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日の目を見ざるリズァーラー  作者: MasauOkubo
リズァーラーという存在
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処刑任務を糧として

「あの部屋ですねぇ、今回の標的がお住まいなのは。」


 薄暗く冷たい光を放つ照明に浮かび上がった地下通路にて、マナコは壁面に埋め込まれたかのように固く閉ざされた扉を指さした。


 鉄の扉は所々で塗料が剥げて錆を浮かせ、劣化と腐食に身を任せきったような容貌であった。人間の住居としては余りにも粗末な印象であったが、裕福でない者たちが多く住まうこの街において珍しいことではない。


「停電の発生と同時に、任務開始です。心の準備は出来てますかぁ、リコくん?」


「ウゥー……。」


 マナコに話しかけられ、ハリコは唸り声だけを返した。目元以外、頭部の殆どを布で覆っているハリコの声はくぐもっている。


 二人が今から遂行せんとしている「任務」とは、罪状を発行された市民の処刑であった。


「緊張することないですってぇ。今回の任務、この地域の市民の皆様が通報した結果、市民生活管理局から発令されたものですし。」


「ウー。」


「きっと、皆様は私たちに協力的ですよぉ。」


 市民の自宅に赴き、現地で処刑を行う役目には、複数のリスクが伴う。


 当然ながら、あらかじめ逃亡することの無いように対象の市民には自身が処刑されることなど知らされない。そのために、逮捕や裁判などといった過程を踏まず処刑が行われるのだから。


 自分が処刑されることを唐突に悟った市民は、多くが抵抗し、逃走を試み、周辺に助けを求める。


 救いを求める声が周囲に聞き届けられた場合、助けに入った者たちによって処刑任務が妨害されることがあった。更に悪くすると、処刑任務を担う側が逆に市民から危害を加えられる場合もある。


「今回の罪状は窃盗、それも近隣の住民を相手に、です。せめて、ご自身の住まいから離れた地域を狙えばよかったんですけどねぇ。」


「ウウゥ゛。」


 今回のケースにおいて周辺住民は、処刑対象による窃盗の害をこうむっていた者たちばかりである。彼の処刑を妨害される恐れはほぼ無い。


 そういった状況もあって、市民を一人処刑する直前であるにもかかわらず、マナコの口ぶりはどこかノンビリしたものであった。


「さ、そろそろですよぉ。今回の処刑対象は、出来ればおとなしい方であることを祈りましょ……。」


 叶うべくもない希望をマナコが喋りかけた、その言葉を途切れさせるように停電が発生した。


 外光の入ってこない地下空間においては、照明が全て落とされれば完全な暗闇に包まれる。マナコは、傍らに立つハリコの手を握り、真っ暗になっていることなどお構いなしに処刑対象の部屋の前まで歩を進めた。


「……どうやら、おとなしく処刑されるつもり、なさそうですねぇ。」


「ウウゥ゛ゥ゛ゥ゛。」


 ハリコは警戒を露わにした唸り声を、喉の奥で震わせる。


 鉄製の扉の奥からは、バタバタと駆けまわる音、ドスンと壁にぶつかる音、そしてあちこちで物を床に落とし散らかしている音が響いてきた。人間の視力では完全に何も見えない暗闇に包まれ、自らが処刑対象であることに気づいた市民が慌てているのだろう。


 停電が起こされ、リズァーラーの活動に有利な暗闇がもたらされた時、それは誰かが処刑される合図であることはこの世界の共通認識であった。自らの悪事に覚えのある市民にとっては、なおさら警戒すべき状況に違いなかった。


 とはいえあらかじめ逃亡の準備を整えている余裕があれば、そもそもこの部屋には既に居ないはずであった。今、彼は真っ暗な中、手探りで最低限の身支度を済ませようと努めているらしい。


