邪魔者を消すすべの尽きぬこと
処刑標的の男は抵抗の意思こそ見せたものの、まともに抗える状態ではなかった。
「クソ……ッ。」
普段ならば常人以上の怪力を発揮できるであろう筋肉の盛り上がった腕は、ただ力なく地面に横たわり、ときおり痙攣させる程度のことしか出来なかった。相手の運動能力が十分に奪われていることを確認したシェルは、仲間たちに告げる。
「あんまり時間が掛かったら、余計な騒ぎが起きちまう。手っ取り早く処刑を済ませるぞ。」
「ウン。」
シェルからの指示を受け取ったハリコは、自らの顔を覆うフードを取り、異常発達した顎と牙を露わにする。
処刑される男は既に口も痺れてまともに動かせないのか、その首に牙を突き立てられる時には呻き声を上げるばかりであった。
「ガ……ァ……。」
「撤収も急いだ方がいい。死体袋の準備を。」
ベスタが状況を急かしたのは、当然ながらこの男に付き添っていた護衛たちの存在を警戒したためである。
自分たちが守ろうとしていた者が死亡してしまったならば、もはや護衛対象に思いを寄せる必要などないはずであったが、人間というものは必要性に駆られずとも感情を理由に行動することがある。
すなわち、処刑を執行した自分たちへと、処刑された人間の生存を望んでいた者たちの憎悪が向けられるのではないか。それは人間を処刑して回るリズァーラーに、常に付きまとう危惧でもあった。
「……。」
「すっかり動かなくなってしまわれましたねぇ、早いとこ死体袋に詰め込みましょぉ。」
マナコも標的の身柄を回収する作業を促したが、こちらは単に栄養価の高そうな肉体を目の前にして、それを持ち帰る楽しみが胸中にせり上がってきていたためだったろう。
が、シェルは標的の顔をじっと見つめ、ハリコに続けて指示を出した。
「既に呼吸は出来てないだろうが、こんだけガッチリした体の男だ。確実にトドメを差せ。」
「グルル。」
筋肉の束のようになった男の首は太く、変異した顎を限界まで開いても食いつくのは難しそうであったが、ハリコは幾度か噛みつき直して彼の頚椎に牙を食い込ませた。
ボキリ。
鈍く低く、しかし確かにその音はハリコが噛みついている標的の首元から響いた。あとは、頸動脈から流れ出す血液が砂利へ落ちる音が僅かに聞こえるばかりであった。
標的の男は、その両目を極限状態のままに見開いてはいたが、既にその焦点は合っていなかった。
「流出した血は……それなりに布で吸える分だけ取っておけばいいか。あとは砂利に吸われちまうだろう。」
「あ、あ、もったいないですよぉ、垂れ流しちゃったらぁ。無駄に血液を失わない内に、さっさと死体袋に入れちゃいましょうよ。」
「分かってる、そう急かすな。」
大柄な体躯ゆえ、足一本を持ち上げるにも苦戦しつつ、リズァーラーたちはどうにか男の身柄を死体袋の中へと収めた。
付近にある工事現場用の照明は消えたままであったが、携行用照明の光がひとつ、揺れながら寄って来たのに気づいたシェルはそちらへ向き直る。他の労働者が絡みに来たのであれば、厄介だったためだ。
幸いにも、そこに居たのは現状を作り出すため協力してくれた現場監督の男だった。
「終わったか。」
大柄な体でノシノシと歩いてきながら、素っ気ない調子で彼は尋ねる。人がひとり死んだことをまるで意識していない、ちょっとした作業が済んだことを確認しに来たかのような何気なさであった。
シェルは深々と頭を下げ、彼に礼を述べる。
「はい、おかげさまで。処刑任務へのご協力、ありがとうございます。あなた様のご助力が無ければ、きっと任務遂行は叶わなかったでしょう。」
「管理局の指示だ、やらないワケにはいかねぇだろ。」
閉められる死体袋の中から、先ほどまで会話していた相手の顔が覗いている様を見ようとしたのか、彼は更に歩を進める。が、血の染み込んだ砂利が靴の下で湿った音を立てたのに顔をしかめ、一歩退いて靴裏を乾いた砂利の上でゴシゴシと擦った。
あくまで興味本位で覗きに来たのだろう彼のそんな所作を前に、シェルは口を開いた。
「申し訳ないです。固い床なら極力、血を拭き取るようにしてるんですが、砂利となるとそれも難しいので。」
「いいさ、どうせ掘り返して捨てる砂利だ。」
処刑された者に対し何の思い入れも無い人間が、その痕跡に対して抱く感情は汚らわしさや忌まわしさに終始するようであった。
しかし、そうではない人間もこの現場には居る。ようやく遺体搬送の準備を終えたリズァーラーたちが、4名がかりで重い死体袋を持ち上げたとき、粗暴な声色がそれを呼び止めた。
「おぉい、待ちやがれ。」
