道具の割には頭の回る
養分液の摂取をほぼ終えたハリコは、容器の底にたまっていた白い破片を指先でつまみ、そのざらついた表面の感触を味わうように指の腹で撫でまわし暇をつぶしていた。
処刑された市民の身体を破砕したものがリズァーラー用の養分液である以上、それらを吸収し終えた後に残る白い破片はすなわち人骨の断片である。
「……。」
ハリコは指先で念入りにその骨の欠片を撫で、内側に染み込んだ体液を表皮から吸いつくしては背後に放り投げた。乾いた音を立て、狭い地下室の隅に白い破片が散乱していく。
骨の破片に染み込んだ体液までも念入りに吸収しようとしているのは、何も彼が几帳面な性格であったためではない。
人間に擬えれば、単に「食い足りなかった」のである。
「ウー……。」
健常な人間であれば、身体の六割以上は水分に占められている。人体の全身を粉砕し、どろりとした液状に加工した場合も、リズァーラーたちが吸収しやすい濃度となる。
だが、今回の処刑対象者は年老いていた。人は老いていくほどに、身体に含まれる水分量は減っていく。更に小柄だったため、そもそもの全体量も少ない。
低い水分量のために濃度が高くなり、養分液全体は吸収しづらかった。
そして今、骨を主とした硬質の体組織の破片に染み込んだ体液までも念入りに吸収しようとハリコは試みていたのだった。
「リコくん!お食事、済みましたかぁ?」
「ウゥゥ。」
またも唐突に扉を開いて顔を出したマナコに対し、ハリコはいつも通りに唸り声だけで返事をする。
同じ仕事に携わるようになってから、さして長い付き合いというわけでもなかったが、この騒々しいパートナーはハリコの唸り声を勝手に解釈することに慣れているようであった。
「満足そうで何よりですねぇ。今回はリコくんが遺体の細断を担当してくれましたし、多めに分けておいたんですよぉ。」
「ウー……。」
時には、マナコはハリコの唸り声に表れている不服の響きに気づかぬフリをしていることもあったが。
「それよりもリコくん、また管理官からのお呼び出しです!きっと新たな処刑任務ですよぉ。」
「ウゥ゛。」
「最近は私たちも忙しいですねぇ、有罪証が続々発行される社会ってのも、褒められたものじゃありませんけどねぇ。」
口ではそう言いながらも、マナコの表情がいつにもまして明るいのは、やはり処刑任務によって得られる市民の遺体がリズァーラーたちの食糧となるためであった。
リズァーラーたち普段暮らしている薄汚れた地下通路とのギャップが相も変わらず著しい、綺麗に家具の整えられた管理官執務室。マナコがハリコを伴って訪れた時には、すでにシェルもベスタも待機していた。
「お待たせです!ハリコ、マナコ、ただいま参じましたぁ……ありゃ、管理官さんは居られませんか?」
「あぁ、しばらく待ちぼうけだ。盛大にノンビリさせてもらってるぜ。」
シェルは部屋に備えられたソファにゆったりと身をもたせ掛け、くつろぎきった体勢で答える。
常よりリズァーラーたちは、この部屋に正当な理由なく踏み入ることなど許されない。清潔で座り心地の良いソファに腰掛けられる機会自体まず無かったため、シェルは今の状況で待たされることを大して苦には感じていないようだった。
ハリコと手を繋いだままで別のソファに腰を下ろしたマナコは、彼の隣に浅く腰掛けているベスタへと目を向ける。
「ベスタさん、腕、もとに戻ったんですねぇ。」
「一時はどうなるかと思ったけれど、水分と養分を補給したら、治った。」
前回の任務で、強力な乾燥剤を浴びせられ涸れてひび割れていたベスタの腕は、その痕も残さず元通りに修復されていた。
水分を奪われることはリズァーラーの身体を構成する菌糸にとっての致命傷になり得るが、逆に水分さえ補充されれば身体の損壊部位は確実に再生する。その特質こそ、リズァーラーが劣悪な状況で働かされる最たる原因でもあったが。
「よかったですねぇ、私たちのこともしっかり面倒見てくれる、市民生活管理局様に感謝ですよぉ。」
「……えぇ。」
とはいえ、マナコたちの役割は、リズァーラーの扱いの中でも相当マシな部類であった。
市民の処刑を担当し、市民から疎まれ嫌われる役回りであったとしても、使い物にならないと見るや捨てられることはそうそう無い。が、全く役に立てないリズァーラーを養い続けてくれるほど、管理局もお人よしではない。
もしも自分が捨てられたら、と懸念し続けていたのだろうベスタは、その感情を思い出したくないかのように生返事だけを漏らした。
扉が開き、皆を呼び集めた管理官が、その蒼白い顔を出す。
