278 トラウマ
「陛下の剣か」
ファルはそう呟いて、俯いてしまった。
「それは思ってもみなかった。俺はずっと父親殺しの業を背負っていくものだと思っていた」
「そういうやつは、白銀の王様に任せてしまえばいい。あの人ならあっけらかんとして、受け入れると思う」
貴族嫌いの王様はそんなこと大したことはないと言いそうだからね。
「そうか」
そう言ってファルは黙ってしまった。少し一人になる時間が必要だろう。肩が震えているファルの足元に魔道ランプを置く。
「ファル様。私はルディのところに行ってくるから、ここで待っていてよね」
私は俯いているファルを残して暗闇の中に足を踏み出した。私はこれ以上ファルを慰めたりしないよ。ファルにはルディを支える人として立って欲しいからね。
思っていたより暗闇を見通せる中、私は宙を滑るように進んでいく。ん?いや、これはもしかして?
私は右目の前に手をかざす。右手が光っているよ!違った、右目に隠した天使の聖痕が光っているよ!
え?いつから光っていた?これって右目が光っている怪しい人だよね。
まぁいい。ここには知り合いしかいないから、見つかっても私だと認識してくれるだろう。
天使の聖痕のお陰で、視界が良好な暗闇を進んでいくと、全く先が見通せないところに来てしまった。そして、さっきから冷や汗が止まらない。背中につっーと汗が流れていく。
視界が悪い上にこの殺気。いったいどんなトラウマを見せられているのか。私は右目に手を当てて、天使の聖痕を取り出し頭上に掲げる。
王冠のような輪は強い光を放ち、暗闇を照らしていく。その暗闇の中に、闇を纏ったルディを発見。あー。近づきたくない。周りに黒い何かがうごめいている。アレ何?生き物?
深呼吸を繰り返して、空間を滑るようにルディに近づいていく。
魔術が使えるのならこの闇を払うような、創作魔術を使うのだけど、聖痕の力しか使えないとなると、私は闇に突っ込んでいくことしかできない。
ルディの前まできたけれど、『ぶっ殺す』とか『鏖だ』とか『簡単に死なすものか』とか言っている。それも瞳孔が開いた魔王様が言っているのだ。
これで正気に戻るかわからないけど、試してみるか。
「『禍福は糾える縄の如し、されど一陽来復を希有ことも、また人の生なり』」
この世は所詮、幸福も不幸も縄のように表裏を成しているものだ。しかし、冬がくれば必ず春がくるように、不幸があれば幸福がくる、それもまた人の生というものだ。
以前、ルディに使った天使の聖痕の癒やし。
すると辺りが真っ白になるほどの光が満たされる。
「ぎゃ!眩しい!使用者の私のことを考えてよ!」
目に残像が残る眩しさに、思わず手で目を覆う。自分で使っておきながら、これは無いだろうと文句を言っても、その文句は聖痕を使った私に返ってくるだけだ。
いや、このダンジョンを構築した奴に文句を言いたい。聖痕の力なんて普通でいい!
「アンジュ?」
ルディの声に両手を下ろそうとすれば、いきなり腕を引っ張られ、ルディに捕獲されていた。
「本物?」
「天使の聖痕付けている偽物がいたら凄いよ」
そんな偽物がいたら、その偽物に全てを押し付けて私は旅に出るよ。
「生きていた」
「私は一度も死んでいないよ」
徐々に身体が締め付けられているのは気の所為だろうか。
「生きてる。生きてる。生きてる」
駄目だ。ルディが壊れている。いや、夏に再開したときと同じ状況になっている気がする。そして、内臓がはみ出そうなほど絞められていっている。これは私の生命の危機だ。
「ルディ。痛い」
私は訴えてみるも、ルディは私の声が聞こえていないのか。締め続けている。
両手は目を覆っていたお陰で自由だ。だから、ルディに落ち着くように黒髪の頭の撫ぜる。
「私は普通に生きているからね。だから、力を緩めて欲しい」
「アンジュ。キスしていいか?」
力を緩めたルディは私の顔を見ながら、おかしなことを言った。
「イヤ」
勿論断わる。ここをどこだと思っているのか。王城の地下のダンジョンだ。
「また、アンジュを失ってしまった俺には、アンジュが足りない」
「私は死んでないからね。それはダンジョンにトラウマを見せられただけだからね。さっきまで一緒だったからね」
私はいやいやと首を横に振る。しかし、身体強化が使えず、魔術も使えない私に抵抗する術はなく、ルディに口づけされるのだった。




