多くを誘う必要は無し
富裕層の住まう上層街へ新鮮な空気を供給するためのパイプラインは、それを設置して管理するためだけに地下を掘りぬかれた長い廊下の中にあった。
相応に堅牢な造りとはいえ居住区内に剥き出しで空気供給管が設置されている下層街とは対照的な扱いであった。
「しかし、違法な供給管が勝手に増設されていること、すぐに気づけないもんでしょうか、と考えてましたけどぉ……」
目指す場所へと向かう道中、マナコは通路の壁や天井を無数に這わされているパイプラインの量に目を向けながら喋っている。
「こんなに大量に、しかも入り組んでいては、どれが違法でどれが合法なのか、パッと見では分かりませんねぇ。」
「総延長もかなりのもんだろ、金持ちの街は無駄に広いからな。バカでかいお屋敷に空気やら水やらを供給するのも一苦労だ。」
シェルも頷きながら、手近な空気供給管の一本を撫でるように手を伸ばす。
途端に、背後からついてくる警備兵の警告が飛んだ。
「触るな。空気の供給ラインは、この都市における最重要設備のひとつだ。」
「分かってるよ。ったく、指先で触るだけで壊れるもんじゃねーだろうに。」
シェルは不平を漏らしながらも、腕を即座に引っ込めた。実害が伴わずとも、人間に対し反抗的と見られる行為をリズァーラーが取るべきではない。
警備兵からの監視が付きまとう任務行動は非常に窮屈なものであったが、リズァーラーたちが監視されていることについては今までと変わりはない。彼らが担う処刑任務の間だけ停電状態が引き起こされるのは、監視システムによって任務状況を上から見られているためだ。
今回、わざわざ監視の警備兵が随伴しているのは、居住エリアと異なってメンテナンスエリアには監視システムが十分に存在しないことの証でもあった。
シェルは歩きながら振り返り、警備兵に尋ねる。
「……現場の状況について、確認しておきたい。今回の任務は待ち伏せの形で行うわけだが、身を潜められるような場所はあるのか?」
「自分で確認しろ。お前たちの面倒を見てやる予定はない。」
「分かってるよ、ただ俺たちが隠れ場所を確保したとして、アンタもきちんと姿を隠してくれるのかって話だ。そのゴテゴテした装備を身につけた状態でな。」
狭苦しい排水管を通り抜けることもあるリズァーラーたちは、その細身の体に簡素な作業服を身につけているだけであり、狭所で活動したり、ちょっとした物陰に身を潜めたりすることにも慣れている。
一方で、全身がアーマーで覆われ、マスクに接続された空気のボンベを背負い、服の内側に隠し持つ種々の武装によって重量が増している警備兵は、一歩進むごとに重々しい足音を周囲に響かせている。音を立てないようじっと立ち止まっていたとしても威圧感や存在感はいかんなく発揮され、富裕層の居住区へ不用意に踏み入ろうとする下層民に対しては十分に行動抑止の効果があった。
すなわち、今回のように隠れて標的を待つ任務には、全く向いてないということである。
「アンタの足音を聞いたら、警備兵が近くに居ることぐらい一発で分かる。俺たちの仕事の邪魔をすることまで、警備兵の任務に含まれていないと願いたいんだが。」
「……。」
シェルに向かって、隣を歩いていたベスタが眉をひそめて目くばせする。あまり挑発的な物言いは避けるべき、との意図を込めて。
しかし実際のところ、明確に確認しておくべき件ではあった。待ち伏せを台無しにされたため任務が失敗に終わったとしても、責任は自分たちが負わなければならないのだから。
「我々警備兵は、身を隠す必要などない。」
シェルへの返答には、大して時間もかからなかった。その返答内容は、期待されていたものとは大きく隔たっていたが。
「メンテナンスエリアを、警備兵が定期的に巡回することは日常的に行われている。設備の修理や増設が行われる際、その現場に赴くことはなおさらに当然だ。」
「おいおい、違法な空気供給管を修理に来る犯人が、アンタが居るせいで現場に近寄れなくなったらどうするんだ。」
背後の警備兵の方へ振り返って抗議の声色を強くしたシェルが立ち止まったため、一同は歩みを止める。
ハリコだけは気づかずそのまま先へ進もうとしていたため、マナコが彼の首根っこを掴んで引き留めた。首元が軽く絞まったハリコは、短く唸り声を上げる。
「ウッ」
「ストップですよぉ、リコくん。シェルさん達と一緒に居ないと、どこが現場なのか分からないですからねぇ。」
立ち止まっているシェルと警備兵は睨み合い、ちょっとした緊張が周囲の空気に張り詰めている。
