第一話 初めての【土下座】
新作です!よろしくお願いします。
「サイラスよ。いい加減、貴様の今までの所業の重さが身に染みたであろう? その身体の痛みがその重さ……否、これでも足りぬほどだ」
「旦那様、どうかその辺りでおやめ下さいませ……! 旦那様のお子が、サイラスが死んでしまいますッ……!」
「放せカサンドラよ。お主が散々に甘やかしてきたが故に、事今日に及んだのだ。私は既に此奴を、我が息子とは思っておらぬ。我等が家名を没収しようと考えているほどなのだ……!」
……はッ!? え、えーと……どういう状況だ?
そうだ……僕は日頃の悪行の数々で遂に父上を怒らせて、それで――――アガッ!? いたたッ!? 身体中が痛いッッ!!??
……ああ、そうだった。
我慢と僕の尻拭いの限界に達した父上から叱責され、成人祝いにと贈られた僕の剣で、全身を滅多打ちにされていたんだった……!
それで意識が遠のいて……そして、僕の前世らしき記憶を取り戻したんだった……!
◆
前世での僕の名前は四ノ宮夏月といった。地球という世界の日本という島国で、とある会社の営業部の社畜課長として働いていた。
〝課長〟なのに〝社畜〟なのかって?
ああそうだとも。
課長とは名ばかりの、〝謝罪要員〟だったんだよ、僕は。
部下の失態を言及されては代わりに謝罪し、部長以上の上司に責任追及されては謝罪し、数多ある取り引き先からの苦情を押し付けられては謝罪し……。
それだけ身を粉にして働いて、汚名を被りに被って、そんな僕に着いた渾名は……〝土下座課長〟や〝土下座衛門〟だった。
上司からも同期からも部下からも、あまつさえ新年度卒の新人社員からも、侮られ蔑まれ貶され尽くして……。
そんな生きているのか死んでいるのか判らないような社畜の日々を、ただ諦観と共に過ごしていたある日。
あの日はそう、新年度の新入社員の歓迎会という名の、部長始め上司達の〝俺偉い演説〟を延々と聞かされる飲み会の日だった。
「オラァ土下座衛門ッ! 二次会の店が取れねぇってのはどういうコトだコラァ!?」
「すみませんッ!! 何処も満席で、飛び入りは難しいそうで……ッ!」
「それを何とかすんのがテメェの仕事だろうがよッ!? 何頭上げてんだコラァッ!?」
僕は煌々とネオン等の夜の光に照らされた街頭で、多くの社員に囲まれた中で部長に向かって土下座をしていた。
頭を踏まれ額をアスファルトに擦り付けられて、幹事である部長の失態の責任を、革靴の質感と共に僕の後頭部に感じていた。
「まあまあ〇〇君。ここは仲の良いグループ毎に分かれて、少人数でそれぞれ楽しんでもらう事にしよう。ホラ、人目も有ることだしね、我々部長組は、社長始め役員の方々と良い所に行こうじゃないか」
「企画部の△△部長……。そうですな! こんなクズな部下に時間を取られては勿体ないですからな! おら土下座衛門! いつまでも縮こまってんじゃねぇよ!? 亀かテメェは!? さっさと上司様の荷物を持ちやがれッ!!」
「あがッッ!!??」
僕の直属のクソ上司、〇〇部長――名前なんて憶えてなかった――に思い切り蹴り飛ばされ、道路に派手に転がった。
痛みですぐには起き上がれなかった僕の耳に、沢山の悲鳴や『おいヤバイぞ!?』という怒鳴り声、そして……車のブレーキ音が聴こえた。
顔を上げた僕の視界には、直視できないほどの眩い二つの明かりが、一杯に拡がっていたんだ――――
◆
「聞いているのか、サイラスッ!!」
前世の最期の記憶を無意識に反芻していた僕に、父上――ゴトフリート・ヴァン・シャムール公爵の大音声が叩き付けられ、思わず身体を震わせる。
折檻による全身の打撲の痛みに耐えながら見上げると、そこには憤怒をその瞳に燃やしている、僕と同じシャンパンゴールドの髪を短く刈り上げた父上の、失望と諦めの込もった怒り顔が。
「もう……し、わけ……」
「聴こえぬわ!! ハッキリと喋らんかッ!!」
激しい叱責の声に身が竦むが、僕は前世のどうしようもない記憶と共に、自身がどれだけ父上に迷惑を掛けてきたのかも、思い出していた。
だから――――
「も……申し訳、ありません……ッ!」
謝罪した。
その瞬間、頭の中に無機質な声――前世で言えばアナウンスかな――が響いた。
《心よりの誠意ある謝罪を確認しました。ユニークスキル【土下座】をアクティベートします》
何だそれは、と戸惑う暇もなくソレは発動し、僕の身体は操られるようにして、滑らかに動き出した。
折檻の痛みなど関係無く僕は身体を起こし、両膝を揃えて曲げて床に座り、両手を床に敷かれた絨毯に突いて、勢いよく頭を振り下ろした――――
――――ゴヅンッ!!
