第20話『序曲』
「何、してるんですか……」
ユキレイの傷口をせりなの指がぐりぐりと抉る。
「ちょ、思った以上におこやんな」
「傷はあとでちゃんと治しますから。まずは私の質問に答えてください」
「相手さんの力量を見てみたかっただけや」
「嘘です」
魔法少女の回復魔法により薄く被膜が張ったユキレイの胸の傷を、少女の爪が突き破る。
「痛ッ!? わかった、正直に言うから、堪忍して……」
「早く」
「性癖や。自分でも止められへんねん」
脂汗を流しながらあえぐユキレイの顔に、嘘をつく余裕は消えている。
「はぁ? ふざけないでください!」
光のない目線がユキレイを射貫いた。
「どうして……どうしてそんな理由で!? 今も自分の知らないうちに、友達が、家族が、ひどい目に遭っているかも知れないのに! どうして遊んでいられるんですか!?」
「……」
「今は! この世界の人たちの心を1つにしなければいけない時なのに!」
「……ごめんな。もう2度とせえへんよ」
ユキレイの指がせりなの髪を梳く。
「次……次やったら……私は、あ、あ、貴女を、敵だと思いますから……!」
凄まじい治療を終えると、せりなは足音荒く部屋を後にする。ユキレイは荒い呼吸をしながら乱暴に閉められた扉を見つめていた。
「お子ちゃま」
ぽつりとつぶやくと、乱れた服はそのままにベッドの上に身を投げ出す。
「今のは貴女が悪いわ」
「……ノックくらいせぇや、バーバレラ」
バーバレラは部屋に入るなりベッドに腰掛けた。
「回復魔法なら私も使えるわ。あの子に頼るのはやめなさい」
「妬いとんの?」
バカ、と言いながらバーバレラはユキレイの胸元を指先でつっとなぞる。
「綺麗に治っているわ。残念。傷を舐めてあげようと思ったのに」
「やっぱ妬いとるやん」
「心の傷はどうかしら……」
王女の舌先がユキレイの胸を繊細に舐める。ユキレイは手で自分の顔を隠そうとするが、バーバレラはやや乱暴にそれを押さえた。
「わたくしの泣き顔を見ておきながら、自分は涙を隠すつもり?」
「堪忍して、バーバレラ……もう苛めんといて……」
流れ落ちる涙を、バーバレラの指がすくい取る。
「これが、貴女の心が流す血の味なのね」
守れなかった人々がいる。彼らの怨嗟に苛まれる悪夢を毎日のように見る。何気ない物事にふと笑みが浮かんだ時、自分に笑う資格がないことを思い出す。
いつからだろう?
自分が心の底から笑うことができなくなったのは?
「堪忍してください……、誰か、うちを、罰してください……、もう、終わらせて……」
唇が重なる。人の身体の中で、皮膚のもっとも薄い部分を重ねる。でも、いくら肌を触れ合わせても、互いの心に触れることは決してできない。
いくら互いの身体を愛撫しても、心の傷を舐め合うことは決してできない。
互いにできることは、絶望の海をたゆたう孤独な心にわずかに離れて寄り添うことだけだった。
◇ ◇ ◇
「あああああッ!」
自室に戻ったせりながしたのは、ぬいぐるみを壁に投げつけることだった。コカブと名付けた両親からの誕生日プレゼント。以来ずっと、魔法少女となってからも苦楽を共にしてきたぬいぐるみ。
「どうして!? どうして! みんな勝手なことばかり!」
ぬいぐるみの首を絞める。
「私は! 私はいつまで――ッ!」
布が裂け、綿がぶにゅりとはみ出した。
「何で、何で私はここにぃぃぃッ!」
少女はクマを殴った。こいつの何もかもが気に障る。なぜ何も言わない? なぜいつもされるがままになっている? こんな理不尽な目に遭っているのに、にやにやしているこいつが大嫌いだ。
「みぃ……」
小さな声がして、せりなははっと我に返った。部屋の隅っこで、白い子竜が怯えた目でせりなを見ている。
「イルドゥン……」
深呼吸をひとつして、せりなは肺腑の空気を入れ替えた。精いっぱいの微笑みを作って、震える子竜を抱き上げる。
「ごめんね。イルドゥンは何も悪くないよ」
目を合わせて語り掛け、頭を撫でる。しばらくそうしてイルドゥンはようやく安心したのか、せりなの首筋に頬をこすりつけて甘えてきた。
「何やってるんだろう、私……」
この子の母親代わりになると誓ったのに、これでは失格もいいところだ。イルドゥンの真っ白な毛を撫でつけながら、ふとユキレイの白い髪を思い出した。
