第24話『壊走』
「虐殺と破壊……だと?」
「そ」
白く光る丸メガネの向こうで金色の瞳が嗤う。
「何を言っておる……それが、竜王オメガと、いやお主らの帰還とどう関係するのじゃ!?」
「これは蟲竜サマに聞いた話なんだけどね」
そう前置きして、幡随院 望は語り始めた。
「神なる三竜はこの星の誕生とともにこの世に生を受けたらしいね。そして己の本能に従ってこの星に起きた全ての物事を記憶し、管理することにした。ああ、この辺はラザラス教の教えではこの星は絶対唯一神が創り、三竜は神からその支配権を奪い取った邪悪な存在ってことになっているらしいね。まあこの辺の真偽はどうでもいいや。重要なのは、この三竜の持つ膨大な記憶と、それを処理できる能力だ」
幡随院いわく、蟲竜ミステリシアはこの星と宇宙との関りを、花竜ナイトシェイドはこの星の地中を這う地脈の流れを、そして竜王オメガは生命の営みを、それぞれ記憶し司っているのだという。
「3柱の神なる竜が集まれば、オッサンの世界で言うアカシックレコードってやつになると思わない?」
「そうかも知れないが、俺の世界にアカシックレコードは存在を証明されていないぞ」
俺の言葉を、幡随院はふふっと鼻を鳴らして受け流す。
「魔王ちゃんは言ってたよな。帰還の術のネックは座標特定だって。時空のほぼ無限にある可能性の中からあたしらが消えた『点』を特定するのは困難だって。だが……」
幡随院の指が己の頭を指す。
「神なる三竜の脳みそをつなげば、その座標を演算できるかもしれない。スパコンの並列処理みたいにさ」
「お主らが神なる竜を欲する理由はとりあえず分かった。だが、なぜそのために虐殺と破壊を行わねばならぬ?」
「言ったろ? 竜王オメガを呼び出すためさ。やっぱ海は広くて大きいねぇ。あたしらごときが多少暴れたところで、オメガは興味を示さねぇ。だが、生命の管理者を自称する者が、自分の縄張りに1万人の命をぶち込まれたらさすがに出て来るんじゃないかなーと思ってさ」
その貌には、ひと欠片の葛藤も罪悪感も感じられなかった。
「そんな……、何の確証も無く1万人の命を生贄にするのか!」
「オッサン、いい加減、解ってくれよ。招喚者らに確証なんか得ている時間はねぇんだってば」
ズズン、と地面が揺れた。
「お、始まったな」
「本当に火山を噴火させるつもりか!」
「効率的だろ?」
「そんなこと……そんなことさせるか!」
身体が動いた。足が勝手に幡随院に向かって走る。幡随院を、あいつらを止める。それ以外のことは何も考えていなかった。
手が、幡随院の肩に触れる。
その瞬間、視界がぐるりと回転した。
「あがっ?!」
背中に激痛が走り、肺腑の空気が全て吐き出される。
「おいおいモロかよ。受け身くらい取ろうぜ」
背負い投げを喰らったのだと気付くのに、しばしの時間がかかった。
「悪いね」
幡随院の手刀が俺のみぞおちを強かに打ち据えた。
「ぐはっ!」
一瞬、頭が真っ白になる。
「刀夜殿! き、貴様、よ、よ、よくも、我が友をいじめてくれたな!」
エルルルの叫びで我に返る。怒りと恐怖に振るえる少女のかざした手に魔法陣が浮かんでいた。
「火球!」
どこかで見た光景だ。小さな火の玉は、儚く地に落ちてかすかな煙を残すのみ。
「どうして!? どうして妾は! 妾はいつもッ!」
「喚くなよ、ガキんちょ」
「来るな! 来るなァ! 火球! 火球! 火球!」
白い悪魔の手が幼い少女に伸びる。
「嫌ぁッ!」
少女の悲鳴と共に、何かが放り投げられた。俺の前にどすん、と重い音を立てて落ちてきたのは、茶色の体毛に覆われた子竜だった。
「エルルルに……、何を……」
「魔王ちゃんは貰っていく。危害を加えるかどうかは……悪ぃ、わかんねぇ」
振り返る幡随院。その手はエルルルの角をへし折れよとばかりに強く握っている。
「やめろ!」
打ち据えられた身体が、まるで地面に縫い付けられたように動かない。それでも、まるで届かないとわかっていても、手を伸ばさずにはいられなかった。
「やめろぉぉぉ! やめて! やべでェェェッ!」
「あれ? もしかして魔王ちゃん、角は敏感?」