「…………何のつもりだ、ソレは?」
僕自身も訳が分からないが、それはいきなりこんな行動を取られた父上や義母上――カサンドラと呼ばれた、先程から僕を父上から庇ってくれている女性だ――も同じだろう。
だけどさっきのアナウンス以降、そして前世の記憶が甦って以降……何となくだけれど、コレが最上級の謝意を示す所作だという事だけは、理解できた。
故に僕は――――
「これ迄の度重なる、数え切れぬほどの不始末。父上に……ゴトフリート・ヴァン・シャムール公爵閣下に伏してお詫び申し上げます……!」
「なんだと……?」
僕は謝罪の言葉を述べた。決して頭を上げず、誠心誠意を込めて、言葉を搾り出した。
そう。前世のあの僕……〝土下座衛門〟と揶揄され罵倒されていた彼――四ノ宮夏月のように。
《ユニークスキル【土下座】の効果波及を確認。対象:ゴトフリート・ヴァン・シャムールの敵愾心及び害意が50%低下しました。危険域を脱するには、残り20%低下させる必要が有ります》
再び頭の中に鳴り響いたアナウンスに、僕はこの【土下座】というものの効果を理解すると共に、戦慄する。
なんて……恐ろしいスキルなんだ……!
「……それが貴様の、貴様なりの謝罪ということか」
父上が戸惑うように、訝しむように声を掛けてくる。
それもその筈だ。今まで僕は、今も父上の傍らに立って居るであろう義母上――父上の後妻に庇われて、真面に謝罪をした事など無かったのだから。
「このような事如きで過去を無かった事には出来ません。ですがせめて、愚かな息子の謝意を、伝えたく存じます……!」
前世の〝土下座課長〟時代を思い出したからなのか、僕の口からは謝罪の言葉が、スラスラと淀みなく紡がれていく。
いや、どんだけ謝り通してくればこんな事になるんだよ……! 正直、四ノ宮夏月への同情を禁じ得ない思いだ……!
《ユニークスキル【土下座】の効果の追加波及を確認。対象:ゴトフリート・ヴァン・シャムールの敵愾心及び害意が、追加で20%低下しました。危険域を脱しました。自身の身内であるために効果の波及が早かったと推測されます。解析報告を終了します》
頭の中に無機質な声が鳴り響く。
「……面を上げよ、サイラス」
父上の怒りを噛み殺したかのような声に、遅過ぎず早過ぎず頭を上げて、その顔を見上げる。
未だ瞳からは憤怒の火は消えていないことが窺えたが、声と所作には落ち着きが戻っているように感じた。
「……家名の没収だけは、その誠意に免じて取り止めよう。だが貴様には、自身が積み重ねた汚名を雪ぐ事を命ずる。公爵家より出て、貴様が貶めた我が公爵家の名誉を取り戻すのだ。そしてそれが出来るまでは我が家に立ち入る事は許さん。この十五の成人の祝いに貴様に与えた宝剣も、それまで私が預かっておく」
「……寛大なお言葉、深く感謝致します……!」
父上のその言葉は、実質的には追放と変わらなかった。
だけど、僕が家名を名乗る事を許し、家の外でだけどやり直すための機会を与えてくれたのだと、今の僕には理解出来た。
「その傷が癒えるまでは置いてやろう。だが癒えた暁には、直ちにこの家から出て行くのだ」
そう言い残し、父上は部屋から出て行った。
それを見送った僕に、最初から最後まで僕を父上から庇ってくれていた義母上が歩み寄ってきて、優しく僕の身体を起こしてくれる。
「大丈夫ですか、サイラス……? 守ってあげられなかった母を許してください……」
何を言っているのだ、この女性は。
今まで……僕が八歳の頃に実の母を事故で失い、それから荒れていった中で。
僕が十歳の頃に、義理の妹となるエリザベスを連れて公爵家に嫁ぎ、それからは自身の評判の低下も厭わずに、このどうしようもない僕を庇い続けてきてくれたというのに。
「義母上には、今までに散々護られてきました。そして今この時も、貴女は僕を助けようとしてくれています。今の今まで……愚か過ぎるこの僕を慈しみ、護ってきて下さった事……深く深く、感謝致します」
「サイラス……」
「エリザベスにお別れを言うのは辛いですが……己の愚かしさのせいですね。僕は家を出て、今までの自身の愚行を精算して参ります。そしてそれが成った暁にはここに戻り、愛する妹のエリザベスに改めて、誠心誠意謝ります。どうかこの愚息をお許し下さい、義母上」
「いいえ、いいえ……っ! 貴方は、突然娘共々この家に嫁いで来た私達母娘を、娘のエリザベスを、誰よりも深く慈しんで、愛してくれたではないですか……! この母には分かります! 貴方は、本当のお母上様の死に深く傷付いてしまっただけだと……! その繊細で心優しい貴方自身を、その心を護るために、粗暴に走っていただけなのだと……!」
「買い被り過ぎです、義母上。ですがお言葉のおかげで、新たな気付きを得られました。僕は八歳のあの時から、何一つ成長していないのだと。己の殻に閉じ篭って、傷付いた弱い自分から目を背け続けていただけなのだと。本当にありがとうございます、義母上」
「サイラス……!」
改めて、この女性に感謝を伝えられて良かった……。そう思いながら僕は痛む身体を引き摺って、自分の部屋へと戻って行ったのだ。