ただ従う者こそ能あり、思慮は罪なり
ハリコとマナコが持ち帰ってきた処刑対象の遺体が、一体しかないことを知らされても管理官は意外そうな表情を見せなかった。
現場での状況についてマナコが弁明している間も、縫い合わされた口角を僅かに持ち上げた管理官は静かに聞いている。
「予測外の事態だったんですよぉ。以前、下層街にて私たちの任務を妨害した敵性リズァーラーに、また遭遇しましてねぇ。」
「ひとまず、標的の処刑自体は完了したのですね?」
管理官の言葉が純粋な質問の形ではなく、既に知っていることを確認するような形であったとしても、驚くことではなかった。市民生活管理局は、地下都市で起きた大抵の出来事を把握している。
応答するマナコもその点には引っ掛かることなく、見開いた目と共に顔を縦に振った。
「はいぃ、処刑については無事完了ですよぉ。今回の敵性リズァーラーたちには、処刑任務自体の妨害はされませんでしたからねぇ。」
「了解しました。では、あなたたちの帰還報告をもって、本件は完了といたします。」
「ご遺体の本人確認は要りませんかぁ?」
マナコからの進言を受け、管理官はさして重要でもないことを思い出したかのようにゆったりと、書類に向かう視線を持ち上げた。
「おっと、そうでした。標的が確実に処刑されたことは、既に伝わっておりますけれどね。」
死体袋を引き開けるマナコの背後から、ゆらりと立ち上がった管理官の長身が覗き込む。人間の職員を出迎える時以外はたいてい執務机に向かって座っている管理官の、極端にやせ細ってひょろ長い体躯は人間のシルエットとしては異様であった。
生ける人間とは異なるリズァーラーであればこそ、必要最低限の養分で身体を維持することが可能だったためである。机に向かって事務作業を行うリズァーラーは、処刑任務に携わるリズァーラーと比べはるかに少ない養分量で活動を持続できた。
「ふむ、確かに。」
管理官は今回の処刑任務の指示書に載せられた顔写真と、死体袋から覗く女の顔とを見比べて頷く。
死に化粧の心得など皆無なハリコとマナコが運んできたその顔は、濁った両目と虚ろな口が開かれたまま生気を失っていた。現場に流出していた血液を拭き取って、赤黒く湿った大量の布切れが黒ずんだ花弁のごとく、その顔の周囲に押し込まれている。
この後、リズァーラーの養分液に加工される遺体にとって、これが最後の形ある姿であったが、管理官はこれといった感慨も無く死体袋を閉じて告げた。
「処刑対象の本人確認も完了です、今回の任務は以上となります。」
「はぁい、お疲れ様でしたぁ!それじゃリコくん、ご馳走を作りにいきましょぉ!」
「ウゥー。」
唸り声で返答するハリコとともに死体袋を持ち上げ、粉砕機のもとへ運んで行こうとするマナコに向けて、管理官が思い出したように口を開く。
「あぁ、そうだ、一つ忠告を。」
「なんですかぁ?」
自分たちを管理する立場の存在から忠告を与えられるとなれば、ベスタやシェルの表情には緊張が走ったことだろう。自分たちが、任務内容について余計な詮索を行ったことを指摘されるのではないかと。
が、マナコとハリコは純粋にその忠告なる内容を待っていた。自分たちの利に働くアドバイスがきっと与えられるのだ、と信じて疑わないままに。
この両名がリズァーラーとして余計な雑念を抱いていない様を改めて確認でき、満足げな表情を浮かべながら管理官は言葉を継いだ。
「養分液への加工は、遺体の髪を短く切り落としてからの方が良いでしょう。長い頭髪は細断されづらく、機器内に絡まってしまうかもしれません。」
「たしかに!髪の長い遺体の処理は滅多にないので、気づきませんでしたぁ。ありがとうございます、管理官さん!」
「ウゥ。」