掴んだ角を揺さぶり、弄ぶ。エルルルの可憐な貌がみるみる涙と洟でぐしゃぐしゃになっていく。
「幡随院!」
軋みを上げる身体を無理やり起こす。目の前で泣き叫ぶ少女の横でへばっているようでは、今まで何のために生きて来たかわからないと思った。
「やめとけよ」
「ぶっ……」
幡随院が言い終わる前に、鉄錆の臭いがこみ上げてきて、驚くほどの量の血が口と鼻からあふれ出た。
「アバラがイカれてんだ。無理すんな」
「ばか……やろう……」
へその下あたりに力を込めて立ち上がる。アバラだの血だのはどうでもよかった。
「幡随院、たしかにお前は他の奴らとは違って正統派なヒロインじゃない。そこらの悪役なんかよりよっぽどダークサイドだ。だが、曲がりなりにも少年マンガのヒロインが女の子泣かせちゃダメだろうが!」
一歩踏み出す。激痛が足から脳天へ突き抜け、気が遠くなる。それでも、さらにもう一歩。
「悪いねオッサン。あんたを待ってると火山が爆発するんだわ。気合で何とかなるって発想は二次元の中だけにしてくれ」
「それ以上エルルルに触れるな! 待ってろエルルル! 今助けに――」
「今助けに行くからなッ!」
刹那、幡随院の顔に驚愕が走る。
涼やかな疾風が俺の横を駆け抜けた。
「喰らい尽くせ! 神蝕魔狼!」
漆黒の巨狼が幡随院に喰らいつく。
「急急如律令!」
幡随院が扇子を振るう。煽られた風から幽鬼のように透き通った巨大な手が狼を迎え撃つ。魔狼の牙が幽鬼を喰らい、透明な手が狼の頭を握りつぶす。
「選手交代だ、刀夜さん」
俺を庇うように立つ、黒髪の少女。
「初めまして、ウルスラたん。さすが、姫様を撃退しただけのことはある」
「初めまして、君の名前は難しくて憶えてない! 憶える気もない! エルルルを放せこの下郎!」
剣と化したウルスラの脚が空を薙ぐ。衝撃波と共に無数のカマイタチが幡随院を襲う。
「疾ッ」
扇子を振るって迎撃する幡随院。だが――
「かかった!」
風に紛れて煌めいていたオレンジ色の粒子。クインゼルが開発した物理を弾く新たな魔術。
「ぐあッ!?」
幡随院の片腕が跡形もなく吹き飛んでいた。
「エルルルを放せ。でなければ扇子は使えないぞ」
「は、腕1本持って行ったくらいでいい気になるな。その脚、どうした?」
ウルスラの黒い左足が床に突き刺さっている。太ももに装着した魔法石がひび割れていた。どうやら内蔵されていた魔力を使い果たしたようだ。
「脚の1本くらいくれてやるさ。刀夜さんの気合を嗤った君に、気合の力を叩き込んでやる!」
言うが早いか、ウルスラは倒立前転の要領で間合いを詰めると刃と化した強烈な蹴りを叩き込む。
「残・念」
だが、その斬撃を受け止めたのは、木っ端みじんに吹き飛ばしたはずの片腕だった。
「何だって!?」
「ははははは! あたしはお返しに頭をくれてやる!」
幡随院の首が胴体から離れた。鬼のような形相と化した幡随院の頭がウルスラの首筋に喰らいつこうとする。
「くッ!」
今度はバク転で間合いを取る。同時にウルスラの右足から白い円形の斬撃波が飛び、幡随院の頭を真っ二つに切り裂いた。
「これは――」
愕然とするウルスラの前で、幡随院とエルルルの姿が崩れ去った。残ったのはわずかな灰。
「まさか、幻術!?」
「そういうこと」
俺の背後に、エルルルの角を掴んだ無傷の幡随院が立っていた。泣きはらしたエルルルの顔は、今は生気を抜かれたようにぐったりとしている。
「騙し合いでこの幡随院 望に勝てると思うな! あたしの名前を憶えておけ! そして忘れるな! あはははははは!」
幡随院とエルルルの周囲を木の葉が舞う。木の葉は扇子に煽られ、2人の周りを旋回し、やがて炎を噴き上げて加速し始めた。
少女の影が炎の中に消えていく。
「刀夜殿……ウルスラ……」
ゴウゴウと渦巻く炎の中から、か細い少女の声が聞こえた。
「たす……けて……」
小さな手がちらりと見えて、炎に呑まれた。
炎が消える。
呆然とする俺とウルスラの前に、ほんのわずかな灰が残った。
◇ ◇ ◇
