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第28話『再起動への道のり』

 荒れ狂う大波に超巨大船が木の葉のように翻弄され、海水が滝のように頭上から降り注いでも、誰も悲鳴1つあげることなく呆けたようにへたり込んでいた。


 招喚者グウェンの駆る起動兵器、サイコ・キャナリーと神なる竜、竜王オメガの戦い。時間にして5分に満たない間に、俺たちはこの星の究極の戦いを目の当たりにした。


「何なんだよ、あいつら……」


 エドワードのつぶやきは、この場にいた全員の心情を代弁したものであったろう。


「グウェン……」


 俺は次第に凪を取り戻していく海面を見つめた。海中に落下したサイコ・キャナリーと竜王オメガはあれから姿を見せない。


「相打ち、か……?」


 エドワードの声には、相打ちであってくれ、という思いに満ちていた。だが、願望に満ちたセリフの後には、それを打ち砕く展開が待っているものだ。

 特に招喚者(あいつ)らは、そういう世界の住人だ。


 海面に黒い影が浮かび、沸騰し、泡立ち始めた。地獄の底から這い上がるように俺たちの前に現れる漆黒の巨人。その腕には、損壊し、装甲の一部がドロドロに融けて固まった鋼ゴーレムが抱きかかえられていた。


「アイスクリーム……」


 無造作に甲板に放られたゴーレムを見て、ドーザーが義妹の名を呼んだ。転がるように残骸と化した人型に駆け寄り、中を覗く。


「アイスクリーム! アイスクリームは!?」


 サイコ・キャナリーを仰ぎ見る姿は、黒い邪神に縋り付く信徒のようだった。

 応えるように、黒い機体の胸部が開く。


「お()ぃー!」


 ハッチが開き切る前に、中から海月(くらげ)の少女が触手を目いっぱい伸ばして飛び出して来た。


「怖かったよぉ!」


 義兄の身体に触手を巻き付け、おいおいと泣く。

 ――何だか、久しぶりに『生気』に触れた気がした。

 俺たちが沈みゆく半島から脱出してこのハーレイクインに転送(テレポート)してから1時間も経っていないはずなのに。


「グウェン!」


 サイコ・キャナリーの中心部に鎮座する、蜂蜜のような金髪の少女に語りかける。顔を上げた彼女の瞳は、深い青色をしているはずなのに、闇のような黒としか認識できなかった。


「……」


 小さな口が、うすく微笑む。


 その瞬間、俺の身体は金縛りにあったように指一本動かせなくなった。何か特殊な力を使われたわけではない。幡随院(ばんずういん)にへし折られたアバラが痛むわけでもない。ただただ、心が恐怖したからだ。


 目の前の小さな女の子が、まるで人を超えた何者か――決して神などではない、もっとおぞましい何か――に変質しているような錯覚に囚われたからだった。


 もはや俺たちに話すことはないとでも言うように、グウェンは一言も発さずにハッチを閉じると、轟音と強風をまき散らしながら空の彼方へ消えて行った。



  ◇ ◇ ◇



「このような時に心苦しいのですが」


 空虚な沈黙を最初に破ったのは、水の都(アクアポリス)の女王だった。


「故郷を失った我々をクインゼルは受け入れていただけるのでしょうか?」

「その点は大丈夫」


 答えたのはパメラだった。


「魔王様も長老たちも最悪は想定してたから。移住する土地だけは確保してあるよ」

「ですが、ハーヴィー半島に比べ気候は寒冷、土壌は瘦せていることだけはあらかじめ覚悟してください」


 これは、彼らクインゼルが新参者に冷たいわけではなく、どの種族も条件は同じである。逃亡者の集まりである彼らは、来るものを拒まない。


「で、これからどうする?」


 風の民ベイニャの声が棘のように周囲を刺す。

 魔王エルルル・ディアブララを奪われ、招喚者(あいつ)らへの対抗手段を作るための火山工房(ラヴァトリエ)を沈められた。

 今の俺たちは手足を()がれ、頭まで引き抜かれた肉塊だった。ベイニャの問いは、そんな俺たちの現実を突きつける鋭すぎる刃だった。


「急にそんなこと言われても……」


 パメラががくりと肩を落とした。ドクター・フロストも憔悴しきったように座り込み、沈黙している。エルルルという心の支えを失った彼らの消沈ぶりは痛々しいほどだった。彼らが幾多の絶望を陽気に乗り越えてきたのは、エルルルを泣かせたくない、彼女の笑顔が見たい、その一心で進んできたのだと思い知らされた。


