第8話『ある少女の反逆』
八世界同盟の盟主、バーバレラ・カイン・バニシュウィンドによる世界蹂躙宣言から時は少々遡る。
ウェイン王国の王都グラスナック。街の最奥にある王城『グラスナック城』の玉座に座り、アーサー・グラスゴー現国王は思案に暮れていた。
(もしかしたら、余はとてつもなく恐ろしい者たちを呼び出してしまったのかも知れん)
王は無意識に鼻を掌で覆うような仕草をしていた。鼻先がチクチクと痛む。
「陛下」
いつの間にか、足元に男が1人跪いている。王は思案に沈んでいた意識を足元の男に向けた。
「やはり、あの黒い巨人の封印は難しいとのこと」
「そうか……」
期待はしていなかったが、落胆は隠せなかった。
報告してきた男は宮廷魔術師の長である。王はひそかにこの男に命じていたことがあった。
(あの黒い巨人さえ余の物にできれば……)
あの招喚者たちが『サイコ・キャナリー』と呼ぶ鋼鉄の巨人。戦神と呼ばれた亡き父、先王の跡を継いで戦に明け暮れてきた彼の勘が告げているのだ。
あの巨人こそ、招喚者たちの最高戦力である、と。あれを手に入れることができれば、彼女らとの力関係を逆転させられるかもしれない。
「やはり、持ち主を手に入れるよりあるまい」
グウェンドリン・ローリィ。普段はぼーっと空を眺めている金髪の少女。歳は10代半ばといったところだろうか。
王の好みから言えば身体がやや細すぎるが、見目は悪くない。
「妃にするか」
王は当然のようにつぶやき、側近たちも当然のようにうなずいた。彼らはいまだに意識の変革ができていなかった。
生まれながらに王となるべく育てられ、先王よりすでに押しも押されもせぬ大国となっていたウェイン王国を引き継いだ彼は、自分の権力が及ばない場所があることを想像もできなかったのだ。
招喚者の1人ユキレイに槍を鼻先に突き付けられた時、王はその経験を己の小さな世界を打ち壊すきっかけにしてもよかったはずだが、不幸なことに彼の心はそれを屈辱の記憶として無意識下に葬ることを選択してしまった。
彼1人の問題なら、それは小さな不幸だったかもしれない。
だが――
◇ ◇ ◇
グウェンは今日もあてがわれた個室で刀夜のくれたサイコ・キャナリーのプラモデルで遊んでいた。
こうしていると心が落ち着く。
元の世界では『漆黒の毒花』『殺戮聖母』などと呼ばれ、惑星間連合軍からはもちろん、味方であるアルゲアス帝国からも恐れられるサイコ・キャナリーだが、グウェンにとっては恐ろしい者たちから自分を守ってくれるゆりかごであり、名前も顔も知らない、実在すら怪しい実の母よりも信頼できる存在だった。
「――!」
グウェンが何かに気付く。数秒後、部屋の扉がノックされた。
「……」
恐る恐る扉を開けると、そこにはユキレイの優しげな微笑みがあった。
「中庭で運動せえへん?」
ユキレイは、先端に綿をくるんだ布をつけた棒をかついでいた。運動とは鍛錬のことらしい。
グウェンは頷く。道場の師範代というユキレイの肩書を、グウェンは軍隊学校の先生くらいに認識していた。上官の命令には逆らえない。
ユキレイの後ろをついていくように歩くグウェンの気は重かった。
正直、グウェンは他の招喚者たちが苦手だった。
彼女には、他者の情動を知覚してしまう特殊体質があった。それは遺伝子操作と外科手術によって作り出された、アルゲアス帝国の思想と技術の結晶である。彼女の存在は宇宙戦争において発展を続けるレーダー技術とジャミング技術のいたちごっこに対する1つのブレイクスルーになるはずだった。
そんな『感情の目』で他の招喚者たちを見た時、その熱量にグウェンは驚いた。圧縮された恒星を見ているようだった。
その星々は、あるいは悪を憎む怒りであったり、友を想う情であったり、家族を守ろうとする愛であったり、どれもが美しい光を放ってはいた。
だが、いずれもあまりに眩く、熱すぎた。
感情の発露が、ビッグバンとなって宇宙の法則さえ捻じ曲げてしまうのではないかと思えるほどに。
こんな心の持ち主を、彼女は1人だけ知っている。全宇宙に覇を唱えんと侵略行為を開始したアルゲアス帝国皇帝である。
セリナ、バーバレラ、ユキレイ、ノゾム。
グウェンにとって恐怖と敬意の対象に等しい存在が4人もいるのは精神衛生上つらいものがあった。
「あの……」
したがって、グウェンが自分から彼女たちに話しかけるのはとてつもない覚悟が要った。
「何か、ある?」
