第27話『グウェンVS竜王オメガ』
グウェンドリン・ローリィという名は偽りである。
少女の本当の名前は、『Cybele7 20300 LH673』。『Cybele7』はブランド名、『20300』は製品番号。最後の『LH673』がロット番号でこれが彼女に与えられた固有の名称と言えた。
少女はAST社の秘密工場で生まれた。物心がつく前から、1000人を超える同い歳の兄弟姉妹と共に数々の『選別』を受けた。
選別に漏れた兄弟姉妹がどこへ消えたのかは知らない。
辛いと思ったことは無かった。そもそも、辛いという概念が無かった。彼女にとって、生きるとは与えられた課題を教えられた通り忠実にこなすことであり、できなければ別な課題(それが死か、それに準ずるものであることは漠然と感じていた)が与えられるだけである。
少女にとって、感情とは選別の過程で習得した擬態の技術だった。意識の表層に1つの人格を作り、記憶を植え込み、情動を演じさせる。その人格は自分が心から笑い、泣き、怒っていることを疑いもしないだろう。
もう1つ、彼女が別人格を作る理由がある。それは彼女たちCybeleシリーズ最大の特徴である『広域感応能力』である。レーダー技術とジャミング技術がいたちごっこのように発展するこの時代において、『情動』という新たなマーカーに着目した索敵システム。要するに、広く、無差別で、一方通行なテレパシーである。
多くの人間が極限状態に置かれる戦場において、大量に発信される膨大な情報の受け皿兼選別装置として、ある程度感情を理解する別人格はどうしても必要だった。
当然、表層の人格は深層にいる彼女の完全な支配下にある。彼女は表層の人格を知っているが、その人格は彼女の存在を知らない。
もし仮に、その人格が肉体的苦痛や薬物による自白を強要されたとしても、意識の深層に潜む彼女の情報が表に漏れることはない。
もっとも、彼女の肉体じたいが1つの国家機密である以上、敵に捕縛された時点でその人格は彼女が深層心理から下す命令によって自ら死を選ぶだろう。
己の肉体を可能な限り裁断する凄惨な方法で。
製造された時から、その仕込みもすでに完了している。
グウェンドリン・ローリィは、少女が10年にわたる選別の末アルゲアス帝国軍に出荷される際に産み落とした人格の1つにすぎない。
孤児院から徴兵された少年兵という触れ込みで軍隊に入ったグウェンは、数々のテロ活動という名の試験運用に参加し、才能を認められて人型光翼殺戮機巧の搭乗者となった。そしてほどなく皇帝から直々に最新鋭機サイコ・キャナリーを下賜されるに至る。
この時まで、グウェンと彼女は上手くやっていた。これまで数えきれないほどの敵兵、民間人、時には味方に至るまで殺戮したが、彼女たちの心はいささかも動かなかった。
ASTの最高傑作と言われた彼女たちに、予想外の不具合が生じたのには2つの要因があった。
1つは、皮肉にも彼女たちをこの世に送り出した元凶とも言えるアルゲアス帝国皇帝だった。1代で全宇宙に覇を唱えんとする、宇宙最高の英傑。その眩いほどの精神力が高い感応能力を持つ彼女たちに影響を与えないはずがなかった。
皇帝が彼女たちの精神に激しく作用した理由には、もしかしたら彼女たちの遺伝子にも関係があったかも知れない。帝国に忠誠を尽くす精鋭となるべくデザインされた彼女たちの遺伝子の大元が何者であったか、公式な資料は何もないが、むしろ資料がないことがある答えの傍証となるだろう。
そしてもう1つの要因。LH673とグウェンの絶対的主従関係が思わぬ崩壊を始める決定的な出来事。
ある少年との出会いが、彼女たちの悲劇『機巧偽神ルシフェル・マキナ』の始まりである。
◇ ◇ ◇
『グウェン、聞こえてるかー? グウェン?』
グウェンは我に帰った。耳に付けた通信装置から幡随院の声が聞こえている。
「ごめんなさい、ぼーっとしてた」
『予定通り1万人逝ったが、大丈夫か?』
「うん。慣れてる」
半分は嘘だった。今のグウェンにとって1万人の死の叫びを受け止めるのは、気をしっかり持たなければ自分も引きずり込まれて身体が生命活動を急止させてしまう危険すらあった。
「……」
目の前で凄絶な憎悪を燃やす水妖の少女に、グウェンは感謝の微笑みを向ける。同時に、彼女を送ってくれたZZにも。
アイスクリームは言わば防波堤だった。死にたくないという恐怖でもグウェンら招喚者たちに対する憎しみでもいい。その生きる意志にグウェンが感応することで1万人の死の波動を防ぐ盾とする。そんな心の活力に富んだ者を1人グウェンの元に送り込むこともZZの任務の1つだった。
水妖の少女は、グウェンたちを悪魔と呼んだ。まったくもってその通りだとグウェンも思う。生きる意志に対するこれほどの愚弄はないだろう。
(それでも、グウェンは――!)
