第16話『銀色の怪物、黄色の悪魔』
「せりな様、そろそろ」
お団子にまとめた鈍色の髪をし、グレーの服を着た女性――ZZが告げる。
彼女はどこからともなく、おそらく魔法石でできているダークブルーのバイザーを取り出すと、メガネのように装着した。
「光学センサーに同期。……完了。感度良好」
ZZがバイザー越しにせりな、ロルフ、エドワードの順に眺めまわす。
ロルフがエドワードにささやいた。
「あれ、宝物庫に納められるところを見たことあるぜ。魔力探知機とかいうやつだ」
エドワードも聞いたことがある。人が体内に内包する魔力を可視化する魔道具。
「この場所に、対象はいないようです」
ZZはぐるりと首を回し、背後の城塞を見た。
「あちらには高いマナ反応が多数あります。目標を城塞内部に設定――いえ、待ってください」
「ZZさん?」
ZZが再び首を巡らせる。
(まずい)
具体的に何がまずいのかわからないまま、エドワードは直観した。戦場育ちの勘だった。
ZZは彼方に霞む緑に覆われた山々の一画を指さす。
「極めて高いマナ反応を感知。距離およそ30キロ」
「なるほど……」
せりなは、顎に指をあてて数秒だけ考え込む。
「あちらには私が向かいます。ZZさんはお城の制圧を」
「魔力探知機なしで場所の特定は困難であると予想しますが?」
「必要ないでしょう。この轍を追っていけばたどり着けるでしょうから」
「ッ!?」
エドワードの背中にぞっと怖気が走る。
その轍は昨日、侯爵と風の民を乗せた馬車が通った時にできたものだった。彼らの行った先はエドワードも気になっていはいたが……。今はそれより目の前の少女たちである。
情報を過不足なく伝える灰色の女。与えられた情報と観察から瞬時に目的と手段を考案する黄色の少女。
(こいつら、どんだけ戦闘慣れしてんだ? 週に1回は闘ってんじゃねーのか?)
「では、参りましょう――」
「待ちな!」
エドワードは槍を構える。側らのロルフも、しぶしぶながら続いた。
「悪いな嬢ちゃん。門番として、ここを通すわけにはいかないんだわ」
「門はもうありませんけど?」
「大人にゃ、つらいお仕事ってやつがあるんだ。お前らはここで止めさせてもらう」
「ま、コイツの場合ただ負けず嫌いってだけなんだけどな」
ロルフが茶化す。
「コイツ、この歳でまだ地上最強を目指すとか言ってんだぜ?」
「素敵な目標だと思います。エドワードさんにも、譲れないものがあるってことですよね」
せりなはボロボロのクマのぬいぐるみを前方にかざす。
「私にとって、戦いとは正しい者と間違った者のぶつかり合いでした。だから、いずれ両者は解り合うことができると思っていました。でも――!」
空中に黄色い光を放つ厚みの無いハートマークが浮かび上がる。少女は跳躍し、ハートマークにふわりと飛び乗った。
重みで降下するハートマークが地面に触れた瞬間、それは爆風を起こして前方へと推進した。
「何!?」
彼らは知る由もないが、これはバーバレラがクインゼル強襲時に行ったことの応用である。
物理攻撃を拒絶する魔力障壁が地面に触れた時、魔力障壁じたいが凄まじい力で弾かれることになる。その力をうまく操れば爆発的な推進力となる。
少女は足で巧みに光の板を操ると、2人の衛兵の間をすり抜け、あっという間に彼方へと消えて行った。
「あ、おい!?」
「瞬殺だなオイ」
「戦う価値すらねぇってか……」
打ちひしがれるエドワードに、声をかけたのはZZだった。
「せりな様は自分にとって必要な戦いを全力で行っているにすぎません。必要とあれば、せりな様は貴方を全力で叩き潰すことでしょう」
できれば戦いたくない。その発想の由来は少女の優しさだろうか?
