生活を剥がれれば、正気は残らず
処刑対象から目立った抵抗を受けないだろうという予測以外にも、今回ハリコとマナコに下された任務を楽にしている要素はあった。
移動経路が、殆ど排水管内部だけで済むこともその一つであった。人間たちから蔑まれ、時には敵意をぶつけられることもあり得るリズァーラーたちは可能な限り人目を避けて行動する。地下都市の至る所に張り巡らされ、時には使われず放棄されることもある排水管は格好の移動ルートとなっていた。
とはいえ、処刑任務は人間市民の居住区画で行われるのが基本である。任務を執行する現地において、人間との遭遇は避けがたい。
が、今回に限っては、人間と遭遇することに懸念を抱く必要性は薄かった。ハリコの手を引っ張って、照明などない排水管内の真っ暗闇を進むマナコは、いつも通り明るい声でのんきに喋る。
「今回の指示にある処刑執行現場は、排水管から出てすぐの場所ですねぇ。住居ではない場所に標的が居てくれるおかげで、楽に到達できそうですよぉ。」
「ウー。」
ハリコも唸り声を返した。
住居を得ていない女とその娘が、居住区から離れた場所で隠れ住んでいるとのことである。街へと空気を供給するパイプラインが通っていることもあり、これの一部を外すことで呼吸に必要な空気も得ている、とも報告にある。
標的が市民たちの生活エリアから離れた場所に居る以上、野次馬などに任務を妨害される心配をせずに済むのはリズァーラーたちとしても有難かった。
「しかし、住居が無いとなれば、処刑手段は限定されてしまいますねぇ。パイプラインそのものを外して空気を得ているのなら、操作盤から供給を停止することも出来ませんし。」
「ウゥ゛ゥ゛。」
処刑対象を住居に閉じ込め、内部への空気供給を遮断することで酸素欠乏症を誘発する、という手段は使えない。リズァーラーによる処刑執行が、最も穏便な形で完了する選択肢は最初から除外されていることとなる。
この場にシェルが居れば、この処刑を執行せねばならぬ条件に表情を曇らせていただろう。リズァーラーが持ち得る直接的な処刑方法は、標的の頸動脈に噛みついて失血死させる手段をおいて他にない。
それは標的に多大な苦痛を与え、血だまりが一帯を染める凄惨な現場を必然的に生み出す。
「今回の任務が終われば、そろそろ新しい作業服を支給してもらえますかねぇ。あんまり返り血が染み込んでいると、元の服の色が分からなくなっちゃいますよぉ。」
「ウー。」
が、ハリコとマナコにとって、処刑されることが決定されている市民への心配は疑う余地もなく無用であった。
それは余計なことを考えず、純粋に与えられた任務に従うこの両名を、市民生活管理局が重宝する所以でもあった。
「あ、そろそろ目的地が近いですねぇ。標的に逃げられても面倒ですし、そろそろ静かに近づきましょうか。」
「ウン。」
排水管の中を反響しながら届く外部の物音が徐々に強まって来たのを聞き取り、マナコはハリコに告げる。暗闇を見通せないハリコの視野にも、歩を進めるごとにカビた排水管の壁面が後ろへ去っていく様がわずかながら見えるようになってきた。
排水管の出口は、一応の鉄格子で一般市民の進入が防がれているものの、施錠はなく、蝶番が錆びついていなければ簡単に開く構造となっている。満足に酸素の含まれた空気もなく、灯りもなく、入ったところで廃材ひとつ得られない迷宮にわざわざ踏み込もうとする人間は居ないためだ。
処刑の標的である母娘は、下層街に多く設置されている工業用照明の灯りがかろうじて届く場所に座っていた。足音を忍ばせ、排水管内部の闇に身を潜めながらじりじりと接近していくハリコとマナコの耳に、会話の声が届く。
「ママ、こっちに来てから水しか飲んでないよ。お腹、空いてないの?」
「静かにしていて。母さんは必要な書類を全部まとめなくちゃいけないんだから。」
遠くから届く照明のぼんやりとした光でしか現場は浮かび上がっていなかったが、マナコの目には母娘の姿がハッキリと見えていた。
住居を持たない下層民と聞いて連想されるみすぼらしい姿とは裏腹に、小綺麗な身なりである。また、満足に生活用水を消費出来ない貧困層には見られない何よりもの特徴として、髪を長く伸ばしている様が印象的であった。
洗髪に相応の清潔な水を消費してしまうことを避けるため、大抵の下層民は男女問わず髪を短く刈り上げているのが一般的であった。
「……私、また何か探してくる。」
「いいから、母さんの邪魔をしないで。えぇと、この書類には問題ないから、次に偽造ではない証明となる書類を二部以上……」
周囲に散らばった無数の紙切れをあちらこちらと拾い上げ、ブツブツと独り言同然の声量で呟き続けている女。真っ当に相手されないながらも、母親に話しかけ続けていた少女は立ち上がって、足早に街の方へと去っていった。
処刑を執行するタイミングを窺っていたリズァーラーたちとしては、二名の標的を同時に拘束する手間が省ける今こそが好機である。
排水管の出口の鉄格子をマナコは押し開けた。ギィッと金属の軋む音が立ったものの、標的の女は無数の書類に目を通す作業が忙しいのか気に留めることもなく、ましてや逃げ出そうとするそぶりすら見せなかった。
相手の出方に予想のつかない状況にハリコと顔を見合わせながらも、ゆっくり近づきながらマナコは標的が逃亡しないよう声量を抑えつつ話しかけた。
「どうもぉ、突然の訪問、失礼いたしますぅ。」
