319 これは始まりの終わりだ
『民を虐殺する暴君はわたくしが始末いたします!』
女性の声が黒いモヤモヤから聞こえてくる。私はそろそろ自分の目を耳を疑いだした。
何故にもっとまともに機能しない!他の人が黒い狐に見えているというのに!何故に黒いモヤ!
ん? 黒いモヤ?
言葉が聞こえているのが、私と酒吞と茨木だけ……その前に聞こえた何かを調節するような砂嵐のような雑音。
「黒いケモノの方が分が悪そうですね」
神父様が黒い狐が獅子王に押されていると実況してくれるけど、私には獅子王が黒いモヤに向かって剣を振るっているようにしか見えない。
そして這い出してきた黒い穴にまで追い詰められてしまった黒いモヤ。駄目だ。私の目から見れば全く臨場感のない絵面だ。
「ねぇ。黒い狐ってどんな状態?満身創痍って感じ?」
「ああ、尻尾が4本切られて、身体も方も傷ついて血が止まらない感じだな」
ルディが説明してくれたけど、そうか地面に黒いモヤが固まってあると思ったらそれは切られた尻尾だったのか。
『τετυΕοπιιΓψνμθε‼』
獅子王が何かを叫んで、剣を大きく振り上げて、黒いモヤに向かって勢いよく斬りつけた。
そして黒いモヤは黒い穴に向かって落ちていく。
獅子王は黒狐の王妃だった者を殺した。全ての獣人を殺した獅子王は空に向かって咆哮のような叫び声を上げる。
その声に乗せている感情は勝利を意味するのか、嘆きを意味しているのか、獅子王の背中しか見えない私にはわからなかった。
獅子王が王城の方に足を進めようとしたその時、世界が揺れた。また世界に穴が空き、異界のモノを取り込もうとしているのだろうか。
いや、黒い穴だ。黒狐の王妃が落とされた世界の穴だ。世界に食べられたはずの黒狐が落ちた穴から声とも音とも言えないモノが世界を震わせているのだ。
……世界に食べられた?ちょっと待ってもしかしてこの思い込みがそもそも間違っていたとしたら?
これは始まりの終わりだ。一つの節目を私達は見せつけられている。
「聖王は世界の力を使って獣人に永劫の肉体を与え、望みが叶う楽園を作り上げた」
これが全ての始まりだ。
「でも、世界の力は枯渇し、世界は新たな力を得た。その力は人々を介して獣人を殺す刃となった」
そもそもだ。世界は新たな力をどこから得たのか。それは今は問題ではない。この感じだと魔物と同じ様に他の世界から取り込んだのだろう。
「それが更に世界の力を枯渇する原因となり、更に新たな力を得る為に魔のモノを呼び込んだ。これは獣人も人も殺すためだった」
「え?」
けれど獅子王は己の力で、緑の手の女性の女性は世界から奪った聖痕の力でその種族を守ることに成功した。
「獣人も人も生き続ける世界は死を迎えようとしていた。恐らく王はこれに気がついたのだろうね。だから人に力を世界に還すように説得しようとした」
これがあの極寒の地で獅子王と人々がもめていたことなのだろう。だけど人の身には聖痕という形で世界の力を取り込んでいたために、力を還すということは死を意味していた。
「そして王は決断した。世界を生かすために獣人を手に掛けることを……まだこの時は世界は死んだ獣人を取り込もうとしていない」
「確かに切られた死体はそのままですね」
そう、神父様が言っているとおり、獅子王に斬られて動くことがなくなった獣人たちの躯はそのまま放置されている。
この時点では世界はまだ、世界の力を身の内に取り込んだ者を捕食しよういう行動は出ていない。
ということは、黒い穴に落ちていった獣人たちは、死にかけのもろくなった世界の穴に落ちていき、違う世界に渡ったとしたら、その力は永劫に回収事はできない。
なんとも言えない音が出て、世界を震えさせている黒い穴から、黒いモヤが噴出しだした。
「ぎゃ!常闇のモヤ!」
「何を言っているんだ?アンジュ」
「そろそろ進んでも良いんじゃないのか?」
え?またしても見えているのは私だけ?それも獅子王もそのまま王城の方に行ってしまっているよ!
「黒い穴から常闇のモヤが出てきているんだって!さっきから嫌な予感しかしないから、まだ動かないよ。行きたいなら神父様の結界を出て一人で行ってよね。ファル様」
「いや、結界ごと動くのは問題ないだろう?」
そうこの結界が私達の命綱だと言っていい。神父様は残りの階層は保つと言っているものの、この先は更に慎重に進まないと、絶対にろくな事がないと思っている。
『許しませぬ。許しませぬ。ユルしませぬ。ユルしませぬ。ユルシマセヌ。ユルシマセヌ。ユルシマセヌ。ユルシマセヌ。ユルシマセヌ。ユルシマセヌ。ユルシマセヌ。ユルシマセヌ。ユルシマセヌ。ユルシマセヌ』
地獄から怨嗟が聞こえてきた。いや、黒いモヤからだけどね。
黒いモヤが吹き出している中から更に黒いモヤの塊が現れた。なんか触手みたいな黒いウネウネしているモノが出ているけど、コレ黒狐の王妃で合っているよね?




