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日の目を見ざるリズァーラー  作者: MasauOkubo
存在を望まれる罪人
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新たなる任務

 ポツリ、ポツリと落ちて来る雫を、掌で受け止めながら、ハリコはゆったりとした椅子の背もたれに身を預けてじっとしていた。


 彼が掌で受け止めているのは単なる水ではない。赤く濁った、菌類には養分となる液体だ。具体的には、前回の任務で処刑した標的の遺体を、細かく粉砕して攪拌し液状としたものである。


 人間ではないハリコは、体表から養分を吸収することが食事となる。ひじ掛けの上に固定された点滴器から漏れ出してくる液体は、彼の掌に落ちるたび、皮膚の内側へ吸収されていった。


「……。」


 指先を直接液体に漬けるほうが吸収効率は良かったろうが、ハリコはわざわざ一滴ごとに落ちて来る養分液を受け止めるほうがお気に入りだった。人間に食事の好みがあるのと同様、『リズァーラー』たちにも趣味嗜好というものは存在する。


 ポツリ、ポツリ、肌が一滴一滴に叩かれるたび、細かな飛沫が周囲に霧散する。


 霧のように立ち上がっては去っていくそれらの形は、雫が落ちて生み出されるたびに変わり、一つとして同じものはない。


 娯楽に乏しいこの地下空間において、それはいくら見続けても飽きない、粗末なエンタテインメントに違いなかった。


 足音が近づいてくる。そそっかしく駆ける、足音の主の性質を示す響き。


 暗所、閉所を好むハリコの部屋は椅子一つで占拠されてしまうほどの狭さであったが、その足音の主は躊躇せず内開きの扉を勢いよく開き、ハリコの脚の先に錆びた金属製のドアをぶつけた。


「ウッ。」


「リコくん!招集ですよぉ!お仕事の時間です!」


 薄暗く殺風景な地下通路には似つかわしくない、朗らかな声を響かせて顔を出したのは一人の少女である。


 人間の少女に似た姿を有するリズァーラー、と呼んだ方がより正確であったが。


 くすんだブロンズの後ろ髪はショートヘアと呼んで差し支えない長さであったが、前髪は片目が隠れるほどに覆いかぶさっている。髪の隙間から唯一覗いている左目は、その瞳を取り囲む白目が過剰なまでに広く、ギョロリと動いてハリコを見つめている。


 それは彼女が左目を限界まで開き切った状態で固定する器具を装着しているためであった。目を閉じるたび、上下の瞼が癒着してしまう彼女には必要な措置だった。


「ウ゛ゥー……」


「ささ、早く立って!行きますよ!管理官さんがお待ちですから!」


 自分ひとりだけの安らぎの時間を、騒々しく邪魔されたハリコは不満げに唸ってみせる。ついでに勢いよく開かれた金属ドアにぶつけられた脚をさすって見せるも、当の相手は意にも留めずに彼の腕を引っ張って立ち上がらせた。


 彼女とは異なって、ハリコは言葉を発せなかった。それは彼が口元をすっぽりと隠す覆面をしていることにも関係があった。


 人間に似通った容姿を持つリズァーラーたちは、いずれも人間とは異なった特徴を何がしかの形で有する存在であった。


 生活するうえで人間同様の快適性を要さない者たちの住まいは、じめじめと暗く、カビが侵食する岩肌やセメント建材の壁に囲まれている。天井も低く、通路を歩く際にはたびたび姿勢を大きく屈めなければ頭をぶつけかねないほどだ。


 しかし、管理官の部屋、すなわちハリコたちに仕事の指示を出す上司の居所は、打って変わって立派な佇まいであった。


 工事作業用の通路めいた殺風景な中に、突如として現れる場違いな木目調の扉。ハリコの腕を引っ張って来た少女は、コンコンと扉をノックする。


 間もなく、扉越しに返答があった。


「お入りなさい。」


「はぁーい!遅れて済みません、管理官!」


 扉の向こう側には、重々しい執務机やソファが並べられ、絨毯の敷き詰められた、いかにも豪邸の一室といった雰囲気の部屋があった。


 まるで書斎に下水のネズミが迷い込んでしまったかのような場違いさで足を踏み入れた、粗末に薄汚れた身なりの二人に、部屋で待ち構えていた管理官はゆったりとした口調で椅子をすすめる。


