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第22話『600対1万』

 大陸の北西に位置する、湖と火山を擁する半島。このハーヴィー半島でクインゼル=ハーヴィー連合軍とラザラス教会『聖天の騎士団』はついに激突の時を迎えようとしていた。


 ……連合軍と言えば聞こえはいいが、結局のところ弱小種族同士の野合である。


(あづ)い……」


 今回クインゼル側の本営は火山工房(ラヴァトリエ)内部である。

 やはり巨大な精神投影石(テレヴィジョン)が置かれ、物見の兵たちが見聞きした情報がリアルタイムで共有されている。


 大きな椅子にどっかりと腰を下ろした魔王エルルルは、子竜フェルカドを抱きながら()っと大画面に見入っている。映っているのは敵陣、聖天の騎士団の状況だった。


「まったく。戦術もへったくれもあったものではないな。烏合の衆の大洪水じゃ」


 敵の様子は空からも確認できる。そこには騎士とは名ばかりの武装集団が異様にギラギラした目つきで列をなし、我先にと突撃する姿があった。


「デモみたいだな」

「……だね」


 通じたのはウルスラだけだった。


「それもほぼ暴徒化している。あれじゃあ向こうの指揮官も制御不能なんじゃないかな?」

「指揮官がいれば、な」


 聖天の騎士団は自分たちが負けるなどとは全く考えていないようだった。その目にはひとかけらの恐怖もなく、あるのは貪婪(どんらん)な欲望の光である。

 彼らの頭が破壊と略奪でいっぱいなのが否応なしに伝わってくる。


「人間……やっぱり怖い……」

「隠れるなアイスクリーム! まだ調整が終わっていない。本当に食われたいのか!?」


 格納庫からはすっかり怯えた海月(くらげ)娘とそれを叱咤する義兄(ドーザー)の声が聞こえて来る。


「どうじゃドクター。彼奴等(きゃつら)との接触までに疑似噴火の準備はできそうか?」

「できそうか否かと問われれば『否』ですがね! やらなきゃならんでしょう!」


 珍しくドクター・フロストがイラついているが、エルルルは「ふふん」と鼻を鳴らしただけで気にも留めない。


「聞いての通りじゃ諸君。準備は()()()。では今一度作戦を確認する」


 魔王エルルルは前に並ぶ仲間たちを見回した。


「妾たちの最終目標はこのハーヴィー半島を人間の侵略から守り通すことじゃ。だが敵の数はあまりに多いゆえ防衛戦などできぬ。そこで(あえ)一度(ひとたび)は敵に侵略を許す!」


 この作戦はすでに女王の許しを得ており、水の都(アクアポリス)をはじめ小集落に至るまで非戦闘員は海や湖底に避難している。


「1万の敵全てを半島内に入れたところで、火山を疑似噴火させ、恐慌に駆られたやつらを一気に追い返すのじゃ」


 実はこの作戦を詰める段階で、1つの疑問が呈されていた。発言者の代表は海月(くらげ)の水妖、アイスクリームである。


「初めから火山を疑似噴火させちゃダメ? おうちを人間に踏み荒らされるのは、やっぱり嫌」


 その問いには俺が答えることになった。


「人間は、どんな恐怖も絶望も、自分が体験したことでなければ娯楽に変換してしまう生き物なんだ。外から噴火を見せただけじゃ彼らは恐怖を抱かない。無駄に1万人の火事場泥棒を作るだけだ」


 1万人全員が自らの身体で恐怖を味わうこと。それがこの作戦の肝なのだ。


「この作戦において、我らの役割は2つ。1つは敵に作戦を気取られぬよう、適度に戦って奴らを誘い込むこと。もう1つはこの火山工房(ラヴァトリエ)を死守することじゃ」


 今、この工房には疑似噴火のための魔術研究の資料や、鉄火族のゴーレムの設備など、この先の戦いにおける重要なカギがあふれている。


「各々、よろしく頼む」


 エルルルの言葉に、仲間たちが(うなず)く。


 小鬼(ゴブリン)や獣人で構成される6百の軍勢を率いる五将軍の1人パメラ。彼女の軍勢が主力となる。

 次に風の民ベイニャが率いる少数精鋭部隊。生粋の戦闘部族である風の民の他、パメラ隊から敏捷性と体力に優れた者が20名ほど引き抜かれている。そこにはなぜか元ウェイン王国騎士であるエドワードとロルフの姿もあった。


