第9話『王都陥落。輝き始める矮星』
「まったく。ユキレイさんが付いていながら」
「返す言葉もあらへんわ」
ユキレイの腕の中では、乱れた服を申し訳程度に直したグウェンがぐすぐすとしゃくりあげている。
無垢な欲望の炎を燃え上がらせることで無理やり心を奮い立たせた彼女だったが、身体はまだ襲われたショックから脱し切れていないようだった。
「だがまあ、さすがにあたしでも予想できないよ」
幡随院 望が部屋の片隅に目をやった。そこには白目を剥き口から泡を吹く半裸の国王が昏倒していた。
「まさか、いい歳こいた国王様が窓から侵入してくるとは。しかも自分の城で」
なぜかバーバレラが気まずそうに明後日の方を見つめた。刀夜がここにいたら、彼女がかつて城の壁を魔法で爆破して望まぬ婚姻から脱走したエピソードを思い出したかもしれない。
「さて、これからどうするか……」
幡随院のメガネがきらりと光る。廊下の向こうから、「陛下! 陛下はいずこにおわす!?」と騒ぐ声が聞こえてきた。
「――ったく、しょうがねぇな。こんな間抜けなきっかけでおっぱじめることになるとは」
「運命が動くときというのは、存外そんなものですわ。重要なのは小さなきっかけを見逃さないことです」
「できれば、8人目の顔を見てからにしたかったなぁ」
「どうせこれから嫌ってほど見ることになるさ。共闘するにせよ、敵対するにせよ」
ユキレイが部屋の隅で伸びている国王の襟首を掴み、ズルズルと引きずってきた。
「ほな、行ってくるわ」
「はい。お気を付けて」
部屋を出ていくユキレイ。ほどなくして、
「へ、陛下!?」
「貴様! 何ということを!?」
「衛兵! あの痴れ者を取り押さえ――ぎゃああ!」
怒号と悲鳴。それらはみるみる内に数を増していく。
「わたくしたちも行きましょうか」
元世界の戦闘服を着せられたグウェンと、彼女の肩をそっと抱くバーバレラ。
「ああ。せいぜい、楽しいパーティを」
そんな彼女たちに背を向ける幡随院。
この世界の悪夢が始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇
グラスナック城の外れにある衛兵たちの宿舎に、エドワード・ナッシュはいた。日中の任務をこなし、自己鍛錬を終えて、彼は就寝までのひと時を仲間とのカードゲームでやり過ごしていた。
「なぁエド、あの件、考えてくれたか?」
話しかけてきたのは、浅黒い肌をした大男だった。鉄錆のような赤毛を長く伸ばしているが、まだ若いのに頭頂部は見事に禿げあがっており、前髪もわずかしか残っていない。
大男は瓶の芋酒をラッパ飲みし、アルコールの息とともに真面目な言葉を吐き出した。
「俺ァ衛兵ってやつがどうも向いてねぇ。俺が守りたかったのは貯めこまれた金貨だの、着飾った金持ち共だのじゃねぇんだ」
「ロルフ。声がでかい」
「ここにいたんじゃ、身体はなまる一方だし、心は腐る一方だ。俺たちの敵は、故郷を脅かす魔物共や異国人共であって、服装の乱れだの姿勢の悪さだのと戦っているんじゃねぇ」
ロルフの気持ちはエドワードにもよくわかる。2人は共に一兵卒からのたたき上げであり、前線で功を上げ、栄転の形でこの城に配属された。
俺たちが王都を守る。
そんな若々しい希望に燃えていたのは最初のひと月くらいだったろうか。
「これからは海の時代だぜ」
禿げた男の少年の目がエドワードをまっすぐに見つめる。