「で、そういうアンタは? 俺と戦ってくれるのかい?」
エドワードの言葉に、無機的な美女の口がにやりと歪む。
「わたしの目的は城塞の制圧。衛兵の排除は必要であると考えます」
◇ ◇ ◇
轟音と激震は、城塞にも十二分に届いていた。
「何が起きた!?」
シュレック家嫡男、フレデリックはヒステリックに叫んだが、答えられる者はいない。
「禍星」
いや、答える者がいた。
先刻まで城塞の地下牢に幽閉されていた6人の風の民。ウェイン王国が蛮族と軽蔑する者たち。緑がかった金髪をし、獰猛さと美しさが共存する細身の肉体に、女性と男性両方の特徴を併せ持つ戦闘民族。
「招喚者共か……」
よりによってこの地を最初に選ぶとは。
ここゴートランドは神なる竜と共存する数少ない土地のひとつである。他の乱立させられた小国家の領主たちから、自国が滅んだ際は保護してほしいと懇願される立場であった。
この状況を招喚者が知っていたのかどうか。もし知っていたのだとしたら、この世界の希望を確実にそぎ落としに来るこの行動に明確な敵意と悪意を感じざるを得ない。
「敵襲です! 敵は2人。ですが1人は侯爵閣下を追って行きました!」
「すぐに父上に知らせろ! 早馬を――いや、聞かれてもかまわん、精神通話石を使え!」
魔術師が懐から魔法石を取り出し、念じ始める。
「で、もう1人は?」
「衛兵と交戦中です!」
「すぐに応援……を……」
フレデリックの言葉が途切れた。彼の前に、異様な現象が起きてきた。
固く閉ざしていた厚く重い木の扉。鋼鉄の金具に硬い閂を通し、巨獣の突進にも耐えられる頑強な扉だ。そのわずかな隙間から、銀色に輝く液体がにじみ出ていた。
「何だ、あれは……」
液体は重力を無視するように滴り落ちることがなく、扉全体を覆っていく。
次の瞬間、メリメリと音を立てて、扉は壁から引きはがされた。
「な――」
言葉を失うフレデリックの前に、銀灰色の怪物が現れた。
目元を魔法石のバイザーで覆っていても美しいとわかる整った顔の女。すらりとしたその立ち姿もまるで芸術品のように美しいが、その両腕はまさに怪異だった。
鏡面のような銀の輝きを放ちながら、うねうねと蠢く無数の触手となっていたのだ。
「うおおおおおお!」
そんな怪物の背後を、2人の衛兵が追いすがった。
2本の槍が女の背中を貫通し、腹を突き破っていた。
「や、やったか!?」
その時、女の顔がぐるりと180度回転した。
「やっていません」
「「うおっ!?」」
槍が抜けなくなっていた。恐慌した男たちは女の身体に足をかけてまて槍を抜こうとするがびくともしない。突き刺さった槍の周囲の肉が銀色に変色し、変形していく。
「嘘だろ……」
いつしか、女を貫いたはずの槍は女の触手にからめとられた形にすり替わっていた。
当然、女は無傷になっている。
触手が翻り、2人の衛兵は振り回された挙句広間の天井にたたきつけられた。
「しょ、招喚者よ!」
静まり返った広間に、フレデリックの裏返った声が響いた。
「汝の目的は何だ!? なぜこの国を襲う!」
女は小首をかしげる。その昆虫じみた動きがフレデリックの恐怖心をさらに煽った。
「……」
女は答えないまま、周囲の怯える兵士たちを銀の触手で絡めとる。
「放せ! 放してくれ!」
「誰か! 誰か助けて!」
ある者は床に、ある者は壁に叩きつけられ、またある者は外へと放り出される。
銀色の暴力。
それは一切の情を感じさせない、昆虫の狩りを思わせた。
「風の民よ……」
フレデリックは背後に並ぶ風の民たちに語り掛けた。
「汝らの力を貸してくれないか?」
髪をオールバックにまとめた1人が進み出た。
「虫のいい話だな。俺は、貴様に受けた辱めを決して忘れない」
丈の短いケープからのぞく白い肌には、無数の鞭と焼き鏝の痕が刻み付けれている。
「貴様に力を貸すつもりはさらさらない。だがあれは……」
