第4話『覚醒! 鋼鉄の乙女!』
あれから、3日が経った。
なかなかにハードな3日間だった。
まず、時差ボケのようなものがあった。この世界、1日が24時間ではなく、携帯の充電が切れる前に計算したところ太陽が一周するのに30時間くらいあることがわかった。これが何とも気持ち悪い。というか、未だに慣れていない。
次に、水と食事だ。これらがえらく不味い。そして臭い。ニシン(っぽい魚)の塩漬けとか、もう、臭いがとてつもなかった。兵器かと思った。まあ、似たようなものは元の世界にもあるのだが。
臭みについては水も例外ではなく、招喚されてから丸1日は下痢が止まらなかった。
一方で嬉しい誤算もある。この世界のトイレと風呂事情である。何とこの城と城下町、下水が完備されており水洗トイレが一般的なのだ。紙は高価だが、代わりに『尻拭き草』というそのまんまなネーミングの植物が草原に大量に自生しており、繊維が細かくて柔らかいためお尻に優しい、しかもちょっといい匂いがする葉っぱがどこのトイレにも常備されている。
風呂も、ちょっと裕福な家庭では一家にひとつ風呂場があり、貧民も格安の大衆銭湯で2日に1度は風呂に入る習慣があるらしい。
城内にいたっては客間ひとつひとつに簡易的な風呂場が備えてあった。この点はホテル並みである。
これは、下痢に悩まされる身としては非常にありがたかった。
「失礼します。刀夜さん、お加減はいかがですか?」
「だいぶ良くなったよ。ありがとう」
消化に良いという穀物のお粥を持ってきてくれたせりなに礼を言う。
「せりなは大丈夫?」
「ええ。もうすっかり!」
満面の笑顔が返ってくる。この順応力の高さ。若さが憎い。
他の招喚者たちのことは聞くまでもなかった。グウェンやユキレイは曲がりなりにも軍人だし、バーバレラ姫に至ってはたった4人で魔物はびこる世界を何週もする剛の者だ。
幡随院は……あいつは俺と同じ現代日本の出身で軍人でもないのに何で一番元気なのだろう? 若さか? それとも漫画のキャラだからか? だとしたら何だかズルい。
「お食事が終わったら、食堂にいらしてください。王様から重大なお知らせがあるみたいです」
食堂では、急遽持ち込まれた円形のテーブルにすでに俺以外の全員が着席していた。
「何か、すみません」
「お加減はもうよろしくて?」
「まあ、なんとか」
バーバレラ姫に気遣われ、俺は恐縮しながら席に着く。
「刀夜さん、これを」
隣に座ったせりなが、俺にうずらの卵くらいの大きさと形の石を手渡してきた。表面は黒くツルツルしていて、小さな白い斑点がある。斑点はうっすらと青く光っていて、星空を映しこんだような美しさがあった。
「魔法石というそうです。これに私の翻訳魔法の法陣を刻んでみました。お試しに使ってみてください」
「ああ、ありがとう」
あれ? さっきバーバレラ姫、日本語をしゃべってなかったか?
「皆さんにも作ろうかと思ったんですが、もう必要なくなってしまいました」
聞けば、俺以外の招喚者たちはせりなも含めて全員、この3日間でこの世界の言語と互いの言語(日本語、アルゲアス帝国公用語、クリスタリス東大陸語、あと関西弁)をほぼマスターしてしまったらしい。
せりなの翻訳魔法を最大限活用したらしいが、それにしても恐るべき学習能力に戦慄を禁じ得ない。
この3日間で痛感したのは彼女たちのスペックのヤバさだ。もし俺の世界がまかり間違って異次元からキャラクターを招喚するなんて技術を得てしまったとしたら、名前付きキャラの招喚を禁止する国際条約を締結するべきだと言いたい。戦ったら負ける。70億総奴隷化社会なんて俺は見たくない。
国王を見ると、初対面の時の威厳はどこへやら、こそこそと彼女たちを盗み見るその眼には明らかな怯えと猜疑の色があった。
「さて、本日の議題だが、国王陛下がある情報を持ってきた。陛下、説明を」
幡随院がとても自然に場を仕切っている。そして誰も異を唱えない。
国王は軽く咳払いをすると、おもむろに口を開いた。
「実は、招喚者の1人が魔王の軍勢にさらわれている可能性がある」
「ほう、わたくしたちの他にも招喚者が」
バーバレラ姫の射貫くような瞳に、国王はたじろぐ。
「余も知らなかったのだ。『招喚の儀』は教会の祈祷院の連中に一任していた。彼奴ら、汝らを招喚する前に一度、術式の動作確認を行ったらしいのだ。その時に1人、招喚に成功していたらしい」
「どうして今まで黙っていたのでしょう?」
「招喚には成功した。だが、招喚場所に失敗したのだ。よりによって国境線の向こう側に……」
どうやら、祈祷院とやらは随分とプライドの高い組織であり、しかも国王ですらおいそれと口出しできない権力を持っているらしい。
「要は、お互い素直にごめんなさいが出来ない関係なわけね」
幡随院が訳知り顔で笑った。
おそらく、招喚者が思った以上に危険な存在だったと知って、流石に黙っていられなくなった、といったところだろう。俺は会議そっちのけで1/144MG『サイコ・キャナリー』でブンドド遊びをしているグウェンを見やった。
「その招喚者の容姿や能力やらはわかってはるんか?」
「わからぬ。おそらくは剣士であろうということしか」
「剣士?」
「招喚の儀は、聖典に記された古の武人にちなんだ者たちを現世に呼び寄せる……はずだった。それが剣士、槍士、鎧騎士、賢者、魔導士、ゴーレム使い、魔獣使い、そして彼らを指揮する指導者だ」
俺は円卓を見回しながらまとめてみる。
剣士→?
