第30話『変革の兆し』
「火球!」
「水槍!」
「電衝!」
「晶弾!」
この世界における4大魔術原理、火、水、風、土の基礎的な攻撃魔術がウルスラに殺到する。
「ふっ!」
ウルスラの回し蹴りが一閃する。すると4種の魔力はまるで風船が割れるように掻き消えた。
「ふむ……」
ドクターが顎に手を当てて結果を興味深く見守っている。
「では次を。ヘーラー様、お願いします」
かつて水妖の女王だった人魚はこくりと頷くと、水かきのついた両手を広げる。その中央に、黒い魔法陣が展開された。
「闇黒球」
触れたものを超重力で圧縮し、その内部に引きずり込む極小のブラックホールがウルスラに近づいていく。
「ウルスラ殿、触れるのはあくまで貴女の周囲に展開する粒子です。くれぐれも直接魔力に触れないように」
「承知!」
呼吸を整え、集中力を高める。鋭い脚の先に漂うエメラルドグリーンに光る粒子が輝きを増した。
「はッ!」
光が美しい弧を描く。重力球は見事に分断され、みるみるうちに煙のように消え去った。
「「「おお――!」」」
甲板に出ていた誰もが感嘆の声を上げた。重力を司る闇の術は、数多の魔術の中でも最高位にあるとされているとのことで、それをいとも簡単に無力化したウルスラを誰もが称賛の目で見つめていた。
「いや、僕は何もしてないよ。すごいのはこれを開発したドクターたちだ」
今、ウルスラの両脚に展開されているのは物理攻撃を弾く魔力障壁のオレンジ色の光ではない。鋭利な錐形の周囲に沿って渦を巻くように回転している光の粒子は美しいエメラルドグリーン。
それは、物理だけでなく魔力による影響をも弾く、完全なる防御結界だった。
「これまで、完全なる防御結界は理論上の存在でしかありませんでした。術式の複雑さはもちろん、消費魔力も膨大な反面、障壁の顕現時間は極めて短い。実用性に乏しいものだったのです」
「逆転の発想だよな」
禿頭の大男、ロルフが鼻の下をこする。
「魔力消費が激しいなら、壁を思い切りちっちゃくすればいい。時間が短いなら何度でも展開すればいい、ってな」
「……そもそも、障壁を粒子状にするという発想は私のものですがね」
得意げなロルフを、ドクターがじろりと睨む。
今回も何気にこのロルフ・ミューラー氏がクインゼルの技術革新に一役買ったらしい。ほどなく、このエメラルドグリーンに輝く粒子は『ミューラー粒子』と名付けられることになる。
ドクターいわく、「名前を与える代わりに、今後ミューラー粒子によって発生する利権の一切を放棄するという契約です」とのこと。
「もちろん、制約はあります。これでもなお通常時の魔力消費は魔力障壁に比べても倍以上、魔術を掻き消すほどの防御粒子を発生させるには上質な魔法石1つが一瞬で砕け散るほどの魔力を消費します」
「魔術を防ぐには、ここ一番でタイミングを合わせる必要があるってことか」
「今、水妖たちが総出で沈没したハーヴィー半島から魔法石を回収しています。消費魔力の問題は大きな課題ですね」
新たな力を得たウルスラは、早くもベイニャやエドワードと実戦的な運用を模索し始めていた。要は組手である。
……できれば彼女を労ってあげたかったのだが、汗と粒子をキラキラさせている彼女を見て、今は見守ることにした。
「刀夜殿、こちらを見てくれるか?」
ドーザーに促され、俺は船の反対側へ向かう。そこは今、即席の鍛冶場となっている。当初、このハーレイクインの動力となる予定だった巨大な火術エンジンを窯に改造し、製鋼を行っているのだ。
「貴殿に言われたように、鋼ゴーレムの操作系統を簡略化してみた」
「早いな」
「吾輩らは職人だ。新しいものを創る力には乏しいかも知れんが、言われたものを造る力は誰にも負けん」
ドーザーが手渡したものは、ずしりと重いゲームのコントローラそっくりの代物だった。2つの親指の位置に360度回転するスティック、人差し指と中指の位置に4つのボタン。……今はまだこれだけだ。
「だが、これだけでほとんどの動作ができるとは思いも寄らなかった。操作盤を関節に紐づけるのではなく、前進、後退、旋回といった『動作』と紐づけるとは」
逆に俺には1ボタン1関節という発想が無かった。おそらく、多数の触手を持つ水妖がゴーレムを操作していたためだろう。
それは確かにある種の停滞を生み出していただろうが、決して無駄ではなかった。俺たちの世界では30年かけて培われてきた技術を、こちらの人々が原理さえ解れば数日で実を結んでしまえるのは彼らの長年の蓄積があったからだ。
「次の課題は腕部の駆動だな」
むしろ、これからが本当の壁だと思っている。鋼ゴーレムを実戦で使えるようにする鍵は『自動照準』だ。高速で3次元飛行をしてくるであろう、グウェンやユキレイをどう捕捉するか。
ここまではライトゲーマーの知識で何とか形にできたが、俺は軍事やロボット工学については完全に門外漢である。
