第17話『反撃開始! の準備をしよう!』
ついに、最初の『犠牲国』が出た。
緑豊かな山々に囲まれた肥沃な盆地ゴートランド。その地を象徴する山の斜面を拓いて作られた広大な棚田や豊富な水資源を利用した水車小屋、地形を利用し水を堰き止めて作られたダム。
そんな人々の英知と努力の営みが、一夜にして灰燼と化した。
「死んだ者は1人もいない。だが……」
『ベイニャ』と名乗った風の民と呼ばれる部族の若者が、数人の仲間と共にここクインゼル自治領に保護を求めてきた。保護というよりは魔王軍への参加希望というべきか。
歴史的に、風の民には一宿一飯の恩があるとのことでクインゼルの長老たちは即座にベイニャの希望を受け入れた。魔王軍の戦力を少しでも増強したいという思惑もあっただろうが、ともかく、こうしてベイニャは魔王エルルル・ディアブララを指揮官と仰ぐことになったのだ。
「招喚者は、ゴートランドに住むすべての者たちを山の上まで追い上げて、土地を焼き尽くす様を見せつけやがった」
気の強そうな顔が恐怖に歪んでいる。
「人間どもは、あれで完全に心を殺された。俺たち風の民は見逃してもらったが、それは族長と神なる竜がその身を差し出したからだ……」
「……」
魔王エルルル・ディアブララは静かに目を閉じて聞き入っている。
「悪魔だよ。たとえじゃない。奴ら、本当に悪魔を使役するんだ。空を飛ぶ、黒い悪魔……あいつが、光の矢で焼いていくんだ。何もかも……」
サイコ・キャナリーだ。
光の矢とはおそらく、無線ビーム砲によるオールレンジ攻撃だろう。
魔術が銃の発明を遅らせているのであろうこの世界で、人型光翼殺戮機巧サイコ・キャナリーの存在はまさに未知なるモノの恐怖そのものだ。
「して、ゴートランドの民はどうなった?」
エルルルが問う。
「人間どもは散っていった。自分から進んで奴隷になる者もいた。俺たちは森に帰ったが、族長も神なる竜もいないのではな……」
「お主らのような戦人が戦意を喪失するような相手か……」
「俺は!」
エルルルのつぶやきに、ベイニャは激高した。
「俺は族長と竜を取り戻したい! そのためにここに来た! お前たちが奴らと戦うつもりだと聞いたから!」
「無論じゃ」
少女が目を開く。
「妾たちは戦う。戦わねばならぬ。招喚者らに妾たちの力を見せつけてやらねばならぬ」
エルルルが、小さな手を差し出した。
「力を貸してくれ友よ。敵は強大にして凶悪。だからこそ、我らの意地を見せてやろうぞ」
「ああ!」
固い握手を交わす2人。こうして魔王軍に風の民という仲間が加わった。
◇ ◇ ◇
その後も、各国の情勢が集まって来る。
早々に腹を括ったクインゼルはともかく、他の諸国は混乱を極めていた。これまで人々の心の隅に巣食っていた「まさかそこまではするまい」「自分たちは大丈夫」という思い込みが木っ端みじんに吹き飛ばされたのだ。
こういった楽観は、存外人の心の深いところに根を張っているものらしい。
楽観を心の芯にしていた者たちは早々に戦意を喪失し、すでに自ら進んで招喚者たちに隷属を宣言する者も現れた。
他には招喚者たちに大量の金品を捧げようとしたり、息子を婿や養子に差し出して姻戚関係を結ぼうとするなど見当違いな行動を取る者もいた。
残った者たちは大急ぎで戦争の準備を始めている。だが、彼らもどこまでこの事態を把握しているか。
「ベイニャの情報から、あやつらの目的ははっきりした」
子竜フェルカドを抱きながら、エルルルは分析を続ける。俺とウルスラという招喚者を擁しているせいもあるだろうが、情報の面においてクインゼルは他国を大きく引き離している。
「やはり目的は帰還の術の開発じゃ。風の民の族長、デュランは世界でも指折りの魔術師だと聞く。あやつらは侵略と戦争を通して優秀な魔術師を集め、この世界全土を人質に帰還の術を開発させる気なのじゃ」
「でも、まさかドラゴンまでがあいつらに味方することになるとはな」
蟲竜ミステリシア。風の民が信奉する神なる竜。その格は以前俺たちが出くわした獣竜スケアクロウとは比較にならないほど上なのだという。
他に海を支配する竜王オメガ、地中深くに眠る花竜ナイトシェイドを合わせた3柱がこの星の管理者と呼ばれているとのこと。
「あいつら、神とか竜とかと相性よさそうだもんな」
向こうの戦力のインフレっぷりに笑うしかない。
「どうじゃろ? ドラゴンは人の営みには興味を持たぬ。蟲竜はあくまであ奴らの帰還に力を貸しているのではないかな?」
ならばむしろ、ありがたいことだとエルルルは言う。
「あやつらが早々に元の世界に帰ること。それは妾たちとあやつらの共通の目的なのじゃ」
「そうなんだよな。目的は同じはずなんだ」
「問題は、あやつらの気がとにかく急いていることと、こちらの世界をまったく信用しておらんことじゃ」
「そういう世界から来た子たちだからな」
