308 獣人という存在
「あ?獣人と魔獣は違うだろう?」
ファルが意味がわからないと言ってきた。
違和感はあったのに、私は今まで気づくことができなかったから、わからないというのもわかる。
鳥はいるんだよ。この世界に。だけど、昨日のルディの言葉で思い返してみると、獣という動物を見たことがないのだ。それは教会で監視生活を送っていて、自由がほとんど無かったというのもある。聖騎士団でもほとんど自由がないものある。
でも第13部隊のぽつんと一軒家の詰め所は、森の中にあるのだから、小動物を見かけてもよさそうなのに、一度も見たことが無かったのだ。
しかし魔物はいる。ネズミと言うには大きな魔ネズミという人を襲う魔物はいる。角が生えて蹴りの威力が強い魔兎もいる。だけど、普通の動物と言われるものがいない。
騎獣はいるだけどあれも元々は魔獣を調教したものに過ぎない。
私は動物型のはその動物が魔物化したものだと思っていた……そう、思い込んでいた。
しかし、ここで魔物は他の世界からやってきたものだと証明されてしまった。そうすると動物が魔物化した説は消え、代わりに獣人という存在が元々は獣だったのではないのかという説が出てきた。動物という種が進化して獣人となった説が浮上してくる。
「獣人は外見上でも獣の特性を残しているから、第2形態として獣化できるんじゃないのかな?」
「それは獣人が魔獣になるということですか?それは危険ですね」
神父様が私の言葉を再確認してきた。そう獣人が獣に変化する。これが本当であれば、人々の怯えようもわかるというもの。
でも、危険ってなに?獣人が獣化したからって、誰も彼もを無差別に襲わないと思うけど?
「アンジュ様。話が噛み合っていないように思えます」
「え?」
茨木、話が噛み合ってないってどういうこと?私は獣人が獣化する話をしているだけ。
「昨日、犬の話をされたときと同じです。彼らの中で犬は魔狼です」
はっ!犬=魔狼かと言われれば、犬は魔狼のように有無を言わずに襲ってはこない。
「そう言われると説明しにくい」
存在しないものを説明しろと言われるほど難しいことはない。それに今は魔術が使えないので、魔術で見せることもできない。
「まぁ、あれだ。黒狐が四つ足の獣になったからといって、人は襲わねーだろう?」
「理性は残りますからね」
鬼の二人がフォローしてくれた。朧が獣化しても、人を襲うことは無いだろう。仕事なら別だろうけど、彼らは王族の意に反する行動はできないのだから。
……朧って狐の姿になれるってこと!
「もふもふ!」
「アンジュ様が頼めば黒狐の姿になってくれると思いますよ」
私の言葉を拾った茨木がクスクスと笑いながら教えてくれた。よし、一度頼んでみよう。だって私のペットはヘビしかいないのだから。
「アンジュ。それは人々を抑えつけるために、獣人はジュウカという姿になって脅していたということか?」
「そうだね。反撃に出ているのが、あの銀髪の人だけだから、普通の人には獣の姿は思考能力を低下させる程のことなんだろうね」
ルディの言葉に肯定した私は、眼下に視線を向ける。彼は今までの戦いで戦い方を実践で学んできたのだろう。火の魔術以外を使うようになっていた。
しかし、彼一人で全ての人々を守れるかといえば、無理だ。漆黒の常闇から次々に魔物は溢れ出てくるのだ。
「こうなってしまえば、どうするかなぁ」
ただ一人戦う事ができる銀髪の男性。その周りでは抵抗力を持たない人々が魔物の餌食となっている。恐怖で動けない者も、逃げれても魔物に追いつかれ背後から襲われる者も、魔術を使おうとして平常心が保てず術が発動しない者も、地に倒れていくのだ。
そして、私達はそれを見せつけられている。お前たちはそこで、指でも咥えて見ていろと言わんばかりに。
だから、私は考える。自分自身がこのような立場になったらどうするかを。でも、考えても、私ならこれぐらい瞬殺だ。たとえ、聖痕か魔術のどちらかを封じられても可能だ。考えるのは無駄だった。
ああ……胸糞悪い。
「逃げの一手ですね」
神父様が私のどうでもいい話に乗ってきた。私達は何もできない。この阿鼻叫喚の血生臭い惨劇を見るしかできないのだ。
「しかし、リュミエール神父。これだけの人数を逃がすのは無理です」
ファルも話に乗ってきた。そして、神父様の案を否定する。既に街と称していいほどの人々が集まってきている。逃がすといっても戦力が足りない。人々を扇動する者と殿が幾人か必要だ。既に詰んでいる。
「ファルークス。月の聖女だけ抱えて逃げればいい」
ルディが究極の選択肢を言ってきた。月の聖女以外をすべて切り捨てると。でも、この状況では助けられる命は二つ。戦える彼ともう一人だけ。
そう月の聖女か緑の手を持つ女性のどちらかしか、この状況では助けられない。




