己を知り得る空白に、新たな任務を持ち込まれ
ハリコは暗闇の中で目を開いた。
いつも彼が任務通達を待機している小部屋には明かりも無く、外光も入り込まず、暗闇に包まれていることは当然のことだったが。
活動のための養分が補給された状態で、何も役割を言いつけられない間は、身体を動かす必要などない。目を閉じて、じっと身じろぎもせず、次なる任務を命じられるまでを待ち続ければ良い。
「ウゥ゛ゥ゛……。」
だが、今のハリコの中には、静止し沈黙を続ける状態に抗おうとする、緩やかな衝動にも似た感情が湧きおこりつつあった。
必要に駆られない行動を取るなど、栄養分の浪費である。それでもハリコは身を起こし、いずれにせよ真っ暗な小部屋の中で目をしばたたかせ、これまでの自分の胸中には湧き得なかった奇妙な情動に戸惑いを覚えていた。
ハリコにはその感情そのものを分析し得ることなどなかったが、何が原因となっているかはハッキリしていた。例の、偶に脳裏に浮かぶ、真っ白な光景である。
「……。」
歩き回れば常に暗がり、そして岩盤やコンクリートの壁面が視野に入る地下都市では、決して見ることのあり得ない景色。
柔らかく白い光の乱反射に満たされた、広大な原野。
それは自分の中だけで時折にのみ浮かび上がってくる幻覚のような代物かと思われていたのだが、前回の『実験』時、菌糸の接続を通じてマナコの視覚にそれが映り込んだとなれば、幻覚ではない可能性も浮上する。
「……?」
あれは現実に見た光景であり、その記憶が実際に存在するということだろうか。
とはいえシェルやベスタと違い、気になる物事について深く考え込むことに慣れていないハリコには、それ以上の憶測を働かせることなど出来なかった。
ただ、じっとしていることもまた出来なかった。立ち上がったハリコは、小部屋の扉をギィと押し開けて出る。
「ウー。」
リズァーラーたちの住処では廊下がわりとなっている排水管の中へ歩み出たところで、何が出来るというわけでもない。
自分の抱える謎について尋ねられる相手も居らず、資料や文献を読みあさって調査する機会も得られない。むろん、ただ待っていても答えは与えられない。
行動目的が明確でないまま、身体を動かすことは初の経験であった。ハリコにそうさせたのは、人間で言うところの好奇心にも近しい衝動だった。
「……。」
待機場所の小部屋から意味もなく歩み出たハリコは、暫し身動きせず固まっていた。仕事や栄養補給など、必要のある行動以外を取ることに、ハリコは慣れていなかった。
いつも通り、疎らに配置された工業用照明が排水管内部を雑に照らしている。少しの話し声や足音でもあれば反響して伝わってくるような場所であったが、音も絶えて聞こえない。
自分が何を求めて動くべきかすら定めかねているハリコの思考の中、真っ先に浮かび上がって来たのは仲間たちの顔だった。シェル、ベスタ、そしてマナコ。
「ウー?」
誰に対してともなく問いかけた唸り声に、返答はない。
任務を与えられていない間、この暗がりの排水管の中で、仲間たちが何をしているのか全く知らないことに、ハリコは今さらになって気づいた。
ハリコが自分の仲間について知っているのは、処刑任務を遂行している間の姿のみ。待機中の仲間たちは、完全なる別物同然であり、今なお姿を見せない彼らを呼ぶことにはどことなく不安が伴った。
その呼びかけに応えたわけではなかったが、ちょうど扉が開くとともにマナコの声が響いてきた。硬質の金属扉の音ではなく、木製の扉が立てる落ち着いた音であったことから、それは管理官の執務室の扉だと判断できた。
「……んじゃあ、私、リコくんを呼んできますねぇ。」
どうやら、新たな任務が下され、仲間たちは既に管理官のもとへと集まっているらしい。そしていつものごとく、マナコが待機中のハリコを呼びに向かう所であった。
その様を直に見るのは、初めてだった。そして今までもそうであったが、常に自分が一番最後に呼ばれることについて、ハリコは初めて疑問を抱いた。何故、管理官からの呼び出しが直接自分のもとへ届かないのか。あるいは他の皆は、自分と違って待機部屋に籠ることなく、常に管理官の声が届く場所に居るのだろうか。