彼女たちの頭にあるのは、自分たちの世界、そこに暮らす人々、友達、家族、かけがえのない仲間、そして強大な敵。それだけでありそれ以上のものがあるとも思えない。
だから、彼女たちにはこの世界のぬるさが耐えられない。
実際はぬるいなんてことは決してないのに。
むしろ彼女たちの世界が異常事態なのであって、本当は彼女たちも世界をあたたかくするために戦っているはずなのに。
「……俺は、あいつらを叱ってやりたい。上から目線でこの世界を踏みにじるあいつらの目を覚まさせてやりたい」
「うむ」
「やっぱり俺たちは協力するべきなんだ。この世界の人々と招喚者たち、みんなで協力して機関の術を完成させる。それが最終目標だ」
「うむ!」
エルルルは大きく頷いた。
「では、妾たちは人の話を聞かぬ駄々っ子の横っ面をひっぱたかねばならぬ。そのためにはこちらの戦力を増強せねばなるまい」
「結局、そうなるんだよな……」
「ぶつかり合うのはあくまで手段。目的はあ奴らとの仲直りであることを忘れてはならん!」
エルルルが机に地図を広げる。
「あやつらも本格的に『魔術師狩り』を始めるじゃろう。妾たちも優秀な魔術師を擁する国に協力を求める。まずは地理的にクインゼルに近く、妾たちに比較的友好的な国を……」
「そんな魔王様に耳寄りな情報を」
突然、ドクター・フロストの巨体がぬっと入ってきた。
「超巨大船『ハーレイクイン』の試験航行ができそうなのです」
「何!? あれは動力に大きな課題があると言っていたのではないか!?」
「それがですね、先日ベイニャ殿が連れてきた中にロルフ殿という河童の獣人がいたでしょう?」
突っ込みたいところが2つある。まず、この世界には河童が獣扱いで存在しているらしいこと。もう1つは、たぶんあの人は河童じゃない。頭頂部が友達に恵まれていないだけの人間だ。
「彼が言うには、招喚者の1人が非常に高い推力を持つ光の板に乗っていたというんです。それでピンと来ましてね。まあ説明するより実際に見た方がよいでしょう」
「エルルル! 刀夜さん! 見てくれ、これはすごいぞ!」
元気いっぱいのウルスラが飛び込んできた。サメ博士の咳払いに、慌ててかしこまる。
「し、失礼しました魔王様! ご覧ください、私の脚を!」
剣と同化し、膝から下が結晶状の刃となってしまったウルスラの両脚。しかし今、ウルスラの両方の太ももに魔法石を埋め込んだリング状のアクセサリが装着されていた。
魔法石に刻まれた魔法陣がオレンジ色に輝き、ウルスラの尖った足の先を包み込むように円錐形をしたオレンジ色の魔力障壁が回転している。
そして、ウルスラの身体はわずかに浮遊していた。
「物理攻撃を弾く魔力障壁の性質を応用したものです。よくご覧ください。障壁の下部は常に粒子状に分解を続けています。こうすることで衝撃の緩和と細かい制御を可能にしました。同時に上部は常に障壁の再構築を行っています。これにより長時間の制動維持が可能です」
確かに、それは常に砂が補給される砂時計の上半分を思わせる。
「どうだ、刀夜さん。僕は、もっと、強くなれ……る……」
ウルスラが前のめりにぶっ倒れた。
「「ウルスラ―!?」」
「まぁ、ここまで制御できるまでに不眠不休飲まず食わずで頑張ってくれましたからね。試行錯誤も多々ありましたし。ウルスラ殿、貴女の献身に敬意と感謝を」
ドクターの狂気な面とウルスラの狂気な面ががっちり嚙み合ってしまったようだ。
「海に出られるとなると行動範囲が大きく広がるぞ。そうじゃ!」
エルルルは地図上の1点をビシリと指差した。そこは大陸から妙に突き出た半島だった。
「ハーヴィー半島じゃ。ここには水妖と鉄火族がおるのじゃ。どちらも独特な魔術の使い手じゃしな」
「鉄火族?」
水妖ならドクター・フロストをはじめクインゼルにもいるから知っているが。要は人魚を含めた水の中で生活する者たちの総称だ。
「鉄火族はその名の通り、火と鉄を好む。見よ」
エルルルの可愛らしい指がハーヴィー半島をとんとんと叩く。
「半島のど真ん中に火山があるのか」
「鉄火族はいいぞ。ふふ、まあ会ってのお楽しみじゃがな。うむ、やはりハーヴィー半島に行こう! それ以外考えられん!」
何だろう、このはしゃぎっぷり。遊園地に行く前の日の幼子のような。幼子だけど。
「ここの者たちとはすでにパメラが話をつけておる」
「あ、いいね」
ウルスラがむくっと起き上がった。元気だなお前。
「パメラ姉さんに会いたいなぁ」
パメラはウルスラやドクター・フロストと同じ、魔王エルルルに仕える五将軍の1人である、黒豹の獣人のお姉さんだ。
「陸路が分断されてしまってな。どうやって合流しようか思案しておったのじゃ! でかしたぞドクター!」
少女の満面の笑みに見とれていて、俺はエルルルが言ったある言葉をうかつにも聞き流してしまっていた。
クインゼルとハーヴィー半島をつなぐ陸路が分断されてしまった、その理由を。




