第18話『力を求める者、高みへと誘う者』
人間、人間? まぁ、ここは人間としておこう。
人間、死に物狂いになれば驚くべきことを存外たやすくやってのけてしまう。
例えば、大航海時代を経験していない世界が、大型帆船を造る歴史をすっ飛ばしてタンカー並みの超大型船を動かしてしまうとか。
「動いたァァァァァーッ!」
大海原に、魔王エルルル・ディアブララの咆吼が響き渡った。
「どうです……これがクインゼルの……新たなる誇り……」
ドクター・フロストが前のめりにぶっ倒れた。この人も不眠不休、飲まず食わずだったからな。
「しっかし、短期間でよくもまぁ……」
超巨大船ハーレイクイン。今や破壊の象徴となった漆黒の悪魔サイコ・キャナリーに対抗する者として、純白に塗装された美しい流線形の船体。動力は魔法石から抽出された魔力である。
本来は物理攻撃を弾く防御の魔術である魔力障壁を、物理に弾かれることで推力にするという発想の転換。
さらに、これまで瞬間的な『壁』として展開していた魔力障壁を粒子の形にすることで持続性と制動性をも獲得した。
おそらく、いや間違いなく、この船はこの世界の様々な分野においてブレイクスルーを起こすだろう。
「これはもはや魔力障壁とは言えまい。新たな魔術じゃな」
エルルルの言葉に、ふと思い当たる。
招喚者らの世界蹂躙宣言は、人々を追い詰めることでこのような革新を誘発するためのものなのかも知れない。
あいつらは、他の何者よりも火事場の馬鹿力の凄さ知っているだろうから。
「ではさっそく向かうぞ! いざハーヴィー半島へ!」
「いやいやいや、ドクターとウルスラがぶっ倒れてるから! 少し休ませてあげて!」
「う……そうであった。妾としたことが、つい興奮して……」
ウルスラが倒れているのだ。他の技術者や人夫のみなさんはまさに死屍累々の様相だった。
「だが、招喚者らの行動は常に迅速で容赦がない。あまり休んではいられんぞ」
それは俺も同感だ。本来なら鞭を振るってでも人々を動かさなければならない時なのかもしれない。
でも、俺は声を上げずにはいられなかった。ウルスラも、ドクターも、そしてエルルルも、誰かが止めなければどこまでも突っ走って、何かに激突して四散するか、燃え尽きるまで加速するのではないかと思えてしまう危うさがある。
ここでブレーキを踏んでしまうのが、俺が人の上に立てず、成功できない大きな要因なのかも知れない。
◇ ◇ ◇
他のみんなが英気を養っている間、俺はハーレイクインの内部を回っていた。想像したくはないが、この先、この船が戦場になる可能性はじゅうぶんある。そんな時に備えてこの広い船内のどこに何があるかを見ておこうと思った。
それに、俺は普段あまり仕事をしていない。この世界における俺の取り柄は、招喚者たちの情報を知っていることと、この世界の人々とは少し別な視点を持っていることだけだ。
「それは唯一無二の個性だと思うが?」
とエルルルは言ってくれるし、実際、相談役として常にそばに置いてくれているが、俺は今ひとつ釈然としないものがあった。
例えば、俺以外の誰かがこの世界に招喚されても、俺と同じ、もしくは俺以上の働きをしたのではないかと、どうしても思ってしまうのだ。
だから俺は、思いついたことはすべて実行していこうと思った。
「ならば身体を鍛えろ」
そう言ったのは甲板で鍛錬を積んでいた風の民、ベイニャである。
すらっとした細身に白い肌。耳が長く尖っている。彫りの深い顔立ちは思わず言葉を失ってしまうほど美しい。
緑がかった金髪は今はベリーショートにバッサリと切られ、オールバックに撫でつけられていた。
ここまでは、俺の中にある『エルフ』という種族と一致するのだが……。
「べ、ベイニャ先生、参った、参ったから……」
ベイニャの足元には、クローズドヘルムを被った全身鎧の男が背中を踏みつけられて床にへばり付いていた。
「俺も降参! かなわねぇやこりゃ!」
さらにその細い片腕は、頭頂部が禿げた大男を軽々と吊るし上げていた。
……俺の知っているエルフは、こんな触ったら切創になりそうなキレッキレの筋肉はしていない。
ベイニャはふんと鼻で彼らを笑うと、まるで空き缶でも捨てるように彼らを放り投げ、俺に目線を向けた。
俺の知っているエルフは、こんな獲物を狙う鷹のような四白眼もしていない。
「……まるで赤子みたいな身体だな。食用か?」
蔑むとか呆れるとか、そういう以前の珍獣か何かを見る目だった。
「兄ちゃん、体は大事だぜホント。戦場でも最初に死ぬのは走れなくなった奴だからな」
クローズドヘルムの男――エドワード・ナッシュが言った。その横で河童ハゲの大男、ロルフ・ミューラーがうんうんと頷いている。
この人たちはかつてウェイン王国の騎士をしていたのだが、王国が隷属国になる際に脱出し、ゴートランドに流れていたところを今度は焼け出されたらしい。今はこうして風の民と共にしれっとクインゼルの厄介になっている。
