第14話『変わる者、変わらぬ者』
「なな、なんじゃお主はぁ!?」
ウルスラの目の前に現れたのは、頭に大きな角を生やした少女だった。
(何だこれ? 僕は、いったい――)
ウルスラは混乱した。確か自分は今日、コキュートス学園の入学式に向かう途中だったはずだ。
ぼーっとしていて道に迷ってしまったのだろうか。
周囲を見渡すが、そこはどう見ても首都の街並みではなく、それどころかさっきまで照っていた朝日が今は不気味な大きさの月に代わっていていつの間にか夜になっている。
「ねぇ君」
ウルスラは目の前で尻もちをついている少女に近づいた。
「や、やめろ! く、来るでない! そ、そなたは人間じゃろう! 妾を消しに来た暗殺者か!?」
少女の瞳はウルスラが帯びていた2本の剣に釘付けになっていた。
「あ、いや、これは……」
「わわ、妾に挑むとは、いいいい度胸じゃ! 来るな! ごめんなさい! じゃない、妾をこ、ころ、殺して、も、クインゼルは、ほ、ほろ、ほろ、滅び……う、ぅ、うわあああああ!」
「ああ、ごめん、怖がらせてごめん! 泣かないで!」
ウルスラは自分でも気付かないうちに、今まであれほど拘っていた2本の剣を投げ捨て、少女を抱き起していた。
「た、たしゅ、助けてお母しゃま……、ごめんなさい、エルルルは、エルルルは……」
ウルスラはようやく、自分のいる場所が墓地であることに気が付いた。
「大丈夫。大丈夫だから。僕は君を殺さない。大丈夫だよ」
ひくひくとしゃくりあげる華奢な肩を、少しでも力を入れたらへし折れてしまいそうな背中を、包み込むように抱きしめて、撫でてあげる。
「お母しゃま?」
少女は少し混乱していた。でも今は、それに任せて敢て何も言わず、その身体を温める。
しばらくして、少女の呼吸が落ち着いた。
「怖がらせてごめんね。僕はウルスラ・斬屠。ちょっと道に迷ってしまっただけなんだ」
「そうであったか。妾こそ、みっともないところを……」
少女は立ち上がろうとして、ぴちゃり、という音に凍り付いた。
「あ、あぁ……」
つんと鼻を刺すアンモニア臭。そしてあろうことか、少女が尻もちをついていた場所は墓石の前だった。
「う、う、うわあああああああん! ごめんなさい! ごめんなさいお母しゃまぁ!」
ついに少女の感情が決壊した。
「ッ!」
ウルスラは躊躇わなかった。まだ校門をくぐったこともない学園の制服の上着を脱ぐと、それで地面を拭き始める。
少女が疲れて泣き止むまで、ウルスラは続けた。少女がようやくそれに気付く。
「ウルスラ……?」
「君も一緒にやろう。お母さまは許してくれる」
「うん……」
墓石の前にたたずむ少女。その前に剣を置き、跪く剣士。何も知らない者が見れば、そんな風に見えたかもしれない。
◇ ◇ ◇
ウルスラが目を覚ましたと聞いて、俺は早速彼女の元へ向かった。
「入るよ、ウルスラ」
そこには、ベッドの上で幼い子供のように(実際幼い子供だが)泣きじゃくる魔王様と、彼女を抱きしめて優しく頭を撫でるウルスラの姿があった。
「にょわあ!? バカモノ! 貞女の部屋に無断で入る奴があるか!」
「一応声はかけたんだが」
「返事を待たずに入っては意味がなかろう!」
ごもっとも。反省しよう。
「聞いたよ刀夜さん。僕は丸3日眠っていたそうだね」
「うん」
「バーバレラは?」
「帰ったよ」
「そうか……」
僕は敗けたのか、とウルスラは呟いた。
「相打ちだよ。バーバレラもあれ以上戦いを続けられなかったんだから」
「でも僕には、逃げる力すら残っていなかった……それどころか……」
ウルスラがそっと掛け布団をはいだ。
「これが、空っぽの僕が力を使った代償か……」
彼女の腕は膝から先が硬質化し、クリスタルの結晶を粗削りした彫刻よのうになっていた。右脚は白い光を放つ透明な水晶に、左脚は黒い焔をゆらめかせる黒曜石に変質している。
先端は鋭く尖ったこの形状では、立つことすらままならないだろう。
「だが、初めはもっとひどかったのだぞ。お主、一時は全身がクリスタルの彫像になっておったのだ」
「なっ――!?」
当初の魔王様の嘆き様は痛ましい限りで、もし一晩でウルスラの頭が元に戻らなかったらどうなっていただろう?