「皆さん、お待たせしました。全員、揃っていますか?」
彼の方を向いたシェルは、途端に居ずまいを正した。
完全にくつろぎきっていた彼と、隣にいたベスタも上半身を起こし、背筋を伸ばして姿勢を整えたのは、何も管理官に畏敬の念を覚えたためではない。この直属の上司に対しては、わざわざ襟を正す必要性など感じていない。
皆の視線は、管理官のすぐ後ろについてきた人物に集中していた。
仕立ての良いスーツを身につけ、髪をぴったりと整髪剤で撫でつけて整えている、いかにも富裕層らしい身なりの人物である。
そして彼は、この場で唯一の人間であった。
「え……えーと、管理官、俺たちは席を外した方がいいかな?」
シェルが緊張を声に滲ませて問うたのは、この部屋がリズァーラーのためだけに用いられる空間ではなく、生活管理局の人間がリズァーラー管理官と任務内容を打ち合わせるためにも使われていたためである。
管理局の人間が居る間、リズァーラーたちは入室を禁じられる。邪魔にならぬよう静かにしていたとしても、人間よりも蔑まれるべき身分のリズァーラーが同席すること自体が非常識とされていた。
同じ人間でも、貧困層の人間を相手するのとはワケが違う。地下都市の管理、統治を担う立場の人間の機嫌を損ねることは、そのまま処刑に繋がった。
幸いにも、このスーツ姿の人間は機嫌良さそうに微笑んで答えたが。
「いや、そのままでいい。僕は、君たちに直接話をしたくてね。」
「わざわざご足労いただき申し訳ございません。皆さん、こちらの方は、居住区内における空気循環の管理担当責任者様です。」
管理官による紹介を聞いたベスタとシェルは一斉に立ち上がる。
マナコとハリコは、彼らの突然の行動の真意が分からぬままに顔を見合わせていた。
「管理担当責任者」という肩書自体に重々しい響きは無かったが、地下都市においてライフラインの管理を行う立場は相当な権力の持ち主である。ありとあらゆる市民が生存に空気の供給を必要としている以上、彼が市民全員の生命を左右できる権限を有していると言っても過言ではない。
極端な話、都市内部で統治者に反抗的なコミュニティが生まれた場合、彼らへの空気供給を遮断することも可能なのだ。
そして、公にはなっていなかったが、幾度かその脅しは実行されたこともあるとの噂が流れていた。
「これは、そんな、凄い方にお越しいただくなんて……今、席をお空けしますから。ほら、マナコ、ハリコ、立てって。」
「へ?あ、はぁ。」
シェルは表情をこわばらせ、まだボンヤリした表情でソファに腰掛けっぱなしの二人に起立を促す。
いよいよ緊張して立ち上がったリズァーラーたちに対し……いまだにこの緊張感が何に起因しているのかよく理解できていなかったマナコとハリコは、シェルとベスタの動きを見真似ていたに過ぎなかった……スーツ姿の人間はにこやかに着席を促した。
「いやいや、僕は立ったままでいいから。そのまま、座っていてくれたまえ。」
「担当責任者様が仰っているんです、従いましょう、皆さん。」
彼の言には、その裏に「リズァーラーが既に座った席になど汚らわしくて座りたくない」という意味が含まれていた。
もちろん、これを理解できないシェルやベスタではない。相手から促されるままに、落ち着かぬ様子を示しながら再びソファに腰掛ける。結果的に同じ状況に行き着いたものの、この一連の流れはリズァーラーが人間との接し方を弁えるうえで必要な儀式めいたものであった。
マナコとハリコは、一旦立ち上がったことの意味も分からぬまま、座っていいとの指示を受けて即ソファに身を投げ出していたが。
管理官が一応はすすめた執務机の席も、男は辞退した。リズァーラーの身体がわずかでも触れた物品には近寄りたくもない、とばかりに入って来た扉の脇に立っている。
「前回の任務では、君たちに敵対するリズァーラーが現れたらしいじゃないか。」
「えぇ、残念ながら制圧・捕縛には至らず、取り逃がしてしまいましたが。」
執務机の上に、前回の任務内容を説明するための資料を管理官は忙しく並べていく。
が、空気循環の管理担当者は、その内容に興味を示したわけではなかった。
「しかし、敵が襲撃時に用いた薬品、およびその製法を首尾よく持ち帰ったのが、このチームだと聞いた。」
「俺です。俺が、薬品を持ち帰りました。」
管理官が返答するより先に、シェルが腰を浮かせて名乗り出る。彼の前髪の奥に広がる虚ろな暗闇には、警戒の色を秘めた目玉がチラと覗いていた。
彼が自己主張を行ったのは、何も手柄を自らのものにしようとしたためではない。リズァーラーたちで構成される処刑部隊においては、人間から与えられた命令以外の行動を勝手に判断することは褒められたことではない。
