善人は血を流し、藪の中では口を閉ざし
自分が今から修理するパイプラインが違法なものだとも知らず、空気の供給が遮断された原因を探っている作業員。
損傷や劣化の跡など存在せず、そして供給管のバルブが絞められていることを確認した彼は、不可解を表情に浮かべ、パイプラインの仕様書を読み直している。破損が原因であれば修理には相応の手間がかかるが、バルブを操作するだけで解決するのなら作業は楽に終わる。
だが、供給遮断の原因となったバルブの閉鎖は意図的なものとしか思えなかった。彼は振り返り、先ほど同様に積まれた資材の監視を続けている警備兵に尋ねる。
「最近この近くで、他の業者が作業を行っていましたか?あるいは、市民生活管理局の職員が、何らかの操作を行ったことは……。」
「そのような記録はない。」
素っ気ない警備兵からの返答に、再び作業員は頭を抱えた。このメンテナンス区画には、正式に認可を受けた業者、管理局の職員、そして警備兵のいずれかしか進入を許可されない。
富裕層の住まう街へのリソース供給に混乱が起きることの無いよう、イタズラで勝手にバルブが操作される可能性は徹底的に排除されている。すなわち、パイプラインに対して行われる操作は、管理局の許可を得たものに限られているはずだった。
「もしかして、警備兵さんが誤ってパイプに触ってしまったんでしょうか。」
「我々は決して設備に触れることなどない。」
「……ですよね。」
彼がもしも生活管理局の職員であれば、認可されていない操作が行われていることを確認した時点で、異変発生を当局に報告しただろう。上層街へのリソース供給を担う重要区画における不審事は、早急に原因を突きとめられなければならない。
そもそも管理局職員ならば、これが許可を得ずに増設された空気供給管だと発覚したことを知っていて然るべきであったものの。
「とりまず、状態の復旧だけは済ませておくか。」
が、修理を依頼された業者に過ぎない彼の仕事は、依頼された供給管を機能させることのみであった。
あまつさえ、彼は依頼主から作業完了を急かされていた。呼吸に必要な空気の供給が途絶えているのだから当然のことではあったが、修理業者に余計な疑問を抱く暇を与えぬようにとの意図が働いた結果であったかもしれない。
作業員は、ただバルブを捻り、供給管の閉鎖を開放するだけでよかった。それだけで依頼は達成され、仕事の報酬を受け取れた。
「よし、供給は再開……漏れや逆流も無し、と。」
心のどこかに引っ掛かるものを感じながらも、ともかく自分が為すべきことを済ませた彼は、工具箱を閉じ、立ち上がって帰る支度を始める。
資材の保護シートを被って隠れていたリズァーラーたちは、修理が完了したのを見計らってシートを払いのけ、姿を見せた。下層街に住まう貧困層の市民であれば、唐突に姿を現した彼らの目的を一目で察するところである。
が、滅多な事では街中における処刑など起きない上層街の住民である作業員には、ピンと来ていないらしかった。
「何ですか、あなたたちは。どこかの業者の方ですか?」
「私たちは、市民生活管理局に所属しているリズァーラー。」
作業員からの問いかけに返事をしたのは、いつも真っ先に口を開くシェルではなく、ベスタである。シェルはいつになく思い悩む様子で、相手に投げかけるべき言葉を口を噤んだままに選んでいる様子であった。
作業員の男は、ベスタからの返答に眉を顰めた。「リズァーラー」なる種族が人間よりも劣る存在であり、社会においては蔑まれ疎まれるような役回りを担っていることぐらいは知っていた。
が、具体的に自分と何の関わりを有する連中なのか、についてはまだ推測の追いつかぬ様子であった。
「僕に何かご用ですか、次の仕事があるのでさっさと行きたいんですが。」
「行く必要はない。あなたに対し、市民生活管理局からの有罪証が発行されている。」
ベスタは聴き取りやすい声で、明確にそう告げたが、作業員の男の表情には困惑の色がいよいよ強まったばかりであった。
有罪証の存在を告げられた処刑対象が逃げ出すのではないか、と考えたマナコとハリコはいつでも相手に飛び掛かれる間合いへとじりじり詰めていく。が、作業員はポカンとした表情で、逃げ出そうなどという選択肢自体が頭の中には浮かんでいないらしかった。
「……はい?え……まさか、僕に……?」
正確には彼個人に対してではなく、「違法な空気供給管の修理を行った者」への有罪証であったが、この条件に合致するのが目の前に居る作業員であることは間違いない。