穏やかな表情の管理官に見送られ、ハリコとマナコは死体袋を持ち上げて、暗い排水管内の自分たちの拠点へと帰っていった。
遺体の処理室から比較的新鮮な血肉の匂いが漂ってくると思えば、そこには先客がいた。今回は別任務に就かされていたベスタとシェルである。
既に自分たちがこなした処刑任務の対象の遺体を処理した直後なのか、粉砕機の下部に溜められた液状の血肉を自前の容器に移している最中であった。今回の任務においては特に思うところがなかったのか、陽気さを取り戻したシェルの明るい声がハリコとマナコを迎える。
「よーう、お二人さんも仲良くご帰還か。」
「ちょっとハプニングはありましたけどぉ、無事に収穫を持ち帰れたので、ご機嫌ですよぉ。」
「ウン。」
ハリコと共に運んできた死体袋を床に置き、部屋の隅に転がっている器具類からハサミを探しながら、マナコも朗らかに返す。
ゲル状に固まり始めている血液の塊を容器の底から攫いつつ、シェルもしばらくぶりに会えた陽気な同僚とのお喋りが楽しい様子であった。ハリコと違って言葉を発せぬわけではなかったが、ベスタは仕事の相棒としては無口な類だったためだ。
「ハプニングって、何があったんだ?また、面倒臭い市民に絡まれでもしたのか。」
「いえ、人間さんたちからは干渉も何も無かったんですけどねぇ。以前の下層街での任務を妨害しに来た、謎のリズァーラーさんたちにまたお会いしましてねぇ。」
「あー……ウィーパとキャシーだったか。まさかお前ら二人で、アイツらを撃退したのか?」
想定していたよりずっと大事となっていた報告を聞いて、シェルはマナコの方へと視線を上げる。当のマナコは、散らかった道具類の中からようやくハサミを見つけ出して死体袋の方へと近づいていくところであった。
「いやいや、流石に私とリコくんだけじゃ撃退なんて無理ですよぉ。以前、こちらに数の利があっても勝てなかった相手ですからねぇ。」
「ウン……。」
「今回は、処刑標的が貧困層の市民の皆様から反感を買っていた存在ということでしてぇ、処刑自体を妨害されることは無かったんですよぉ。」
「なるほどな。連中、あくまでも、虐げられる者たちの味方ってワケか。」
喋りながらも、シェルは自分が吸収する分の養分液を自前の容器に詰める作業をほとんど終えていた。彼はマナコが喋る内容の続きも待ってはいたものの、マナコが手にしているハサミを何に使うつもりなのかについても気に掛けている様子であった。
死体袋を開け、これから粉砕処理を行う遺体の頭髪をチョキチョキと切り落としながらマナコは口を開く。
「ですけど、処刑標的の遺体は一体を持っていかれましたねぇ。今回は二体の標的でしたので、多めに養分を戴けるかと思ったんですけどねぇ。」
「へぇ……二体、か。」
「まー、あちらも私たちと同じくリズァーラーであれば、養分液なしには活動を維持できませんもんねぇ。獲物を奪われるのは、釈然としませんけどぉ。」
既に、半ば上の空の返答となっていたシェルは、マナコの語る内容とともに死体袋から現れた遺体の顔に視線が釘付けとなっていた。
もちろん、人間市民の顔に見覚えなど無い。が、ハサミでわざわざ切り落とさねばならぬほどに伸ばされた頭髪、そしてその顔立ちが、少なくとも貧困層の市民のものではないことは明らかであった。
処刑の標的が二体、ということは、前回の任務で処刑されたパイプライン修理作業員の妻と子ではなかろうか……そこまで思考の巡ったシェルは、これは単なる憶測に過ぎないと自分に言い聞かせ、頭を軽く横に振った。
ちょうどマナコが新たな話題を持ち出したため、彼の胸中に広がりかけた暗雲がそれ以上膨らむことは無かった。
「シェルさんとベスタさんの任務は、いかがだったんですかぁ?何やら、脂肪分が多めの養分液が出来上がっていて、ちょっとうらやましいんですけどぉ。」
