その辺で待たせていただきますねぇ……」
「あぁ!来たか、待っていたよ、君たち!」
が、その予測は幸いにも裏切られた。
この落ち着いた空間には似つかわしくない、よく通る声を響かせながら騒々しく足早に寄って来たのは一人の老人であった。
「私が依頼したリズァーラーのご到着だね、君たちのことを報告資料で読んでから、どれほど会いたかったことか!ハリコ、そしてマナコだね!」
「はぁ、私がマナコですよぉ。隣に居るのがハリコですねぇ。」
「ウー。」
「ようこそ、よくぞ来てくれた!私はウィトゥス、この施設で研究を行っている科学者だ!」
ハリコとマナコの挨拶が多少雑なものになったのは、相手の意気に圧されたためでもあった。
見たところかなり高齢の人間ではあったが、豊かな銀髪が被さったこめかみの間には、キラキラと生気を湛えた両の眼が輝いている。いかにも精力的に研究活動を続ける、行動派の科学者といった容貌であった。
「あぁ、そうだ、さっそく君たちに問いたいことがある。」
科学者はその場に控えている警備兵の傍ら、じっと立ち尽くしている少女型リズァーラーの方へと声を掛けた。
「おいで、グレッサ。よしよし、いい子だね。」
グレッサと呼ばれた少女型リズァーラーは、老人に招かれるがままに寄って行く。
「……。」
人間の命令を聞くのが当然のリズァーラーとしては当たり前の行動ではあったが、そのままウィトゥスの手に撫でられて嬉しそうに目を細めている様は、リズァーラーの扱いとしてあまり見られる光景ではなかった。
「君たちに聞きたいのは、この子についてだ。ここに来るまでの間に、グレッサの姿をずっと見ていたことと思うが、この子は何だと思う?」
「へぇ?何って言われましてもねぇ……リズァーラーじゃないんですかぁ?」
「そうか、そうか!純粋なリズァーラーから見ても、グレッサはリズァーラーとして認識されるか!いや、ありがとう、嬉しい報告だよ。」
「はぁ、それはどうも……。」
「ウー?」
マナコにとっては至極当然の感想を述べたに過ぎなかったため、ウィトゥスが何に感激しているのか理解できない。ハリコも同様であった。
小脇に抱えていたバインダーを取り出し、紙の上にペンを走らせて何やら熱心に書きつけた後、老科学者は顔を上げた。
「さて、本題は別にあるんだ。君たちには一つの実験に協力してもらいたい、ついてきてくれるか。」
老科学者の傍らで、グレッサが生気のない顔に屈託のない笑みを浮かべていた。




