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第19話『出航! 新たな地へ』

「なんじゃこりゃあァァァーッ!?」


 超巨大船ハーレイクインの船首に立つ魔王、エルルル・ディアブララの雄叫びが大海原に響き渡った。


「海か! これが海か! 水ばかりではないかどうなっておるのじゃ!?」


 険しい山脈に囲まれたクインゼルの地で生まれ育ち、海と言えば人工の入り江しか知らなかったエルルルにとって、水平線を見るもは生まれて初めての経験だったらしい。


「あまり乗り出すとまた落ちるぞ」


 出航して間もなく、すでに1度落ちて大騒ぎになっている。だが本人は楽しかったらしく無邪気に笑っていた。臆病なのか豪胆なのかわからないが、好奇心が恐怖心を凌駕しているのかもしれない。


「勘弁してください。使用している魔術機関は超巨大船を動かすことに特化していて安全性とか全く考えていないんですから。術式に触れたら粉々に吹っ飛びますよ」

「し、知っとるわ! 出航する時に港を半壊させたではないか」


 ドクター・フロストが頭を抱えていた。新技術はまだまだ課題が多い。


「これじゃ目的地に着いても船を受け入れられないかもしれないな。何せ大きさも出力も規格外だ」

「仕方ありません。沖合に停船し、小型船で乗り入れましょう」

「ここに来て手漕ぎに戻るのか……」


 せっかくの新技術が、まだこの世界に受け入れられていないようでちょっと哀しい。


「はっはっは! 何を言っているんだ刀夜さんは。ここに人間エンジンがいるじゃないか」

「ウルスラ?」


 そういえば、ウルスラの脚はこの船の動力のプロトタイプだった。


「僕が船を押して泳げばいい!」


 えっへんと胸を張る黒髪の元気少女。この子、元世界とは印象が随分変わってきたな。航海中は元衛兵コンビと一緒にベイニャに稽古をつけてもらっているのも影響しているのかも知れない。


「どうなんだ? ウルスラは強くなる素質はあるか?」


 と聞いてみたところ、ベイニャの答えは


「俺から見れば、人間はみな等しく素質なしだ」


 という素っ気ないものだった。だが、


「気力、気迫で言えば、ウルスラは有望だ。人間の中ではな」


 と言ってくれた。本人は決して語らないが、ベイニャはウェイン王国占領時は虜囚として人間からかなりひどい目に遭わされたらしい。にもかかわらず、人間であり招喚者でもあるウルスラを個人としてきちんと見てくれるのはありがたかった。


 そんなこんなで、俺たちが目的地ハーヴィー半島に到着したのは、それから2日後のことだった。



  ◇ ◇ ◇



 半島についた俺たちを出迎えてくれたのは、魔王配下五将軍の1人である黒豹(くろひょう)の獣人、パメラだった。獣人と言っても、獣耳や尻尾がついただけのほぼ人間――ではなく、頭は完全に黒豹のそれである。褐色の肌が見えているのは胸や胴周りくらいであり、他は滑らかな毛皮に覆われている。

 なぜこの世界の亜人(デミヒューマン)はマニアックな方向に一歩踏み込んでいるのだろう?


「パメラ―ッ!」


 彼女の姿を認めるや否や、エルルルは飛び込むように抱き着いた。もうほとんど突進と言ってよかった。


「おぉー魔王様(ユアグレイス)ー。しばらく見ないうちに大きくなってー」

「うむ! 大きくなった!」


 満面の笑顔で頬を擦りつけ合う幼女と黒豹(おっきいネコ)。和む。


「パメラ! アレじゃ! アレをやってくれ!」

「いいですよー。ほっぺですか? (あご)ですか?」

「ほっぺから頼む!」

「ほーい、ぷにぷに~」


 (てのひら)と指先に肉球のついた両手がエルルルの頬を挟んで撫で回す。


「おほぉー……」

「お次は顎をたぷたぷ~」

「ほわぁー……」


 何、この幸せな光景?


「パメラ姉さま!」


 小船を押してきたウルスラが海から上がる。長い黒髪を後ろでまとめ、本物の(さめ)革で作ったハイレグカットの水着姿である。


「おぉー、ウルスラー。しばらく見ないうちに戦士の顔になってー」


 ぽんぽんと頭を撫でながら、パメラはウルスラの脚に目を落とす。魔剣聖剣と同化し、鋭く硬質化した足先と魔法石をはめ込んだ魔術装置を取り付けた太もも。


「頑張ったねぇ」


 その一言に、ウルスラはふにゃっと笑う。元世界ではついに両親から言われたなかった言葉だ。


「ほーら、ご褒美にこしょこしょしてあげよう」


 肉球がウルスラの顎をくすぐる。


「ごろごろ~」


 ……逆じゃね?