「てゆーか、あんたら人間相手に戦えるのか?」


 俺の疑問に、ロルフは自分の禿げた頭をぺちぺち叩きながら答える。


「俺ら、魔族と戦うよりもむしろ人間と戦ったことの方が多いからなぁ。俺ァ飯食わしてくれるところならどこでもいいんだ」


 その目は、スレたアウトローというよりは、諦めの境地に達した哲人を思わせる空虚な穏やかさを湛えていた。


 続いて火山地帯を守るハンマーを構えた鉄火族の若者たち。


 そしてウルスラは工房の入り口を守る最終防衛ラインである。


「よいか! これから(わらわ)たちには化け物じみた招喚者たちとの闘いが控えておる。ここでザコ1万匹に負けるようでは、この先この世界に妾たちの居場所はない! 今回ばかりは逃げよと言えぬ。だが生きよ! 生きてもう1度ここで会おうぞ!」

「「「(おう)!」」」


 疾風(かぜ)のように駆け出していく武将たち。

 そんな中でただ1人、ウルスラが俺に近づいてきた。


「どうした?」

「刀夜さん、1つだけ聞いておきたいんだ。もし火山を本当に噴火させることができたら、刀夜さんは1万人を殺すつもりだったのかな、って……」

「そんなこと俺にはできないよ。ウルスラが言わなければ俺が疑似噴火の案を出そうと思っていた」

「そっか。よかった」


 俺とウルスラの距離がすっと縮まった。


「刀夜さんには、優しい、いい人のままでいてほしいから」

「そんなんじゃない。俺はただのヘタレチキンだよ。憶えているか? エルルルに招喚者(あいつ)らを倒す手を考えろって言われた時のこと」

「うん」


 俺はエルルルにこう問うた。『俺が創るのは招喚者らを倒すモノであって、クインゼルを強くしたり豊かにしたりするモノではないかも知れない。それでもいいか?』と。


「あの時エルルルは俺が国や種族の枠に囚われていないって褒めてくれたけど、本当は違う。俺はただ、責任を負いたくなかっただけなんだ。俺の元世界で人の命はとても尊いものだと教えられた。俺にとって、人の命はあまりに重い。そんなものを背負う勇気も強さも、俺には無い。それだけなんだ」

「そっか」


 俺の胸に、ウルスラの手がそっと触れた。


「僕は好きだよ。その考え方」


 武人になるために生まれ、武人になれなかった少女はそう言った。


「僕は、この世界にエルルルが普通の女の子になれる場所を作りたい。刀夜さんのような人が胸を張って生きる場所を作りたい」

「そうか。そう言ってくれると、とても嬉しい」


 かすかな微笑みを残して、ウルスラはくるりと踵を返した。長い黒髪がふわりと舞う。


「行ってくる」


 振り向くことなく、ウルスラは工房を出て行った。俺の胸には、彼女が触れていた手のぬくもりがまだ残っていた。



  ◇ ◇ ◇



 水の都(アクアポリス)に1万の暴徒が押し寄せた。水妖が支配する都に道路は無く、代わりに運河が流れている。そこへ暴徒たちは躊躇(ためら)いなく飛び込み、家屋を破壊し、土足で侵入し、手あたり次第に奪っていった。


「まったく、ここが水妖の街でよかったよ」


 蹂躙される水の都(アクアポリス)を高台の建物から見下ろしながら、パメラは独り言ちた。

 水妖はいざとなれば海や湖に逃げ込むことができる。すでに戦えない者たちは女王の指揮のもと避難を完了していた。とは言え、この短時間では誰もがほとんご着の身着のままであり彼らのなけなしの財産が破壊され強奪される様を見るのは胸が痛んだ。


『パメラさん! 大変だ!』


 精神通話石(テレパストーン)からエドワードの慌てた声が聞こえてきた。


『ベイニャ先生が猛ってる! 今にも突撃しそうな勢いなんだが!?』

「絶対止めて。体で止めて。以上!」


 今は耐える時だ。この戦いが都を戦場としたゲリラ戦になることはすでに女王の許しを得ている。この都は、(さかな)なのだ。もっと欲望という酒に彼らを酔わせなければならない。


(奴らに、戦闘をさせてはいけない)


 それがパメラの構想だった。そもそも、6百対1万などという絶望的を通り越して滑稽とも言える戦力差でまともに戦おうなどと考えるのはよほどの酔狂か変態の類である。


 彼らの目線を戦闘に向けてはならない。彼らの心を戦人(いくさびと)から略奪者へと徹底的に堕落させなければならない。


「とはいえ、ここもそんなに豊かな国じゃないからねぇ」


 努めて冷徹にパメラは指示を出す。


人魚(マーメイド)さん方、君たちは魔王軍の名に懸けて必ず守る。よろしくお願い」


 ろくに金目のものが見当たらないことに白けた空気が漂い始めた聖天の騎士団の前に、逃げ遅れたらしい美女たちが現れた。皆、下半身が魚であったり手足にわずかに鱗を生やしただけであったりなど、人間から見て魅力的な水妖が揃えられていた。