 ドーザーたちハーヴィー半島の者たちも、未だ心を喪失したままだった。土地に最大の価値を置いてきた彼らにとって、目の前で故郷が沈む光景はおよそ考えられる最大の絶望であったろう。

 先ほど、この場にささやかな気力の風を吹き込んでくれたアイスクリームでさえ、義兄にへばり付きながら次第に沈黙の沼へ引きずり込まれていくようだった。


「僕は、魔王様を助けに行くよ」


 そんな中、宣言したのはウルスラだった。彼女の目は真っ赤に充血し、目元も腫れている。エルルルを守れなかった自責の念にもっとも苛まれていたのは、目の前で主を連れ去られたこのウルスラだった。


「こうなってしまったのは僕の責任だ。グラスナックに潜入してエルルルを取り返して来る! ドクター、すぐに魔法石を交換してくれ!」

「あぁ、そうですね……」


 だが、ウルスラの気炎に対してドクターの反応は薄かった。冷ややかなのではなく、温度が無かった。


「待てウルスラ、闇雲に行ったところで勝ち目はないぞ。特にあの幡随院(ばんずういん)が相手では――」

「だったら刀夜さんが策を考えてくれ! 貴方はあの女の弱点を知っているはずだ!」

「待ってくれ、少し落ち着け」

「落ち着いてなんていられない! 刀夜さんも聞いたはずだ! エルルルは僕たちに『助けて』って言ったんだ! 僕は()()()()()エルルルを助けなきゃいけないんだ!」


 俺は気付いた。ウルスラも、やっぱり他の招喚者たちと同じなのだ。

 使命か、責任か、愛情か。何を燃料にしているかはそれぞれ異なるが、彼女たちは常に焦燥の炎で心を焦がしている。

 だから彼女たちはどんな絶望も、自責の念も、別離の哀しみも、すぐに飲み込んで立ち上がり、前に進もうとする。


 決して冷淡なのではない。むしろ彼女たちの感受性は高く、感情豊かであるがゆえに彼女たちが受ける心身の傷はいつだって誰よりも深い。ただ、早いのだ。享受が、恢復(かいふく)が、同化が、そして進化が。


 『一刻も早く』。

 精神の内燃機関が常にオーバーヒート稼働しているがゆえに、彼女たちは驚異的なスピードで生き急ぐ。それが、彼女たちヒロインの強さなのだ。


 だが、その強さが時に孤独を生む。常人には彼女たちのスピードが理解できず、冷徹な異常者のように見えてしまう。そして今がまさにその時だった。


「ウルスラ!」


 折れたアバラがずきりと痛んだ。


「頼むから、みんなに時間をくれ。目の前でエルルルを奪われた俺たちを一言も責めないみんなが、心の整理をする時間をくれ。俺たちのせいで故郷を失ったみんなが、悲しむ時間をくれ」

「――ッ!?」


 こんな、彼女の傷を抉るような言い方が正しかったのかはわからない。でも、ここまで言わなければ彼女は正論を武器に周囲に当たってしまうのではないかという不安があった。


 彼女たちが、世界蹂躙宣言などという手段に走ってしまったように。


「少し休もう。お前、自分が思っている以上にふらふらなんだから」


 ウルスラに肩を貸して立ち上がろうとするが、脇腹に激痛が走って俺も膝をついてしまう。


「刀夜さんだって、ふらふらじゃないか」


 何とか2人で立ち上がろうとするが、ウルスラの両脚は魔力切れでまともに立つことができない。


「変な奴らだな、お前たちは」


 そんな俺たちを軽々と担ぎ上げたのはベイニャだった。


「身勝手なのか献身的なのかわからん」


 俺が思うに、彼女たちは身勝手で、ついでに傲慢なのだろう。自分の力が他人の人生を背負い、世界の命運を左右すると本気で思っているのだから。しかも彼女たちの世界ではそれが事実であるから性質(たち)が悪い。そのうえで、彼女たちは自分が正しいと思うことをどんな障害があろうと貫こうとする。