「いい機会だ。毎日この船を100周走って腕立てと上体起こしを1万回やれ」
死ぬわ。
「いや先生、それは酷だろう。10周と千回ずつってところじゃね?」
死ぬわ。何なら二桁違うわ。
「お前……」
ベイニャがふっと小さく息をついて顔を近づけてきた。長い指が俺の顎をくいっと持ち上げる。
「戦になったら俺がお前を護ってやる。俺の側を離れるな」
イケメンに告白じみたことを言われた。俺が姫だったら即オチ間違いなしだ。王子様におっぱいついてるけど。
「しっかし、これでもエドは王国じゃ1、2を争う実力者なんだがな。それがこうも簡単にあしらわれるかね」
「人間はもともとか弱く、魔術にも適性が低い。俺に言わせれば、非力なくせに何でああも戦を求めるのか聞きたいくらいだ」
「弱いから、かな」
俺の言葉に、3人はそれぞれの表情で俺を見た。ベイニャは首を傾げ、ロルフはどこか得心した顔で、エドワードは……兜でわからないが憮然とした雰囲気が伝わってくる。
「常に不安で、『これでいい』って思えることがない。それでたいていの人間は金や権力を得ようとする。でも不安は消えないから、得たら得たでもっと欲しくなる」
「悪いかよ」
エドワードがぶすっとつぶやいた。
「いいも悪いもないよ。それが人間だって言いたかっただけだ」
実際、ドクター・フロストの天才的頭脳から生み出されたこのハーレイクインも、最後のピースをはめたのは人間であるロルフの一言だ。新たなものを生み出すのは、欲望の力なのではないかと思う。
「あいつも、不安だからあんな力を得たのかな?」
再び口を開いたのはエドワードだった。
「あいつ?」
「招喚者の1人だ。ユキレイっつったか? あの女、言っちゃ悪いがベイニャ先生より強い。ドラゴンとタイマン張っても多分勝てるんじゃねぇかってくらい強い。それなのに、なおゴーレムみたいな奴を召喚しやがる」
彼女、ユキレイ・水城の元世界は架空の歴史上にある日本帝国帝都、東京だ。
一見平和を謳歌する大都市の裏で、歴史的な呪怨から帝都壊滅を企む狂える魔人、志村 貴明の野望を阻止するのがユキレイとその仲間たちの使命だった。
何百万という俺のようなか弱い人間を常に人質に取られた状態で、多勢に無勢の状況で、千載一遇のチャンスにすべてを賭けるようなギリギリの戦いを彼女たちは常に強いられてきた。
その中で、大切なものをたくさん喪いながら。
弱さが不安を呼び、不安が力を求めるなら、ユキレイはその極北にいる存在だ。
「そのゴーレムみたいなやつとは、鋼でできていて細身の鬼のような姿をしているか?」
不意にベイニャが口を開いた。
「そうだけど、どうしてベイニャがそれを?」
「……面白い」
ベイニャの瞳に、剣呑な光が宿る。
「弱さゆえに最強の力を得た者か。是非手合わせ願いたいものだ!」
言うが早いか、そばにあったエドワードの槍を掴むと虚空へ向けて投げつけた。
「「「えっ!?」」」
槍が空中で静止する。パリパリと紫電が走り、空間がゆらりと歪む。
「覗き見、盗み聞きとは趣味が悪い! この俺が気付かないと思ったか!?」
陽炎が実体を持ち始める。現れたのは前面を白と紫の装甲で覆った武骨な人型の駆動兵器。ベイニャの投擲した槍は、2本の鋼鉄の指に捕らえられていた。
「霊子機関甲冑『魂刈』!?」
魂刈が甲板にふわりと着地する。
「まさかバレるとはなぁ。気配を完全に絶ったと思うとったのに」
操縦席から現れる、蒼い炎を思わせる妖艶な烈女。
「お前の気配は感じなかった。風の流れが変わったのを感じただけだ」
「あらら、流石は風の民はんやねぇ」
「何をするつもりだユキレイ! まさか、この船を――!?」
だが、ユキレイははらはらと手を振った。
「そんな無粋なマネはせぇへんよ。浪漫に満ちたええ船やん、ぶった斬るのはもったいないわ」
無邪気な笑顔でぽん、と手を打つ。
「沈みゆく船の純愛物語とかウケると思わん? 船首で両手を広げて風を感じる女を後ろから男が抱きしめるねん」
「……この世界には転移の魔術があるからウケないと思うぞ」
「ほなら、なおさら早う帰還えらんとなぁ」
ユキレイの切れ長の目が周囲を流し見る。いつしか、彼女はベイニャを含めた6人の風の民に囲まれていた。
「人間どもは下がっていろ! 確かにこいつは……強い!」
風の民は全員、木と獣の骨でできた槍を持っていた。1人がベイニャにも槍を手渡す。
「ユキレイ、一体何が目的なんだ?」
「こないだ、うちらんとこに蟲竜はんとデュランはんが来たやんか。ひとつ手合わせ願おう思うたんやけど、幡随院に止められてなぁ」
言いながら、ユキレイははだけた和服に包んだ身体をよじらせた。
「おかげで、欲求不満やねん」
こいつも、バーバレラと同じく八つ当たりに来たクチか!
