368 神女に会えるかもね
「エリスって誰?」
「母の名だ」
私のすぐ後ろから声が聞こえてきた。
って言うことは、神父様の元婚約者であり、ファルの叔母ってことだね。
「ふーん。何をしに現れたのか。面倒だからリザ姉。ロゼ。やっちゃって」
「アンジュ!」
私の言葉に動揺を顕にした神父様が声を荒らげた。
やっぱり邪魔。神父様とルディの気を引きたいのか知らないけど。
何を考えて常闇に取り込まれたのかわからない月の聖女に惑わされることはないよ。
まぁなんとなくわかっている。ダンジョンの第一層で記憶を見られたのだ。弱いところを突こうとしているのだろう。
私を止めるにはルディと神父様を止めればいいってね。
「死人は蘇ったりしないよ。神父様。それにその鳥が言っているだけで、見えていないでしょ?」
「ですが!」
「指揮官は私。ダンジョンの時と同じだね。人の弱みに付け入ろうとしているだけ。なにかなぁ。私が常闇を閉じると何か不都合が生じるのかな?」
私はそう言って右手を上げて、合図という風に振り下ろす。
するとリザ姉とロゼから同時に攻撃が開始された。
地上に吹き付ける強風。その風に乗って雨のように地上に向う複数の矢。
それが渦を巻くように黒き地面を突き、そのままその下を貫いていく。世界に空いた深い闇。常闇の姿が露わになる。
「リザ姉。そのまま回転を上げて」
「わかったわ」
ちらりと神父様の様子を窺うも、フルフェイスに覆われているため表情がわからない。
普段は頼りになる神父様だけど、拗らせた初恋が絡むと、どうも思考が鈍るようだ。
「アンジュ。母の姿をした者はどうなった?」
「ルディも気になる?」
「気にならないと言うと嘘になるが、なぜ、あの精霊は母の名を言ったのだろう。母のことなんて知らないだろうに」
確かにその通りだね。精霊石という存在そのものが、何かということになると思う。
「リザ姉とロゼの攻撃に霧散したね。私には黒い女性にしか見えなかったけど、酒吞と茨木には赤い髪の女性に見えたということは、そこにも何か意味があるのかもしれないね」
段々と常闇は縮んでいき、深い穴はバシュンという音と共にキレイになくなった。
眼下に広がるのは戦闘で焼けてしまった森と、第十二部隊長さんの力で死んでしまった大地の姿だ。
「ファル様。元通りにしておいてね」
元の状態に戻すには緑の手を持っているファルにお願いするしかない。
「あ……ああ」
何か呆然としていたらしいファルから、今気がついたかのような返事が返ってきた。いつもなら、無茶を言うなとか言い返されるのにどうしたのだろう?
「それじゃ残りは、黒い鎖を切っていこうか。今回は範囲が広いけど、夜明けまでに終わらせるようにね」
朝日が昇って、黒い鎖が天を貫いているのが人々の目に映るってことは避けたいからね。
「アンジュ。なぜ攻撃を命じたのですか」
地上に降りて解散したところで、神父様から話しかけられた。ここにいるのは私とルディと神父様の三人だけ。それ以外は森の中に散っていった。
神父様はフルフェイスを取って、仄暗い瞳を私に向けてくる。
いつまで経っても初恋を引きずるなんて、そういうところも、叔父と甥で似なくていいのに。
「そうだね。まずは私の目には黒い女性にしか見えなかった。だから世界の意思が形作ったものだと思った」
最初は黒い手だった。龍神の女将さんを逃がすまいとしていた手。その次が私達を常闇に引きずり込もうとしていた女性の姿をした存在。それはどうも初代の月の聖女と黒狐の王妃が同化した存在だとわかった。
「そしてその存在は夜叉がいた場所に常闇の上に立つように存在していた。これは夜叉を地上に逃さない為の蓋の役目をしていたのではと考えたの」
「蓋」
「その女性が見えていたというのが、酒吞と茨木。そして、異形の一種だと思われる蛇共とその鳥だけ」
「アンジュ。精霊が異形の一種とはどういうことですか?」
神父様が疑問に思うのも無理ないかもしれない。
「青嵐。月影。人の姿になってみて」
『御意』
『御意』
空中をうねうねと漂っていた蛇共は、地面に身を伏したかと思うと、全体的に縮まって人の形に姿を変えた。
「人の姿に……確かに異形と同じですね」
「そしてその鳥は恐らく朱雀ではないのかな?」
『主の慧眼に感服いたす』
『流石、我が主』
中華風の甲冑を身に着けた蛇共に褒められても、嬉しくないけど?まぁ、神父様の肩に止まっている赤い鳥は朱雀だとわかったのでいい。
「異形にしか見えないってことは、霊体か何かであって、本当にその場には存在しないモノってこと。神父様、これはダンジョンの時と同じ。付け入られる隙をつくったら駄目なんだよ」
「そうですね。エリスはもうこの世にはいません」
はぁ、裏切られたというのに、どうしてこうも神父様の心は、先代の月の聖女に囚われているのだろう。
「神父様。その鳥はルディの母親のことを知っていたということは、石の状態のままでも意識があったのだと思うよ。いい精霊で良かったね」
恐らくこれに関しては私は何も言えない。死者は思い出にしか存在しないのだから。
強いて言うなら、シスターマリアぐらいなのかもしれない。だから二人はキルクスという王都から離れた地に居続けたのかもしれない。
王都は思い出が多すぎるだろうから。
私は地面に転がっている何も変哲もない石を拾い上げる。丁度、夜叉が常闇に呑まれ、黒い女性が立っていたところだ。
「『巫山の夢』」
あとは本人にどうにかしてもらうかだね。
術を掛けた石を神父様に差し出す。
「これ、休むときに枕元に置いてみるといいよ」
「これは?」
「神女に会えるかもね」
「シンニョ?」
楚の懷王は巫山の神女と夢で密会したらしいからね。