「武器になる物を持ち出してくるでしょうねぇ。気を付けてください、リコくん。」


「グルルルルルゥ゛……。」


 ハリコは、既に自身の頭部を覆っていた布を解いていた。人間のものとは大きくかけ離れた、剥き出しの牙、そして異様に発達した顎が露わとなる。


 停電中の真っ暗闇だったため、それを見ることが出来たのはマナコの見開いた瞳だけであったが。


「来ます。構えて。」


 マナコの言葉に促され、ハリコが姿勢を低くした直後、鉄の扉が内側から蹴り開けられた。


 現れたのは、やせ細り、髪の生え際が後退し、血色の悪い、目つきも悪い……この街では特に珍しくもない、一般的な市民の姿である。


「クッソ、殺されてたまるかってんだ……。」


 完全な闇の中、何も見えないままに勢いよく駆け出した市民の足元にハリコは組みつく。相手を転倒させると同時に顎を限界まで開き、その脚の筋肉に思い切り牙を突き立てた。


「ガルルルゥ゛ゥ゛!」


「ギャァッ!?痛ェェェッ!!」


 予期せぬ転倒でしたたかに全身を地面に打ち付けた市民は、咄嗟の反撃もままならない。


 彼の脚の筋肉を一部食いちぎったハリコは、すぐさま首筋へと食らいついた。的確に動脈に牙を食い込ませたことを示すように、勢いよく生暖かい血液が噴き出て来る。


「ウウウ゛ウ゛ゥ゛ゥ゛!!」


「が……ッ、チキショウ、何しやがる!!」


 出血は派手であったが、即死する致命傷にはなり得ない。文字通りに死に物狂いで、処刑対象の男は体に組みついてくるハリコを渾身の力で押しのける。


 処刑完了が確認されぬ限り、停電は復旧しない。完全なる暗闇の中で、全く視界が利かないのは市民も、ハリコも同様であった。この場の状況を視覚的に把握できるのは、特殊な視力を有するマナコだけである。


「リコくん、距離を取って!」


「ウゥ゛ッ……!」


 マナコの忠告に応じようとしたハリコであったが、動きが一瞬遅かった。


 市民は身体を半ば起こし、目が見えないままに手に握った重そうな金槌を振り回す。窃盗の際、無理やり錠を叩き壊す時に用いていたのだろう。


 金槌はハリコの腕に勢いよく直撃し、鈍く嫌な音が聞こえた。処刑対象の市民は、緊迫の極致から絞り出される金切り声で嘲笑する。


「へ……ヘヘッ、ざまぁみやがれ!折れたな、今!」


「ウ、グルルルゥッ!」


「ひるんでる場合じゃないですよ!アイツを逃がさないで、リコくん!」


 骨を折られたハリコの片腕はダランと垂れ下がっているが、マナコはそれを案じるそぶりを見せることなどない。


 処刑対象の男は血の流れ出す首元を押さえ、片脚を引きずりながらも、暗闇の中で壁を擦るようにしてこの場から離れようと逃亡の努力を続けている。


 マナコは無事なほうのハリコの腕を取り、男のいる方に向けて引っ張った。とはいえ、相手の荒い呼吸音、そして乱れた足音から、視力に頼らずとも追跡することは容易であったが。


 今度は背後から勢いよく飛び掛かり、押し倒すと同時に、先ほど牙を食い込ませたのとは別の血管に狙いを定めて噛みついた。


「ガァア゛ァ゛ルルゥ゛ッ!」


「ゲェエェェッ、ッガハァ……!こんの……雑菌野郎が!」


 背中から組みつかれているとはいえ、自らの命に脅威を感じた人間の出す力は想像以上のものとなる。


 再びハリコはあっさりとはねのけられ、近くの地面に転がった。すぐさま四つん這いの体勢となって、暗闇の中でも処刑対象の位置を大まかに推測しつつ向き直る。


 改めて処刑対象は逃走を再開しようとしていたが、マナコは再びハリコに追撃を指示することなどなかった。


 喉元から滝のように血を流している彼の喉からは、酸素が不足し、呼吸が足りず苦しんでいる乾いた音が聞こえていたのだ。


「ゼェ、ゼェェ、ゲェッホ、クソ、死んで、たまるか……」


「部屋でおとなしく待ってくださっていれば、痛みもなく眠るようにお亡くなりになれたでしょうに。」


 男は、マナコの声がした方向へと金槌をぶん投げる。


 既に腕には力が入っておらず、それは重い金属音とともに地面を転がるばかりであった。


 閉所である地下空間には、外光のみならず外気も入り込まない。換気を行える機構が備えられていない限り、新鮮な空気が取り込まれることなどない。


 激しく肉体を運動させるほどに、酸素の消費量も増すばかりであった。並んで、身体に酸素を行きわたらせるための血液を大量に失えば、もはや身体機能は停止に向かうばかりである。