グウェンは敬語を知らない。彼女が大人たちから教わったのは、敵の心の読み方と効率的な殺し方だけだ。
「何もあらへんよ?」
1度は笑ってごまかそうとしたユキレイだったが、グウェンの不安げな瞳を見て思い直したらしく、口元から微笑を消した。
「王様がな、グウェンとサイコ・キャナリーを狙うてるんや」
グウェンの足が止まった。
「グウェン?」
小さな体が、ガタガタと震え出す。
――お前は存在そのものが軍事機密だ――
――敵に捕らえらえた時は、サイコ・キャナリーもろとも自爆せよ――
それは、少女の心の深層に、刺青のように刻み込まれた暗示だった。
「嫌ッ!」
掌で両耳を抑え、座り込んでしまうグウェン。奥歯がガチガチと鳴り、身体の震えが激しさを増す。
「グウェン!」
ユキレイがグウェンの身体を抱きしめる。だが、心理操作の発動により錯乱したグウェンには、ユキレイの存在は恐怖の対象として認識されてしまっていた。
「ああ、あああ、あああああああああああああ――」
声にならない悲鳴を上げ、激しいひきつけを起こしながら、グウェンは小さな手を虚空へ伸ばした。まるで、助けを求めるように。
◇ ◇ ◇
「グウェンの様子はいかがですか?」
「ようやく落ち着いたわ。あれ、どうも洗脳されてるっぽいなぁ」
ユキレイの言葉に、バーバレラの細い眉がピクリと動いた。
「さりげなくグウェンとサイコ・キャナリーを守る作戦、失敗か」
幡随院は大きな丸メガネのブリッジに指をあてた。
「月代のオッサンが言った通りだったな。グウェンの精神はあたしらが思っていた以上に不安定だった」
「どうもあの子、うちらを怖がっているみたいやね」
「まぁ、ユキ姉さんはねぇ。グウェンの目の前で他人の手足を切り飛ばしたりしたからな」
「うちだけやない。あの子が怖がっていなかったのは月代はんくらいやないか?」
「……刀夜様を向こうへ行かせてしまったのは失敗だったかもしれませんね」
「失って初めてわかるオッサンの大切さか」
こほん、と空咳をするバーバレラ。
「とにかく、グウェンとサイコ・キャナリーを敵に奪われるわけにはまいりません。各々、警戒を怠りなく」
グウェンの眠る部屋の前にはユキレイが残り、バーバレラと幡随院はそれぞれの方向へ歩き出す。
それぞれが、為すべきことをするために。
◇ ◇ ◇
アーサー・グラスゴー王はいら立っていた。
彼はこの世に生を受けてから40数年、我慢というものをしたことがなかった。
彼に物心がついたとき、ウェイン王国はすでに周辺諸国を圧倒する広大な領土を手にしていた。しかし、その一方で、彼の父はこの版図を1代で手に入れた偉大な王ではあるものの、出自はいち田舎の小国の領主に過ぎなかった。
つまり、先王は大国の跡を継ぐ王子の育て方を知らなかったのである。
結果、アーサー・グラスゴーは先王に媚びへつらう事なかれ主義の文官たちに持ち上げられながら育てられ、権力とはあって当然、人はみな自分の思い通りに動いて当然という意識を植え付けられてしまったのである。
のちに『隷王』と呼ばれ、軽蔑の象徴のように扱われる彼を一方的に責めるのは酷であるかもしれない。
だが、この後、彼のした行為に同情の余地はない。
「まだか」
「は……」
王の言葉に、側近は委縮しながらも報告した。
「どうやら招喚者どもは陛下の意図を察している様で……」
グウェンの部屋の前で、衛兵のようにたたずんでいるユキレイが、王にはどうにも邪魔だった。これが他国から来た姫君であれば、王が近づくだけで衛兵は自ら扉を開け、姫君は自ら身体を開ける。それが彼にとっての当然だった。
だが、よりによってユキレイである。
王の威厳など意に介さず、王国最高の騎士も精鋭の近衛部隊も赤子同然の彼女をどうすればその場から消すことができるのか、皆目見当もつかなかった。
こうして、思春期の万能感を否定される機会を得られなかった国王は、思春期の少年が犯すような愚行をこの歳で実践してしまうことになる。
◇ ◇ ◇
グウェンは夢を見ていた。
彼女は、いつも夢を見る。彼女は夢が嫌いだった。少女にとって、夢とは眠りながら見るものではなく、いつも少女のそばにいてその心を苛み弄ぶ悪魔のような存在だった。
少女の夢は、死の形をしていた。
激しい光と炎に全身を焼かれる夢。無数の鋭い破片に貫かれる夢。頭に銃弾を撃ち込まれる夢。
だが、この時は違った。
眠りに落ちた少女の心を迎えたのは、温かい手だった。
(ユキレイ?)