 結局のところ、彼女たちが正義(ヒロイン)となるか(ヴィラン)となるかは、行動や結果が共感されるかどうかなのだ。



  ◇ ◇ ◇



 俺たちが放り込まれたのは、ベッドが並ぶ野戦病院のような一室だった。この世界では基本的に病気やケガは魔術で治療されるため、医学はあまり発達していない。


 俺はそこでベイニャから魔術でアバラ骨を簡単に治療してもらい、だいぶ痛みを和らげることができた。


「回復術は専門ではないのでな。今はこれで我慢しろ」


 部屋を出ていくベイニャ。俺とウルスラの他には誰もいなかった。

 ――と思ったらベイニャが戻ってきた。


「くれぐれも()()()()はするな。アバラが刺さるぞ」

「わかってる。筋トレは傷が治ってからにするよ」

「俺が言っているのは交尾のことだ。万年発情期なのだろう? 人間という種族は」

「しないよ!」


 だったら俺とウルスラを同じ部屋の隣同士のベッドに寝かさないでほしい。おそらく風の民はそのあたりの機微には無神経というか、無頓着なのだろう。


「……風の民にだけは言われたくなかったな」


 なぜか目元まで掛け布団を被ったウルスラがつぶやいたのは、ベイニャが去ってからだった。

 確かに、強敵に出会う度に勃起する種族に万年発情期などと言われたくなかった。

 咄嗟に気の利いた返しができず、後から言いたいことが湧いて来る自分が嫌になる。


「刀夜さん」

「ん?」


 ウルスラが目線だけをこちらに向けている。


「ありがとう。僕を止めてくれて」

「いや、ちょっと言い過ぎた」

「いいんだ。僕は気付いていなかった。僕はみんなから罵倒されても文句を言えない立場だったのに、みんな僕を責めなかった。でも僕は、自分のことばっかりで、みんなの気持ちに気付いていなかったんだ」


 不意に、ウルスラの目元がくしゃりと歪む。


「僕は、ダメだな。せっかく自分の居場所を見つけたと思ったのに、エルルルを守れず、みんなの気持ちに気付かず、何なんだ僕は……。やっぱり僕は、何もできない役立たずで、産まれてきた価値なんて――」

「ウルスラ」


 俺は、そんなウルスラの側らに腰掛けた。まだアバラが少しだけチクっとする。


「エルルルはお前を待ってる。自分を信じられないならそれでもいい。だから、お前を選んだエルルルを信じろ。エルルルを助けるためにお前に力を貸している黒の神殺魔剣(シルエット)白の竜殺聖剣(リクイデイター)はどうだ? 少なくとも、今のウルスラは両親から見捨てられた時のウルスラじゃない」

「でも……」

「俺も、お前を信じている。ウルスラが頑張っているのは俺が誰よりもよく知ってる。自分の価値を自分で決めるな。それをやっちまうと、足が止まる。一度足が止まると、どっちが前かわからなくなる。これはウルスラだけじゃない。みんなそうなんだ。自分の価値はいつだって他人が決めるんだ。自分はただ、前だと思う方向に全力で走るしかないんだよ」

「慰められたと思ったら、もっと恐いことを言われたよ」


 何となく、ウルスラは飴より鞭多めの方が伸びる気がする。『底辺学園の禁呪聖士(ほんぺん)』では主人公に頭を撫でられたコロッと惚れていたが、もしかしたらそれがかえって彼女の成長を妨げていたのではないか。


 それに何より、今のウルスラはそんなものを求めていない。


「不安があるならガンガン吐いてくれ。俺は人の話を聞くこと以外に能がない。逆にそれだけは魔王様のお墨付きだ」

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