白い手が、落ちている槍を拾う。その穂先を、銀色の怪物に突き付ける。
「あれは、善悪、聖邪、それ以前の問題だ。あれは捕食者。斃さねば我らが死ぬ!」
風の民は一斉に武器を拾い、怪物を取り囲んだ。
「なるほど、高マナ反応の正体はあなた方でしたか」
「かかれ!」
6人の風の民たちは美しい雄叫びを上げ、四方八方から突撃を仕掛けた。
「ふむ」
だが、銀色の一閃が周囲を薙ぎ払う。弾き飛ばされる剣と槍。
「ひっ」
回転する剣がフレデリックのすぐわきを通り過ぎた。
「「「おおおッ!」」」
だが、風の民はひるまない。武器を失うのは予定調和だったとでも言うように、突撃の勢いをさらに加速させ、鋭い蹴りを銀色の肉へと突き立てる。
風の民の戦いに、防御や後退の概念は存在しない。
「「「電衝!」」」
怪物の身体が爆ぜた。飛散した銀色の血飛沫が床を彩り、壁を飾る。
「……お見事」
銀色の骨格が口をきいた。眼窩から赤い光を放つ頭蓋骨と、金属板に覆われたあばら、ぶら下がる一本の脊髄らしきもの。
6人の風の民が、あばらに突き刺さっていた足を一斉に引き抜いた。
それは、全体のあちこちから火花と紫色の稲妻を発生させながら、重い音をたてて床に落ちた。
「おお、やったか!?」
フレデリックの喜色に満ちた声が響く。
「いや、まだだ!」
先ほど、天井に叩きつけられていた2人の衛兵がようやく落ちてきた。
「ここまでは俺たちでもやれたんだ! コイツは、これからなんだよ!」
言い終わらないうちに、床に飛び散った銀色の塊が這い寄ってきた。塊は転がったあばらを這い回り、貫かれた穴の一部から中に染み込むように入っていった。
「スキャン完了。フレーム損傷率30パーセント。修復を開始します」
さらに、壁に散った塊が声を発する。
「目標確定。対象を6名に設定」
別の壁からも。
「ミッションプラン、第2段階へ移行します」
「まさか、こいつら……」
オールバックの髪をした風の民が戦慄する。
「この液体が本体か!?」
壁に散っていた銀の液体が形を変える。それは、魔法陣の形をしていた。
「しまった!」
気が付けば、彼らは銀色の魔法陣に取り囲まれていた。
「術式の解析を完了しました。術式プログラム『SPARK』をロードします……」
「させるかぁ!」
風の民は身を翻して各々に一番近い魔法陣へ疾る。
だが――
「実行」
広間全体を紫電が弾け、稲妻が駆け巡る。凄まじい音と閃光が一帯を一瞬で支配した。
◇ ◇ ◇
「我らが神よ、蟲竜ミステリシアよ、どうかこの下僕の願いを聞き届け給え……」
地下神殿では風の民の1人、デュランが祈りを捧げていた。
デュランが頭を垂れる先にいるのは、広い壁面を埋め尽くす巨大な異形の神なる竜である。
その姿は半人半蟲。6本の腕を持つ女性の上半身に、巨大な蜻蛉の腹と翅。その妖しくグロテスクな体を重厚な鎖が縛り付けている。
この鎖は、高度な魔術が仕掛けられており、常にこの竜の意識と魔力を奪っている呪わしい存在だった。
デュランは今、神なる竜に祈りを捧げると同時に術式の解除を試みていた。
汗が滝のように流れ落ちる。竜を縛る術式は恐ろしく複雑である一方で、極めて無駄のない――冒涜的な存在でさえなければ――思わず見惚れてしまうほど美しい構造をしていた。
(あと少しの辛抱です、我らが竜よ、我が母よ)
物心つく前に両親を喪ったデュランを育ててくれたのは誰であろうこの蟲竜ミステリシアであった。
戦闘民族である風の民は、子供を共同で育てる。だがまれに、妊娠していることに気付かないまま狩りや戦に出て命を落としてしまう母体がいる。そしてさらにまれに、死した母から自力で生まれる子供がいる。
そんな子供は蟲竜ミステリシアに育てられ、やがて一族の長となるべく同胞のもとへ返される。
デュランはまさしくその1人であり、風の民の長だった。
(解けた!)
