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日の目を見ざるリズァーラー  作者: MasauOkubo
リズァーラーの情報伝達菌糸に関する実験
24/194

地下にては見るべくもない陽光

 ハリコは目を閉じ続けていた。彼が任務を与えられるまでを待つ間、引きこもっている小部屋には灯り一つなく、目を開けていても真っ暗闇であることに違いなかったが。


 前回の処刑任務で得られた遺体は、小柄だったとはいえ栄養価は豊富だったため、食い足りない思いは味わわずに済んだ。多少やせ細っていても、やはり貧困層の市民とは違って良好な栄養状態で過ごしてきた人間の身体であった。


 飢渇を覚えた時は感覚が鋭敏になり、わずかな水分や養分を求めて指先が床や壁面を這うこともあったが、現在のハリコは満たされた状態でじっと動かずに居られた。


「……。」


 目を閉じた状態をいくら続けてもリズァーラーに睡眠は訪れず、したがって夢を見ることも無い。


 が、記憶の奥底に沈んでいたイメージが、思いもよらぬ実感を伴って浮かび上がってくることはある。以前も空想の中に現れた光景、すなわち光に照らされ真っ白な色に満たされた世界が、視野も思考も遮断し続けているはずのハリコの脳裏に浮かびあがりつつあった。


 実に不可思議な光景であった。一帯を隈なく明るく照らし出すだけの光源があるにもかかわらず、光を遮って生まれる影が無い。


 空間は細かな白い粒子で満たされ、乱反射した光線が柔らかく世界の全てを支配しているかのようだ。


 重く、しかし微かに、遠方から巨大な囁きめいた音が、ゴォッと耳元を通り過ぎる。その滅多に聞くことの無い音を、ハリコはパイプラインの中を流れる空気の音のようだと感じた。


 閉鎖空間で構成されている地下都市の内部で、新鮮な空気が貴重なリソースとして扱われるなか、野放図に風が吹き渡ることなどまず無かった。


「リコくん?」


「ウー?」


 マナコの声が空想の光景からハリコを引き戻し、彼は目を開く。


「……ウァッ!?」


 いつの間に来ていたのか、マナコの顔面がハリコの目の前にあった。


 瞼を全開の状態で固定する器具をいつも通りに装着し、限界まで拡張された白目の中心で細かく揺れる瞳が、ハリコの目の中を覗き込んでいた。


「えへへぇ、ビックリしましたかぁ?リコくん、扉を開けても気づかないんですものぉ。」


 ハリコがいつも待機している小部屋の扉は、錆びて建付けの悪い金属製である。開け閉めするたびにギィィッと耳障りな軋み音が鳴る代物であったが、ハリコはその音にも気づいていなかった。


 先ほどまで幻視していた光景の中で、聞こえていた風の音は実際にハリコの聴覚を覆っていたということであろうか。


 しかし、その不可思議な可能性よりも、ハリコはいつも自分を任務へと呼びに来るマナコのあわただしさが見られないことの方が気に掛かっていた。


「ウゥ゛……?」


「あ、今回は任務のお知らせじゃないんですよぉ。管理官に呼び出されたことには、違いありませんけどねぇ。」


 マナコは、ハリコの返答を待たず彼の手を引っ張って椅子から立ち上がらせる。カビだらけの綿が裂け目からはみ出た、彼としては最高に座り心地の良い椅子から引き剥がされ、ハリコは無言のままに不服そうな色を目に浮かべる。


 処刑任務を与えられてワクワクしている状態でなくとも、ハリコを連れ回すことについては何らの躊躇もないのが相変わらずのマナコであった。


「ウー。」


「何でしょうねぇ、私もまだ何も聞かされてないんですよぉ。ただ、管理官から、リコくんと一緒に来るようにってだけ。」


 真っ暗な小部屋の扉を開けて出て行けば、廊下……の代わりとして用いている古びた排水管の内部を移動することになるのが、リズァーラーたちの普段の居住空間である。


 移動に用いるため明かりは確保されているものの、スタンドも無く床に転がった工業用照明が数個のみ。直視するには眩しすぎる光は、照明の周辺だけに過剰な明るさを与えるばかりで、光の届かない箇所の暗さを一層増しているようにも見える。


 ザラザラ、ジメジメしたコンクリートの壁が続く中、唐突に現れる磨き込まれた重厚な木製の扉は、いつ見ても場違いな印象であった。地下都市において最も身分の低いリズァーラーたちと、地下都市を統治する生活管理局とを、歴然と隔てる扉である。