槍士→ユキレイ
鎧騎士→おそらく金属製のZZ。霊気機関甲冑を装備するならユキレイも候補か。
賢者→?
魔導士→せりなかバーバレラ姫
ゴーレム使い→グウェン(ゴーレム=サイコ・キャナリー?)
魔獣使い→せりな(クマのぬいぐるみが魔獣扱いなら)
指導者→幡随院
で、俺は間違っても剣士には見えないので消去法というわけか。だとしたら、俺は賢者か? いちおう彼女たちのことをよく知っているわけだし。
「なるほど、その剣士が下手したら魔王側に付いている可能性もあるワケか。そりゃ厄介だ」
剣士ってたいてい万能職じゃん? と嗤う幡随院。だが、残念なことに王の沈痛な面持ちはそれを肯定していた。
彼女たち以上のハイスペックキャラが敵に回ったりしたら、確かに由々しき事態だ。
「つまり、あたしらの最初のミッションは迷子の剣士を探しに魔王領へ潜入するってことだ」
「潜入? こちらは6人。向こうは1人。もう魔王はん家にカチコミかけてもええんのとちがう?」
戦力にカウントされていない1人は俺だろうか、ZZだろうか?
「向こうには強大な力を持つ魔王がいる。いくらそなたたちでも、魔王との戦いは一筋縄ではゆくまい。それに魔族どもはみな強力な魔法を使う。決戦には万全を期していただきたい」
「早う魔王はんを倒して帝都に帰りたいわぁ」
ユキレイがじとっとした目を王に向ける。
俺たちが元の世界に戻るには、魔王の討伐が絶対条件である。それが王国からの説明だった。
「……とにかく、今はまだ時ではないのだ」
3日前はとっとと魔王討伐に行けみたいなノリだったのに。
国王の慌てる様子を幡随院は面白そうに眺めていた。どうも、彼女は国王をあまり信用していないらしい。
俺は王の気持ちを考えてみる。彼の言には一応理はあるもののおそらく建前だ。本音は恐ろしくなったのだろう。招喚者が予想外に高い能力を持っていることに。そして予想外に反抗的なことに。
権力者にしてみれば、そんな者たちからは目を離したくないだろう。
例えば単純に戦闘力の高いグウェンやユキレイ、反乱勢力を育てかねない求心力を持つバーバレラ姫や幡随院あたりに自分の目の届かないところに行かれるのは非常に恐い。俺でも恐い。
すると多少動いても差し支えないのはせりなとZZ、そして俺か。うん、もし剣士が魔王側に付いていたら、絶対勝てない。
なるほど、だから潜入か。剣士が異世界で右も左もわからず呆然としているポンコツ(当社比)であれば連れて来る。もし魔王側に付いているようなら、逃げ帰ってそれを報告する。
よし、何とかこの会議に付いていけそうだ。
「では、魔王領に潜入するメンバーを決めましょう。まず交渉に幡随院様、護衛にユキレイ様……」
「待ってくれ!」
案の定、国王が異を唱えた。
「トーヤ殿には、他の招喚者の素性を知る力があると聞く。交渉にはトーヤ殿が向かわれるがよいのではないか?」
ちょっと違うが、幡随院が俺にいたずらっぽく笑いながら人差し指を口元に当てて「黙ってろ」のサインを送ってきた。そういえば、相手の誤解を誘ってそれを武器にしてしまうのは彼女の得意技だった。
「では、トーヤさんとユキレイさんで……」
「いや、その、ユキレイ殿の強さは余もよく存じているが……、それがかえって魔族共を刺激しかねない」
俺が忖度した国王の心理が国王自身によって裏付けされている気がする。
(そうか、バーバレラ姫や幡随院は俺と同じことを考えているんだ)
そして、こうしてわざと国王に都合の悪い提案をして、彼の反応から裏付けを取っているのだ。自分たちの仮説が正しいかどうか。
俺が考えた時、彼女たちは行動している。この、思考の無駄のなさ、躊躇のなさは何だろう?