これもまた、考えだけで答えを得られる類の謎ではなかった。
「あれぇ?リコくん、いつもの部屋から出てきちゃってたんですかぁ?」
「……ウン。」
必要が無ければ無意味に立ち歩くことの無いハリコが、待機場所となっている小部屋から既に出てボンヤリと立ち尽くしている様を前に、マナコは驚いた様子であった。常日頃よりまぶたを開き切った状態で固定している彼女の場合、目が更に丸くなることはなかったが。
何を尋ねられようとも言葉を返しようのないハリコを前に、マナコもしばらく首を傾げていたが、考えても詮方ないことに長々と時間を使う彼女ではなく、改めて口を開いた。
「まぁ、ちょうど良いですかねぇ、管理官から新たな任務の通達ですよぉ、一緒に行きましょ。」
不思議そうな表情は瞬時に消え去り、マナコはハリコの手を取っていつも通りに管理官の執務室へと引っ張っていった。
既に待っていたベスタとシェルは、マナコが常よりも早くハリコを連れて戻って来たことに多少意外そうな顔つきを見せた。が、シェルはすぐに今回の任務指示書を示しながら得意げに話し始める。
「見ろ、今回の処刑任務の目的地、俺が引き受けた前の任務と同じ掘削事業の現場だ。やっぱり、まだまだキナ臭い雰囲気が残ってると思ってたんだ。」
「予想的中ですかぁ!さすがはシェルさんですねぇ。」
「ウゥウゥ。」
「皆、お喋りは止めて。管理官の説明を聞かなければ。」
顔を合わせるなり朗らかにお喋りを開始する面々を、ベスタが落ち着いた声で制止する。既に、目の前の状況はハリコがいつも疑問なく受け止めている光景そのものとなっていた。
マナコとシェルのお喋りが鎮まったのを見計らい、管理官は口を開く。
「今回の標的は、地下居住空間拡張事業において、作業遅延を起こしている現場監督の処刑です。市民生活管理局は、彼が居住空間の増設工事を阻害する要因であると判断し、有罪証を発行しました。」
「前回は安全確保の疎かな監督、今回は作業遅延か……けどよ、意図的にそんなことやって、得する現場監督なんて居るのか?」
シェルは疑わしげにそう呟いたものの、ベスタから無言のままに横目を向けられたこともあり、管理官から返答が得られるとは期待していないとばかりに肩をすくめて笑った。
「ま、俺たちリズァーラーには事情なんて関係ねぇ、ってことだよな。分かってるって。」
「今回は現場からの情報が多少こちらにも伝えられています。彼は作業内容に応じた予算の増額を要求し、それが認められない限り作業を再開しない、と主張しているそうです。」
「おぉー……これまた大それた要求をやらかしたもんだ。」
地下都市の居住区画拡大のように大規模な事業には、統治側からも相当に多額の出資が為される。工事を引き受けた業者が、それでは足りないと主張し追加請求を行うことは滅多にあることではなかった。
それは資金として足りるか足りぬか以前に、地下都市の統治者に逆らうことのリスクが余りにも大きすぎるためであった。条件に折り合いがつかないとなれば、他の業者に仕事を明け渡すばかりである。
更に悪くすれば、まさに今回のごとく、処刑の対象として名指されることにも繋がった。そのリスクを得てでも、作業を遅延させている人物は相応の事情を抱えているのかもしれない。
改めてシェルが難しそうな表情を浮かべて考え込んでいる隣で、マナコはハリコと顔を見合わせて嬉しそうに喋っていた。
「ともあれ、私たちはいつも通りに処刑を執行して帰ってくればいいだけですねぇ。今度は肉付きの良い方が標的であることを願いましょぉ。」
「ウン。」
「処刑標的からの抵抗も予測されますので、処刑任務の遂行時には万全の準備を。では、任務内容の通達は以上です。皆様、お気をつけて。」
まちまちの反応を見せるリズァーラーたちを前に、管理官はいつも通り淡々とした声でミーティングの終了を告げた。




