人智に並ぶ欺瞞なし
いったん離れた現場の方へと、排水管の中をリズァーラーたちは引き返していた。むろん、命じられた処刑任務を執行するためである。
処刑命令が下されることを前提として備えていただけに、今回の標的は護衛を常に付き従えているなど非常にやりにくい相手だった。処刑が撤回されたという偽の指令を公表することで油断を誘い、帰還したと見せかけてあらためて標的のもとへ向かうのだ。
とはいえ、あれほど周到にリズァーラーから処刑されないよう備えていた標的自身が、そう都合よく隙を見せるか否かは不安の的であった。
「でも、処刑が撤回されたからって、安心した作業員さんたちが全員で眠り込むワケじゃないんでしょぉ?」
「ウゥ。」
「私たちが戻って来たのを目撃されたら、不審がられるんじゃないですかねぇ。」
「ウン。」
マナコが訝りの言葉を並べ、ハリコがそれに相槌を打つように唸り声を返している。
「あぁ、俺たちだけでやってることなら、そういうことも心配しなきゃならなかっただろうな。」
シェルは時を置かずに答える。黙り続けているベスタは、彼と共にずっと居たため今回の策を既に知っているのだろう。
「前の任務で知り合った現場監督さんが、まず協力してくれてる。処刑撤回を祝して、標的の男のもとに祝いの酒を持って行ってる。」
「サケ?なんですか、それは。」
マナコが聞き返したのも無理はない。人間にとっては目の飛び出るような高級品である酒という飲料について、シェルは説明しはじめた。
地下都市において、酒類はまず入手することの出来ない貴重な嗜好品である。菌類には事欠かない地下世界とはいえ、アルコール発酵し得る糖分やデンプン質を豊富に含む原料の栽培は難しい。
日照を必要としないキノコ類が庶民の主食であり、人工照明を用いた植物の栽培も細々と行われてはいるものの、限られた空間では特に根菜類や穀類の生育は粗悪となる。世話する手間のわりに収穫量は僅かなものである。
それゆえデンプン質の豊富な作物は、富裕層の市民しか口に入れられない高級食材として出回っていた。ましてや、それらを贅沢に分解し発酵させた酒類が、貧困層には一生かかっても手の届かない代物であることは言うまでもない。
「ともかく、人間さんにとっては結構なぜいたく品ってことだ。それを飲めば気分が良くなり、疲れも取れて、病気が治ることまであるんだそうだ。」
「へぇ、すごい飲み物なんですねぇ。今頃は現場の皆さんが喜んで飲んでおられる頃でしょうか。」
「貴重品だから、労働者全員の手には渡らないだろうけどな。飲んでもらう必要がある連中にだけ、ふるまわれてるんだろう。」
「飲んでもらう必要、ですかぁ……?」
「酒を飲んだら、同時に眠くなったり、足腰が立たなくなったりするらしい。」
少量でも酔いを味わえるように、地下都市で生産される酒類はいずれもアルコール度数の高いものばかりである。
また、富裕層以外の市民たち、今回であれば掘削現場で働く作業員たちには、今まで酒の評判を耳にしたことこそあれど、実際に飲んだことがある者などいるはずもない。
上手い飲み方など知るはずもなく、下手をすれば一口で酩酊状態に陥り、昏倒する者もいるだろう。
「管理局も、よほどこの処刑任務を達成させたいんだろうな。そんな高級品を、下々の者に飲ませてやるため持ち出してくるだなんて。」
「上手く行けば、標的さんも護衛の皆さんも、全員がぐっすり寝込んでるかも、ですねぇ。」
マナコの語ったそれは希望的観測に過ぎなかったが、まずもって口にすることの出来ない高級品を渡された作業員たちがどうなるかは想像に難くなかった。
排水路の中を進んできたリズァーラーたちのもとに、人間たちの声々が届き始める。処刑を免れた男の祝いということもあってか作業の音はせず、代わりに幾名かが立てる笑い声が閑散と響いてきた。
「そう都合よく全員が寝てはいないようだ、酒は回ってるようだがな。」
「そこまで大きな騒ぎ声になっていないということは、目を覚ましている人間は数えるほどしか居ないでしょうけれどね。」
今まで沈黙し続けていたベスタが、これから進入する現場の様相について推測を語る。
人間側からの協力者もあるとはいえ、この機を逃せば処刑任務の達成はほぼ不可能となる。状況について少しでも情報を得ようとリズァーラーたちは耳をすませ、暗闇の中から目を凝らし、緊張感は高まりつつあった。
排水路の出口にたどり着いたリズァーラーたちは、鉄格子の隙間から覗く現場の工業用照明の半分以上が消され、暗がりが増していることに気づいた。