  ◇ ◇ ◇



 ここハーヴィー半島には2つの種族が共存している。1つは半島の北側にある湖および沿岸部に暮らす水妖、もう1つは半島の中央に位置する活火山付近に暮らす鉄火(てっか)族と呼ばれる種族である。


 水妖はともかく、鉄火族についてはよく知らない。


「では、さっそく鉄火族に会いに行くぞ!」

「あぁー、待ってください」


 意気揚々と進もうとするエルルルをパメラが慌てて止めた。


「水妖の都の方が近いですよ。それに今この半島を支配しているのは水妖の女王ですし。先にそっちに挨拶しませんと」


「む、そうか……」


 おあずけをくらった子供そのものの表情で、エルルルはやむなくパメラの言に従った。


 そこはまさに水妖の街だった。

 道路の代わりに、土に細かい砂利を埋め込んで整備された広く美しい運河がある。石と木でできた家々はこの運河の『中』に作られており半ば水に沈んでいる。

 水面に反射する陽の光が煌めく、幻想的な街並みだった。


 人々は皆この運河を泳いで移動している。


「裸足になってみなよ。地面があったかいよ」


 パメラに言われて靴を脱ぐ。確かに、足の裏がじんわりと温かい。脚が変質しているウルスラは素手で地べたを触って面白がっていた。


「地熱か」

「お、よく知ってるねぇ。この運河の水も温水だよ。山の方には温泉もあるんだ」


 俺たちは運河に浮かぶ、黒いニスが塗られた美しいゴンドラに乗った。他所からここを訪れた旅人用だそうだ。


「おお、パメラ様ではありませんか。こちらの方々は?」


 ナマズのようなの頭をした船頭がにこやかに迎えてくれる。


「こちらは我が主、魔王エルルル・ディアブララ様です」

「これはこれは! ようこそ、水の都(アクアポリス)へ!」

「うむ」


 こういう時のエルルルはさすがに堂々たるもので、悠然とゴンドラに乗り込み奥の席にどっかりと座る。膝の上に子竜フェルカドを侍らせるその姿はまさに魔王の風格だった。


 ただ者ではない幼女感がすごい。


 そこへきて、パメラとウルスラ、ドクター・フロストが臣下の礼を尽くして従うのだから周辺には早くも人だかりができ、中には平服してしまう者さえいた。


 船頭も圧倒されている。


「それにしても歓待されておるな。パメラよ、どうやってこの地の人心を得た?」

「恥ずかしながら、ちょいと腕力に訴えまして」

「何!?」


 何でも、長年彼らを悩ませていた海賊を単身でぶちのめして来たらしい。このパメラさん、しゃべり方はおっとりしているがいざ戦いになると剽悍な戦士に豹変するという。豹だけに。

 おかげで、この地ではすっかり一目置かれる英雄扱いなのだとか。


「女王に話は通してあるんで、このまま城までお願いしますー」

「ははーっ」


 船頭はすっかりかしこまっていた。



  ◇ ◇ ◇



 水の都(アクアポリス)の城は、ウェイン王国にあったような西洋風の城ではなく、湖に建つ木造の神殿の周囲をいくつかの建物と通路が取り囲む日本の神社に近かった。


 水没した厳島神社。それが俺の印象だった。


 神殿に通された俺たちを迎えたのは、巨大な双頭竜の像だった。「竜王オメガの像だよ」とパメラがそっと教えてくれる。


 水妖の国の玉座もまた、俺たちの常識とは大きく異なっていた。


 例えるなら、大浴場なのである。


 大浴場の最奥、竜の像の足元に、女王はいた。女王は何と一糸まとわぬ裸体だった。豊かな赤銅色の髪の一部が前に垂れて乳房を隠している。シーラカンスを思わせる巨大な下半身を水に沈め、縁にもたれかかる姿はどう見ても入浴中の姿勢である。


 女王はエルルルの姿を認めると、こちら側へ優雅に泳いできた。


「お久しぶりです、魔王様。と言っても、最後にお会いしたのは貴女が生まれたばかりの頃でしたので、わたくしのことは覚えていらっしゃらないでしょうが」


「ご無沙汰しております。この度は我らが申し出を受け入れていただき、感謝に耐えませぬ」


 女王の手を取り、跪いて礼を尽くすエルルル。女王の貌に、驚きとかすかな憐憫がよぎった。


「事態の深刻さはわたくしも聞き及んでおります。我々水妖はこの地以外に()む場所を持たない身、ゆえにこの地を焼かれるわけには参りません。どうか魔王様のお力をお貸し下さい」


 女王は水から上がり、深々と頭を下げた。水妖の王族にとって、自ら陸に上がるのは陸上に生きる者へ見せる最大級の礼儀なのだという。


「何か、あっさりと話が決まったな」

「ん~、そうねぇ……」


 パメラの返答はどこか歯切れが悪い。


クインゼル(うち)はさぁ、資源はない、作物も育たない、唯一採れる魔法石もここいらに比べれば質は悪い、ホント腕っぷし以外に何もない国なのよ。だから招喚者さんたちが来るまではどこからも相手にされていなかったのね」