「魔王領で見ただろ? ドラゴンよりでけぇあの船を! 王都の奴らは想像すらできねぇみたいだが、俺たちは確かに見た!」
「ああ……」
ウェイン王国にも船はある。だが、彼らの言う船とは沿岸を巡るための移動手段に過ぎず、せいぜい20人前後の小隊が詰め込まれる程度の大きさである。
だが、エドワードとロルフがそんな船に乗って海上から魔王領を偵察した時、彼らは見たのだ。
魔王領沿岸を囲むように切り立つ二つの山脈。その隙間を掘って作られた人口の入り江に浮かぶ、長城と見紛うばかりに巨大な船が建造されつつある光景を。
肝がつぶれた。
同時に、震えるような興奮が体の内から沸き上がった。
自分たちは、確かに新しい時代を覗き見たのだという確信があった。
「なあエド。こんな衛兵なんか辞めちまおうぜ」
エドワードも、ここまではロルフに賛成できなくもない。
「俺たちで、船造ろうぜ!」
だが、この部分は理解できない。ロルフの言う船が、魔王領で見た超巨大船であることは明らかだった。あんなものを造るのは国家事業のレベルであり、個人が木を切ってどうこうするようなものではない。
自分が言えた口ではないが、ロルフは無教養なバカなのだ。その夢と希望に満ちた少年から時を止めたような純真さは嫌いではないが。その若さ幼さのエネルギーをもう少し頭髪に回せなかったものか。
そんな男たちの、現実に愚痴を言い、空想に思いを馳せる時間は早急に終わりを告げた。
「緊急! 緊急事態だ!」
悲鳴のような声とともに、急を告げるけたたましい鐘の音が宿舎に響き渡った。
「反乱だ! 招喚者たちの反乱だ!」
「隊長はどこだ!?」
「小娘相手に何をしている!?」
ロルフは禿げた頭をポリポリと掻いた。
「隊長は小娘にやられた傷を癒しに女と酒に浸っているさ。さて、どうするよ?」
「せっかく隊長が不在なんだ。好きにやろうか」
「エドのそういう単純バカなところ、嫌いじゃねぇぜ」
入り乱れる情報を総合すると、招喚者たちは3手に分かれて行動しているようだ。
バーバレラとグウェンは中庭へ。ユキレイは国王を引きずりながら宝物庫へ。ノゾムは聖ラザラス教会へ。
「教会は放っておこう」
エドワードの決断に、誰もがうなずいた。彼のもとに集まった兵士はみな、前線帰りと呼ばれる実戦経験豊富な者たちだった。
彼らに共通した認識として、教会がバカの一つ覚えのように『打倒魔王』を連呼しなければ無駄な戦いは起きずに済んだという思いがある。
彼ら前線帰りにとって、安全な場所から口を出してくる教会よりも、故郷の人々や土地を守るために戦う眼前の魔王軍の方に共感を覚えるくらいだった。
「ロルフ隊はあのレオタードのお姫様を止めろ。狙いは明らかにあの黒いゴーレムだ。アレを動かされたら……」
「ヤバいな。よくわからんが、あいつはヤバい。俺のハゲ頭がそう言ってる」
戦場におけるロルフのハゲ占いはよく当たる。
「ロルフ隊に人数を多く充てる。残った俺たちは国王陛下の救出に向かおう」
「あのユキレイって女も相当ヤバい。なにせ、近衛隊長を酒漬け女漬けに追い込んだヤツだ」
怒鳴り散らすだけが仕事だと思っているらしい近衛隊長の人柄を尊敬したことは1度もない。強いて言えば頭髪におけるロルフ以上の潔さくらいだ。だが、王国内でも屈指の豪傑だったことは間違いない。少なくとも、他のザコ兵士たちと共に十把一絡げにやられていい人物ではなかったはずだ。