「怒らんで、刀夜はん。これは武に身を置く者の性や。そこのエドワードはんなら解ってくれる思うし、風の民も、なぁ……?」
うっとりと潤んだ目がベイニャに向けられる。
「ッ!?」
ベイニャたちの美しい顔が歓喜に歪んでいた。頬が上気し、吐く息が熱を帯びている。そしてその股間は緑のケープを押し上げて逞しく屹立していた。
俺の知っているエルフは、色々とこんなのじゃない。
エドワードと目が合った。慌ててぶんぶんと首を振るクローズドヘルム。その仕草は「俺はあんな変態じゃない」と訴えていた。
ベイニャが「フッ!」と鋭く息を吐いた。その一息で体を取り巻く熱っぽい空気が一掃され、股間が縮む。
「先日は銀色の魔物に不覚を取ったが、こうも早く雪辱を遂げる機会が来るとはな」
一帯が凍てついた。
ユキレイの貌からも軽薄な色気が消え、代わりに挑みかかるような妖しい笑みが浮かぶ。その肢体からは絶対零度の炎とも言うべき闘気がゆらめいていた。
「「「ハッ!」」」
動いたのは風の民だった。
6本の槍が一斉にユキレイの身体に突き立てられる。
「ふ――」
だが、ユキレイは身を大きく沈めて槍を躱していた。6本の槍の穂先が見事1点で突き合わされた。
まるで演舞のように槍の穂先が円を描く。計算された斬撃のわずかな死角を縫うようにユキレイの身体が舞う。
「「「風刃!」」」
一瞬で、床や置いてある樽や木箱に無数の深い斬撃が刻まれた。さすがのユキレイもこれを躱しきることはできず、袖が切り裂かれ、白い皮膚にも数本の紅い線が走った。
「くっ」
だが、苦渋の表情を浮かべたのは風の民の方だった。
「つーかまーえた」
ユキレイが、1人の槍を掴んでいた。くるりと手首が翻る。
「あっ――」
するり、と。奪われた側が思わず見惚れるほど鮮やかに、槍は所持者を変えていた。
「ほな」
槍の柄による突き。
何の変哲もない、踏み込みと、突き。
だが、それを腹に受けた風の民は甲板の上を滑るように吹き飛ばされ、呻き一つ上げる間もなく地に伏した。
「せい! やっ!」
突。斬。
素人の俺でも、動画とかで見たことのある、ごく基本的な所作。遅いとさえ思えるその動きに、速攻を旨とする風の民が為す術もなく1人、また1人と打ち据えられていく。
「「「おおおッ!」」」
早くも半減した風の民が今度は固まって突撃を仕掛ける。
彼らに防御や後退の概念は無いという。そんな彼らに、ユキレイもまた攻めをもって相対した。
突。
ユキレイの槍が、獲物に挑む蛇のように伸びた。穂先と穂先がぶつかり合う。互いの槍の柄がいくつかにバリっと裂け、膨らむように大きくしなる。
強烈な押し合いは、突撃姿勢であるために足が地についていない風の民に不利だった。
「うッ!」
弾き飛ばされる風の民。
残るは2人。
ユキレイは壊れた槍を捨て、疾走った。
突き出される槍の上を。
鮮やかな蹴りが、風の民の顎を捕らえる。
こくんと眠るように倒れる持ち主から槍を奪うユキレイ。
最後の1人、ベイニャは足の裏から煙が出るような急ブレーキで方向を転換し、すぐさま再突撃する。
迎え撃つユキレイ。1ミリの狂いもなく、美しくぶつかり合う槍と槍。
「風刃乱舞!」
槍を握るベイニャの手から、斬撃を纏うつむじ風が槍を伝うように放たれる。細切れにされていく2人の槍。
「ッ!」
ユキレイは即座に槍を棄て、床を這うほどの低姿勢で風の刃をやり過ごす。
「風刃!」
その動きをあらかじめ察知していたかのように、ベイニャの手刀が空を切る。
斜め上から襲い来る風の刃を、ユキレイは前方に加速することで躱した。そのまま前転して姿勢を整える。
「風刃!」
させじと風刃を放つベイニャだが、魔術が発動する刹那の時間差をユキレイは逃さなかった。
「ふっ!」
正拳突き。
何の変哲もないお手本のような突きが、魔術の刃を掻き消した。
「はっ!」
さらにもう一撃。異様なまでに伸びる拳がベイニャの顔面を捉える。