ベスタは、シェルから受け取っていた任務仕様書を携え、先ほど作業員が修理を行った……と言っても、バルブを操作しただけであったが……空気供給管の近くへ行き、管理番号の記された箇所を指さす。
「つい先ほど、あなたはこのパイプラインへの修理を行った。」
「は、はぁ……今回、そういう仕事を受けたもので……」
何も疑念を差しはさむ余地のない事実確認が、簡便なやり取りで行われる。
ただ、この時、作業員の男の中では、先ほど僅かに抱かれた違和感が再び頭をもたげつつあった。正当な手段でなければ進入できないメンテナンスエリアで、目的不明の操作が行われていたことへの違和感。
そのことと、自分が罪人扱いされることとの因果関係は、まるで明確には見いだせなかったものの。
「このパイプラインは、正規の手続きを踏まず違法に増設された空気供給管。市民生活管理局は、生活リソースを非合法に得る行為、およびそれに協力する行為を行った者を罪人とし、処刑の対象と定めている。」
「しょ……っ、処刑……!?」
「有罪証」ではなく「処刑」という言葉が出てきたことで、作業員の男は俄かに慌て始める。
むろん、地下都市において有罪証が発行された場合、管理局に捕捉された現場で即刻処刑が行われることを、この作業員も知らないわけではない。消費可能な資源に限りがある地下都市に、犯罪者を拘束し、手続きを踏んで処分を定めるだけの余裕はない。
とはいえ、それは大抵、下層の貧民街で行われることであった。上層の街に暮らす市民が暮らしに不自由していることなど無く、したがってわざわざ罪を犯そうと思い立つことなどまずあり得ない。
もちろん、この作業員も例外ではなく、彼はごく真面目に与えられた仕事の内容をこなしていただけである。違法行為への協力を行ったとされ、唐突に処刑の対象となるなどとは、思いもよらぬことだった。
「ちょっと……ちょっと、待ってくれ!僕は、ただ、依頼を受けて、修理をしただけなんだ、このパイプラインが違法なものかどうかなんて、知るわけないだろう!?」
「あなたが知っていたか、そうでないかは、関係ない。」
「違法なパイプラインを設置した本人を捜し出すのが、普通じゃないのか!?どうして現場の作業員が処刑されなきゃいけないんだ!?」
作業員の言い分があまりにも真っ当であることを、リズァーラーたちも理解できないわけではない。
ベスタは言い返す言葉もなく口を噤み、シェルは相変わらず黙ったままである。ただマナコとハリコだけは、いつになったら処刑対象の首筋に噛みつくことになるか、と目を見開いてこの場の状況を窺っている。既に頭部を覆うフードを剥ぎ取っていたハリコは、その異常発達した顎と牙を露わにしていた。
同じく沈黙したまま成り行きを見守っている警備兵へと目を向けた作業員は、すがりつくように助けを乞うた。
「たっ、助けてくれ、リズァーラーどもに話が通じない!僕は、何も悪いことなんかしていないはずなのに……!」
「管理局の任務執行を、妨害することは出来ない。」
ゴテゴテと装甲で身を包み武装した警備兵であれば、リズァーラー4人がかりに襲い掛かられてもたちまち返り討ちに出来ただろうが、罪人扱いされる者の味方をすることはなかった。
「嘘だろ……お願いだ、見逃してくれ……家族もいるんだ、妻と子が……」
あまりにも理不尽な成り行きで処刑対象となったことを、否応なしに理解させられた作業員の男は、蒼白となった顔でリズァーラーたちから後ずさり始める。
彼が処刑チームからの逃亡行為を開始すれば、問答無用で対象を捉え、処刑を実行する他にない。今の今まで黙っていたシェルであったが、気休めにもならない言葉しか思い浮かばなかった。
「その、どうかおとなしくしていてくれないか。じっとしていてくれれば、無用な苦痛を与えることなく、処刑を済ませられると思う……」
「嫌だ、嫌だぁっ……!」
リズァーラーの中でも比較的人間に近い感性を有しているつもりのシェルであったが、やはりというべきか相手の心理をとらえきることは出来ていなかった。
恐怖と理不尽の念が極致に達したのか、喚きながら逃げ始める作業員。ベスタが鋭い声で号令をかけるのを、止める理由をシェルは見いだせなかった。
「標的が逃走!ハリコ、対象の脚に食らいついて!」
「ガルルルゥッ!」
四足歩行の動物のごとき低い姿勢で飛び出したハリコは、あっという間に追いつき、逃げる作業員のふくらはぎ目掛けて顎を大きく開いて、深々と牙を突き立てる。
「ギャァァッ!?」
