天使への想い
アティリオ目線です。
「それにしてもあれは天使だったな。いや、女神か」
ラミエルがソファに腰掛けた。
ラミエルとはよくこうして仕事終わりの時間を過ごす。この時間だけは王子と側近ではなくただの幼なじみだ。
「ネフェリアーナ嬢か」
「ああ。決して表舞台に出てこない。世にも美しいと言われているが確かめることが難しい。しかし会ったことがある者は誰もが口を揃える『一瞬で虜になる』。バルドメオの妖精とはよく言ったもんだ。」
「バルドメオの妖精か」
目の前に立つ彼女を見た瞬間、私は思わず跪きそうになった。まるで神の御前に立たされたような感覚に陥ったのだ。
絹糸のように細くウェーブした金色の長い髪と溶けてしまいそうに白く透明できめ細やかな肌。
窓からの陽光に照らされた彼女はまさに後光差す天使か女神…いや、天使であり女神でもあった。
しかし、その彼女は私と目が合った次の瞬間…敢えて言おう、あろうことか、この私を押しのけたのだ。
これでも幼い頃から容姿に関して申し分ないと言われてきた。
令嬢からの熱い視線も尋常ではなかった。
視線だけで女性を落とせる(実際はもう少し下品な言い回しだったが)とまで言われていた。
そして何より王子だ。それなりの圧を持っていると秘かに自負していたのだが…。
彼女は私を押しのけた。一瞬の迷いもなく。
…しかし私はなぜかそれが妙に痛快だった。
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兄が城から抜け出したとラミエルからの伝言を聞いた私は一気に頭に血がのぼった。
冷静さを失わないよう必死で自分を律しながら、念の為王宮付き医師に同行するよう命じ馬に跨った。
「やめてくれ兄上。これ以上、私を失望させないでくれ。」
焦り、怒り、失望、早る気持ちに息が荒くなっていたが、彼女に押しのけられた瞬間、私の中の緊張の糸が切れた。ふっと身体から力が抜けなぜか妙に冷静になり落ち着けたのだ。不思議な瞬間だった。
そしてその後、期せずして抱きかかえることとなった彼女の細く柔らかく軽い身体。漂う彼女の芳香。最悪な状況にも関わらず、私は自分の心が浮き足立ち歓喜に満ちていることを感じ、必死で隠した。
心を隠して振る舞うのは王子として基本中の基本。得意分野で良かった。
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「ふっ、まさか妖精が前掛けをして大事なイチモツを踏みつけている瞬間を見れるとは!」
ラミエルは楽しくて仕方ない様子で笑った。
「お前にも見せてやりたかったよ。あれは最高だった。」
「ああ、是非見たかったな」
私もその場面を想像して笑った。
彼女が前掛けをして孤児院にいた理由は先刻会見したバルドメオ公爵から聞くこととなった。
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孤児院から戻った私はすぐに兄の幽閉を宣告し、バルドメオ公爵と連絡をとるよう指示した。
所用で近くにいたという公爵はすぐに王宮へやってきた。
「む、娘が?何か失礼をいたしませんでしたでしょうか?」
「いや、ネフェリアーナ嬢のお陰で第一王子は罪人にならずに済んだのだ。むしろ感謝している。」
一連の出来事を公爵に説明し終わると、彼は私の配慮に感謝と敬意の言葉を述べた。
たださすがに自分の娘がその場に居合わせたことに驚きは隠せないようで、何故か妙にあたふたとした。
…ラミエルが喜ぶ彼女の『勇姿』は一応伏せておいたのだが。
「娘は幼い時からよく熱を出し臥せることが多かった為学院にも行かさず、人の多い場所も避けておりました。
しかし好奇心が強く、また令嬢と言うにはお恥ずかしいお転婆ぶりで…まぁ我が城内ではいいかと好きさせておりましたら…
嗜みである裁縫だけでは飽き足らず、料理、庭仕事、果ては掃除に至るまで、およそ令嬢らしからぬことにまで興味が及ぶようで。」
「なるほど、おもしろいではないか。屈指の高位公爵であるあなたの娘が庭仕事に掃除まで」
今や彼女を知っている私は自然と笑みがこぼれた。
「恐れ多いことで。お恥ずかしい限りです。」
「それにしてもなぜ孤児院に?」
「はぁ、それが…数年前に何を思ったか孤児院に手伝いに行かせてほしいと珍しく強く主張しまして。
まぁ一通りの働きは出来るかと思い、我が領地内でもありますしシスターの迷惑にならないのならばと許したのでございます。
娘にはきょうだいもおらず、本来学院で出来るような友人もおりません。孤児院で子ども達と過ごせることが大変楽しいようで。」
「弱々しく可憐に見えるが、なかなか逞しく心根も素晴らしい娘だ。そなたの育て方が良かったのだろう。」
背が高く体格もしっかりした強面の公爵が急に柔らかい父の顔になり
「ありがたいお言葉、恐縮でございます」
と頭を下げた。
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「そうだ!忘れていた」
ラミエルは急に大きな声をあげると、上着の胸ポケットから封筒を取り出し私の目の前に置いた。
「天使の手紙だ」
「?」
「お前を待つ間、彼女はこの手紙を書いていたのだ。そして私に『両親に渡してくれ』と預けてきたんだ。
」
「どういう状況?」
「可哀想に天使はあのまま牢にでも引っ張って行かれて、二度と両親には会えないと思い込んでいたのだ。」
「なるほど。」
「で、せめて手紙を、てことだ。」
「返さなかったのか?」
「忘れていたし、忘れたフリをした。」
「なんなんだ」
「まぁ一応あの状況において書かれたものだ、検閲はしておいたほうがいい。天使か悪魔か判別は必要だろ?」
『検閲』という言葉にほだされ私は彼女の手紙を読んだ。そしてラミエルにも読むよう促した。
「本物の天使だったな。恐れ入った。」
ラミエルが天を仰いだ。
遺書とでも呼ぶべき彼女の手紙は不要になった自分のドレスや宝石は売払い、世話になった孤児院に寄付してほしいと事細かに指示されたものだった。
重い処罰を覚悟した少女が最後に残すには余りにも慈悲に満ちた内容に私は言葉も出なかった。
そして更に私を驚かせたのは彼女の文字だ。
そこからは心の迷いや動揺は感じられない、優雅で美しく堂々とした文字が並んでいた。
彼女はあの場にあって心穏やかにいたのだ。
「どうだ、彼女なら家柄、容姿、人格、どれをとっても問題ないと思うが」
ラミエルの言いたいことはすぐに理解できた。
私は即答した。
「天使に我が一族の呪いを背負わせるのか?論外だ。」
ーーーウソだ。
彼女と孤児院で別れてから私はそのことしか考えていなかった。
彼女のことしか頭に浮かばなかった。
彼女とまた会いたい。
彼女の柔らかそうな頬に触れてみたい。
あの華奢な身体を抱きしめてみたい。
彼女を自分のものに出来たら…
これから先、自分の隣に彼女がいてくれたら…
でもそれは私が最も考えてはいけないことなのだ。