 幾度も処刑対象の流血を吸って汚れてきたマナコの手も、その木目調の扉をノックする時だけは無駄にお上品な音を立てた。


「失礼しますぅ、ハリコ、マナコ、お呼びに応じましたぁ!」


「お待ちしておりました、お入りを。」


 二人を迎えた管理官は、執務机に一通の手紙と一本のナイフを準備していた。


 いつもと違って処刑任務を与えられるわけではないと聞かされていたハリコであったが、とりまず管理官以外に職員が待ち構えているわけではないと知り、若干の安堵を覚えた。


 言葉を発せぬ彼ではあるものの、自分たちとは随分異なった感性を有する人間を相手取るのは気づまりであった。処刑対象としてのみ相対するのが、一番気楽だった。


「今回お呼びしたのは、とある依頼に協力していただくためでして。」


 ハリコとマナコへソファに腰掛けるよう促しつつ、管理官は手紙とナイフを盆に載せて近づいてくる。


 手紙のすぐ隣に置いてあったのは、封筒を開くためのペーパーナイフではなく、肉切り用の波刃ナイフだった。


「我々リズァーラーのことを研究していらっしゃるという、さる科学者の方からお手紙をいただきましてね。」


「へぇぇ?私たちについて、何を研究することがあるんでしょ?」


「ウゥ゛?」


 管理官から知らされた内容に、二人は顔を見合わせて首を傾げる。


 リズァーラーとは、人間の遺体に、入り込んだ菌糸が繁殖し活動しているもの。それ以上の何物でもなく、リズァーラーたちは自身の在り様に疑念を抱くことなど無かった。


 彼らは自分たちが活動を持続できるだけの水分と養分さえ得られていれば、それで満足であった。地下都市という社会構造の中においても、人間が求める清潔な水や腐敗していない食料を消費することはない。現状に何ら改変の必要が見出されない以上、研究という行いは不可思議なものとして受け取られた。


 とはいえ、人間の探求心は、人に似て人ならざる存在、リズァーラーに好奇心を掻き立てられずにはいられなかったと見える。


「その科学者様は我々に直に会うことを希望されていたそうですが、諸事情がありまして手紙を通じてのみの接触となりました。」


「まー、お偉い研究者さんが、私たちみたいなのに会うなんて、そうそう考えられませんよねぇ。」


「ウン。」


 ハリコもマナコも与えられる指示に従順な、人間の立場からすれば扱いやすい安全なリズァーラーには違いなかったが、仮にも市民の処刑を担当する存在である。


 地下都市の人口割合で言えば一割にも満たない富裕層の、更にごく一部に過ぎない科学者という稀有な存在が、蔑まれる地位のリズァーラーと直接面会することが容易に認められるとは考え難かった。


 何らかの形で実験体として供与されるリズァーラーの身体を得ることは可能だったかもしれないが、その科学者は処刑現場で実際に働いているリズァーラーを用いた実験を望んでいるらしい。


「手紙での指示によりますと、我々が代わりとなって実験を行い、その結果を報告してもらいたいとのことです。」


「へぇ!?実験ですかぁ、なんか楽しそうかも、ですねぇ。」


「ウー?」


 マナコはそう言ったものの、単に真新しい物事を前にして一時的な好奇心を掻き立てられたに過ぎないと思われる。ハリコの方は、相変わらずピンと来ていない表情のまま、次なる指示をボンヤリと待っていた。


 管理官はナイフを手に取り、ハリコとマナコにそれぞれ手を差しだすように告げた。


「内容は単純なものです、あなた方の手のひらにそれぞれナイフで傷をつけ、傷口を触れ合わせて経過を観察するというものです。」


「えー、それだけ、ですかぁ?」


 あまりにもシンプルすぎる内容に、マナコの声には若干の落胆が響いた。


 人間の場合は傷口を通じての感染症も懸念される行為であったが、すでに死した身体であるリズァーラーの場合は関係がない。皮膚を裂いた下からは筋繊維や血管ではなく、体内全体に張り巡らされた菌糸が覗くばかりである。


 今回の実験においては、その菌糸が重要な役割を果たすらしかった。


「研究者さんの見解によれば、我々リズァーラーが有する菌糸は身体の保持のみならず、情報伝達をも担っているそうです。別々のリズァーラーが菌糸を直接触れ合わせれば、得た視覚情報などを共有できるかもしれない……とのことです。」


「よく分かりませんけど、さっさと済ませてくださいねぇ。」


 早くも興味を失っているマナコは、管理官から指示された通りに手を出したまま、これといって見るべきものもない空中へ視線を泳がせている。


 管理官はさっそく手紙に書かれた通りの作業を開始した。養分液を吸ったばかりのハリコとマナコの掌の皮膚はまだ柔らかく、肉切りナイフで易々と傷が入る。


 滲み出た半透明の体液とともに、皮膚のすぐ下を細かな編み物のごとく覆いつくしている菌糸の層が顔を出す。ナイフによって切りこみを入れられた際、幾本かの菌糸もついでに断ち切られ、その先端が虫のごとくウネウネとうごめいていた。