野太く、ろれつの回っていない声に反応して現場監督の男も照明の光をそちらへ向ける。
今運んでいる遺体と同様に大柄な男が、ヨタヨタとおぼつかない足取りながらこちらへ近づいてきているのを目の当たりにし、リズァーラーたちの間に緊張が走った。
「てめぇら、何を運んでる。まさか、あの人を処刑したんじゃねぇだろうな。」
「えぇと、その……」
常に人間との交渉役を担っているシェルが前に出るも、すぐには返答が定まらない様子であった。この場に居たのが誰であったかは分かり切った話であり、明らかに中身の入った死体袋を運搬している時点で、状況証拠は出揃っている。
シェルが次の言葉をまとめて口にする前に、相手の男はふらつく足で身体をどうにか支えながら怒鳴った。彼が酔っ払っていなければ、今すぐにでもリズァーラーたちへ殴り掛かっていただろう威勢であった。
「お前らはなんで戻って来てんだよ!処刑は無くなったんじゃねぇのかよ!」
「いえ、その、通達に何らかの手違いがあったようでして、処刑任務は続行しておりまして……」
「嘘だったってのか、アレは!騙しやがったな、セコい真似しやがって!あの人は誠意をもって、仕事をこなしてたってのに!」
大柄な男は相変わらず体をフラフラさせていたが、怒声はビリビリと周囲の空気を震わせ、一帯に響き渡った。この騒ぎを聞きつければ、建築拠点の小屋から起き出してきた作業員たちが寄ってくるのも時間の問題である。
状況は悪化の一途をたどるばかりであったが、先ほどまで落ち着いた様子で首元に提げたタンクから空気を吸っていた現場監督はおもむろに口を開いた。
「で、お前はどうしたいんだ。」
「どうって……こいつらをぶちのめしてやんだよ!俺たちを騙した、その報いを受けさせてやる!」
「自分の気分を晴らすためだけにか?」
「違ぇよ!俺には、あの人を守る義理ってもんがあったんだよ!それが果たせなかったまま、処刑されたあの人の身体が持ち去られるのを、黙って見送れるワケねーだろ!」
泥酔しながらも男の威勢は留まる様を見せない。リズァーラーたちは気圧されるようにジリジリと後退していたが、現場監督は呆れたように小さくため息をつき、相手の胸元を指先で小突いた。
大柄な男であったが、足元がおぼつかないためか指先で押されただけで大きくのけぞり、そのまま仰向けに倒れた。
「痛ぇ!何しやがる!」
「その義理ってもんを果たした後、どうすんだよ。アイツの遺志を引き継いで、お前が追加予算の請求と、作業のサボタージュを指揮すんのか?」
「あぁ!やってやるよ!あの人の遺志は、絶対無駄にするもんかよ!」
地面に倒れたまま喚き散らす彼とは別に、ゾロゾロと大勢が近寄ってくる足音が聞こえる。建築拠点小屋の方から聞こえるそれに目を向ければ、騒ぎ声が聞こえたのだろう大勢の労働者たちがこちらへ来るところであった。
その全員が作業用の空気タンクを携えているのを確認した現場監督は、小さく頷きながら男へ返答する。
「だとよ。コイツが次の処刑任務の標的ってことになりそうだな、雑菌ども。」
「雑菌ども」とは、菌類を体内に繁殖させたリズァーラーの一般的な呼称である。
彼から呼びかけられたリズァーラーたちは、一斉にその男の身体へ視線を向ける。先ほど処刑した男同様、他の引き締まった身体ながらも痩せぎすな労働者たちとは異なり、恵まれた体格に筋肉を蓄えた男。
今、地面に倒れている彼もまた処刑の標的になり得るという話を耳にして、マナコは思わず口角を上げた。
「えぇ?このお方も、私たちが処刑して、ご遺体を持ち帰って構わないんですかぁ?」
「今はダメだ、マナコ。あくまで管理局が有罪証を発行した対象だけだ、処刑していいのは。」
シェルが彼女を制止する声にかぶせるように、先ほどから起き上がろうと手足をバタつかせている男は大声を上げる。
「やってみやがれってんだ!テメェらみたいなヒョロっこい奴なんか、一撃でぶっ飛ばして返り討ちにしてやる……クソ、頭が痛ぇ……」
酔いが回っているためか、思うように動かせない両手足を不器用に動かしながら、どうにか立ち上がる体勢を整えようとし続けている男。
が、その動きはますます鈍くなっていく。さすがに異変に気付いたのか、彼の声色は切迫し始めた。
「ちょっと待て……おい、まさか、空気の供給、止まってねぇか……?」
「さっき警告しただろ、現場の酸素濃度が低下しているから、作業用の空気タンクを装着しろって。現場の空気循環システムに不備があったんだ。」
現場監督は声色を抑えたまま、むしろ冷徹に告げる。
「誰も、その修理が終わったとは言ってないぞ。お前ら護衛どもは気楽に酔っぱらっていたが、ちゃんとした空気タンクを確保してるのは労働者たちだけだ。」
