431 百聞は一見にしかず
「(リザ副隊長。本当に置いていかれましたけど、私はこの異形の言っていることわかりませんよ)」
ロゼは白い衣服の集団の中で一人黒い毛皮のコートを着た者の背中を見送っていた。そして横目でちらりと、人ではないモノの姿を捉える。
「(私もわからないわよ)」
リザネイエもまた、困ったように視線を横に向けていた。
アンジュの指輪に宿る精霊と同じと思えるのだが、彼らと違って緑色の異形の言葉は二人には理解できなかった。
その二人の無言の視線を受けた緑龍は、困惑しているように後方に下がっていっている。
ロゼとリザネイエは念話で会話しているので、緑龍にとっては無言の威圧と捉えられたのかもしれない。
「言葉は、わかるかしら?」
リザネイエは普通に声を出して問いかける。
これはアンジュが普通に話をしていたので、理解できるのかもしれないという望みだった。
緑龍は首を縦に振ったように見える。だが、身体が浮遊しているため、浮遊している動作か頷いているのかがわからなかった。
「えーっと。さっきみたいに、人の姿になれるかしら?」
リザネイエの言葉に緑龍は人の姿をとる。これにはリザネイエとロゼの反応が分かれた。
「リザ副隊長!これは意志の疎通が可能ですね」
ロゼは異形の言葉がわからなくとも、あちらが言葉を理解していれば、行動制限ができると感じていた。
だが、リザネイエは違った。
「私、とても甘い考えをしていたわ。アンジュちゃんが警告していた意味がやっとわかった」
アンジュが警告していたこと。それは何のことを指すのだろうか。
「アンジュちゃんの精霊は、そういうモノだと思っていたの。だけど、そういうモノが沢山の人の中に混じってしまえば、私達の暮らしは簡単に壊されてしまうわ」
リザネイエは、アンジュが何度か警告している見た目に騙されてはいけないという意味に、気がついたのだろう。
「相手が人の姿を取っているということは、その姿も一定ではなく、別人の姿で隣に立っているかもしれず、私の姿になって別の場所で何かをすることも可能。最終的に誰も信用することができなくなる。なんて恐ろしいのかしら」
リザネイエは、独り言をブツブツと言いながらも、周りへの警戒は緩めてはいなかった。
独り言をブツブツと言っていたリザネイエは、突然後方に槍を突き出した。
神殺しの聖剣……いや聖槍と言えばいいのか。その聖槍の先はまるで折れてしまったかのように無くなっていた。だが、鋒があるはずの場所から赤い液体が流れてくる。
そして、引き抜いた槍を再び同じ場所に突き立てた。くぐもった声と共に床に倒れる音。そして木の床に広がっていく赤い液体。
見えない何かがそこには居たようだ。
「まだ、視覚に頼らない方がいいわね」
とどめを刺すべく、赤い液体が流れているところに向かおうとしていたリザネイエの足が止まった。そして将校ロゼに視線を向ける。
「ちょっと何故、今連絡をいれてくるの!」
大きな独り言である。
「今、私は忙しいのよ!アンジュがめちゃくちゃなことを言って去ったの!」
首から下げている銀色のタグに向かって言っていることから、どうやら通信が入ったようだ。
「は?大きすぎて剣が通らないって言われても、アンジュとは別行動なのよ」
いや、ギルフォード第十二副部隊長だろう。確かヴァルトルクス第十二部隊長が、将校ロゼに連絡を入れるようにしていると言っていた。
これは聖騎士は、聖女と共に行動するという概念の元での発言なので、緊急事態では対応できないことだった。
そのような言葉を聞きながら、リザネイエは赤い液体が流れているところに槍を突き刺す。
「え?」
しかし槍に伝わってきた感触は床の板を貫いた感触のみ。慌てて視界をめぐらし、見えないモノを見つけようとする。だが、ロゼの方向には魔鼠の気配が何百とあるため、そこに紛れ込んでしまったのであれば、感知することは難しい。
「ロゼ!結界を!」
リザネイエは、自らの身を守るための結界をロゼに張るように言うも、ロゼは通信機の向こう側にいる者と話しているため、気が付かない。
いや、ロゼは通信に答えながら、魔鼠を制御している。それに加え、結界を張るということができなかった。だから、リザネイエの言葉の意味に気が付くのが遅れる。
ロゼがリザネイエの方に視線を向ければ、歪んだ空間の中から鋭い爪を持つ獣の足が迫ってきていた。
「『結界!』っ……構築が……」
「ロゼ!」
リザネイエはロゼの方に駆け出すも、槍が届かない範囲。慌てて剣を抜くロゼ。
ロゼに獣の爪が届くかというときに、突然見えない何かの爪が遠のいた。そして悲鳴を上げ血を噴き出しながら、歪んだ空間から出てくる錆色の獣。
「你沒事嗎?」
その背後に居たのは緑龍だった。ロゼに何か声をかけたようだったが、やはりロゼには何を言っているのか聞き取れなかった。
『おい?大丈夫か?』
「だから、この忙しいときに色々言わないでって言っているじゃない!そういうのはリュミエール神父に直接聞いた方がいいのよって何度言わせるの!」
『だから。そんな恐ろしいことが俺にできると思っているのか!って何度言わせるんだ!』
通信機越しで言い合っているところに、リザネイエが近づいていく。
「ギルフォード副部隊長?ほとんどの第十二部隊の騎士を引き連れて、たかが魔牛ぐらい倒せないとリュミエール神父の耳に入ったら、どうおっしゃるかしら?」
リザネイエが、ロゼの通信機に向かって言えば、ギルフォードの悲鳴と共に通信が切れたのだった。