そうであり、違ってもいた。
ユキレイのことは苦手だし怖いと思っているが、彼女の善意と優しさを疑ってはいなかった。むしろ、せっかく抱きしめてくれた手を振りほどいてしまったことを申し訳なく思っていた。
だから、こんな夢を見るのだろうか?
(トーヤ?)
次に感じたのは、この世界に来て出会った男だった。体がプヨプヨで、自信なさげで、グウェンがかつて『できるだけ保護するべきだが、緊急時には見捨てるべき存在』として教えられた者のサンプル画像に似ていた。
でも、あの柔らかい手がグウェンは嫌いではなかった。その手に、彼女を殴りつける暴力を感じないから。
何より、彼の心が見せる風景は、死の影が極めて薄かった。彼が傍にいてくれるだけで、グウェンの心はほっと休まることができた。
(トゥ?)
それは、とある戦いで撃墜されたサイコ・キャナリーが不時着した孤島で出会った少年だった。彼は惑星間連合軍――敵国の兵士だった。そして、唯一サイコ・キャナリーを撃墜した敵機体のパイロットだった。
――敵に捕らえらえた時は、サイコ・キャナリーもろとも自爆せよ――
命令を実行しようとしたグウェンを、ユキレイのように抱きしめて、トーヤのように頭を撫でて、止めてくれた少年だった。
(やっと、思い出せた……)
あの後、記憶洗浄を受けさせられたために、忘れてしまった思い出があった。
焚火の前で、戦闘服を脱いで、身を寄せ合った記憶。
決して忘れまいと、必死に深層心理に刻み付けた、あの温もり。
ユキレイとトーヤの優しさが、グウェンをこの記憶へ導いてくれたのだと思った。
「トゥ……」
もう二度とこの思い出を失うまいとグウェンは手を伸ばす。
だが、その手を荒々しく掴んだのは、残酷な現実だった。
「ふぇ?」
覚醒へと引きずり出されたグウェンが見たのは、金色のケダモノだった。
「グウェンドリン・ローリィ……。余の妃になるがよい」
牡の眼が、爛々と燃え上がった。
ごつごつとした毛深い手が、グウェンの大嫌いな暴力を振るい慣れた凶器の手が、少女の寝間着を荒々しく引き裂いた。
「ッ!」
息をのむ少女が悲鳴を発する前に、男の手がその小さな口を塞ぐ。
「んんー!」
鶏の羽をむしるように、敗れた服が乱暴にはぎ取られていく。
グウェンは渾身の力で抵抗するが、大柄な男に組伏せられてしまった今、状況を脱するのは不可能に思えた。
男に服を脱がされるのは2度目だ。でもあの時の少年はとても優しくて、まるで小鳥の雛を扱うように、グウェンを怖がらせないよう、傷つかないように大切に接してくれた。
そんな淡やかな想いが汚されていく。
(嫌だ!)
グウェンの蹴りが、王の下腹部に入った。だが、所詮は半分錯乱した少女の力。盛った獣を撃退するには至らず、それどころか相手をより興奮させる結果になった。
「此奴!」
容赦のない平手が少女の頬を張った。脳内にぱっと火花が散り、その瞬間、グウェンの脳裏にあの呪いの言葉がよみがえった。
――敵に捕らえらえた時は、サイコ・キャナリーもろとも自爆せよ――
消える。
せっかく思い出した優しい記憶が。
少年の優しい笑顔が。触れ合った肌のぬくもりが。
塗りつぶされる。
笑顔が嘲笑に、温もりが痛みに。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
「たす……けて……」
その時、グウェンの頭に暴風のような感情が流れ込んできた。空の切れる音とともに、少女の身体を押さえていた男の身体が真横に吹き飛んだ。
「うちとしたことが。こんなになるまで気づかへんとは……。堪忍な……」
温かい手に力強く抱きしめられる。
「ユキ、レイ……」
ユキレイの指先がグウェンの頬をそっと撫でる。
「他に、ケガはしてへん?」
体に傷は負っていない。でも、踏みにじられた心はズタズタだった。グウェンにとって何よりも大切な記憶を、思い出を、これ以上なく汚された。
「グウェン……グウェンは……帰りたい……」
汚された思い出を取り戻しに。
「もう一度、あの人に逢いたい……」
生まれて初めて、グウェンを1人の人間として扱ってくれた少年に。
「グウェンは、元の世界に帰りたい!」
ユキレイから流れ込んでくる熱く眩い感情は、もう怖くなかった。同じくらい熱く眩い感情をグウェンも手に入れたから。
それは、宝物を取り戻したいという子供っぽい欲望。
でもそれは、モノとして生きてきた少女が取り戻した、人間としてのむきだしの核。
今この世界に、最も純粋で、最も無垢で、最も利己的な破壊神が誕生した。