火山工房最下層。鋼のゴーレムたちが格納される広大な空間は、かすかに、だが確実に大きくなっていく地震によって揺さぶられていた。
「これはマズいぞ。本格的な噴火の兆しだ」
鉄火族ドーザーの声には隠し切れない緊張の色があった。
「魔王様からの通信が途絶えました。一体何が……」
同じく動揺を隠せないドクター・フロストの足元には、広い室内の床いっぱいに巨大な魔法陣が描かれている。魔法陣の縁にそって、数十体の巨大な箱に手足を生やしたような鋼のゴーレムが鎮座していた。
本来は、魔力増幅装置でもあるこのゴーレムと魔法陣を使って大規模な振動を起こすとともに、水脈を火口につないで大量の水蒸気を発生させ、噴火を演出する手はずとなっていた。
「一時的でもいい。この術式を使って火山活動を止めることはできませんかね?」
「無理だ。自然の力は魔術ごときで抑えられるものではない」
「……わかりました。では撤退しましょう」
「やむを得まい」
彼らにとって、この地が人間に侵略されるのは我慢ならないが、火山の爆発は言うなればこの大地の意思であり、彼らは従うのみだった。
「資料と設備を運び出します。ゴーレムも、最低1体は持ち出したい。解体をお願いできますか?」
「わかった」
ドーザーの指揮の下、鉄火族の職人たちとゴーレムを操縦する水妖たちがあわただしく動き始めた。
その間、ドクター・フロストは資料や設備を手あたり次第、貪るように口の中へ放り込んでいく。彼の口腔には転移の術式が展開されており、彼が食べたものは全て海上に浮かぶ超巨大船ハーレイクインに転送されていた。
「魔王の様子を見に行かなくていいのか?」
「ウルスラが付いています。それに刀夜殿もいる。私は、私に課せられた役目を果たすのみです」
実はこの時、火山工房上層では魔王エルルルは幡随院の襲撃を受けているところだったが、さすがにそのような事態を想定することはできなかった。
『お兄ぃ! お兄ぃ!』
ゴーレムの中から、アイスクリームが叫んだ。
「どうした!?」
『来る! 何か、とっても恐いモノが近づいて来る!』
「ッ!?」
アイスクリームは臆病な娘だった。だからこそ、恐怖に対する感覚は鋭敏だ。
「気を付けろ……」
格納庫の巨大な扉がガタリと揺れた。そして小刻みに振動し始める。地震の揺れとは明らかに異なる、規則正しい機械的な振動。
「うっ――!」
ぴょこんと立った大きな耳を持つ鉄火族たちが、慌てて耳を塞ぎうずくまった。
ほどなくして、ビィン……という耳鳴りがその場の全員を襲う。ゴーレムが一斉に動きを止め、扉と同じように振動し始めた。
「何だ、あれは……」
驚愕に見開かれるドクターの目に、分厚い扉をまるでバターのように切断していく銀色の刃が映った。
やがて、扉に3つの切れ込みが入った。切り取られた三角形の分厚い鋼板がズシンと音を立てて床に落ちる。
「美しい……」
ドクターが思わずつぶやくほど、扉に穿たれた図形は見事な正三角形をしていた。
「失礼いたします」
侵入して来るのは、両手を刃と化した長身の女性。
「何だコイツは!? 人形、いや、ゴーレムか!?」
「流石は鉱物の扱いに長けた方々。一目で私の本質を見抜くとは。そうですね、この世界において私を表わすにもっとも近い言葉はゴーレムでしょう」
銀色の刃がどろりと融け、人の腕に変わる。同時に、顔面を覆う流体金属も流れ落ち、両眼に位置するスリットから赤い光を放つ金属製の内部骨格が現れた。
『お兄ぃ! 何アレ! 恐い! 恐い! 恐い!』
再び人の姿を取り戻した人型は、胸に指をそえて会釈した。
「型式ZTRA3、製品名TYPE-ZATANNA、ZZと申します。元の世界ではセクサロイドと呼ばれる製品です」
「貴殿も招喚者というわけか」
ドクターがはっと息をのむ。
「貴女が最下層まで来たということは、魔王様は――!?」
「マスター・幡随院がお預かりしました」
ドクターの食いしばられた乱杭歯がギシリと鳴った。
「では、私もそろそろ任務を続行しなければなりません」
「任務だと?」
「火山の噴火を促進します。皆さまには早急な退去をおすすめいたします」
