第21話『ラザラス教会、動く』
十三評議会。
それはラザラス教の総本山、ラザラス司教国の最終決定機関である。大法王を議長に12人の枢機卿が円卓を囲み、多数決により教団の方針を決定すると言われている。
一見、民主的に思えるが、そもそも『人が合議して物事を決める』という考え方は実は『人は愚かであり神の天啓による導きがすべて』というラザラス教の教えと矛盾する。
その解答は、ラザラス教の教えが生活に浸透したこの世界の人間たちにとっては永遠の謎だが、クインゼルをはじめとした異教徒にとっては極めて単純明快なものだった。
教団の最上層部は、神など信じていないのである。
十三評議会にとって、ラザラス教とは国家を超えた支配のシステムだった。
亜人などの少数種族や少数民族、異教徒に対する弾圧や差別は彼らにとってビジネスの一環に過ぎない。
要は、愚民の思考力をいかにして奪うか。
今の貧困は全て外敵による侵略と搾取の結果なのだと思い込ませること。自分たちは有能だが善良であるがゆえに、外敵の狡猾さの被害に遭っているのだ錯覚する、そんな物語を創ること。
さらに、正義は自分たちにあるものの手は汚したくない思いを払拭するための、暴力の代理人、つまり英雄を創ること。英雄に悲劇的な結末が付きまとうのは、愚民の罪悪感を英雄に背負わせるためでもある。
こうして、スパイスの効いた糖蜜に漬けられた愚民たちは敬虔な信徒として上層部に富と権力を貢ぐのである。
この世界の歴史の中で、人間が誕生し繁殖していく過程で、彼らのように宗教を利用しようとする者たちは数多くいただろう。乱立する小集団の中で、より狡猾でより暴力的なものが共食いを制し、一極化して膨れ上がった。その後数度の内部分裂と再統合を経て残ったもの、それがラザラス教会である。
したがって、ラザラス教会の枢機卿たちはその長い歴史の中で敗北を経験したことがなかった。
今回の事件は、そんな彼らの傲慢りから始まったと言ってもいい。
そういう意味では、彼らの真の敵は異世界から来る破壊者たちではなく、彼らの脳を酔わせている勝利の美酒だった。
「まずは、グラスナックより6人の枢機卿が無事生還したことを嬉しく思う」
十三評議会は、大法王の厳かな挨拶から始まった。赤と金の織り交ぜられた豪奢な法衣から干からびた皺だらけの顔をのぞかせた老人である。
他の12名の枢機卿たちもそれぞれに老醜のにじみ出る容姿をしていた。腐臭を放ちながら朽ちゆく身体から、なお脂ぎった権力への欲望をギラギラと分泌している。
「これでようやく『聖天の騎士団』を動かすことができますな」
「まったく。血に飢えた人畜共を抑え込むのも一苦労であった」
そもそも、この老人たちが彼女らをこの世界に『召喚』したのは、溜まってきた民衆の不満をガス抜きするためだった。ウェイン王国の大国化に伴い、人々の心には戦乱を厭う気持ちが生まれ、暴力のカタルシスを戦死の不安が上回りつつあったのだ。
国家間の紛争により生じた新たな利権もあらかた開発し尽くしたこともあり、教会は人間同士の争いを終わらせ、英雄による魔族との戦いという原点回帰により疲弊した人々の不平不満の矛先を反らそうと考えたのだ。
魔族をいたぶることには何の問題もない。厄介なのは英雄をどこから調達するかだった。複雑に絡み合った利害関係の中から、栄光と罪科を一身に背負う存在を選び出すことは不可能に近い。
そこで彼らは英雄も外部から連れて来ようと考えた。
そうすることで、この世界の誰もが見目麗しい英雄たちと邪悪な魔族との死闘を『観賞』し、澱のようにたまっていた鬱憤を晴らすはずだった。
だが、その結果がこの惨状である。
英雄たちはあろうことか自分たちに牙を剥き、民衆は彼女たちの圧倒的な力に絶望した。教会が長い歴史と共に育て上げてきた従順な家畜たちが、根こそぎ奪い取られようとしているのである。
一方で、絶望しなかった者たち――現状をありのままに認める能力に欠いた者たちとも言える――のフラストレーションは最高潮に達していた。十三評議会は騒動の原因を亡ウェイン王国に押し付けたが、殴れない亡霊をいくら罵ったところで彼らの鬱屈は晴れない。