とはいえ、シェルの方は顔の上半分が存在せず前髪で殆どが隠れ、警備兵の方はフルフェイスのマスクで顔が覆われていたので、各々の目つきは直接見えなかったが。
人間に楯突くことはリズァーラーとして最も避けるべき行為であったが、よりにもよっていつも無難に立ち回っているシェルがそのように振舞っている現状を、ベスタは多少信じがたく受け止めていた。
ベスタはシェルの傍へと足早に寄り、彼の肩を引き留めるように手を添えて告げる。
「シェル、警備兵が言っているのなら仕方ない。私たちには、相手に指示できる権利なんてない。」
「けどよ、そのせいで任務が失敗したら……」
「任務の成否には影響しないと思われる。」
シェルの言葉を遮るように、警備兵は告げる。
変わらず冷淡なままの口調からするに、先ほどまでの沈黙はリズァーラーに反抗されて気分を害したためというよりも、考えを頭の中でまとめていたためのようであった。
「上層街へ空気を供給するこのメンテナンスエリアへ、我々警備兵に認識されることなく進入することは不可能だ。修理・施工を担う作業員以外の者が忍び込もうとする試みは、全て阻止される。」
「だが実際に、違法に空気を盗み出すパイプラインが増設されてるんだろ?床から穴でも開けられて、そこから入られたんじゃねーのか?」
「それほど大胆な破壊工作が行われたのならば、即座に震動が検知される。定期的に警備巡回の来る中、侵入口を隠蔽する細工を施すことも非現実的だ。」
警備兵はシェルから目を離すことなく、背後に伸びる隈なく明るく照らし出されたメンテナンス用通路を指さす。ヒビひとつなく、清潔に磨き上げられた床の面は規則正しく並ぶ照明の光を反射している。掘削機などで穴をあければ、その痕を消し去ることは確かに困難を極めるだろう。
複雑に絡み合って伸びるパイプラインにほとんどが覆われている壁面や天井は、他の供給管を切断することにも繋がるため侵入口としては適さない。
「ってことは、違法な空気供給管を増設した犯人は……。」
「正規の手続きを経てメンテナンスエリアへ入り、正規の作業員として振舞い、我々警備兵に遭遇したところで関係なく作業を続けると推測される。」
本来この場に居るべきではない存在だ、と一目で判別できる姿をしていれば即刻排除の対象となる。が、設備管理の作業員として入り込んでいるのならば、その身分や素性を精査されない限り見咎められることはない。
それは侵入手段としては最も無難であり、違法な作業を堂々と行うための的確な方法であった。
「つまりアンタたち警備兵は、今回の件の発端となった違法な空気供給管が勝手に増設されてる作業を、みすみす目の前にして見逃していた……かもしれない、ってことか?」
「可能性はある。事前に作業内容の通告および作業員のリストさえ提出されていれば、その作業を制止する理由はない。」
「なるほどねぇ。思ってた通り、今回の標的は随分と周到な連中みたいだ。」
シェルは再び、大量のパイプラインで壁や天井が覆われた廊下を歩き出し、彼に追随する形でチームと警備兵は進行を再開する。
富裕層の街へ送られる新鮮な空気を掠め取るという、大胆な犯行。それを可能にするだけの計画性や技術力、人的リソースを備えている犯人が、前回までの任務のような一個人であるとはとても考えられなかった。
「ところで、まだアンタが何を持っているのかは見ていないが、武装はしてるんだろ?もしもヤバそうな相手が来ちまったら、加勢してくれるのか?」
シェルは冗談交じりに警備兵へ声を掛けたが、すげない返事が無機質な声色で響くばかりであった。
「自分の任務はお前たちの監視、そして設備の保護だけだ。」
「ってことは、処刑する標的が俺たちへ反撃しようとして、設備を破損させれば、アンタも戦ってくれるわけだ。」
「当然ながら、意図的な攻撃の誘導が認められれば、お前たちを排除の対象とする。」
「そうかよ。」
シェルは首をすくめて、この妙にお喋りな警備兵との会話を中断する。
喋っている内容はドライかつリズァーラーたちを突き離すようなものばかりであったが、シェルからの冗談めいた問いかけにまで応じる様は、リズァーラーより上位の身分である人間としては異様な振る舞いであった。
分厚いマスクで顔が隠れ、全身がアーマーで覆われている警備兵の素顔など、知る由もなかったものの。
「よし、みんな止まれ。到着したぞ、この供給管だ。」
管理官から渡された図面、パイプラインに刻まれた管理番号を参照しながら進んできたシェルは、仲間を呼び止める。マナコは見開いた目をキョロキョロと動かしながら、シェルの立ち止まった付近を見つめなおしている。
「え、どこですかぁ?」