「気を付けろよ」というロルフの渓谷に、「ああ」とエドワードは生返事をした。ロルフの稚気を笑えない、エドワードにも如何ともしがたい子供の部分があった。
捕らわれた国王などどうでもいい。
自分より強い者と戦いたい。
この世界で一番強いのはこの俺だ。
エドワードもまた、ロルフとは別な意味で衛兵に向いていない男だった。
◇ ◇ ◇
「この世には、余でも意のままにできぬものが3つある。ピングー山脈の風害、カードの引き、そしてラザラス教会の聖騎士共だ」
これはウェイン王国の先代王が遺した言葉である。どんなに強大な権力を手に入れても、自然と運には逆らえないという戒めと共に、俗世に口うるさく干渉してくる教会への皮肉が込められている。
そんな、大国の王ですら一目置かざるを得ない聖ラザラス教会に、1匹の獰猛な狂犬が嚙みつこうとしていた。狂犬は白くて、爛々と輝く金色の瞳をしていた。
聖ラザラス教会のグラスナック支部。そこは総本山に並ぶ巨大組織であり、不敬にも王城よりも高い『礼拝塔』を堂々と建設し、『権力者からの自衛』という名目で聖騎士団という武力を所持していた。
彼らの教義は『悪魔の加護を受けたものたちとの聖なる戦争』だった。悪を滅ぼした者が救われるという教えは、自分たちと毛色の違う者、少数部族などを宣教、教育の名のもとに迫害するという形で実践された。
弱い者いじめが神によって許された宗教。それが人気を得ないはずがなく、当然、信徒の数が増えれば増えるほど――彼らが多数派になればなるほど――宣教の波は勢いを増した。
そんな者たちの中から必然的に血の気の多い者が選ばれて編成された聖騎士団が温厚篤実な紳士であるはずもなく、礼拝塔の2階にある詰所には半ば強引に連れ込まれた若い女性とほとんど無料同然でかき集められた高級酒の瓶がそこかしこに転がっている有様だった。
「おい!」
そこへ、聖騎士の1人が駆け込んできた。
「ケンカだ! 招喚者が殴り込んで来やがった!」
聖騎士たちが色めき立つ。
「何人だ!? どいつが来たんだ!?」
「バンズウイン・ノゾムとかいうガキが1人だ」
とたんに白けた雰囲気が広がった。
「んだよ、よりによって一番の外れじゃねぇか。俺ァ姫様がよかったのによ」
両腕に裸の女性を2人抱えていた男の股間がむくむくと起き上がる。
「俺はユキレイって女だな。あのお高く止まった顔を泣かせてみてぇ」
「お、俺は、せりなちゃんかな……グウェンちゃんもいいな……ぶっ壊してえ!」
以上は聖騎士と呼ばれる男たちの言葉である。
「悪いねェ! ハズレで!」
そんな聖騎士たちの下卑た笑いや酒その他の臭気を吹き飛ばす大音声が室内を薙いだ。
男たちの目が開け放たれた扉に集中する。
「おい……」
少女の襲来を報告してきた男の脳天から股にかけて、体の中央を黒い直線が入っていく。
「あ……ろ……あ……」
否、線が黒く見えるのは逆光のためだ。本来の色は、血の赤である。
男の身体が左右に割れ、崩れ落ちた。
ぱちん、と乾いた音が響く。
真っ二つにされた男の背後から現れたのは、白い学帽と学ラン、短いスカートといういでたちの少女である。おさげにした髪型はこの世界においても田舎娘の典型だが、大きな丸メガネの奥から光る金色の瞳は純朴とは程遠い。
その手には、細長い板のようなものが握られている。
「ヤロウ!」
男の1人が剣を抜いて襲い掛かる。
「ふん」
幡随院 望は板を持った手首をくるりと翻す。板が開いた。
(団扇!?)