デュランの美しい貌に光が差す。
忌々しい鎖が朽ち果てるように崩れ落ちた。
蟲竜がゆっくりと目を開く。柘榴石を敷き詰めたような橙色の複眼がのぞく。
「デュラン、カ……?」
笛の音のような声。それはむしろ、空気の通る音を無理やり言語に似せていると言うべきか。
「はい」
「オオ、デュラン……」
巨大な手がデュランの身体を包み込む。
「我ガ不甲斐ナイバカリニ、其方等ニハ辛イ思イヲサセタ……」
「いえ、不甲斐ないのは俺たちの方で――」
「デュラン」
唐突に、ミステリシアは我が子の言葉を遮った。
「逃ゲヨ」
「え?」
ミステリシアが答える前に、耳をつんざく騒音が地下聖堂に響き渡った。
「ぐっ……あッ……」
デュランは思わず耳を塞ぎ、身を固くする。
天井が震え、砂や礫が雨のように降り始めた。
「禍星……」
竜の声に感情は無い。
やがて、天井を穿って現れたのは高速で回転する光の楔だった。
「すみませーん、ここに魔術師の方はいらっしゃいま……きゃっ!?」
回転が止まる。それは黄色い光を放つ細長い八面体の魔力障壁だった。その中心に、黄色の服を纏った少女が口元に手を当て、驚いた顔をしていた。
「我ガ名ハ、ミステリシア。コノ星ノ命ヲ司ル竜ナル者」
「あ、ドラゴンさんですね!」
少女はなぜか顔を輝かせた。
「私は喜屋武 せりなと言います!」
ぺこりと頭を下げるせりな。彼女は魔法少女としての名乗りをしなかった。
そんなせりなとミステリシアの間に、デュランが立つ。
「ああ、大丈夫です! 私、ドラゴンさんに、えっと、ミステリシア様に危害を加えるつもりはありませんから!」
せりなは慌てて両手をぶんぶんと振った。
「あの、この世界にはご迷惑をおかけして申し訳ないと思っています。私たちはただ、一刻も早く元の世界に帰りたいだけなんです!」
「異界ヨリ来タイリシ禍星、我ニ何ヲ望ム?」
「はい、私たちが元の世界に帰れる方法があれば、教えていただきたいと思いまして」
大きな瞳を期待に輝かせるせりなに、ミステリシアはゆっくりとかぶりを振った。
「我ラ竜ハ星ノ管理者。魔術トハ人ノ営ミ。汝ノ求メル知識ハ我ラノ中ニハ存在セヌ」
「そうですか……」
せりなは細い肩をがっくりと落とす。
「できれば、誰も傷つけずに済ませたかったんですけどね……」
せりなの明けた穴から、生ぬるく湿った風が入って来る。
「お前たちは何を企んでいる? 本当にこの世界を焼き尽くすつもりか?」
デュランが問い詰めると、せりなは心外だと言いたげに頬を膨らませた。
「私たちは帰還の術を作りたいだけです! だから今は、世界中の魔術師の皆さんにご協力をお願いしているんです!」
「ソノ言葉ニ偽リハ感ジラレヌ。ダガ……」
ミステリシアと同じ懸念をデュランも感じていた。この少女、どこかおかしい。
「ですからお願いします。私たちに力を貸してください!」
少女が深々と頭を下げた。
「このゴートランドでは、俺が最高位の魔術師だ」
デュランが進み出た。
「お前たちに協力する。だが条件がある。この地を焼かぬこと、俺以外の風の民には手を出さないことだ」
「わかりました。よろしくお願いします!」
せりなはにっこりと笑った。そして続けた。
「安心してください。約束通りミステリシア様のお山や風の民さんの集落には手を出しません。でも……」
せりなのにこやかな笑みはそのままに、大きな瞳に、すっと闇が走った。
「旧ウェイン王国領――シュレック侯爵領と言った方がいいでしょうか。そこは宣言通り焼き尽くします。だって、やっぱりこの世界の人たちにも私たちと同じくらい焦ってもらわなくちゃ、不公平じゃないですか」