激痛と共に転倒した標的へ、ハリコから僅かに遅れて飛び掛かったベスタ。
顔の下半分が大きく開くように変異している彼女もまた、その顎から無数に生えている刺々しい牙を光らせ、作業員の首筋、動脈目掛けて噛みついた。
「確実に標的を失血死させる。」
「あ……ガハッ……!」
処刑現場の電力や空気供給が遮断されていない現状、相手が酸素不足に陥りにくいため、処刑時には余計に多くの流血が必要となる。ハリコと二人がかりで相手を押さえつけたうえで、念入りに首元へ噛みつき続けているベスタの口元からは、健康そうな鮮血が迸り出ていた。
結局、明るく照らされたままの現場においては視覚補助の役目も大して求められず、暇そうに様子を眺めていたマナコは隣のシェルへと話しかける。
「今回の処刑標的さん、栄養価が高そうな身体ですねぇ。少なくとも、前回処刑した老人よりもずっと養分を摂れそうです。やっぱり、貧困層よりも良いもの食べてるんでしょうかねぇ。」
「……他に、やりようが無かった、よな……?」
「はいぃ?」
瞼を固定する器具で見開かれた目を、マナコはシェルへ向ける。彼女には、シェルが何故沈んだ表情を浮かべているのか全く理解できていなかった。
「あの作業員を処刑しないと……俺たちは、管理局から与えられた任務に背くことになっちまうよな……」
「ですねぇ。そんなことより、処刑対象から流れ出た血液を早いとこ拭き取りにかからないと、ですよぉ。このエリア、きっと専用の清掃チームが来るでしょうからねぇ。」
富裕層の住まう街へ、生活リソースを送り込むパイプラインの管理設備。そのすぐ傍で処刑が行われたとなれば、現場跡を放置して衛生状態が悪化することが看過されるはずもない。
処刑を行ったリズァーラーたちに現場跡の清掃が任される下層街とは異なり、処刑が実行されるたびに清掃および消毒が念入りに行われることは間違いなかった。マナコとしては、リズァーラーにとって大切な養分となる処刑対象の体液を、その清掃の前に可能な限り回収しておきたかったのだ。
が、その点に思い至ったシェルは、ふと顔を上げ、自分たちをずっと監視し続けている警備兵に話しかける。
「アンタが清掃チームを呼ぶことになるのか?」
「既に呼んでいる。」
相変わらず機械的に加工された声で返事しながら、警備兵は胸元の通信機器のボタンを押していた。
答える必要のないことにも丁寧に返事をくれる警備兵に対し、シェルは自分の抱いた違和感の根本をぶつけてみた。
「もしも、違法なパイプラインの修理が完了する前に作業員を処刑したら、後から様子を見に来る奴のことも処刑しなきゃならなくなってたわけだが……その都度、清掃チームをいちいち呼び寄せるつもりだったのか?」
「……そういうことになる。」
警備兵の返答が多少遅れたのは、それが非現実的な仮定であることに気づかされたためであっただろう。リズァーラーによる標的の処刑は、牙を以て噛み裂くという手段を取るだけに、現場を処刑対象の体液で汚す範囲も広くなる。
本来の想定されていた任務の通り、違法な空気供給管を破損させた状態を保ち、様子を見に来る者たちを待ち伏せて処刑し続けていれば、このメンテナンスエリアは処刑された者たちの血肉で溢れることとなるだろう。
そうなる前にリズァーラーたちが返り討ちに遭う可能性の方が高かったが、いずれにせよ清潔であるべきエリアの衛生状態が著しく汚染されることは避けがたい。
「俺たちが、一人だけを処刑して任務を切り上げるだろうってこと……既に、上の連中には予測されてたってことか。」
「……。」
今度こそ、警備兵は何の返事もしなかった。
罪もなく、ただ運悪く雇われただけの、たった一人の修理業者を処刑してこの件を片付けること。事態の根本的な原因を追究することなく、最小限の労力で事態を収拾することが、最初から想定されていたのだろう。
シェルは、この任務を言い渡してきた設備管理責任者の「このチームには優秀なリズァーラーが居ることだし……」という発言が、今になって記憶の底から浮かび上がってくるのを感じていた。
男の呻き声が弱々しくなり、やがて途切れ、ベスタの声が任務目標の達成を告げる。
「対象の絶命を確認。ハリコ、マナコ、シェル、遺体搬送の準備を。」
「はぁい。やりましたねぇ、リコくん。今回は、たっぷりと養分を持ち帰れそうですよぉ。」
「ウゥ゛ゥ゛。」
やるせない思いを抱くシェルを他所に、マナコの弾んだ声、そしてハリコの比較的明るめの唸り声がメンテナンスエリアの廊下に響いていた。