彼らが初めて目にする、折り畳み式の扇。この世界はまだ、扇子というものを知らない。
開かれた扇子がヒラヒラと舞う。すると、振り上げられていた鉄の剣がいくつにも分断されてバラバラと床に落ちた。
「な――!?」
剣を握る男の手も、腕も、輪切りにされて落ちていく。
「お、おおおおお……」
「うるせぇ。邪魔だ」
少女の細い脚が男の顎を蹴り上げる。男は頭を石の天井に突き刺し、ぶらりと垂れ下がった。
「おいクソ共。祈祷院とやらの偉い奴を連れてこい」
「バカめ! 俺たち聖騎士に逆らってただで済むと――」
「あたしに逆らってただで済むと思うなよバカ野郎! 下の奴らみてぇにシチューの具材になりてぇか!? あぁ?」
凄みを見せようとする男たちを嘲笑うように、彼女はさらなる凄みをもって空気を上書きする。音量も、言葉そのものの重さも比べ物にならない。
平素、集団で1人を殴りつけることを『ただで済まない』と表現する男たちの言葉と、実際に男を1人唐竹割りにし、もう1人の両腕を輪切りにした少女の『ただで済まない』では質量がまるで異なっていた。
「黙れェ!」
日頃、数の暴力で相手を威嚇することに慣れ親しんできた彼らの中には、この期に及んで相手の力量を測れない者たちもいた。
彼らは5人ほどで示し合わせ、徒党を組んで少女を取り囲む。剣ではなく棍棒などの鈍器を持っているのは、彼女を殺さずに楽しむためであるのがありありと見えていた。
「けっ、下衆が」
少女の嘲笑を合図にするように、男たちは一斉に殴り掛かった。四方から棍棒を叩きこまれ、少女の身体は為す術もなく崩れ落ちる。
「何だおい、でけぇ口を叩いた割に――」
「あ? あれ?」
男たちが固まった。床に倒れているのは少女ではなく、大量の木の葉だった。
「何だこりゃ?」
「おいおいおい、人の言葉はちゃんと聞け。んでちょっとは頭を使え」
声は、階段の下から聞こえてきた。
「あたしは言ったよなぁ? 下の奴らは全員シチューの具になったって」
べたり、べたりと、足音が階段を上って来る。
「そんなことをしたあたしの服が、真っ白なままなワケねぇだろう?」
幡随院 望が再び彼らの前に現れた。
全身を返り血で赤く染めて。
「ば、化け物――!」
「よく言われたよ、バカ野郎」
開いた扇子が回転しながら空を舞う。まるで意思を持っているかのように、扇子は男たちの間を飛び回ると、やがて持ち主の手元に戻ってきた。
先刻、彼女を襲った5人の男がバタバタと倒れ、恐怖を張り付けた5つの首が残った者たちの足元に転がった。
「今から10数える間に、祈祷院の奴らを全員並べろ。できねぇなら死ね」
◇ ◇ ◇
「待て!」
国王を引きずりながらゆったりと歩いていた女に、5人の部下を引き連れていたエドワードが追いついた。彼女の姿を見つけるまでに、何人のへし折られた兵士たちを見たことか。
女が、足を止めた。
「あんた、他とはちょっと違う匂いがするなぁ」
ユキレイが振り返った。前下がりのおかっぱ頭は、蒼白い炎を思わせる白髪で、切れ長の目からのぞく眼光からも同質の炎がゆらめいているのが解る。
(こんな女に愛されたら、3日も持たずに干からびるな)
エドワードは2、3度頭を振って、沸き上がった煩悩を追い払う。
「国王を放せ。そして抵抗を止めて投降しろ」
女はかすかに微笑みを返しただけだった。
彼女の周りにうっすらとたゆたう陽炎が語っている。言葉による説得は聞かない。戦士ならば剣で語れ、と――
言われるままに、エドワードは剣を水平に構える。
「武器を取れ。丸腰の女に振るう剣は持っていない」
「あら、紳士やね。でも……」
ユキレイは片手に国王の襟首を掴んだまま、ゆらりとエドワードに向き直る。
「うちの武器はこの身体や。遠慮なくおいでやす」
肩を出し、胸元を大きく開いた、見たことのない和服。甘い色香とともに、濃密に漂ってくる死の香り。
鎧と肌の隙間に冷たい汗が染みる。エドワードは部下に命じた。
「囲め」
周囲の者たちは「え?」と動揺の声を漏らした。彼らもまた、良くも悪くも騎士だった。
「恰好つけていられる相手じゃねえ! アレは女の形をしたドラゴンだ!」
紅をひいた女の唇がにぃっと笑った。
◇ ◇ ◇