 リズァーラーにとっては処刑任務の中で怪我をすれば幾度でも見ることの出来る光景ではあった。退屈そうなマナコとハリコに向けて、管理官は指示を出す。


「では、お二人の傷口を接触させてください。」


「これでいいんですかぁ?リコくんと手を繋ぐのもいつも通りで、あんまり新鮮味がないんですけどねぇ。」


「ウゥ。」


 共に傷を入れられた手のひらを触れ合わせれば、確かにそれはいつもハリコとマナコが手を繋ぎ合っているのと似通った仕草であった。


 お互いの傷口の中でうごめいている菌糸が触れ合う感触が伝わってくる。先ほどまで興味を失っていたマナコの表情には、再び楽し気な色が戻ってきていた。


「なんか、くすぐったいですねぇ。嫌じゃないですよぉ、こういう感触。」


「ウン。」


 顔を見合わせ、手を握り合っている二人。リズァーラー特有の異様な身体的特徴を別にすれば、どこか微笑ましい光景であった。


 しばらく黙って観察していた管理官であったが、これといって外的な変化も見られないのを確認し、改めて口を開く。


「ハリコ、相手から視覚的な情報が送られていませんか?この実験においては、処刑任務を執行するチーム内で、より直接的な視覚サポートを行える可能性について探ることも目的となっていましたが。」


「ウー?」


 そうは言われても、ハリコの視界内には現に自分の目の前に見えるものしか映っていなかった。試しに目を閉じてみても、まぶたに閉ざされた暗がりに包まれるばかりである。


 管理官に対し、彼は首を横に振って見せた。


「ウ、ウ。」


「そうですか。暗闇でも視野を確保できるマナコと視覚情報を共有できれば、今後の処刑任務にも活かせるかと考えていましたが……そう簡単にはいかないようですね。では実験を終了します、お疲れ様でした。」


「はぁい、ところで管理官さん、今回の実験に協力したことで、何かごほうびがあったりしませんかぁ?」


 マナコは繋いでいた手をハリコから離しながら、管理官へと質問を投げかける。


 ハリコとマナコの掌の間には、確かに傷口から伸び、絡み合っていた菌糸が幾本か引き延ばされ、ちぎれていた。別々のリズァーラーが有する菌糸が、お互いに接続を行っていたことだけは間違いないらしい。


 既に科学者へと返答する手紙を書き始めていた管理官には気づかれず、ハリコとマナコもそのことについて特に注目はしていなかった。


「研究者の方々のご厚意次第です、今回はこれといって成果を報告できないため、期待はできませんが。」


「仕方ないですねぇ、んじゃ、行きましょ、リコくん。」


「ウン。」


 管理官に別れを告げ、部屋から出ていつもの自分たちの居場所である暗い排水管の中へと戻ってきたハリコとマナコ。


 マナコにしては珍しく、即座におしゃべりを再開することなく静かに何かを考え込んでいた様子であった。


 が、ハリコが彼女の方へ目を向けると同時に、マナコは口を開いた。


「ねぇ、リコくん。あの真っ白で明るい光景、なんですかぁ?」


「……!?」


 驚きとともに目を見開いたハリコは、返答も出来なかった。そもそも彼は元より言葉を発せないが。


 説明しようにも、ハリコ自身にも分からぬ光景なのである。それが先ほどの実験中、マナコには伝わっていたらしい。視覚情報が菌糸を通じて伝わるという仮説は、間違いではなかったのだ。


 しかし、今さらに管理官の元へ戻って報告しようにも、その内容は煩雑かつ曖昧なものとなることは避けがたい。


「ウー……。」


 今ここではない、どこか別の場所、地下都市のどこにも見られない、見ることのあり得ない光景だけが、ハリコからマナコへと伝わったのだと……。


 種々の不可解と戸惑いに晒され、目を見開いたままで固まってしまったハリコ。


 マナコは彼としばらく視線を合わせていたが、まるでにらめっこして遊んでいる最中に耐え切れなくなったかのように、無邪気な笑い声をたてた。


「えっへへ、リコくんに分からないなら、誰にも分かりませんねぇ。」


「……ウン。」


「でも、また気が向いたら見せてくださいよぉ。あの奇妙な光景、何か癖になりそうですからねぇ。」


 マナコと別れ、いつも自分が任務を与えられるまでを待つ小部屋の中に引きこもった後も、しばらくハリコはその不可解な現象について考えを巡らせていた。


 しかし、やがて真相を知ったところで自分たちの現状に変化をもたらすものでもない、ということに気づき、再び彼の意識は空白を取り戻していった。

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