「会社の方から通達に使われた書類が一部、それと雇用主の証明に使える書類が一部、それから……。」
マナコの声はハッキリと届いているはずであったが、女は相変わらず自分の周囲に散乱している書類を持ち上げ、目を通しては自分の近くに置く作業ばかりに専念し続けている。
それ以外でこの場にある物といえば、飲料水が入っていたと思しき薄汚れたボトル、そして粗末な布袋に詰められた乾燥食材の欠片ばかりである。おそらく、この場所で生き延びるため、先ほどの少女が付近の商店から盗んできたものだろう。女の背後では、壁面を這うパイプラインの一部のボルトが緩められ、外された供給管から空気が漏れ出ていた。
いつでも標的に飛び掛かれるようハリコに目で合図しつつ、マナコは多少声量を上げ改めて女に喋りかける。
「今回お邪魔いたしました理由、お分かりでしょうかぁ。我々、市民生活管理局所属のリズァーラーでして……」
「あぁ、管理局の方、わざわざお越しいただくなんて。必要な書類は全て揃えています、ほら、今度こそ申請は通りますよね。」
「へ?」
ようやくリズァーラーたちの存在に反応した女であったが、よもや相手を歓迎するとは思いもよらなかった。
面食らった様子で、つい問い返したマナコに向かって、女は先ほどと変わらずボソボソとした口調のままで手元の書類をわしづかみにして差し出す。
「こちらを見ていただければ分かると思うのですが、以前違法とされた空気供給管の修理工事は、依頼主によって指定されたものです。おおやけになれば、夫の無罪は証明されるはずです。」
「えーっと、ですねぇ……。」
一応は差し出された書類に視線を落とすも、ただでさえ細かい字で印刷された文面は皺くちゃになっており、マナコは早々に読むのを諦める。隣で身構えているハリコにも、当然ながら長ったらしい文章を読み通す意思はない。
相手の発言など意に介せず、問答無用で処刑してしまえば済む話ではあったが、マナコとハリコがすぐに次なる行動へ移れなかったのは、標的から見せられた反応が今までにない類のものだったためだ。
シェルやベスタがこの場に居れば、全く別の理由で処刑を躊躇っただろうが。女が空気を吸うために外したパイプラインの下、転がっていたのは彼女の夫が生前に使用していた工具であった。
リズァーラーたちにとっては、以前の任務で処刑対象が所持していたため、見覚えのある工具箱だった。
「ほら、足りない書類は無いはずです。どうか受理してください、夫の無罪が証明されれば、彼の名誉回復もお願いいたします。娘にも、元通りの生活を取り戻してやれます。」
「あのですねぇ、書類関係は、私たちの仕事じゃないんですよぉ。私たちがここに来たのは、窃盗および供給ラインの破損を行ったあなた方を、処刑するためでして……。」
「そう仰らず、どうか、書類をお受け取りください。夫が処刑されたのは、何かの間違いです。きちんとこちらの文書を読んでいただければ、夫の無罪が証明されるはずです。」
改めて、マナコはハリコと目を見合わせる。互いに丸くした目をぱちくりさせることしか出来なかったが。
処刑という言葉を明確に告げたにもかかわらず、相手は表情を変えることなく、虚ろな目つきのまま、同じような言葉を繰り返し続けている。よほど執着しているのであろう「夫の無罪」についても、既に彼女の理性がその意味を正しく捉えているか否か、甚だ怪しいものであった。
おそらく、彼女の夫は罪を着せられて処刑され、犯罪者の家族としての謗りを受けた妻子はそれまで暮らしていた居住区画を追い出され、下層街の外れにまで逃げ延びたのだろう。こうして地面に座り込み、いかにして亡き夫と自分たちの名誉を回復すべきかと煩悶し続けるうちに、徐々に正気を削られていったのかもしれない。
しかし、リズァーラーたちのチームにおいて、こういった憶測が出来るのは大抵シェルとベスタであった。今回の任務にハリコとマナコしか参加を許されなかったのは、余計な情を挿めるほどの知能は求められなかったためであったろう。
目の前に居る女の、今は亡き夫を本来無実であるはずの罪で処刑したのが、前回の任務に当たった自分たちであることにもハリコとマナコは気づいていなかった。
「話が通じないですし、さっさと処刑を済ませちゃいましょうか、リコくん。」
「ウゥ゛!」
書類の束を差し出すばかりで一向に逃げようとしない女に向かって、覆面を解いたハリコは発達した牙の生えた顎を大きく開いて近づく。
言い渡される内容のみならず、物理的な脅威が目の前まで近づいてきてもなお、女はブツブツと同じような文言を繰り返したままにボンヤリと視線を真正面に向け続けていた。
が、標的を取り押さえようと前に伸ばしたハリコの腕が触れる直前、脇から駆けて来た何者かがハリコの身体を思い切り蹴飛ばした。
「ウア゛ァ゛!?」
「やめろ!またお前たち、無辜の市民の命を奪いに来たのか!」
軽く地面を転がったハリコがどうにか体勢を立て直し、四足で這うような姿勢で向き直った先に、見覚えのある姿があった。
全身に突き刺さった金属片を刃のように振りかざし、以前の下層街での任務においてもこちらを妨害しに来たリズァーラーがそこには立っていた。面食らっているのか面白がっているのか、目を丸く見開いているマナコとも対峙し、その者は大声で宣言した。
「この市民を処刑させはしない!私たちは常に、虐げられる者たちの味方だ!」