「何だそれ? じゃあ自分たちが危なくなってから慌てて手を組もうと言ってきたってことか?」


 そういうことだね、とパメラはうなずく。そんなことなら、黒船よろしくハーレイクインを港に横付けして彼らの度肝を抜いてやるよう進言するべきだったかと思ってしまう。


「まぁ、国同士の付き合いなんてそんなもんじゃない? うちと付き合っても、教会に睨まれるだけで他に何の得もないわけだしー。せっかくのいい機会なんだから、ここで仲良くしとこうよー」


 エルルルが真っ先にここではなく別なところへ行きたがった理由がわかった気がした。



  ◇ ◇ ◇



「よし! 女王に話はつけた! 鉄火族に会いに行くぞ!」

「「おー!」」


 エルルルの掛け声にノリよく応えるパメラとウルスラ。


「ウルスラは知ってるのか? 鉄火族のこと」

「いいや、知らない。エルルルはもったいぶって教えてくれないんだ」


 本当にノリだけで返事をしていたようだ。


「でも『鉄』と『火』だろう? 僕が思うに鍛冶の技術に秀でた種族なんじゃないかな?」

「だよな。ドワーフとか」

「ちっこい頑固おやじのイメージしかないなぁ……」


 この世界において、「エルフ」とか「ドワーフ」で話が通じるウルスラの存在は貴重である。


「でも、風の民の例があるからな。ただのドワーフが出て来るとは思わない方がいいかもしれない」

「はは、そうだね」


 ウルスラは苦笑する。稽古中、()()と知らずにベイニャのイチモツを握ってしまいパニックになったとのこと。


 そんなこんなで、火山地帯に着いた俺たちに小さな丸っこい生き物がぴょんぴょんと跳ねるように近づいてきた。


「もしかして、これが――?」

「その通り! これが鉄火族じゃ! どうよ、見事な甲羅(こうら)であろう!」


 その姿を見た途端、エルルルの歓喜が爆発した。

 たしかに、その鉄火族は全身を甲羅――というか重厚な装甲で覆っていた。

 心なしか、誇らしげに胸を張っているように見える。


「だがそんなことはよい!」


 鉄火族が「えっ?」と言いたげにエルルルを振り返った。


「見よ! このつぶらな瞳、というか『おめめ』! ちまっとした『おてて』! ぴょこんな『おみみ』! コロコロの身体! これが鉄火族じゃ!」

「落ち着けエルルル。気持ちはわかるが、鉄火族さんが「ぐぬぬぬ……」ってなってるから! 気持ちはわかるが!」


 そう。鉄火族の姿を俺の世界で例えるなら、『二足歩行のアルマジロ』だろうか。身体的特徴は先ほどエルルルが言ったとおりだが、付け加えるなら太ももが丸っこく下半身がどっちりしている。体つきはどちらかというとウサギに近いかもしれない。そしてその装甲はアルマジロのようなうろこ状ではなく鍛えられた鉄板のように滑らかで艶やかな金属光沢がある。


 まあ要するに、可愛い何かが鎧を着てイキがっている感じである。


「これで、これで大人なのじゃ! 妾よりちっこくて大人なのじゃ!」

「お願いだから落ち着けー! 気持ちはわかるが! ウルスラも黙ってないで――」

「こっちのドワーフだったかぁ~」


 よだれを拭けウルスラ。


「えへへへ、かぁいいねぇ……」


 舌なめずりをするなパメラ。鉄火族さんマジでビビってるから。

 仕方ない。ここは俺が代わりに謝ろう。


「うちの女性陣がすみません。最近ちょっと癒しに飢えてるみたいで」

「か、かまわん……。その、慣れてるから……」


 意外と男前(バリトン)な声が返ってきた。このギャップがまた何とも言えない。


「ひとつ聞いていいですか?」

「何かね?」

「その鎧、脱げるの?」


 そのとたん、彼の身体がぴょんと跳ねた。


「脱ぐって何だ!? これは皮だ! 恐ろしいことを言うな君は!」

「すみません。鉄製にしか見えなかったもので」

「そんな軟弱な鉱物と一緒にするな! ドラゴンの炎も牙も通さぬこの世で唯一の存在が吾輩たちの装甲よ!」


 彼は誇らしげに胸を張るが、そんなことより……。

 一人称が吾輩かよ! どんだけギャップ萌えを積み上げて来れば気が済むんだ! 装甲なんかどうでもいいと口走ったエルルルの気持ちがすごくよくわかる。彼には本当に申し訳ないが。


 鉄火族の若者はコホンと空咳をして落ち着きを取り戻した。


「自己紹介がまだだったな。吾輩はドーザー。貴君らの案内役を仰せつかった」

「うむ。魔王エルルル・ディアブララである。よろしく頼むぞドーザー」

「ではこれより、我ら鉄火族の工房をご覧いただく」


 そこは、切り立った灰色の岩肌をくり抜いた、かまどを思わせる洞窟だった。入口に立つだけで()け付くような熱風が容赦なく吹き付けて来る。


「ようこそ、火山工房(ラヴァトリエ)へ!」


 小さな愛らしい部族に導かれ、俺たちはこの地で戦いの流れを大きく変える強力な武器と出会うことになる。

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