「まずは、席について。特にマナコ、あなたには落ち着きが必要です。仕事内容を通達する前ともなれば、特にね。」


「だいじょぶですよぉ!今までだって、ちゃーんと出来てました!」


「今回もお願いします。慎重に取り組まなければならない仕事ですよ、ミスがあっては文字通りに命取り、です。」


 この管理官もまた、人間ではなかった。


 口は大きく裂け、その裂け目は顎も耳の下も通り過ぎ、後頭部で左右から繋がっている。当然ながらそのような口では発話に難があるためか、開ける必要のある箇所を残して縫い合わせてある。


 さらには大きく落ちくぼんだ眼窩、突き出た頬骨、蒼白の顔面も相まって、彼の外見にはまるで骸骨のような印象があった。


 マナコと呼ばれた少女は、勢いよく手近なソファに腰を下ろす。腕を掴まれっぱなしであったハリコは、彼女に引っ張られる勢いのまま、真隣りに身を投げ出すような形となった。


「……ウァ。」


「あっ、手をつなぎっぱなしだったの忘れてました!リコくん、身体が軽いんですもの。」


 抗議の視線をハリコから向けられても、マナコは悪びれもせず、むしろ悪戯っぽい笑みとともに視線を返す。


 管理官は静かに笑みながら、机上のファイルから任務内容をまとめた書類を取り出した。


「仲が良さそうなことで何よりです。では、さっそく、今回の仕事内容を説明します。」


 管理官は、さきほど取り出した書類を二人に示す。


 びっしりと書き込まれた書面、一人の男の顔写真、そして『市民生活管理局』の押印。


 これが、彼らの住まう地下都市を統治する政府から発行された公文書であることを示すものであった。管理官は、書類を掲げながら、それを端的に要約した内容を口にする。


「先ほど、市民生活管理局は、セクター6、廃棄物処理エリアに居住する市民『トマス・コーサク』に対する有罪証を発行しました。」


「へぇ、この方ですかぁ。なんか、貧相な見た目ですねぇ。何をやらかしたんでしょ。」


 文面には興味が無かったハリコも、書類に添付されている顔写真には目を向けた。


 地下都市、それも廃棄物処理エリアに住まわざるを得ない、貧困層の住民。やせ細り、顔には疲労と困窮の痕が皺となって刻まれた、市民のごく一般的な容姿である。


 管理官は、マナコからの質問には答えなかった。


「私たちリズァーラーに、詮索の権利はありません。生活管理局が決定を下したならば、それに従うのみです。」


「分かってますよぉ、教えられてないのなら、それは知らなくていいこと、ですよね。」


「……。」


 質問を問答無用で流されたマナコが未練なく応え、ハリコも黙って頷く。


 ここから先、管理官が話すのは事情の解説ではなく、彼らの『仕事』の進行についての詳細のみであった。


「既に、現地における市民会の幹部には話が行っています。いつも通り、周囲の無関係の住民には害が及ばないようにとの規約です。」


「了解です!標的が逃亡する可能性は?」


「市民会長によって移動は止められています。現地にはセカンドチームが先行し、標的となる『トマス・コーサク』の監視に当たっています。現在、異変の報告はありません。」


 ハリコとマナコがこれから引き受ける任務には、常にバックアップおよびサポート用のセカンドチームが存在していた。


 しくじれば、自分たちの任務が遂行できないだけではない。被害が拡大し、本来は生まれるはずの無かった被害が出てしまう恐れもある。


 それだけ、慎重に進める必要のある内容であった。


「前回同様、公共設備局からの了承を受け、我々の任務遂行時には一時的な停電、および居住区画に対する空気供給の停止が認められています。」


「おー、もしかすると何もしないで眺めてるだけで任務達成できるかもしれません!」


「そうならない可能性が大いにあるため、我々の出動が求められているんですよ。」


 マナコを窘めつつ、標的となる男が居住している区画の詳細な図面を、管理官は二人に手渡す。


 そして小さく咳払いし、改まった声で告げた。


「では、これより任務開始です。現地へ赴き、標的の罪人を処刑してください。」


「了解!張り切って行ってきます!」


「……ウー。」


 くぐもった声を漏らし、ゆっくり頷くハリコ。


 マナコが立ち上がると同時に、つないだままの手に引っ張られて前にのけぞるような形で立たされた。


「ウァァ。」


「ささ、お手々繋いで処刑しに行きましょ!頼りにしてますよぉ、リコくん!」

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