「だから、その脚も時間が経ったら元に戻るかもしれない。とりあえず経過観察ってところだな」
「刀夜さんでも、これがどうなるのかわからないのか?」
「ああ。初めて見る。元の物語では、聖剣と魔剣を無理やり従わせるなんて展開は無かったから」
2本の剣がどうなったか、とは彼女は聞かなかった。おそらく、体でわかっているのだろう。
彼女の身体が剣と一体化していることを。
ウルスラは確かに力を得た。だが、これではこの先戦えるかどうかは――
「おお、立った! 刀夜殿、ウルスラが立ったぞ!」
「あ、境目がちょっと痛いけど、意外といけそう……、あ、やっぱ痛い、かなり痛い、ああ、でも行けそう。頑張れば歩けそ――痛ッ!?」
「無茶はするでない。今は休むのじゃ」
「……ごめん、魔王様。ちょっと刀夜さんと2人にしてくれないか?」
「えっ? ……うむ、わかった」
とぼとぼと部屋を後にする魔王様をウルスラはすまなそうに見送る。それから、俺に真っ直ぐな瞳を向けて問うた。
「刀夜さん。僕は、ちょっと疲れたよ。もう少し眠っていいかな?」
「……」
「休め」という魔王様を追い出しておきながら、俺に休みたいと訴えるウルスラ。これは彼女からの謎かけだ。
つらい。すごくつらい。バーバレラにいたぶられた全身がまだ痛むだろう。あんな無茶な戦いをして、まだまだ疲れているだろう。長時間動かなかった骨と筋肉が悲鳴を上げているだろう。
休ませてあげたい。温かいベッドの中で泥のように眠らせてあげたい。
だが、俺はウルスラの期待に応えることにした。
「充分寝たのにまだ寝言を言う気か? これからあの化け物たちと戦おうって時に休んでいるヒマなんて1秒もない。立て! 立ったなら歩け! 歩けるなら走れ! また『お前には失望した』って言われたいのか!?」
「ぐはっ」
ウルスラの身体が大きくのけぞった。
「ちょ、そこまで言われるとは思わなかった……」
「ごめん。つい熱くなって」
「だが、それでいい!」
一気に身体を前傾させる。大きく踏み出した脚が床を突き破る。
「僕は、エルルル様の剣! 魔王様に仕える五将軍が1人! ウルスラ・斬屠だ!」
◇ ◇ ◇
バーバレラの強襲から、嵐のように幾日かが過ぎた。
実質的に八世界同盟に敵対することを表明してしまったクインゼル自治領には、為すべきことが山積みだった。
そんな中、魔王軍の再編に精力的に取り組む魔王様にちょっとした変化があった。魔王様の周りを、ふわふわの茶色い毛に覆われた獣竜の子供がうろちょろするようになったのだ。
「たしか、フェルカドだったか?」
子犬と恐竜を掛け合わせたような外見の子竜。「みぅ、みぅ」と鳴くこのもふもふは、招喚者の1人である喜屋武 せりなに保護された双子の片割れだった。
「でも、何で?」
「刀夜殿も見たであろう? 妾の弱さを。魔王などと名乗っておるが、実際の妾は初級の魔術すらまともに扱えん小便タレのクソ雑魚じゃ。今まではそれをひた隠して、強大な力を持つ魔王なるものを演出しておったが、それはもうやめじゃ」
そういえば、あの大きな帽子もガウンも着けていない。
魔王様は「よっ」と掛け声を上げてフェルカドを抱え上げた。
「これまで、子竜を連れ歩いていてはいかにも子供っぽく見えると思い、人前では触れ合わぬようにしていたが、思えば母恋しい赤子に酷なことをしてしまった。妾のつまらぬ見栄が将軍たちに見えざる負担を強いておったように」
嵐のように戦場を駆け抜け、その勢いのまま散ってしまった五将軍の1人エスカトロジーを思い出す。
飄々とした骨男の内部には、か弱い魔王を戦場に立たせまいとする覚悟と決意が満ち満ちていた。一刻も早く敵を屠り、魔王様を安心させてあげたい。その想いの表れが、あの極限まで速さを追求した戦法だったように思える。
「妾は進まねばならぬ。より前に、より速く! そのために、余計な重しは捨てねばならぬ」
「魔王様の進む先には、何があるんだ?」
「無論、民が安心して笑える国じゃ」
はっきり言って、魔王エルルル・ディアブララの精神年齢は歪んでいる。何もかもが同い歳の子供のする発想ではない。