「だから、これだって。任務仕様書にある管理番号と同じだ、これは間違いなく違法な空気供給管だ。」
シェルは改めて自分が見つけたパイプラインを指さすも、マナコと、その隣に寄って来たハリコは、ピンと来ない表情のままで首を傾げていた。
確かに傍目から見ても、それが違法に増設された供給管だとは気づけないほど、接続部分は丁寧に仕上げられていた。無理やりテープや樹脂で接合部を固めてジャンク品のパイプを繋いだような様相を想像していた面々は、予想が大きく外れていることを認めるのに多少時間がかかった。
余りに整然と接続されている違法供給管を前にして、さしものベスタもシェルに念押しする。
「……本当に、これは正規の空気供給管じゃないのね。間違って富裕層への空気供給管を破損させたら、私たちは終わりよ。もう一度、任務仕様書の内容と照合して。」
「そんな不安なら、お前も見ろ。間違いないだろ?」
ベスタ自身も、任務にて指示されていた供給管と管理番号が合致することを確認した。違法増設されたものとは思えないほどに、丁寧な施工であったことには違いないが。
シェルは腰から提げていた工具袋に手を伸ばし、大型のレンチを取り出した。
「ハンマーか何かで叩き壊さなきゃならないかと考えていたが、こんだけ綺麗に接続してあれば細工するのも簡単だ。今回の件じゃ、犯人さんに修理をさっさと終えてもらわなきゃ困るからな。」
「何だと……?」
思いがけず警備兵が放った意外そうな声に、一同は振り返る。
「違法に接続された空気供給管を破損させ、それを修理しに来た犯人を処刑する」という任務内容において、確かに修理のしやすさを考慮する必要など本来ないはずであった。シェルの発言を意外に感じるのも無理はない。
しかし、リズァーラーたちの任務内容と、警備兵に与えられた監視任務はそもそも関係など無い。シェルは慎重に言葉を選びながら、警備兵へと問いかける。
「えーと、警備兵さん、何か不都合でも?アンタの仕事の邪魔になることはしてないはずだが。」
「…………問題はない。自分は監視任務を続ける。」
「俺たちの心配をしてくれてんのなら、取り越し苦労だぜ。俺たちは間違いなく、修理しに来た奴を処刑する。生活管理局からの命令に逆らう気はないからな。」
「……。」
今度こそ警備兵は返事をせず、リズァーラーたちの方を向いたままの姿勢で動かなかった。
様々な点で違和感のある警備兵への警戒を内心で強めつつも、シェルは仲間たちに見えるように作業を続けている。
「頑丈なパイプラインだが、ご丁寧に逆流防止弁まで設置されてんのなら話は早い。バルブを閉めて、ここから先に空気が行かないように遮断しちまえばいい。」
「それだけ?」
「あぁ、空気が供給されなくなればいいだけのことだからな。」
処刑任務のたびに標的への空気供給を遮断する作業を行っているリズァーラーだからこそ、知り得る手順であった。
手際よくレンチでバルブを締め付ける作業に取り掛かるシェル。ハリコとマナコが形だけ周囲を警戒するように、ほぼパイプラインで占められた廊下を見回す仕事を続けている一方で、周辺をあれこれと見て回っていたベスタが怪訝そうな表情と共に戻って来た。
「シェル、問題がある。」
「何だ?」
「このメンテナンス通路自体の、電力と空気供給を遮断する手段がない。」
「……マジか。」
思えば、上層の富裕な住民の家々に生活リソースを供給する設備の集まったエリアである。停電を引き起こすことで、万が一にでも予期せぬ支障が起きることは許されない。
空気供給を遮断すれば、作業員たちの本来の仕事も滞り、問題への対処が遅れることにも繋がりかねない。結果、このメンテナンスエリアは常に明るく、そして人間の活動に適した空気状態が保たれていた。
そして、それはリズァーラーたちが人間に対して優位に立てない状況であった。
「どうする、シェル。私たちは本来通りの活動が可能な標的を相手取ることになる。」
「ここまで来たんだ、やらずに帰るわけにもいかねーだろ。」
「あえて修理を完了させる策が、うまく働けばいいのだけれど。」
ベスタからの報告を受けていったん手を止めていたシェルは、再び心を決したようにバルブを締める作業を再開する。
「最初の修理に、どんな奴が来るか次第だな……。」
背後では、何の気配もない廊下の見張りを続けるのに早くも飽きたと思しきマナコが、愚直に一方向を見張り続けているハリコへそっと近づいて両肩を鷲掴みし、驚かせている。
能天気にふるまう二名と、深刻そうな表情を崩さずに作業を続けている二名を、少し離れた位置から警備兵は沈黙のままに監視し続けていた。