「私、ひどいこと言っちゃった」
彼女たちはお互いに自分が元の世界でどんな戦いをしていたのか語ろうとしない。でもその中ではせりなが一番優しい世界にいたであろうことは察せられた。
(ユキレイさんも、誰かにすがりたかったのかも知れない)
もしそうなら、彼女に悪いことをしてしまったと思う。先に感情を爆発させてしまったのはせりなの方で、かえってユキレイに甘える形になってしまった。
「私、あんなことできるんだ……」
指先に感じたユキレイの肉の感触を思い出して、ぞっと背中に悪寒が走る。
「何やってるんだろう、私……」
今、自分に温もりを与えてくれる子竜の存在が無性に愛おしく、かけがえのないものに感じれられる。
「イルドゥンはここにいてね……、ずっと、私の側に……」
◇ ◇ ◇
火山工房。鉄火族ドーザーに案内された俺たちが見たのは、溶鉱炉を備えた工場を思わせる意外と広々とした空間で、溶岩から直接熱を得て鍛冶を行う鉄火族たちだった。
網膜に焼き付くような溶岩の光と熱が満ちる中で、彼らはみな己の身の丈を遥かに超える巨大な長柄のハンマーを持ち、たまによろけながらそれを振り上げ、ぴょんと跳ねながら打ち付ける。
「何を作っているんだ?」
俺の問いに、ドーザーはよくぞ聞いてくれたとばかりに頷いた。
「ではこちらへ」
工房の奥へ案内される。そこは一転してひんやりとした空気を湛えた暗い部屋だった。
「壁面をパイプが張り巡らされているだろう?」
ドーザーが解説する。
「パイプを使って湖から引いた水を循環させて部屋を冷やしているんだ」
やがて、厳重な金属の扉が現れた。
「でかいな……」
俺でさえ仰ぎ見るほどの高さがある。幼いエルルルよりもさらに小さいドーザーがどうやってこの扉を開けるのかと思っていると、彼は部屋の隅についているハンドルを回し始めた。
ゴゴ、と音がして扉が左右に分かれ、開いていく。
「これは……」
一瞬で目を奪われた。
「そうじゃ。これが彼らの使う魔術よ」
エルルルがにやりと笑った。
そこにあったのは、ずらりと並ぶ鋼鉄でできた人型の巨人だった。
「「巨大ロボット……」」
俺とウルスラの声が被る。
「ろぼっととはよくわからないが、これらが吾輩たちの造るゴーレムだ」
「普通、ゴーレムは魔術を使って泥や石から造るであろう? だが鉄火族のゴーレムはあらかじめ作っておいた造形物を魔術で操るのじゃ」
この世界の『普通のゴーレム』が逆に俺にはよく分からないが。
ともかく、鉄火族のゴーレムは全長が3メートルほどで、大きな箱型の胴体に腕と短めの脚がついたずんぐりとした姿をしていた。
全体は分厚い鉄板を組み合わせたような造形で、例えるならレゴブロックで作ったロボットだろうか。
目を引くのは片腕に装着された砲とボウガンを合わせたような兵装と、反対側の腕に装着された武骨な盾だろう。
「内部を見るかね?」
ドーザーは機体のひとつにぴょんぴょんと跳ね上がると、手に魔法陣を展開させた。するとゴーレムの胴体が前後にバカリと開き、降りて来た前側の装甲版がそのまま内部へ誘うスロープとなった。
「中に入れるのは1人だが、どうする?」
「刀夜殿が入るのじゃ」
「え? 俺が?」
大きく頷くエルルルに促され、俺はスロープを昇った。そこには1人掛けの革張りの椅子とその横に二回りほど小さな補助席があった。
俺が正面の椅子に座り、ドーザーが補助席に座る。ドーザーが虚空に魔法陣を描くと、下がっていた装甲版がせり上がって俺たちはゴーレムの内部に収納された。
俺の手元でコンソールパネルのようなものがぼうっと光る。そこには小さな魔法陣がざっと30は並んでいた。
「魔法陣の1つ1つがゴーレムの関節に対応している。肩の上げ下げ、ひじの曲げ伸ばしといった風に」
……何だと?
「それじゃ、この武器を構えるだけでも、肩を上げて肘を伸ばして手首を回すという操作が要るってことか?」
「その通り。たいていは肘を上げることしか考えないのだが、貴殿はセンスがあるな」
だが、それでは動く標的に狙いを定めるなんてとてもできやしない。
いや、もっと恐ろしいことに気付いた。
「歩けるのか? これ」
脚の動きと腰の前後左右を連動させて重心を移動する。それをこのパネル操作でやれというのか?