「おい、誰か、助けてくれよ……人間様が、雑菌どもに殺されかけてんだぞ……!」


 彼がリズァーラーたちを「雑菌ども」と表現したのは、単なる蔑称としての意味に留まらない。


 呼吸に酸素を必要としないリズァーラーは、人間ではなかった。


「あなたが助けられることは考えにくいです。周辺住民の皆様こそが、あなたを通報なさったんですよ。」


「おかしいだろ……ゼェ、ハァ……ちょっと盗んだだけで、処刑だなんて……ゲホッ。」


「資源の限られたこの街で、盗みを働かれることは生活レベルの維持を困難にする、と市民生活管理局は判断していますよぉ。」


「グルルルル……」


 淡々と説明するマナコ、唸り声を上げるハリコから、這いつくばってでも離れようともがく男であったが、血液の流出は止まることがない。


 やがて彼が体を動かせなくなった頃合いを見計らったかのように、停電は復旧し、この地下空間に明るさが戻ってきた。地面に広がる血だまりは、その主が酸素不足に苦しめられていたことを示して鮮やかな赤色を失っている。


「聞くところによると、住民の方が留守の間にお宅へ侵入したり、店員さんの見えない所で商品をポケットに忍ばせたり、気づかれないように盗みを続けていたようですねぇ。周囲からは、あなたの仕業であることはバレバレだったようですが。」


「……。」


「……もう、聞こえてらっしゃらないですかねぇ。」


 マナコは相手の目を覗き込み、ついでに呼吸が止まり、脈が無いことを確認し、背負っていた小さなバッグから死体袋を取り出して広げる。


 ピクリとも動かなくなった市民の遺体を、マナコはハリコと協力して持ち上げ、袋の中へと押し込んだ。ボタボタと滴る血液で、袋の内部はすぐ暗赤色に染まった。


 ふと、マナコは顔を上げる。


 処刑の現場が静かになった頃合いを見計らっていたのか、少し離れた場所の扉が開かれ、隙間から住民がこちらを覗いている。マナコはにこやかに頭を下げながら挨拶した。


「どうもお騒がせいたしました、市民生活管理局ですぅ。これより現場の清掃を済ませますので、もう暫しお待ちくださいねぇ。」


 相手からは返答などなく、人間から忌避される仕事を担っているリズァーラーへの嫌悪と軽蔑の視線が投げかけられるばかりであった。


 マナコとハリコは、人間ではない。その異常発達した顎も、暗闇で周囲を視認できる目も、人ならざるリズァーラーであればこそ得られたものだ。


「出来るだけ綺麗に血を拭き取りましょうねぇ、リコくん。衛生上の問題もありますし。」


「ウー。」


「お金持ちの街だったら、この後清掃班が来るところなんですが、ここら辺じゃ私たち処刑班に掃除を任されちゃってますから。」


 死体袋とともに丸めて持ってきた、ボロボロの布切れを血だまりにかぶせていく。乾き始めるよりも前に布で吸い取ってしまえるのも、処刑現場にそのまま居合わせる者たちだから可能な事である。


 たっぷりと血を吸った布は、先ほど処刑対象の遺体を回収した死体袋の中へと押し込まれた。


「それに、私たちのご馳走、わずかでも多く回収したいですもんねぇ。」


「ウゥ。」


「さ、こんなもんでだいたい拭き取れましたかね。じゃ、しっかり死体袋の口を閉じて、帰りましょっか。」


 マナコとハリコは二人で死体袋の取っ手を掴む。ハリコは折れていない方の片腕しか使えず、その重さゆえに多少ヨタヨタと頼りなげな足取りながらも運び始める。


 死亡したばかりの人間の遺体は、その体液も含め、リズァーラーたちの養分として活用されることとなっていた。


 人に似た姿でありながら、市民の処刑を担い、死体を自分たちの糧とするリズァーラーが、市民たちから嫌われる所以であった。

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