招喚者は強大すぎて殴れない。魔族を殴っている場合でもない。行き場を失った憤りは必然的に内部へと向かい始めた。
ただでさえ半減してしまった家畜たちに共食いをされてはたまらない。
そんな敬虔な信徒のために結成されたのが『聖天の騎士団』だった。大々的な結成集会を開き、お祭り気分と集団心理でお茶を濁したのである。
だが、その熱狂もゴートランドの焼滅で一気に冷やされた。
ここへきてようやく、老人たちは自分たちが崩れかけた崖っぷちに立っていることに気付いたのである。このままでは招喚者たちに滅ぼされるか、暴徒化した信徒に引きずり込まれるか。
現実を直視できなくなっていた者たちの最たる例が彼ら十三評議会だった。
「では、騎士団をどう動かす?」
大法王が一同に問う。
「進撃あるのみ」
力強く唱えたのは、グラスナックから脱出してきたという枢機卿の1人だった。
「しかし、騎士団とはいえ所詮は烏合の衆。あの招喚者たちに勝てますかな?」
「進撃あるのみ」
答えたのは別の者だが、彼もまた元ウェイン王国の祈祷院にいた者だった。
「絶対唯一神の御照覧の下に」
「我らの進む先には栄光と勝利あるのみ」
「卿ら、何をバカな――」
言いかけて、その枢機卿は慌てて口をつぐんだ。彼らが信仰しているのが神ではなく利権であることはこの場の者たちの暗黙の了解だったが、あくまで暗黙であって、一応彼らはもっとも敬虔な神の僕としてこの場に座っているのである。
「進撃あるのみ」
「我ら、神の剣として」
「進撃あるのみ」
「わかった。騎士団の進軍には我らも異存はない。だが、今までのように数で圧すだけで勝てる相手ではないと言いたいのだ」
「邪竜を手に入れる」
「何!?」
邪竜とは、この世界における生態系の頂点に立つ3柱のドラゴンであり、魔族たちからは神なる竜と呼ばれている存在である。
「だが、すでに蟲竜ミステリシアは敵の手に落ちている」
「アレが一番人間と手を組む可能性が高かった。次に脈があるとすれば……」
「竜王オメガ」
「だが、オメガの縄張りは海だ。奴は陸のいざこざに興味を示すまい」
「生贄を捧げる。1万の人命と、無数の魔族共の命を」
1万の人命とは、むろん『聖天の騎士団』として集まった信徒たちである。しばし黙考する枢機卿たちの脳裏を巡っているのは、敬虔な信者たちの人生ではなく、ひたすら利益が損失に見合うかということだった。
「家畜は勝手に増える。だが、貶められた教会の威光は回復に時間がかかる」
「これより、我らはオメガを聖なる竜とし、神の使いとして崇めることとしよう」
恥を知らない変節もまた、彼らのお家芸であり生き残りの術だった。
「進撃あるのみ」
「わかったわかった。問題はどこへ進撃するか……」
「オメガと交流のある国はひとつだけだ。水妖と鎧ネズミ共の巣食う地」
数秒の沈黙の後、大法王が口を開いた。
「聖天の騎士団に進撃を命ずる。行く先はハーヴィー半島だ」
◇ ◇ ◇
「彼奴等め、このタイミングで動き出すか!」
エルルルが沈痛な面持ちで爪を噛んだ。
「古時計……教会の抑え込みには成功していると言っていたはずじゃが……」
古時計はウルスラやパメラと同じ、魔王配下の五将軍の1人である。小鬼族の小柄な老人だが、クインゼル随一の魔術師でエルルルの教師でもあった。
「精神通話に応答しません。傍受を恐れているのかもしれませんが」
ドクターの声にも動揺がにじんでいる。
「爺はそもそも傍受されるような念波は使わん。やはりここは爺の身に何かあったとしか……」
「魔王様」
思考の海に沈みこもうとするエルルルを、パメラが引き上げる。肉球のついた手の平を差し出すと、エルルルは小さな両手でそれをもみ始めた。
どこかで、柔らかいものを触らせるのは小児が心を落ち着けるテクニックだと聞いたことがある。
「古時計は海千山千の妖怪爺。そう簡単に囚われたりしませんよ」
「だが、肝心な時に腰をグキッとしたかもしれん! 詠唱中に入れ歯を落としたやも――」
「今は私たちのことを考えましょう」
「……そうであった」