わざわざ人間の職員が直接会いに来た目的は、その件について難癖をつけることではなかろうかとシェルは警戒していたのだ。責任を問われるなら、自分が被ろうとしての発言であった。
「ほう、君か。いや、前回の任務報告、少し奇妙な内容だと感じてね。攻撃に用いるための薬品のサンプルと製法が、その場で消費されることなく保たれていたというのは、すなわち敵が持ち帰るはずのものだったのではないかな?」
「……そう考えるのが、妥当ですね。」
「君たちを待ち伏せる前提で敵が待ち構えていたのならば、迅速にサンプルと製法を携えて現場を離脱する備えを敵は済ませていたと考えるのが自然だ。よもや敵は、持ち帰るべき品物を、分かりやすくテーブルの上に陳列していたわけでもあるまい?」
要するに、「敵の捕縛には失敗したが、薬物のサンプルは自分たちが持ち帰った」という報告は不自然だとの指摘である。
シェルは極度の緊張に包まれながら、管理官の方へと顔を向ける。目が合った管理官には大して表情の変化はなく、シェルに下される処分がいかなるものかについても無関心を貫いている様が明白であった。
が、シェルを問い詰めていた男は、相好を崩して軽く笑い声を立てる。
「いや、何も虚偽の報告を責めているわけじゃない。ただ、君たちリズァーラーの中にも、頭の回る者がいるものだと感じてね。今回、直接会いに来たのも、実際に顔を見たくなったためだ。」
「……ど、どうも……お褒めに預かり光栄です、俺の顔は上半分が無いですがね。」
「十分だ、その者の誠実さは口元に表れるものだ。目は嘘を見通すと同時に、嘘を吐くことも出来る。さて、そろそろ本題に入るとしよう。」
男は書類のファイルを雑な仕草で管理官の方へと投げ出す。ファイルは執務机の上には乗らず、角に当たって床に落ちた。
管理官はすぐさまに席を立ち、床に這いつくばって恭しく書類のファイルを拾い上げる。リズァーラーに対する人間の所作としては、拾いやすい位置に投げてやるだけでもまだ良心的な方であった。
「詳細は、そこの書類に書いてある。君たちには今回、待ち伏せをやってもらいたくてね。」
「は、只今拝見しております。なるほど、新鮮な空気の供給管に、細工の跡が見られる……と。」
管理官は素早く書類のページをめくり、概要を口にする。
「あぁ、それも我々が住まう上層の街へ供給する空気の配管だ。この地下都市において、清潔な空気は人々の命を直接的に支える、何物にも替えがたいリソースだというのに、それを盗んでいる不届き者が居る。」
地下の世界では水や食料と並び、空気もタダで手に入るものではない。
市民たちは例外なく、呼吸に要する空気を生産プラントから伸びる供給管を通じて得ていた。むろん、水道と同様に使用料を支払ってのことである。
生存するうえで必需品となる空気を盗むこと。発覚すれば厳罰が下される所業であり、それを堂々と実行する輩が只者ではないことぐらいはリズァーラーたちにも推測できた。
「任務はシンプルだ、非合法に空気供給管が接続されているポイントを我々は把握している。そこを意図的に破損させ、様子を見に来た者を殺せ。」
「……えぇと、捕縛ではなく、ですか?」
管理官が恭順の意を目つきで示しながらも聞き返すが、人間の職員は素っ気なく繰り返すばかりであった。
「違法に得る空気が供給されないとなれば、恩恵を受けている者たちはどうにかして供給管を修理しに来るさ。元凶を探る必要はない。」
「後から何人来ても、処刑を続けるということでしょうか……」
管理官の再度の問いかけに対して男は小さな溜息を吐き、少し語調を強める。
紳士的な振る舞いこそ崩してはいなかったものの、その口調には多少なりと苛立ちが浮かび上がっていた。
「君たちの仕事は、我々が指さした対象を処刑することだろう?指示に従いさえすればいい。」
「は、仰る通りです。全て、ご意思のままに。」
「このチームには優秀なリズァーラーが居ることだし、期待しているよ。」
男はチラとシェルの方に視線を投げかけ、背を向ける。
扉を開けてこの部屋から出ていく直前、彼はリズァーラーたちに向けてついでのように告げた。
「あぁ、それから、君たちの臭いをどうにかしたまえ。消臭剤なら経費で買っていい、先ほどから鼻がひん曲がりそうなんだ。」
人間の遺体を粉砕したものを吸収したばかりのリズァーラーたち自身は気づいていなかったが、人間には耐えようもない、死体特有の悪臭がずっとこの部屋に籠っていたのであった。