「うわああああああああ!」
20人ほどの部下を連れ、バーバレラとグウェンを追っていたロルフが見たのは、恥も外聞も捨てて逃げ惑う近衛騎士たちの姿だった。
「待ておい! 何があった!?」
逃げる騎士の胸倉をつかみ、頬を張って揺さぶる。
「ま、ま、魔神――!」
それだけ言うと、騎士は転がるように逃げ去っていった。
「やべ、あれ上級騎士様だったわ」
軽口をたたきながら、ロルフは禿げた頭頂部に冷たい風が吹き抜けるのを感じていた。
(この感じは、魔王軍の四天王と戦った時以来か)
燃え上がる髑髏の怪物を思い出す。彼か彼女かは知らないが、アレ1人の前に旅団が壊滅し、ロルフたちは逃げるので精いっぱいだった。あの時に感じた風だ。
アレと同等の化け物がこの先にいるというのか?
果たして、魔神はいた。
「何だ、こりゃあ!?」
エントランスを抜けたロルフ隊を待っていたのは、グラスナック城の誇る広大な中庭のはずだった。
わずかな狂いもなく刈り込まれた芝生、美しく整えられた樹木、色とりどりの草花。訪れた者の心を打ち、偉大な王の寛大さを知らしめる国家の象徴が、跡形もなく消滅していた。
かつて庭だった場所は、巨大な凹面鏡となっていた。
どんな測量をしたらこんな広大で正確な円を描けるのか。どんな技術を使ったらこんな滑らかな凹面を作り出すことができるのか。まったく想像できない。
「熱っ!?」
周辺の空気が、ジリっとした熱を帯びている。
ロルフは、無学な男である。彼が自分の頭で考えた理論はたいてい底が浅いか的外れである。
だが、今回の彼の理論は、無教養であるがゆえに固定観念にとらわれることなく最短で正解にたどり着いた。
(庭を融かしちまったんだ!)
とにかく熱くて、とにかく巨大な火の玉が、庭園を灼き尽くしたのだ。草木はもちろん、土や石、煉瓦や鉄柵さえも、無残に無情に痕跡すら存在を赦さずに。
白く輝く灼熱の円の中心に、彼女はいた。
バーバレラ・カイン・バニシュウィンド。結んだ桃色の髪を熱風になびかせ、白いマントをはためかせる戦姫。その手には、彼女の身長と同じくらいの長い金色の杖――王笏――が握られている。
彼女が、国王や教会の老人たちから『魔導士』と呼ばれていたことを思い出す。
この世界には魔術師は数多く存在するが魔導士は存在しない。いるのは伝説や物語の中だけである。
魔法陣に魔力を通して奇跡を演出するのではなく、魔力を直接操って奇跡を生み出す魔導士。それはもはや人の領域ではない。
姫君のきわどいレオタードに覆われた腰には、黒いボディスーツを着たグウェンがしがみついている。
彼女たちの姿は、まるで小さな悪魔を従えた残酷な女神のようだった。
「くそ……。もっと遅れて来ればよかったぜ」
まだ、彼女たちは会っていない。鏡面の淵に座り込む漆黒の巨人に。
ロルフの任務は、彼女たちにあの巨人を渡さないことだ。
「チクショー! お仕事チクショー!」
ロルフと部下たちは泣き笑いながら剣を抜き、ヤケクソで突撃していった。
◇ ◇ ◇
「ほな、返すわ」
ポイ捨てされた王の身体を受け止める力は、エドワードたちには残っていなかった。
「そうか……陛下をさらったのは……書庫の扉を開くために……」
王族のみに伝わる呪文。それがなければ城の書庫は開かない。歴史書、法律書、兵法書、そして魔術書。国を国たらしめる知識の財宝を、国王は小指の骨と引き換えにこの妖女に売り渡した。
招喚者たちが求めるものはエドワードにはわからない。
彼にわかっていることは、共に少年時代から戦場を駆け抜けた精鋭たちが、彼女1人に手も足も出なかった現実である。
実戦の中で編み出し、磨き上げてきた剣技の数々がまったく通用しなかった。死闘の中で生と死の分岐を決定づけてきた必殺の技が、彼女にとっては基礎的な通常攻撃に過ぎなかった。
エドワードには想像できないことだったが、ユキレイが立っているのは先人たちが培ってきた知識と技術の集積物を土台とし、そこからさらに跳躍した先の地点である。
強さの次元が違うのだ。
(くそ、今に見ていろ)
剣を杖にして石床に跪きながら、エドワードはこの悔しさを胸に刻み込んでいた。
(超えてやる。たとえ何代かかったとしても、俺はお前を超えてやる!)
