436 闇が世界を呑み込んだ
時は少し戻る。
「(無駄口はここまでだ。建物の中に入って、天神とかいうモノを確認次第、総攻撃だ)」
アンジュと並走するシュレインから念話が発せられ、色鮮やかな建物に侵入した瞬間。シュレインの隣りにいたアンジュの気配が消えた。
そのことに立ち止まって辺りを見渡すシュレイン。
「(建物に入った瞬間に聖女様と神父が消えたぞ)」
シュレインの後方から、その様子をはっきりと目にしていたヴァルトルクスから念話が発せられた。
「消えただとう!」
それに対して、シュレインは念話を使うことを忘れ、怒りを露わにする。
「(おそらく今までの戦闘で、天神というモノが聖女様と神父のことを脅威に捉えたのだろう)」
「ナメた真似をしてくれる」
「(将校ロゼの魔鼠と同じだ。どこか別のところに飛ばされた可能性が高い)」
ヴァルトルクスは今あったことを冷静に分析していた。いや、隊長となれば、有事の際でも冷静な対応が求められる。
しかし、シュレインは腸が煮えくり返るほど憤っていた。
「飛ばされたとは何処だ!」
「(予想では天神のところか、全く別のとこ……第十三部隊長!先走るな!)」
ヴァルトルクスが天神と言ったときには、シュレインは建物の奥に向って突っ走っていた。
「(待て!冷静さを失うと天神というモノの思う壺だ!)」
ヴァルトルクスの声が聞こえていないのか、シュレインはそのまま駆けていく。いくつものカラフルな扉が開かないと蹴り飛ばしながら、板ではない変わった床を駆けていた。
「(一度止まれ!シュレイン第十三部隊長!ちっ!何事にも無関心と言われていた第十三部隊長が……)」
ヴァルトルクスから聞き捨てならない言葉が出てきたが、それはアンジュを失って心が死んでいたときのシュレインのことだろう。
アンジュがいれば、このような愚行にシュレインは走らずに済んでいた。しかし、一度アンジュを己の力で殺したと思い込まされたことは、シュレインにとって消えない心の傷となっていた。……いや、ダンジョンの中でアンジュを失いかけたシュレインにとっては、アンジュを失うという恐怖に耐え兼ねていた。
なぜ、そこまでアンジュにこだわるのか。
憤りと恐怖という感情に支配されたシュレインは最後の扉を蹴り破る。
そこは広い室内にただ一人の男性が存在していた。
数段高い床に座り、変わった衣服を身にまとっている。ズボンというにはゆったりとしており、コートというには赤や白の花の柄が描かれた変わったものを羽織っていた。
そう、シュレインからみれば、シュテンやイバラギと遭遇したときに似たようなものを着ていたという記憶しかないだろう。
ただ、その男性は何故かさめざめと涙を流し、長い髪を頬に貼り付けていた。
そんな男性の姿に虚をつかれたのかシュレインは部屋に押し入ってから一歩も動いていない。
いや、一点のみに視線が注がれていた。
『そなたらが、我の大切な花を折りちらしてしもうた。ならば、我もそなたらの仲間の命をちらしても文句なかろう』
異形の言葉は今まで理解できなかったが、目の前の男の言葉ははっきりとシュレインの耳に届く。
そして目の前の光景に理解が追いついていなかった。
「(シュレイン第十三部隊長……聖女様?)」
シュレインに追いつき、同じ光景を目にしたヴァルトルクスの言葉だ。
その言葉にシュレインは目の前の光景が現実だという衝撃を受ける。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――」
現実を認めたくないのか声をあげるシュレイン。
その光景とは……男性の下の段に、黒いコートが赤黒く濡れ、赤い水たまりの上に目に光がないアンジュが横たわっていたのだ。
そして、そのアンジュを守るように、折り重なる見慣れた背中がある。
「リュミエール神父が……」
ずっと憧れていた人の背中だった。追いかけても追いかけても追いつけない人の背中だった。
シュレインにとって失ってはならない者の死がそこにある。
世界が軋んだ。
世界が悲鳴をあげるように軋んだ。
そして空間に亀裂が走る。天神、菅原道真が創り上げた空間にヒビが入ったのだ。
『なんであるか?世界が鳴いておる』
そのことに動揺をみせる天神。
亀裂から闇が侵食してくる。
広がりは早く、一瞬にしてシュレインを止めようとしているヴァルトルクスと、己の空間に干渉してきた亀裂を凝視している天神を闇が呑み込んだ。
飛ぶ木が毒によって散り散りになったことを確認して、アンジュたちに追いつこうと進んでいたリザネイエとロゼも闇に呑み込まれる。
何故か雨と雷が止んだことに戸惑っているファルークスとイバラギも闇に呑み込まれた。
「アンジュ!シュレインに何をしたんだ!」
この状況をアンジュの所為にして、暗闇の中を駆け出すファルークス。
そして世界から太陽が消えたのだった。