「下準備も済まされているようだ。暗闇の中なら、俺たちリズァーラーの有利になる。」
「ここまでお膳立てされちゃあ、見事に処刑を成功させるほかないですねぇ。張り切って標的さんの元へ向かいましょぉ。」
「ウゥー……!」
いったんはあきらめざるを得ないと思わされた標的の処刑が、いよいよ現実的になってきた様を実感し、マナコとハリコは気を逸らせていた。処刑対象の肉体を粉砕した養分液が容器に満々に湛えられている様が、目の前に浮かぶかのようである。
シェルはベスタと目くばせしつつ、二人が焦って行動を開始しないように牽制した。
「俺たちが戻ってきたのを見られてないか、確認してから出るぞ。あの現場監督さんも標的を誘導してくれてはいるだろうが、護衛やってた連中の全員を面倒見てるわけじゃないだろう。」
軋む音が立たないように排水管の鉄格子をそっと持ち上げ、リズァーラーたちは掘削現場へと戻っていく。
疎らに点灯した工業用照明が、現場のあちこちで座り込んでいる作業員たちの姿を照らし出している。標的が主に籠っていた工事用拠点の小屋周辺に多くが集まっており、酒盛りはそこで行われていたのだろう。
肩を組んで座り込み、何がおかしいともなく笑い合っている者も居たが、酒を飲み干して地べたに寝転んだままの姿がほとんどだった。
「こっちだ。」
言葉少なにシェルは仲間を誘導する。処刑を成功させるための下準備を共に画策した現場監督との打ち合わせ通りであれば、拠点の小屋から離れた空き地に標的を連れだしていてくれている手筈であった。
「あ、居ましたねぇ、あそこに。」
暗闇でも目が利くマナコが、いち早く標的の姿を見つける。こちらに背を向けている傍らには、標的をその場所まで誘導した現場監督の姿もある。
たしかに、そこまでは事前の計画通りではあった。
「あぁ、だが……寝てはいないな。」
慣れない酒を飲んだ者たちの殆どが寝込んでしまっているのに対し、標的の男は未だ背筋をすっくと伸ばして座っていた。身体もフラフラしておらず、隣の現場監督と何事かを話し合っている。
こちらの存在を悟らせないようにそれ以上声を交わすことなく、音の出やすい砂利を避けながら、暗闇の中を四つん這いでリズァーラーたちは標的へと接近していった。
標的の男と、現場監督との会話が聞こえてくる。
「ほら、仏頂面してないでもっと飲めよ。滅多にないことだぜ、処刑が撤回されるだなんて。羽目を外して喜んでいいんだぞ。」
「いや、俺は作業員たちの面倒を見る立場だからな。今は工事を止めているが、それでも現場に万が一のことがあれば、俺が対応に当たらなければならない。」
「真面目な奴だなぁ、お前は。俺たちは酒なんて一生に一度でも飲めるか飲めないかってのに、大した自制心だぜ。」
一応は酒の入ったカップを手にした標的の男は、ちびりちびりと口をつけてはいるようだが、その手先が震える様など全くない。
多少は酔っていたとしても、酩酊状態には程遠く、極めて理性的に振舞っている標的の姿を目の当たりにし、リズァーラーたちは顔を見合わせた。シェルは多少の焦りを表情に浮かべながらも、接近を一度停止するよう仲間たちに手振りで伝える。
「そっちだって、現場監督として酔いつぶれないように自制しているじゃないか。真面目なのはお互い様だ。」
「お前が酔いつぶれても良いように、俺が来てやってるんだろうが。今ぐらい、気を抜いたっていいっつってんのによ。」
「予算の追加申請が通った今だからこそ、気を抜いてちゃいけないんだ。安全な居住区を建設するために、間違いのない強度計算を実施しなければ。」
「今からその計算を頭んなかで始めてるってか?結構な優等生だな、お前は。」
どこまでも堅物な男の真面目くさった講義を、傍らの現場監督は笑って聞き流すばかりであった。
とはいえリズァーラーたちにとっては笑っていられない状況である。意識のはっきりした状態の標的にいきなり襲い掛かっても、大声で助けを呼ばれることは間違いない。酒に酔ってはいても未だ寝込んでいなかった護衛の幾名かは、多少フラつきながらも寄ってくるだろう。
そもそも工事現場を取り仕切っていた標的の男は屈強な肉体を有しており、下手をすれば彼一人によってチーム全員が叩き伏せられる恐れもある。彼のせいで仕事を止められていた大多数の労働者は処刑執行に賛同してくれるだろうが、直接的に処刑を手伝うことはないだろう。
手を血で汚すのは、あくまでリズァーラーの役目であり、直接的に処刑に携わるのは人間ではない。その点は、標的の男を護衛から引き離す誘導をした現場監督も同様だった。