「歩けるとも。10年ほど修行すれば」
コクピットから出た俺を、エルルルが真面目な表情で迎えた。
「どうじゃ、このゴーレムは?」
「……パイロットに会いたいな」
ぱいろっと? と首をかしげるこの世界の人たち。
「このゴーレムを動かす魔術師だ。鉄火族じゃないんだろ?」
彼らの座席はあの小さな補助席だ。メインの術者は別にいる。彼らよりも大きい、人間くらいの体格の者が。
「貴殿は不思議な男だな。ゴーレムについて無知なのか熟知しているのか……」
ドーザーの俺を見る目が少し変わっていた。
「貴殿の言う通りだ。搭乗術士を紹介しよう。アイスクリーム!」
ドーザーが部屋の奥に向かって叫んだ。
「アイスクリーム! 出て来てお客人に挨拶するんだ!」
すると、ゴーレムの足元の影から何かがずるりと這い出て来た。と思ったらまた引っ込んでしまった。
「すまない。人見知りの義妹で……」
ドーザーが影に近づいていく。
「ほら、来るんだ」
「嫌。人間いる。怖い」
か細い女の子の声だった。
「大丈夫。女王の許しを得た者だ。それによく見ろ。あの腕ではハンマーどころか砥石も持てまい」
聞こえてるぞ鎧ウサギ。
「でも、雌の方は……」
「あっちは魔王様直属の将軍だ。いくら人間でも主の目の前で暴れたりはしないさ」
彼らに悪気はないのだろうが……。
彼らの持つ人間のイメージはどうなっているのだろう?
「僕、よくクインゼルに受け入れてもらえたなぁ……」
ウルスラがしみじみとつぶやいた。
ようやく説得が終わったのか、ドーザーの後ろからひと目で水妖とわかる少女が恐る恐る歩いてきた。
透き通るような青白い少女だった。
比喩ではない。本当に皮と肉が半透明なのである。さすがに骨や内臓は見えないが、輪郭あたりは向こう側の光が透けて見える。
頭にはやはり半透明の大きな傘があり、そこから髪の毛を模したような無数の触手が垂れ下がっていた。
少女は、海月の水妖だった。
傘や触手は青や緑、紫といった光の筋がネオンのように明滅している。目は大きいが少し眠そうに開いており、目の下には頭と同じく3色に明滅する変わった隈ができていた。
蒼白い肌と相まって、やや病的で儚い印象の少女だった。
このどこか危い弱弱しさは、少しグウェンに似ている。
「アイスクリーム、です。食べないでください」
後半はあからさまに俺とウルスラを見ながら言っていた。
ちなみに、これは後から聞いたことだが、この世界にはまだアイスクリームという食べ物は存在していなかった。彼女の名前のイントネーションはアイ・スクリームが正しく、幼少期から声が極端に小さかった彼女を心配してつけられた名前とのこと。
そんな海月の少女アイスクリームが操縦するゴーレムは、流石に熟練者だけあって見事なものだった。歩くことはもちろん、走ったり、わずかながら跳んだりもできた。武器や盾も機敏に構えることもできる。
たしかに、あのコンソールパネルに並ぶ30近い魔法陣を同時に操るのはアイスクリームのような触手系の水妖でなければできない芸当だろう。だが……
「どうじゃ、刀夜殿?」
再びエルルルが問うてきた。
「彼らには悪いけど、とてもじゃないが招喚者らには太刀打ちできない」
そもそもスケールが違うサイコ・キャナリーはもちろん、大きさが近いユキレイの魂刈の相手もできないだろう。
「で、あろうな」
エルルルの声は俺の返答を予測していたようだった。
「刀夜殿」
魔王の瞳が、俺をじっと見上げていた。
「これが、妾が思いつく限り用意できる材料の全てじゃ。その上で頼む。可及的速やかに招喚者らへの対抗手段を考案してほしい」
ゴーレムのコックピットに乗るよう言われたときから、こう言われる予感はしていた。
「これは魔王の命令ではない。友としてのお願いじゃ。だから、たとえ成果が出なくとも妾も誰も文句は言わぬ。いや、妾が言わせぬ。そもそも、筋で言えばここは地に手を付いてお主にすがるべきところじゃが……」
「友として、そんなことはしてほしくないな」
自然と笑みがこぼれた。俺の答えは最初から決まっている。
「ひとつだけ言っておきたい。正直今は頭が真っ白だけど、俺が創るのは招喚者らを倒すモノであって、クインゼルを強くしたり豊かにしたりするモノではないかも知れない。それでもいいか?」
エルルルの口元がふっとほころんだ。
「さっそく妾の期待に応えてくれたな、刀夜」
「え?」
「構わぬ! 友よ、この世界のために力を貸してくれ! それができるのは、国や種族に囚われぬ視点を持つそなただけなのじゃ!」
◇ ◇ ◇
「なるほど、なるほど、なーるほどー♪」
精神通話石から耳を離し、幡随院 望はほくそ笑んだ。
「悪足搔くねぇ、魔王ちゃん。それに月代のオッサン」
正直、初めて彼を見た時は頼りない一般人だと思っていたが、思わぬジョーカーとなるかも知れない。
「月代 刀夜……。クク、主人公みたいな名前しやがって」
この一方的な蹂躙を愉快に盛り上げてくれるなら大歓迎だ。
「んじゃ、そろそろあたしも楽しませてもらおうかな」
ウェイン隷属国。その地にある最も高い建造物であるラザラス教会の礼拝塔。乾いた血染めの学生服に身を包んだ少女はその屋上に立ち、下界を睥睨している。
足元には6体の白骨が散らばっており、その間を蛇やムカデが這い回っている。
「さぁ、パーティ第2夜の始まりだ!」