やらなければならないことがある。グウェンにしかできないことがある。今はまだ止まれない。
『海中に極めて高い魔力反応を確認。これは蟲竜ミステリシアと同等以上です』
『はは、第2次聖天の騎士団を作らずに済んでよかったよ』
「まさか、竜王様!?」
アイスクリームも感じたようだ。やがて海中に巨大な黒い影が浮かび上がった。海面が盛り上がる。その大きさは漆黒の巨人たるサイコ・キャナリーを遥かに凌駕していた。
ゴアアアアアアアアアッ!
海のドームを破って現れたのは、竜王と呼ばれるにはあまりに怪奇な姿をした双頭の巨大な怪物だった。
青と黒の斑模様をした鱗に覆われた4足で立つ竜の胴体。背中には帆のように大きなヒレがあり、尾は太く長大で先端には幅広の剣のような形状のヒレがある。
だが異質なのは2つに枝分かれした頭部だった。否、本来竜の頭部があるべき場所から生えた更なる上半身というべきか。
それは、巨大な人型の男女だった。
赤銅色の岩盤のような屈強な筋肉を纏い、頭に捻じれた長い2本の角を生やした鬼のような男性。
サファイアブルーの肌をしたしなやかな体躯とウェーブのかかった豊かな黒髪をし、水かきと鉤爪のついた大きな手を持つ妖艶な女性。
男女の表情はかなり険しい。特に男の方は双眸に怒りの炎を燃やし、犬歯の大きい歯をむき出しにした鬼の形相である。
『異界より来たりし禍星!』
グウェンの頭に、直接男の声が響いた。
『我が名はオメガ! この星の生命を侮辱した者を粛清せん!』
ゴアアアアアアアアアッ!
竜王オメガの男性が吼えた。
「ガアアアアアアアアアッ!」
コックピットの中でグウェンも吼えていた。その貌は憤怒に歪み、金色の髪が逆立っている。
「ひっ!?」
アイスクリームは自分の身体が縮こまるのを感じた。目の前の少女から、自分が信奉する神と同じ波動を感じたのだ。
『お、竜王相手でもちゃんと感応できるみたいだな。結構結構』
もはや幡随院の通信はグウェンには届いていない。
神なる竜の怒りと、同等の質と量を持つ怒りとがぶつかり合う。
オメガの女性部分が長い爪の生えた指先で虚空に円を描いた。空に立ち込めた火山の黒煙に紫色の魔法陣が現れる。
轟音と共に雷光が迸る。稲妻は男性の手元で三叉槍の形をとった。巨体に似合わぬスピードでオメガが迫る。
ヴォア!