ラザラス教会が結集を呼び掛けていた『聖天の騎士団』は1万人ほどの数となり、招喚者たちがいるウェイン隷属国ではなくこのハーヴィー半島に向かって来たのだった。
クインゼルが超巨大船が完成するまでこのハーヴィー半島に来ることができなかった理由。亜人が繁栄する2つの国が地理的に分断されてしまった理由。それはすべてこの聖天の騎士団のためだった。
そもそもこの騎士団は、魔王にけしかけられた招喚者を観賞し、応援するために集められた者たちを元とした集団である。クインゼルの国境付近に陣取っていたのは当然と言えば当然だった。
「いかがなさるおつもりですか?」
水妖の女王が問う。その声に感情が見られなかったせいか、ウルスラとパメラの身体に緊張が走った。
「ご心配なく。教会との摩擦は覚悟の上で我々はクインゼルと手を組みました。この期に及んでその手を離すつもりはありません」
そう明言したうえで女王は続けた。
「しかし、我々には戦の経験がありません。これまで我々は海の財宝と若い娘を人間に差し出して争いを避け、竜王様の御威光と鉄火族のゴーレムで危機をしのいで来ました。ここへきて、姑息な生き様を後悔する時が来たようです」
「ハッタリでしのいできたのはクインゼルも変わらぬ。だが、今回ばかりは我らも逃げるわけには行かぬ。火山工房を奪われたら、この世界が招喚者に対抗できる目がなくなってしまう。それに何より……」
魔王エルルルは、真っ直ぐに水妖の女王を見つめた。
「ようやく友となってくれたのじゃ。妾は握った手を離しとうない」
「……」
差し出された小さな手を、女王は両手で包むように握った。
「ドーザー、アイスクリーム」
鉄火族の青年と海月の少女がその場に跪く。
「今より、貴方たちの一族はエルルル様の指揮下に入りなさい」
「しかし、それでは――」
「我らとクインゼルは一心同体。エルルル様の言葉はわたくしの言葉と思いなさい」
「はっ」と平服するドーザー。その様子を見て、アイスクリームもゆらりと頭を下げた。
「ドーザーの一族はそのままこのハーヴィー半島の全防人です。それを魔王様にお預けします。どうか、この地をお守りください」
◇ ◇ ◇
女王には非戦闘員の避難を頼み、エルルルを筆頭とした戦闘員は作戦会議を始めた。
「そういえば、ここにいる者たちの大半はクインゼル流の作戦会議は初めてでしたね」
口火を切ったのはドクターの妙な言葉だった。
「これから我らが魔王様がかなりお見苦しい姿をお目にかけますが、どうかご容赦を」
ドーザーとアイスクリームには特に慇懃に頭を下げる。
「では魔王様、もう我慢しなくていいですよー」
パメラの優しい猫撫で声を合図に、エルルルの身体がプルプルと震え出した。
「う、うぅ……」
大きな目にみるみる涙が溜まり、可愛い顔がくしゃっと歪む。
「うわああああああーーーーーん!」
そして爆発した。
「終わりじゃあ! もうダメじゃあ! 詰んだ! 完全に詰んだぁうわあああああん!」
口蓋垂が見えるほどに大きく口を開け、天を仰いで絶叫する。
「「「ええー!?」」」
唖然としなかったのは古参のドクターとパメラだけである。特に地元民であるドーザーとアイスクリームは絶望そのものの顔でエルルルを見ていた。
「ちょっと待て! さっきの女王との握手は何だったんだ!? 貴殿はできもしない約束をさもできるかのように交わしたのか!?」
ドーザーが叫ぶ。というか悲鳴に近い。
「だって、だって! せっかく、女王と友になれたのじゃ! 嬉しかったのじゃ! がっかりされたくなかったのじゃ!」
「何……だと……」
「いいよドーザー殿、その調子でどんどん発言してー」
絶望に打ちひしがれるドーザーを尻目に、パメラがのほほんと囃し立てた。
「あぁぁぁぁもうダメじゃぁ絶望じゃあ! ドクター! 敵の数は!?」
「1万です」
「味方の数は!?」
「ハーレイクインに乗せてきたのはざっと1,500名ですね」
「その中で戦える者の数!」
「642名」
642という語呂合わせが浮かんだが、絶対に黙っておこう。
「桁が違うわボケぇ! 彼我の戦力差!」
「6百対1万!」
「戦えるか!」
「あの!」
そこでウルスラが叫んだ。嫌な予感がする。