「ほら、飲め、飲めって。」
「お前もしつこいな。男を酔い潰しても、得は無いだろ。」
ゆえに、彼は標的に酒を薦める以上の事をしていない。その努力は、あくまでも真面目な性格である標的によって聞き流されていた。
状況を打開する術が見いだせないまま、じりじりと時間だけが過ぎていく。標的の背後の暗がりに身を隠し続けているリズァーラーたちであったが、何の拍子に他の労働者に見つかってしまうとも知れない。
少なくとも、標的を護衛していた連中の身体に酒が回っているうちに、処刑を決行するほかなかった。
「そろそろ、建築拠点の方に戻らないか。」
「あぁ、俺も眠くなってきちまった。」
標的の男に言われ、酒を飲ませるのを諦めたらしい現場監督が両手を上にあげ、うんと背伸びをして立ち上がる。
護衛たちに囲まれた場所へ、標的が戻って行ってしまう。そう見たハリコとマナコは動きかけるが、シェルは咄嗟のところで二人の動きを制した。
現場監督が伸ばした手は、奇妙な動きを見せていた。背筋を伸ばす動作に見せかけながら、その先で手を規則的に振り、あからさまに周囲に合図を送っていたのである。
それは打ち合わせしていたリズァーラーたちに見せるためでもあったろうし、この掘削現場の状況を変える仕掛けを握っている者への合図でもあった。
「ん……?」
標的の男が何かに気づいたように、自身の胸元に視線を向ける。何事も無かったかのように背伸びを終えた現場監督は、それを聞き咎めて尋ねる。
「どうした?」
「現場の酸素濃度が低下し始めている。空気の循環システムに不備が生じたのかもしれない。」
リズァーラーによって処刑されることを警戒し続けていただけあって、男の作業服の胸元には簡易の酸素濃度測定器が取りつけられていた。リズァーラーたちが低酸素、そして暗闇の状態を作ってから処刑標的を襲うことは知られていた。
大がかりな工事を行う場合、作業員たちがいちいち空気を補充しにいく必要が無いように、現場全体には酸素を供給する装置が準備される。地下世界では、外部から自然と新鮮な空気が入ってくるようなことはないためだ。
が、たった今、男が言った通りに一帯の酸素濃度はみるみる低下していった。現場監督もその測定器を覗き込み、驚いたような声を上げる。
「マジだ。おぉーい!全員、作業用の空気タンクを装着!酸素濃度低下中だ!」
「寝込んでしまっている者にも、空気タンクのマスクを当ててやれ!」
二人は大声で作業員たちに呼びかける。指示が届いたのか、酔いつぶれて座り込んでいた者たちも頼りない足取りで立ち上がり、ノタノタと空気タンクの置き場へ向かっていった。
指示が届いた様を見届けた後、現場監督は自分も持参していた空気タンクのマスクを口につけ、傍らの男にも簡易のタンクを差し出した。
「ほらよ。お前さんの事だから、すぐにでも空気の循環システムを見に行くってんだろ。」
「あぁ、いちいち拠点小屋に戻ってる場合じゃない。もしも空気タンクを確保していない作業員が居たら、大変だ。」
差し出された空気タンクのマスクを口に当てて呼吸しつつ、標的の男は一歩踏み出した。
……が、二歩目には崩れ落ちた。
全身の力が抜けたようになって、立ち上がれずにいる。
何事が起ったのか、本人も、背後で見ていたリズァーラーたちもすぐには把握できていない。
ただ、この場を作り出した張本人である現場監督だけが、落ち着いて行動を続けていた。
「おいおい、どうした?やっぱ、慣れない酒で足元がおぼつかないか?」
「いや、そんなに酔っていたはずは……。」
「とりま、きちんと酸素を吸っとけ。空気の循環システムの調子は俺が見に行くから。」
現場監督に促されるがまま、標的の男は先ほど渡されたタンクから息を吸い……思い切り咳き込んだ。
「おい……おい、何だよコレ……!体が痺れる……クソッ、俺に何を吸わせた!」
「……。」
返答はなく、現場監督の男はスタスタと立ち去っていく。周辺の工業用照明が消え、暗がりと共にリズァーラーたちが顔を出した。
混乱する思考の中でもなんとか状況を悟った男は、自分を処刑しに戻ってきた彼らを忌々しそうに睨みつける。
「騙したな……」
「いや、俺たちだけじゃ思いつかないよ、あの現場監督さんの協力あってのことだ。まぁ、結果的には、俺たちリズァーラーが処刑したってことに変わりはないんだけどな。」
シェルは極力声を抑え、冷静を装って答えていた。
が、リズァーラーに処刑させるためには手段を選ばぬ人間たち、管理局の思惑への畏怖は、その声を少なからず震えさせていた。