力任せに振るわれる槍を、サイコ・キャナリーはひらりと躱す。だがその直下、海面には青く輝く魔法陣がいくつも展開されていた。
『悔いなさい』
静かな女性の声が脳内に響く。
無数の水の槍が海面から天空へと突き上げられた。
「……」
先刻とは打って変わって、グウェンの身体は冷たい静寂を纏っていた。サイコ・キャナリーの巨体を巧みに操り、水柱の間隙を縫うように攻撃を躱す。
『粛清!』
怒声と共に横薙ぎに振るわれる雷光の槍。だが、その一瞬前にサイコ・キャナリーは急上昇してその一閃を躱していた。
「嘘……」
アイスクリームは絶望の吐息を漏らしていた。この星における至高の存在が、この悪魔を罰することができないでいる。
まるで神の思考を読んでいるかのように、漆黒の巨人はオメガを翻弄しているように見える。
『海の怒りを……』
女性の声。オメガを中心に、かつてない巨大な魔法陣が海面に浮かび上がった。海がうねる。うねりはみるみる渦となり、渦は大気を巻き込んで巨大なつむじ風が発生した。
大渦が内部から紫電を発し始めた。サイコ・キャナリーの視覚センサーが影響を受けたのか、映像が乱れ始める。
水が盛り上がった。それは、これまでとは比べ物にならない大きさの水柱だった。重力を無視し、天空へ向かって押し寄せる津波と言ってよかった。
そのスピードはまさに怒涛。しかも加速度を増してサイコ・キャナリーに襲い掛かった。
サイコ・キャナリーの高速をもってしても、この範囲からは逃れられないと悟り、グウェンは機体を急上昇させる。
火山灰の雲を突破し、成層圏、電離層へと逃げるが、水柱は依然勢いを増して追って来る。
「幻!?」
間一髪でグウェンは気付いた。機体を急速旋回させた直後、水柱に呑まれるが思った通り何の衝撃もない。
続いて渦巻く水の幻影紛れ、無数の雷の矢がサイコ・キャナリーを襲う。
「これも幻ッ!」
オメガは自分の思考が相手に読まれていることに気付き、荒れ狂う殺気をそのままに2重の罠を張ってきたのである。
グウェンがそれに気付くことができたのは、以前同じ方法でサイコ・キャナリーを撃墜した者がいたからである。
「上!」
グウェンは矢を躱さない。その代わり、機体の腰部を180度回転させ、頭上から襲い来る雷の三叉槍を受け止めた。
サイコ・キャナリーの掌が変形し、内蔵されていたプラズマ砲が露出している。
プラズマ砲から雷電に匹敵する閃光が迸った。
ぶつかり合う超高エネルギー。
光量が網膜の耐えうる限界を超えたため光学センサーが強制停止し、コックピット内は暗闇に包まれるがグウェンは意に介さなかった。
すでに、グウェンの視界はサイコ・キャナリーを見下ろす位置にある。
『バカな……』
男竜が驚愕する。
『人間ごときが、我と意識を同化させようと言うのか!?』
『いえ、すでに蟲竜ミステリシアの存在も……』
女竜も戦慄を隠せない。
『異界より来たりし禍星、新たなる神竜よ。これ以上はおやめなさい。貴女の器はすでに限界を超えている。これは、我らと同じ地点に立つ同胞への忠告です。花竜ナイトシェイドに触れてはいけない』
『うん』
グウェンは答える。
『でも、これはグウェンにしかできないことだから』
光度が人体の許容内に入ったことを感知し、センサーが再起動した。
「嘘……」
今日、アイスクリームは何度この言葉を漏らしただろう。
360度のスクリーンに映し出されたのは、サイコ・キャナリーと並んで落下する竜王オメガの姿だった。
赤銅色の男性は憮然と腕を組み、サファイア色の女性は案じるような、もしくは哀れむような目でじっとこちらを見つめている。
グウェンは静かに目を閉じていた。呼吸が浅く、荒い。尋常ではない量の汗が可憐な顔を濡らしている。でも、その口元はうっすらと微笑んでいた。
(お兄ぃ、どうしよう。私たちの仇、竜王様と引き分けちゃった……)
次回更新は10/11の予定です。