「マジかよ、俺の仲間たちも……おい、だ、誰か、空気のタンクを……あ、頭が痛ぇ……!」
既にこの現場を取り囲んでいる労働者たちは、皆示し合わせたように空気タンクに接続されたマスクで口を覆っていた。が、地面に這いつくばったまま、呼吸を喘がせて助けを求める男に対し、手を差し伸べる者はいない。
見れば、この場で空気タンクを装着している労働者は皆、これまで現場で仕事できないまま無為な時間を過ごしていた者たちばかりであった。
「コイツらは全員、お前が護衛していた男に迷惑していた立場だ。余計なことを上に申請して、その間の掘削作業をストップされてたんだからな。おかげで仕事が出来ない、給料も入ってこない。」
「知ってた、それぐらい……ゲホッ、だから、あの人は現場の労働者を見回って、理解を求めるように……」
「お前らのように屈強な護衛を引き連れて求めに来た『理解』なんて、拒めるはずもないだろ。拒否したら、どんな目に遭わされるかと思えば。」
取り囲む労働者たちは無言のままであったが、この倒れている男に対し皆が一様に冷たい視線を向け続けている様は、全員が同意見であることを雄弁に語っていた。
いよいよ顔色を失い、瞳が細かく震えはじめた男に近寄り、その脇腹を足先で小突きながら現場監督は言葉を継いだ。
「お前みたいに無駄肉を蓄えられるほど、余裕ある暮らしの労働者は居ねぇんだよ。他の護衛連中も同じだ、誠意だの義理だの、綺麗ごとを並べてられるとは結構なご身分だ。」
「ゲッホ、ゴボッ、ゲェッホ……」
口から泡を吹き始め、白目をむき始めた男の耳に、その言葉が届いているか否かは既に怪しかったが。
咳き込む音も弱まり、やがて力尽きたようにグッタリとした男を前にして、シェルは恐る恐る尋ねた。
「えぇと、大丈夫なんでしょうか、これ、死んじゃってるんじゃ……。」
「さぁな、お前らも用が済んだろ、さっさと帰れ。」
何から何までリズァーラーたちの任務遂行を手助けした現場監督であったが、あくまでも彼はリズァーラーの味方というわけではなく、自身の意図に沿って状況を進めているに過ぎなかった。
「重ね重ね、ありがとうございました!」
「……。」
シェルが改めて深々と頭を下げるも、相手はリズァーラーたちを完全に無視し、手元に予備の空気タンクを準備しながら、倒れ伏した男の口まわりから泡を拭き取っていた。
大柄な遺体を詰め込んだ死体袋を排水管の中へと引きずり込み、運搬していくリズァーラーたち。
人間たちの立てる音が遠ざかり、自分たちの足音だけが響く排水路の中で、マナコは問いかけた。
「人間さんは、同じ人間を死なせちゃうのは嫌がってたんじゃ?だから、私たちリズァーラーに処刑をやらせてたはずですけどぉ……。」
「完全に死なせるつもりじゃないんだろ、酸素供給を断たれたところで、人間はすぐ死ぬわけじゃない。」
リズァーラーが処刑を執行する場合、空気供給を断つのはあくまで標的の動きを鈍らせるためである。また、首元に噛みついて失血させる際、副次的に低酸素症を引き起こす目的もある。
一方、失血死に至るわけではない状況ならば、呼吸が止まった後に空気供給を再開することで息を吹き返す可能性はある。
「あの現場監督も、一応は作業員を蘇生する痕跡を残しておかなきゃならないだろうからな。」
「なるほどぉ、でもあの人が目を覚ましたら、また騒ぎ始めるんではないですかねぇ?」
「低酸素状態がある程度続けば、人間は脳を破壊される。死にはしないが、面倒なことを喋らない状態になるのを狙ってるんだろ。」
いわゆる低酸素脳症である。
すみやかな蘇生が行われれば後遺症を残すことも無いが、一定時間以上脳に酸素が送られない状態となれば、意識障害や認知症などの後遺症が残る場合もある。
先ほどの現場監督は、それを意図的に引き起こすことに手慣れているようでもあった。現場を取りまとめる立場の人間として、厄介な存在を黙らせる術を身につけていることは不自然なことではなかった。
「死んでいなくても、真っ当に行動できない状態ですかぁ……それって、実質は処刑と同じなのではないですかねぇ。」
「あくまで、自分が殺したわけじゃないってのが重要なんだろ、人間さんたちにとっちゃ。」
シェルはそう言いながらも、自分たちが携わる処刑任務が、人間たちの思惑のほんの一端を担っているに過ぎないことは改めて実感せざるを得なかった。
一方のマナコは、並んで死体袋を運ぶハリコ同様、どうせならば自分たちの養分としてあの栄養分豊富な肉体も持ち帰りたい、程度のことしか考えてはいなかった。