「あの子は……」
アイスクリームがおずおずと口を開いた。
「2本の棒だけであの巨人を操ってたよ?」
サイコ・キャナリーのコックピットのことを言っているのだろう。確かに、人型光翼殺戮機巧は2本の操縦桿で基本動作を行っている。だが、アレの基本構想は搭乗者をマシンの部品のひとつとして扱うことにある。
グウェンはパイロットスーツを通してサイコ・キャナリーと神経を無線でつないでいる。彼女自身がサイコ・キャナリーの目であり小脳なのだ。
操縦桿は彼女の意識とサイコ・キャナリーの動作の誤差を調整する補助でしかない。
「搭乗者とゴーレムの一体化とは、また面妖な……」
「アレはグウェンの世界でも悪魔の技術とされている代物だ」
「だが、吾輩たちはその悪魔と戦わねばならん」
「……」
駄目だ。禁忌には手を触れられない。俺の元世界も、招喚者らの元世界も、禁忌に触れた者に対抗するために自らの手を穢し、負の連鎖を引き起こして来た。
深呼吸をして、新鮮な空気を肺に入れる。頭を冷やさなければならない。みんなの心が熱く奮い立っている時ほど、俺は冷静にならなければならない。
俺たちの目標は、6人の少女たちに勝つことだ。決して、サイコ・キャナリーや魂刈に勝つことではない。そして俺たちの勝利とは相手を打倒することではない。
彼女たちの頭を冷やすことだ。
「ねぇ……」
アイスクリームの触手の先っぽが、俺のシャツをくいくいと引っ張っていた。
「神経ってよくわからないけど、心をつなぐことはできるんじゃないかな?」
「心?」
「うん。精神通話石とか……、どうにかして……、ええっと……ごめんなさい、何でもないです。食べないでください」
この子の人間恐怖症も相当だな。というか、グウェンに会って悪化しているのではないだろうか?
だが、今の彼女の言葉に突破口がある気がする。念波で意思の疎通ができる彼らにとって、『精神』とは俺たちの元世界ほど複雑怪奇で冒しがたい神聖な何かではなく、もっと身近な存在なのではないだろうか?
『心をつなぐ』。無線神経接続の言葉遊びと言われてしまえば否定はできない。でも、彼女たちのことを考えた時、俺は『心をつなぐ』という言葉を無碍にすることがどうしてもできなかった。
◇ ◇ ◇
船室では、パメラが床いっぱいに描かれた魔法陣の図面を見ながらうんうんと唸っていた。
「もう、気が狂いそう~」
俺は抱きかかえていたヘーラーを水を張った桶に入れる。さっきはドクターの実験に付き合ってもらっていたが、もともと彼女とパメラに頼んでいたのはZZが使用した術式の解析だった。
「ドクターが狂気の領域って言ってたけど、同感だよ。銀色の魔術師ってどんな化け物なの?」
この魔法陣は、あの時火山工房の最下層でZZに遭遇した者たちの記憶を精神投影石に映し出してどうにか再現したおぼろげな復元図だ。
『リバースグラビティ』。魔法陣を刻んだ対象に働く重力を反転させ、空の彼方へ転落させる恐るべき魔術。しかもZZは目からレーザーポインターを発して精密かつ短時間でこの魔法陣を描くことができる。
要するに、『見られた者は死ぬ』。
俺たちはこのチート能力にも対抗しなければならなかった。
「一応、さっきの実験であの粒子ならブラックホールは無力化できるとわかったけど……」
ブラックホールという言葉が聞き慣れないのか、パメラとヘーラーは揃って首を傾げた。
「この魔法陣の解析だけでも、生涯を賭けた研究になりそうですね」
恐るべきは学習能力を持つAIか。まさか魔術とAIがこんなに相性が良いとは思わなかった。
「でも、その銀色の魔術師自身も人形なんだよね? 魔力はどうしてるんだろう?」
「多分、魔法石を使っているんだろう」
その収納場所も何となく想像がつく。
「悔しいけど、魔術合戦ではもう招喚者たちには勝てないねぇ」
「ですが、追う者と追われる者では追う者が有利と言われています」
ヘーラーはこちらが心配になるくらい根を詰めている。ハーヴィー半島の住民たちの避難誘導が彼女の役割だったとは言え、クインゼル勢が招喚者と戦い、エルルルを失っている間自分は海の中に逃げていたのが負い目になっているのだろう。
彼女へのフォローは近いうちにドーザーかアイスクリームに相談してみよう。
「確かに学ぶことは多いね。何とか、相手をにゃふんと言わせてやりたいなぁ」
「だな!」
そうだ。俺たちが目指すのは強力な戦力の開発ではなく、招喚者らの裏をかき、にゃふんと言わせてやることだ。
とにもかくにも、この世界が変わっていくのを感じる。
俺たちの世界がこの世界に与える影響は、今の俺には推し量ることもできない。
俺は前に、俺たちがもたらす変化がこの地を豊かにするとは限らないと言った。
今は切に願う。
俺たちのもたらしたものが、この世界を滅びへ導くことがないように。