「僕の元世界にこんな言葉がある。一騎当千!」
「その意味は!?」
「1人で千人を相手にするんだ! 僕とドクター、パメラ姉さま、ベイニャが千人倒せば――」
「おお! ――って残り6千もおるわボケぇ!」
泣きながらウルスラをポカポカ殴る。
「なぁエルルル、ここは無理せず逃げればいいんじゃないか? それが魔王軍の訓示だろ?」
「妾たちはそれでよくとも、ここの民はそうはいかぬ。彼らは命よりも土地を大事にする種族じゃ」
海月少女と鎧ウサギがうんうんと頷いている。特にアイスクリームはすがるように目を潤ませている。
「……だが、無理なものは無理って言うのも大切なんじゃないか?」
「無理じゃあ! 無理無理無理無理! うええええええ!」
すごい言った。
「もう、ダメだよぉ……」
エルルルの泣き声につられたのか、アイスクリームが涙声を上げた。
「食べられちゃうんだ。私たち、人間に丸焼きにされて食べられちゃうんだ! うわあああん!」
抱き合って泣く二人の少女。海月の触手がエルルルの角に絡まっている。
「どうせ死ぬなら工房で死ぬぅ! 私、工房に引きこもるから!」
泣きながら部屋を飛び出そうとするアイスクリームだが、パメラののほほんとした声がそれを止めた。
「そーだねー。いっそ引きこもっちゃおうか」
籠城か。
「じゃが、籠城は援軍の見込みがあって成立する策じゃ。でなければただのジリ貧じゃ!」
「何だこれは……これが作戦会議と言えるのか……?」
ぐったりとしおれるドーザー。だが、各々が好き勝手に喚く中で、俺の中で何かが形を成していった。
「なあ、ドーザー。ここの火山はよく噴火するのか?」
「何?」
「噴火するよ。10年に1回くらい」
代わりにアイスクリームが答えてくれた。
「噴火した時はどうするんだ?」
「水妖は海に逃げる。吾輩たち鉄火族はこうして防御形態をとれば溶岩に飲まれても数十日は耐えられる」
ころんと身体を丸めるドーザー。すると全面が鎧の球となった。やっぱり可愛い。
「前の噴火はいつだ?」
「7、8年ほど前か?」
ギリギリだが、地元民がこれだけアバウトなら行けるかもしれない。
「刀夜さん、何か考えがあるのかい?」
ウルスラに促されて、俺は言うだけ言ってみることにした。
「火山を人工的に噴火させることはできないかなって」
「何?」
「一騎当千の援軍だよ。火山ならそれができる」
「だが、そんなことができたとして、この地は……」
エルルルが声を上げるが、当の地元民は存外あっけらかんとしていた。
「まぁ、私は海に逃げれるし」
「吾輩は丸まるし」
「そりゃ後片付けとか復旧作業とか大変だけど、それでも10年に1回はあることだから……」
人間に奪われるよりはマシだというのが彼らの意見だった。
「では、彼らはそれでよいとして、問題は火山の噴火を実際に起こせるかということじゃ」
ドクターに視線が集中するが、彼はあっさりと首を振った。
「専門外です。見当もつきません」
すごく科学者らしい返答だった。
「じゃあドクターの専門分野ならどうかな?」
発言したのはウルスラだった。
「と、言いますと?」
「いや、思ったんだ。何も本当に噴火を起こすことは無いって。魔術と土木工事でそれっぽくできないかなって」
「そういうことなら、ざっと10通りほどの案がありますが」
ここでそういう発言ができるドクターが羨ましい。
「土木工事!?」
「今、土木工事と言ったか!?」
にわかに瞳を輝かせる地元の義兄妹。
「そういうの大好き! 造るのも壊すのも!」
「ああ。我らがゴーレムの真骨頂だ!」
いつの間にかエルルルが泣き止んでいた。
「骨子は決まったな」
泣きじゃくる少女はいなくなり、1人の指揮官が現れた。
「我らは籠城策を採る。敵を半島の奥まで誘い込んで時間を稼ぎ、火山の噴火を演出して1万の敵を恐慌に陥れる!」
これがクインゼル流の作戦会議か。自らを逃亡者と名乗る彼らはこうして絶望的な状況を切り抜けてきたのだろう。
「6百対1万か。面白い。妾と魔王軍のハッタリの粋を見せてくれるわ!」
恰好つけているが、微妙に情けないのがらしいと言えばらしかった。