念が伝わったのか、ユキレイがこちらに顔を向け、微笑んだ。「待っている」とでも言うように。
ユキレイが、白い手をすっと虚空にかざす。
「おいでやす、『魂刈』!」
轟音とともに城が揺れる。石造りの壁をぶち破り、鉄の塊が突っ込んできた。
銀色の鉄骨の集まりを、白と紫の装甲で包んだ巨大な人型。サイコ・キャナリーと呼ばれる黒い巨人からすると3分の1にも満たない大きさだが、それでも人間から見れば圧倒的で絶望的な戦闘能力を思わせる鉄塊だった。
「もう勘弁してくれ。あんた、どんだけ強いんだ……」
糸が切れたように、エドワードは倒れ伏した。
◇ ◇ ◇
聖ラザラス教会の礼拝塔、その最上階に少女はいた。
這いつくばった老人たちを積み上げて作った老人ピラミッド、その頂点で少女は血のように紅い果実のジュースを飲んでいた。
「ったく、また予想が外れたか。この世界はあたしの想像をことごとく下回ってきやがる」
忌々しげに足元をかかとで蹴りつける。「うっ」といううめき声が聞こえたが、少女は一顧だにしない。
「アイツと殺り合っていた時は愉しかったな……」
あの頃は殺しても殺し足りないと思うほど憎んでいたある人物の顔を思い浮かべる。自分の存在意義と将来の可能性のすべてをチップに、偶然さえも計算に入れる全身全霊の殺し合いを繰り広げた、不倶戴天のあの顔が今は無性に懐かしい。
「裏ステージに来たかと思ったんだけどねぇ……」
ピラミッドを滑り降りると、幡随院 望はこの国で最も高い建物から下界を見下ろした。はるか彼方に見える王城が、暮れなずむ空の一画を赤く染めていた。
「おいおい、やり過ぎるなよ姫様」
少女の口元が醜くゆがんだ。
そうだ。何も嘆くことはない。新しいおもちゃと箱庭が手に入ったのだ。気に入らないなら、気に入るように作り変えてしまえばいい。
◇ ◇ ◇
巨大な凹面鏡の真ん中で、ロルフは夜空を見上げていた。
分かり切っていたことだが、しょせん人間の力では女神と小悪魔を止めることはできなかった。
「エド、こいつぁヤベェぞ……」
頭皮から、熱い汗がふき出しているのがわかる。
今も目に焼き付いている。いや、自分はこの光景を一生忘れることはないだろう。
白く輝く炎の翼を羽ばたかせ、空の彼方へ消えていく漆黒の巨人の姿を。
「あの黒い奴、飛ぶんだぜ……」
ロルフはガチガチと震える奥歯にぐっと力を籠める。この震えは何だ? 恐怖か? それとも――
「エド!」
ロルフは夜空に向かって叫んだ。
「これからは空の時代だぜ!」