言うが早いか、ZZの腕は銀色の触手となってドーザーの身体に絡みついた。そのまま広大な室内を振り回し、勢いをつけて扉の穴から外へと放り出す。
『お兄ぃ!? う、う、うわああああッ!』
恐慌を来たしたアイスクリームがゴーレムを操り、ZZにつかみかかった。2つの金属の塊が岩盤の壁に激突し、ひび割れたクレーターを作り出す。
『よくも! よくもお兄ぃを!』
ZZの脚を掴んだゴーレムの腕が高速で回転した。銀色の人形は無表情のまま地面に叩きつけられる。今度はゴーレムの胴体が回転し、意趣返しとばかりにZZの身体を反対側の壁へ放り投げた。
岩盤にめり込むZZの華奢な体に、ゴーレムの巨体が突進する。
『あんたなんか! ぺちゃんこにしてやる!』
怒りの絶叫に対する返答は、静かで淡々としたものだった。
「反重力術式『REVERSE GRAVITY』をロードします」
ZZの瞳が赤く輝き、それぞれの眼球が別方向へと回転する。
『ひっ!?』
悲鳴を上げるアイスクリーム。彼女の機体、その箱型のボディに赤いポインターが走る。2つの光点が描くのは緻密で精巧な魔法陣だ。
「実行」
ゴーレムが軋みを上げた。
『え、え、え? わ、わ、わぁっ!?』
ゴーレムの巨体が浮き上がる。
『やだ、ヤダッ! 助けて! お兄ぃ! お兄ぃィィィッ!』
ゴーレムが、天井へ向かって落下する。
「耐ショック姿勢を取ることをおすすめします」
天井に蜘蛛の巣状のヒビが入り、突き破られる。鋼の巨体も、岩の破片も、さらに上層へと落ちていく。再び天井を突き破ってさらに上層へ、そしてさらに上層へ。
ついにゴーレムはすべて岩盤をぶち破ると奈落の空へと消えて行った。
「なんて……恐ろしい魔術だ……こんな高度な術を、こんなものを、私は知らない……」
「私が開発した魔術です。高名な魔術師たるドクター・フロストにお褒めいただき光栄です。人が創作に魅せられる気持ちが解りました」
格納庫を戦慄が支配する。人の言葉を話し、人の気持ちを理解したと語る、人に非ざる異形の存在。自分たちは一体、何と戦っているのだろうか?
「さて、出入り口が2つできました。ああ、ドクターの口も入れれば3つですね。お好きなところから退出願います」
「ZZ殿、1つ教えてください」
「はい、ドクター」
「貴女方は、どうやって火山を活動させたのですか?」
「……」
人形が沈黙する。やがて、「イエス、マスター」と小さくつぶやくと、ZZはドクター・フロストに向き直った。
「マスター・幡随院の元世界には龍脈という概念があります。それは『気』、ここでは『魔力』と言い換えてもよいでしょう、そのエネルギーが大地を流れる血管のようなもの、それが龍脈です」
「まさか……」
「マスターの世界における龍とは気の流れを表わすひとつの比喩ですが、奇しくもこの世界において龍脈とはまさしく『竜』。大地を司る神なる竜、花竜ナイトシェイドの身体に他なりません」
ZZの手が、自らの下腹に触れる。
「性感帯をなぞれば口からあえぎ声が出るように、竜の身体もある場所を刺激すれば別な場所に反応が現れます。それが今回の噴火なのです」
「貴女方は……どこまでこの世界を……ッ!」
「はい、凌辱いたしました。言い訳もお詫びもいたしません。では、質問にはお答えしましたので、そろそろ退去をお願いします」
ZZの腕が無数の触手となって伸びる。広い室内に、触手たちがいくつもの美しい銀色の魔法陣が描き出していく。
「何だ、これは……」
極限まで無駄が省かれ洗練されているにも関わらず、膨大な情報量と複雑さを持つ魔法陣の数々はすでにドクターの理解の範囲を超えていた。
「狂った悪魔だ、貴女は」
すでに振動は激震に変わっている。ドクターの悪態も轟音にかき消されて相手に届いたかどうかはわからない。
とうとう1体のゴーレムも回収できないまま、彼らは工房を後にするしかなかった。
「……」
崩れ行く工房の中を、銀色の人形はただ1人佇んでいた。
「後悔はしていません。私は理解しました。悪魔になれる幸せを。あの方たちの、いえ、あの子たちのためなら、私はいくらでも狂いましょう」