「あー、これか。えっと……なんだったっけ?」
先ほどの思考に支配されていたシェルが、すぐに記憶の詳細を引き出せずにいる隣で、今まで黙っていたベスタが代わりに返答した。
「私たちの処刑任務の標的は、新規の地下空間掘削工事における現場監督の男だった。彼は経験の浅い作業員を大量に雇い、安全基準を満たさない掘削作業に従事させていた件を告発され、管理局から有罪証を発行された。」
「あぁ、そうだそうだ。崩落事故を防ぐためにはまず地盤の調査から始めなきゃならないんだが、調査にもコストはかかる。それをケチったうえに、そのことを指摘できないような若い作業員だけを連れて来て、掘削作業を指示していたんだよな。」
地下都市の生活圏を拡大するうえでは、当然ながら新規に空間を作り出すための掘削工事がメインとなる。
管理局によって作業員の安全を確保するためのガイドラインは定められていたものの、コストを少しでも削ろうとする責任者の下においては一部が省略、ないし無視される場合もあった。
そういった無責任な監督が告発され処刑されるという落着は妥当そのものであり、任務に際して色々と勘繰ってしまうシェルの表情が晴れていたのも無理からぬことであった。
「既に、何人か若い作業員が、ずさんな安全管理のせいで起きた崩落事故に巻き込まれて命を落としている。おかげで、周りの作業員さんたちも処刑任務に協力してくれて現場はスムーズだったぜ。」
「体格に恵まれた男が相手だったから抵抗されるのは避けたかったところ、狭い現場の様子を見に来た標的のもとに土砂を流し込んで身動きを封じてくれた。」
淡々とそう語るベスタの衣服には、土埃で汚れた痕が残っていた。
ハリコやベスタのように、処刑を担当するリズァーラーは一定以上の身体能力を有してはいるものの、人間の筋力、殊に肉体労働に従事する者たちの筋力に勝ることは無い。生前の人間だったころの筋繊維ではなく、それに置き換わった菌糸の収縮で身体を動かしているためである。
ゆえに、抵抗されれば返り討ちに遭いかねない標的の処刑には、何らかの工夫が必要であった。今回のシェルとベスタに与えられた任務においては、周囲の状況が味方したと言える。マナコはますます羨望の光を瞳に宿らせて喋った。
「いいですねぇ、周囲が協力的な現場は。人間さんたちの立場からも、憎き仇が排除されて一件落着といったところでしょうかぁ。」
「あぁ、管理局から派遣された新しい現場監督も着任して、作業も再開されてるらしい……だが、あの掘削現場、まだまだキナ臭い雰囲気は残ってたぜ。」
「へー、そうなんですかぁ?」
既にマナコの興味は、自分たちが今から粉砕し養分液へと加工する遺体の方へと戻っていたが、シェルは独りで語り続けた。
「かなり大規模な居住空間の拡張工事だった、おそらく相当にデカい出資があったはずだ。請け負った業者の中に、安全基準を無視するような輩が紛れ込む隙間があったってことは、他にも後ろ暗い奴が居るかもしれない。」
「ふーん、じゃあまた処刑任務、新しく発令されるかもですねぇ。」
「そんだけデカい事業なのに、人死にが出るような現場で大丈夫かよって、俺としちゃ思うんだが……。」
「シェル。」
生返事ばかりのマナコに代わって、シェルの発言に鋭い言葉を返したのはベスタであった。
「私たちリズァーラーは、余計な詮索をすべきじゃない。人間の問題は、人間に任せるだけ。」
「……分かってるって。」
「さっき、管理官からも念を押されたでしょう。あなたのことが、心配なの。」
「悪かったって、気を付けるから。」
シェルを案じるような視線を送るベスタの傍らでは、遺体を粉砕する装置のハンドルをハリコとマナコが嬉々として回し始めていた。