「そうですね……ではトーヤ様、そろそろZZ様を起こして差し上げてはいかがでしょうか?」
「え? 俺?」
「ご存知なのでしょう? ZZ様の起こし方」
参ったな。ZZに関しては正直うろ覚えなのだが。だが失敗したところで何かが減るわけでもないので、俺は試してみることにした。
「ヘイ、ZZ。ウェイクアップ」
ピ、とかすかな音がして、ZZの内部が稼働を始めるのがわかる。突然、ZZは顔を上げて俺を見た。
「うぉ!」
動き出した死体みたいでちょっと怖い。この場の者たちもさすがに驚いたようだ。唯一、グウェンだけは出身世界的にこういうのに見慣れているのか反応はない。
「ユーザーを確認します。ライセンスキーを口頭で教えてください」
抑揚のない無機質な声に促され、俺は記憶を手繰る。
ZZの元世界、『イドとエロスの境界線』は俺がまだ10代の頃に観たアニメだ。内容が内容だけに地上波では放送できず、R15のOVAとして作成され、俺もレンタルDVDで出会った口だ。
正直、俺はこの作品にアニヲタ魂を呼び覚まされたと同時に中二病を拗らせたと言ってもいい。そういう意味では人生のターニングポイントとなった作品であり、よかったかどうかはわからないが少なくともこの作品にハマったことを後悔はしていない。
(あの頃、俺のメアドとかパスワードは全部これだったっけ)
同時に思い出される絶賛中二病患者だった自分。頭が痛くなる。脳が記憶にアクセスするのを拒否してやがる。だが、今は――
「5AG1NAD3NTATA」
またピ、とかすかな音がしてZZの瞳に光が宿った。
「ユーザーを確認しました。続いてユーザー登録に移ります。あなたのお名前を教えてください」
一瞬、俺は躊躇する。このまま俺の名を伝えてもよいものだろうか、と。もしその状態で俺たちが元世界に帰ったとしたら、ZZは主人公に出会っても彼をユーザーと認識できない。彼女は俺の命令を待ち続け、物語は始まらず俺の思い出の作品そのものが消失してしまう可能性もあるのではないか?
今にして思えば、この刹那の躊躇が致命的な隙だった。
「幡随院 望」
「――え?」
いつの間にか、俺の横にいた幡随院が横合いから名乗りを上げた。コイツ、やりやがった!
「バンズウイン・ノゾム様。お名前と声紋を登録しました」
これほど速攻のNTRがあるだろうか?
次の瞬間、ZZの全身に血が通った。そうとしか言いようのない現象だった。金属フレームの人形に『命』が宿ったのだ。
彼女は今、そのボディから1人の人間としての確かな存在感を発していた。
「初めまして、バンズウイン様。願わくば、末永くZZを可愛がってくださいませ」
わずかに首を傾げ、頬を赤らめて幡随院を見つめるZZ。
「ではさっそくですが、これからZZはバンズウイン様をどのようにお呼びしたらよろしいでしょうか?」
「あたしのことはマスターと呼びな」
「イエス、マスター。今のZZの姿にご不満はありませんか?」
「何? 不満があったら改善してくれんの?」
「はい。ZZは全力を挙げてマスターのご要望にお応えいたします」
そう。これがZZの特徴、最大の売りだ。
「じゃあ、あたし的にはおっぱいはもっと大きくて、ウェストはもうちょいくびれてて、あと髪は長い方がいいかな。それから鼻はもうちょい上から……」
コイツ、遠慮しねぇ!
「かしこまりました」
みるみるZZのスタイルや顔つきが変わっていく。ダークグレーのブラウスが内部からはち切れんばかりに膨らみ、髪が頭皮から絞り出されるように伸びていく。
「ナニコレ!? すごい!」
ZZの内部フレームを覆っているのは流体多結晶合金、つまり液体金属なのだ。それによって彼女は自分の容姿を自由自在に変えられるのである。ぶっちゃけ未来から来たロボットに命を狙われる有名なあの洋画の3作目に出てきたアイツである。
呆然とする一同の前で幡随院は大はしゃぎでZZを小一時間カスタマイズした。俺はと言えば、何か、幼いころに憧れていたお姉さんが別な男と付き合ってその男の趣味に合わせて服装やメイクが変わっていく様を見ているような、後頭部がチリチリする複雑な気持ちだった。
「うっし、これでよし!」
完成したZZ・バンズウインモデルは長いくすんだ銀髪を頭の両側でお団子にした、グラマラスな体をした秘書風の女性となっていた。
――ってこれ幡随院の実姉じゃねぇか!
「最初の命令だ。跪いてあたしの靴を舐めろ」
「やめろォ!」
子供の教育に悪いだろうが! あとどんだけ性癖歪んでんだ!?
「あの、幡随院様? この任務に貴女は不参加なので、ZZはトーヤ様かせりな様に従うようにしていただけませんか?」
「はいはい。ZZ、あたしが取り消すまで、そこのトーヤっておっさんがご主人様だ」
「ご主――!?」
「イエス、マスター」
ZZが俺に向き直る。頬を染め、潤んだ瞳ですくい上げるように俺を見つめる。
「よろしくお願いいたしますご主人様。ZZは誠心誠意、ご主人様にご奉仕いたします」
笑うな、幡随院!
「一応聞くけど、ZZって何のために作られたアンドロイドなん?」
もちろん、愛玩用です。ユキレイさん、そんな冷たい目で見ないでください。