一方ベイニャは身体をふわりと浮かせ、拳をそのまま受け入れた。細い身体が強風に煽られる羽毛のように回転する。
「あらお見事」
ユキレイの正拳突きの威力もさることながら、着地したベイニャがほぼ無傷であることにも驚いた。
「俺は風の民だ。風読みで人間に遅れをとることはない」
だが、そんなベイニャは全身から噴き出すように汗をかいている。一方のユキレイは肌があちこち切れて血を流してはいるものの、汗はほとんどかいていないように見える。
「紫電爪……」
ベイニャの十指から雷光が迸る。激しい音と共にジリジリと空気が灼ける。
「俺たち風の民に……」
腰を落とし、獰猛な前傾姿勢を取る。
「後退はないッ!」
稲妻の爪を得て襲い掛かる獣。
「フフッ……」
迎え撃つ武人。彼女もまた、全身にゆらめいていた闘気の全てを拳に集約している。
魔力と闘気、拳と拳が互いを噛み合い、喰らい合い、呑み込み合う。
凄まじい風圧と共に船体が大きく揺れる。
膂力に優れた者が本能のままに繰り出す爪撃と、武を究めた者が理と技をもって繰り出す拳撃。
「おおおッ!」
「はああッ!」
最後の一撃がぶつかり合う。
「がはっ……」
ベイニャの腹に、ユキレイの拳がめり込んでいる。口から大量の血が吐き出された。
「痛ぅ……」
一方、ユキレイもむき出しの肩から胸にかけて3本の切創が刻まれ、血が噴き出している。
「結構深いなぁ。ちゃんと治るやろか。水着、着れへんくなるのは嫌やわ」
全身に力を籠め、噴き出る血を筋力で無理やり止める。「どうなってんだあいつ?」というエドワードのつぶやきが聞こえた。
「さて、そろそろお暇しよか」
ユキレイはくるりと優雅に踵を返し、魂刈の元へ向かう。
「待て、逃げる気か?」
「せやね。あんまり長居すると、せりなに叱られるからなぁ」
追う力はベイニャにも残っていなかった。
魂刈が起動し、浮遊する。初めからこれを使われていたら、そもそも勝負にならなかった。
「せや、刀夜はんにバーバレラから伝言や。『次あんなマネしたら処す』やって。ほな!」
空へ消えていく魂刈。
「「「はああああー……」」」
それを見送って、俺たちは一気に脱力した。
「何がしたかったんだ、あいつ?」
俺の疑問に答えたのはベイニャだった。
「誘っているのだ。早く自分の領域まで上りつめて来いと」
「だな」
戦いを食い入るように見つめていたエドワードがうなずく。
「あいつの攻撃はすべて基本的な動きばかりだった。このくらいやって見せろってな。ああも魅せつけられちまったら腹も立たねえ。嘘。メッチャムカつく」
ロルフがやれやれと肩をすくめる。
「上等だ。やってやろうじゃねえの。なぁベイニャ先生」
「ああ。一族の誇りに賭けて、必ずあいつを倒す!」
血の気の多い2人が盛り上がる。そんな彼らを、ロルフは悟ったような穏やかな表情で見つめていた。そして俺も、きっと同じような顔をしていたことだろう。
~おまけ~
「にょわあ!?」
船内に戻ろうと扉を開けると、そこには子竜を抱きしめたエルルルがいた。
「いたのか。大丈夫だったか? 巻き込まれなかったか?」
主にベイニャたちが放った風の術に。
「いい、今来たところじゃ! お主たちが苦戦しているのではないかと思うてな、かか、加勢に来てやったのだが一足遅かったようじゃの!」
早口でまくし立てる魔王様。
「見栄を張るのはやめるんじゃなかったか?」
しゅんとしおれる少女。
「ん……すまぬ……本当は、初めから見ておった……。妾は、怖くて、腰が抜けて……動けなくて……ごめんなさい」
頬がぷくっと膨らみ、大きな目にみるみる涙が溜まる。
「大丈夫。あの場でまともに動けるのは変態だけだ」
エルルルに歩み寄ろうとすると、足元でぴちゃりと音がした。途端にエルルルは顔を真っ赤にして叫んだ。
「違う! これは妾ではない! そうじゃ、フェルカドがやらかしたのじゃ!」
この時の子竜が見せた「コイツ言いおった!」な顔はおそらくずっと忘れない。