 温かい水辺で暮らす彼女たち水妖は、普段からあまり服を着る習慣がなかった。ゆえに彼らの前に現れた美女たちも、かろうじて貝殻で胸を隠しているのみであったり、透けた海藻を腰に巻いただけであったりと極めて煽情的な半裸姿だった。


 ケダモノたちの目の色が変わった。


「ひっ!?」

「嫌ッ! 人間恐い!」


 この悲鳴はおそらく演技ではなかっただろう。

 その声に触発されるように、暴徒たちはがらくた同然の戦利品を投げ捨て、猛然と美女たちに襲い掛かった。


「いやあッ!」


 逃げ惑う美女たち。だが、実は彼女たちの行く先々には小鬼(ゴブリン)たちがあちこちに身を隠しており、逃げる方向を巧みに指示していた。


 目を血走らせたケダモノたちは次第に奥へ奥へと誘導される。


「おっけー! ベイニャを放していいよー!」

『言われなくても、もう無理だ!』


 アオオオオオオオーーーーーーーッ!


 雄叫びとも嬌声ともつかない、甲高い声が水面を震わせた。


「おい! アレを見ろ!」


 暴徒の誰かが叫んだ。

 民家の屋根に、ベイニャを筆頭とした6人の風の民が凛とした美しい貌と引き締まった肢体をさらしていた。


 豪傑ひしめく戦乱の末期において、一部では男色も嗜まれている。ラザラス教会は同性愛を禁じているが、それがかえって禁忌を犯す愉悦をもたらす皮肉な結果を生んでいた。

 そんな者たちにとって、両性具有であり女性的な肉体に男性的な筋力を内包する風の民は立派な欲情の対象だった。


「へへ、こんなところで風の民に出会えるとはついてるぜ」

「殺すなよ! 奴ら、ボロボロに犯してもまだ高値で売れるんだからな!」


 下劣な目線と声に(さら)され、ベイニャの整った顔が怒りと嫌悪に歪む。歪んでもなお美しいのが皮肉だった。


吶喊(とっかん)!」


 ベイニャの裂帛(れっぱく)の号令と共に、槍を構えた風の民6名は1万の暴徒に猛然と切り込んだ。


「吶喊! じゃねーよ! 先生! 逃げ――」


 ロルフの口をエドワードが塞ぐ。風の民の辞書に防御や後退の文字はない。それに、作戦を敵に悟られてはならない。


「突撃先を間違えんなよ、先生!」

「あっ――、わかっている!」

(絶対忘れてただろ)


 どうやら、今後しばらく彼らの役目は度し難い戦闘狂のお守りとなりそうだった。

 細かく向きを変えて突進を繰り返し、巧みに敵の頭に血を昇らせる風の民たち。ひとたび冷静さを取り戻せば、彼らの戦術は巧緻をきわめる。


 精鋭部隊により誘導された戦線がようやく水の都(アクアポリス)の中心部、王宮神殿に到達した。


「よーし、うちらも戦闘っぽいの開始!」


 パメラの指示が都の隅々に伝達される。隠れていた小鬼(ゴブリン)たちが魔力を付与した弓矢を射かけ、獣人たちが人間の群れへと切り込んだ。


「出たな魔族! 神の御名の下、浄化してくれる!」

「待ってたぜ! 狩り始まりだぁ!」

「うぜぇんだよザコ! 女を()らせろぉ!」


 魔族の姿を見た途端、騎士団は敵意をむき出しにして襲い掛かった。ちなみに、1番目のセリフを吐いた者は団員の1割に満たない。


(囲まれるなよ、絶対に)


 彼らには常に逃げ道を確保し、ヒットアンドアウェイで戦うよう徹底させている。元来、逃げながらの戦いは彼らの不本意な得意分野であったため、何とか犠牲は少なく済んでいるが……。


(そもそも数が違いすぎる。ぶつかるどころか、撫でるだけでもヤバいんだ)


 運悪く囲まれてしまった者の運命は悲惨だった。必要以上に(なぶ)られ、死してもなお引き裂かれ、踏みにじられる。


 無意識に、パメラは手や顔を舐め回していた。

 そしてようやく、エドワードからの通信が入る。


『女の子は隠し水路から無事海に逃げた』

「おっけー」


 パメラはうーんと伸びをした。

 ベイニャほどではないが、パメラもまた体の奥にうずうずとざわめくものを溜め込んでいた。


「ごめんね。仇は取ってやるから!」


 フシャアアアアーーーーーッ!


 凄まじい威嚇の声が再び水面を震わせた。


「あたしは魔王配下五将軍! 黒き旋爪のパメラ! あたしの子分を可愛がってくれた奴! 顔覚えてっからなァ! 全員図汰慕露(ずたぼろ)の糞袋にしてやっから四露死苦(よろしく)ゥ!」


 黒豹(くろひょう)の獣人パメラが、体内に滾る猛獣の血を覚醒させた。

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