その小さな身体の中に、民の生活を背負って軍を導く司令官の顔と、ウルスラに甘え子竜を可愛がる少女の顔が同居している。はじめは、彼女が早熟の天才ゆえなのだろうと思っていたが、バーバレラの前で激しく怯えていた彼女を見てからというもの、どうも彼女の中には極端な人格が極めて危いバランスで成立している気がしてならない。
「そうだな」
頭をくしゃくしゃと撫でてやると、エルルルは無邪気に笑ってくれた。
「みんなで笑おう。もちろんエルルルも一緒に」
「うむ!」
そうだ。まずは素直になること。少女のすべては、何もかもがこれからだ。
◇ ◇ ◇
この世界には、前人未到の秘境がまだまだ存在すると言われている。広大な迷いの樹海や、湖に沈む巨大遺跡、砂漠に埋もれた古代の墳墓……。
そして今ここに、誰もが平等に目にしていながら、誰一人到達できないでいる秘境がある。
高度1万メートル、地上を覆う雲海の上である。
この世界の人々が想像だにしていないこの場所を、漆黒の巨影が音速を遥かに超えたスピードで飛翔していた。
だがもっと恐るべきは、その上に、到底人体が耐えられるはずのない場所に、悠然とたたずむ2つの人影が存在することである。
2人の周囲には半球状の薄い光の膜が張り巡らされていた。半球は淡い黄色をしており、規則正しく並んだハートマークが規則正しく明滅している。
「随分と損壊が激しいようですが、支障はありませんか?」
すらりと背が高く、鈍色の髪を頭の両側でお団子にした女性が問う。
「大丈夫です」
黄色のブレザーにフリルの広がるスカートを着けた少女が答えた。その胸にはボロボロのクマのぬいぐるみが抱かれている。
「はぁ……」
すたぁ☆ポラリスは嘆息した。クマはところどころが引き裂かれ、腹からは綿がはみ出しているし、片耳は千切れ、片目は取れかけて引き伸ばされた糸でかろうじて本体にぶら下がっている有様である。
すべては彼女がなりゆきで引き取った白い子竜の仕業だった。
(でも、いい機会だったかもしれない)
少女は思う。これから自分がすることを。もう、彼女は無邪気な魔法少女ではいられない。
「私は問題ありません。ZZさんこそ、いきなり強制終了とかしないでくださいね」
「……」
「ZZさん?」
ふと見ると、ZZは焦点の合わないぼんやりとした瞳をして、上半身を頼りなさげにふらつかせていた。
「ちょ、ZZさん? もしかして、酔ってません?」
「まさか。人間じゃあるまいし。少々バランサーに異常を来たしているだけです」
「それを酔うって言うんです!」
「なる、ほど。勉強、に、なり、ます」
言葉と言葉の間に、「ぐっ、うっ」と聞く者の不安を異様に駆り立てる唸り声が挟まっている。
「もしかして、吐きそうなんですか!?」
こくんと頷くアンドロイド。
「って、ロボットが何を吐くんですか!?」
「冷却水、的な、モノとか?」
「グウェンさん! グウェンさん! 目的地まであとどれくらいかかりますか!?」
ポラリスは耳に装着している魔道具に向かって叫ぶ。
『目的地まであと30秒』
魔法石を通して頭の中にそんな言葉が返ってくる。
「ZZさん、あと少しで――」
「をろろろろろろろろろろろ……」
ZZの口から、水銀のような銀色の液体が溢れ出た。
「どうして!? どうしてあと30秒我慢できなかったんですか!?」
「製品についてのお問い合わせはカスタマーセンター0120……」
「もう! もう嫌! 早く帰りたい!」
『グウェンも! グウェンも帰りたい!』
「では私も帰りたい」
「『では』? 『では』って何ですか! アンドロイドだか何だか知りませんが、貴女は私の気持ちが――」
『怒らないで! グウェンの頭がガンガンする!』
「あぁもう!」
ポラリスは思う。この人たちもイルドゥンと名付けた子竜と同じだ。ちょっと目を離した隙に自分の興味の赴くまま一直線に突っ走るわんぱくな子供とその本質は変わらない。
(まるで、あなたが5人と1匹いるみたいだよ)
元の世界にいる親友の顔を思い浮かべる。
どうやらこの世界でも、少女の役目は変わらないようだ。
『目標地点通過まであと5秒! 3、2、1……』
次の瞬間。サイコ・キャナリーの肩上から2人の姿は消えていた。
『がんばれ』
白い雲海の上で、グウェンの声を聴く者はいない。




