169 血の海の上に立つ死神
「ごめん。私、貴女のバカさ加減はかばい切れない」
「私を馬鹿にして、貴女ただで済むと思っているの?私は聖女なのよ!」
私が漏らした言葉に、聖女であることを主張して脅しの言葉を言う聖女シェーン。私はそんな彼女に、ため息しかでない。聖女となれば、何もかもまかり通ると思っているのだろう。だからといって、言っていいことと悪いことがあるという分別は持たなければならない。
人のトラウマを呼び起こし、悪くないと言いながら脅しのように貴方が殺したと言い切る性格の悪さ。
国が隠している事をまるで自分に正当性があるように真実を口にする愚かしさ。
私は視線を上げ貴賓室を見る。ああ、恐ろしい。恐ろしい。
彼女の目の前には今にも刀を振ろうしている魔王様。背後には血の海の上に立つ死神。
彼女をどうするかは、彼に任せるべきだろう。私はルディの耳元でささやく。
「ルディ。王の影の人が居る。ここは、白銀の王様に任せるべきだと思う」
すると、ルディの力が緩み、私と同じ方向に視線を向けた。そして、刀を鞘に収め地に跪いた。
ルディの行動にこの場にいた第6部隊長と双子の兄弟も視線を巡らし、慌てて同じ様に地に跪く。
その姿は、まるで聖女に対して跪いているように見えるが、彼らが頭下げているのは血の海の中に立つ国王だ。
だが、彼女はその姿にいい気分になったのだろう。満面の笑みを浮かべてルディの方に足を向けてきた。
「まぁ、婚約者の私にそのようなことをすることはないですよ?」
『ちっ!』っと、どこからか舌打ちが聞こえてきた。方向から第6部隊長からと思われる。
その聖女の背後に足音もなく忍び寄る死神の姿。赤い海の上に立ち、怨嗟がまるで子守唄かのように、あの白銀の王様とそっくりな笑顔を浮かべる死神が、瞬間移動したかのように彼女の背後に立った。
そして、突然前のめりに倒れる聖女シェーン。
「頭が高い」
そう、死神が聖女を蹴飛ばしたのだ。
何が起こった理解出来ない聖女シェーンは怒りの表情を見せながら、振り返る。
「誰よ!私は聖女なのよ!こんな事をしていいと思って····」
彼女は背後にいる人物が誰か気がついたのだろう。私からは表情をうかがい知ることができないが、きっと驚いた表情をしているのだろう。
「いいと思っている。余を誰だと思っている?」
「私、知っているわ」
え?本人を目の前にして言うの?
「あんたって···イッ!」
思わず聖女シェーンの口を塞ぐために、デコピンのように指先を弾く。ただ弾いただけではない。私の魔力の塊を彼女の頭に軽く当てたのだ。言わば、小石が当たった程度の痛みだ。大したことはない。
その行動が不快だという視線が死神からバシバシ感じる。ここで、彼女を消されてしまったら、私が困る。
死神は聖女シェーンの桜色の髪を鷲掴みして、視線を己に無理やり合わせる。
「痛い!」
「余はこの国の王だ。聖女は余より偉いものか?」
そして、ぼそりと本来の声であろう聞いたこともない声が低くこの場を満たした。
「この国の王に取って代わろうとする愚かな女など斬って捨てるべきだと進言したが、あの方はお認めにならなかった。お前の役目は伝えたはずだ。その血を繋げる事がお前の役目だと」
どこから取り出したのか見えなかったけれど、短剣を手にした死神は震える身体を支えている彼女の手を突き刺したのだ。手の甲から地面を縫い付けるように、深々と突き刺した。
最初は何が起こったのか理解出来なかったのか、彼女は呆然と地面に付いている自分の手を見ている。
「余がシュレインとの婚約を認めたのはそこのアンジュであり、お前ではない」
死神はきっぱりと言い切ったが、恐らく彼女の耳には届いて居ない。遅れて痛みが襲って来たのか、耳が痛いほどの叫び声を上げている。
その聖女に容赦のない制裁を加えた死神がこちらに足を向けてきた。こちらに死神が向かって来ているということは、血の海も共に移動してきているということだ。
ルディの前で立ち止まるかと思いきや、何故か死神は私の前にいる。え?今度は私が標的ってこと!
その死神は私の目を見るように顔を傾け、かがんできた。私は王としている死神が私に視線を合わせるようにかがんできたことより、足元に広がる血の海の方が気になって仕方がなかった。血の海に顔が浮かんでいますけど?
「貴女には感謝をしてもしきれない。我が個人で出来ることはこれぐらだ」
そう言って、私の首に何を掛けてきた。これ、徐々に締まっていく首輪とかじゃないよね。
「我が主に与えられた祝福の対価としては足りないだろうが、『黒狼の笛』だ。必要があれば使うといい」
黒狼の笛···これは何を呼び寄せる笛ですか?地獄から何を呼び出す笛ですか?
聞こうかどうかと迷っていると、死神はその場から消え去ってしまった。そう、血の海も忽然と消えたのだ。
鎖に繋がれた黒い笛は何を呼び寄せる笛か聞き出せなかった私は、使わないでおこうと心に決めた。いや、対魔王の武器に成り得るだろうか。私は真剣に考えてしまった。
しかし、短剣が刺さったぐらいでうるさいなぁ。聖女を名乗るのであれば、自分で治せばいいのにと思いながら、私はルディに帰るように促すのだった。




