第11話『フラグ立つ! ウルスラの恋!』
隷属か、抗戦か。
バーバレラ姫から突き付けられた選択に抗戦を選んだ魔王様とクインゼル自治領だったが、すぐに表立った抵抗の意思を示したわけではなかった。
混乱を極める大多数の小国同様、対外的には答えを決めかねているようにどっちつかずの態度を装い、時間を稼いでいた。
そんな中、早々に対決姿勢を決めた勢力がある。
聖ラザラス教の総本山、ラザラス司教国である。
王都にある礼拝塔が壊滅し戦力は半減したが、司教国の士気はむしろ高まっていた。彼らは6人の招喚者たちをやれ悪魔だの淫売婦だのと口汚く罵り、各国の信徒に呼び掛けて大規模な討伐隊を組織した。
討伐隊は『聖天の騎士団』と名付けられていた。
「妾の懸念はな」
魔王様ことエルルル・ディアブララは山のように積まれた羊皮紙の上に頬杖をつき、いかにも気だるげに言った。
「その聖天の騎士団とかいうならず者どもが、八世界同盟に寝返りはせぬかということじゃ」
「まさか。今じゃ招喚者は神に仇なす世界の敵だよ?」
「信徒共にとってもっとも大切なのは神ではない。自分たちが集団であることじゃ。ふん、そこに自分たちに代わって罪を背負ってくれる都合の良い指導者がいればなおよい」
なるほど、宗教がウケるわけだ。
「だが、集団の力は脅威じゃ。個々が愚かであればあるほどな」
「じゃあどうする? 彼らを止めるか?」
「冗談じゃない。彼奴らとは関りとうない。最大限友好的な関係が不干渉じゃ」
「でも今は……」
招喚者は強い。1人1人が世界を変えられるほどに。対抗するにはこちらも一丸とならなければならないのではないか。
――と、言おうと思って踏みとどまった。
それまでいがみ合っていた者たちが、共通の敵を前に力を合わせる展開は個人間ならありうるかもしれないが、集団では不可能だ。幡随院あたりに付け込まれて内部崩壊するのがオチだろう。
「今は、何じゃ?」
「いや、ラザラス教に関わるのは俺もごめんだ。もとはと言えばあいつらが俺たちを呼び出したんだからな」
だが今は招喚者を呼び出したのはウェイン王国ということになっている。死人に口なしならぬ、亡国に口なしだ。
ラザラス教の人間に会ったことはまだないが、すでに印象は最悪である。
「でも、仲間を集めることは大切だと思う。正直、今の魔王軍ではあいつらに対抗できない」
「わかっておる。幸い、ウェイン王国の支配から解き放たれた国の中には、妾たちと友好的だった勢力もある。すでに長老たちからも賛同を得て、パメラが向かっておる」
パメラとは五将軍の1人で黒い豹の顔をした獣人の女性だ。見るからに剽悍な女戦士といった印象だったが、実際その通りでその荒々しい戦い方から『黒き旋爪』と呼ばれている。
「一応、ラザラス司教国の動向は古時計に見張らせている」
古時計とは人の名前である。魔王様に仕える五将軍の1人で、小柄な小鬼の老人だ。無属性を含むあらゆる属性の魔術を使いこなし、武器に魔力を付与する技術を編み出した偉大な魔術師だそうだ。魔王様の家庭教師でもあり、彼女がもっとも信頼している人物だという。
他にも、撞木鮫の魚人である大男、ドクター・フロストや宙に浮く燃える頭蓋骨と腕の骨のみいう異様な姿をした不死人、エスカトロジーが五将軍に名を連ねているが、彼らは外見が怖すぎて外交には向かないらしい。
……話せば面白い人たちなのだが、いずれ彼らについては語る機会があるだろう。
「あ奴らがどこかの国を焼くまでひと月ある。その間に、信頼できる仲間を集めたいものじゃ」
魔王様は椅子から降りると、昼寝から覚めた子猫のようにうーんと伸びをしてから俺に向き直った。
「すまんの。妾の悪い癖じゃ。誰かと話をしながら自分の考えをまとめているのでな、どうも取り留めのない会話になってしまう」
「そんなことはないよ」
「お主に相談したかったのは、ウルスラのことじゃ」
ウルスラは今、五将軍の1人として魔王様からあれやこれやと任務を与えられてクインゼル領内を駆け回っている。
慣れない異世界で最先端の激務に放り込まれるという相当なスパルタ教育を受けているが、ウルスラは歯を食いしばって任務に精励していた。
「妾たちは仲間集めと並行して、現存の戦力を強化せねばならぬ。もっとも手っ取り早いのはウルスラじゃ。そこで刀夜殿に問う。ウルスラは強くなれるか? 他の招喚者たちに対抗できるほど強くなれるか?」
「なるよ」
そう、彼女は強くなる。最強の主人公に恋をし、彼の傍に居場所を得ようとして。
彼の傍にいたい、置いていかれたくない、その一心で彼女は血を吐くような努力をする。格上の敵に挑んでは負け続け、体の半分が機械化し、自慢の黒髪が真っ白になったころ、ようやく彼女は気付くのだ。
主人公の背中を守っている自分に。
背中を任されている信頼に。
「……壮絶じゃの」
魔王様はぽつりとつぶやく。しかし、顔を上げた時にはもう彼女は指揮官の顔になっていた。
「短期間でウルスラをその領域まで引き上げることは可能か?」
「不可能、だな」
ウルスラは努力の子だ。才能は平凡――むしろそれ以下なのだ。黒の魔剣にも白の聖剣にも選ばれず、物心がついた頃から人生を奉げてきた剣術の腕も、才能の塊だがぽっと出の主人公にあっさりと追い抜かれ突き放される。
超人異能力バトルに放り込まれた一般人。それがウルスラ・斬屠なのだ。
(でも……)
ひとつだけ、俺の知らない彼女がいる。凶暴化したドラゴン、スケアクロウと戦った時だ。ドラゴンのブレスを真正面から受け止め、一度きりとはいえ聖剣の力を引き出した。
白と黒の2本の剣を持っているということは、彼女はまだ主人公に出会っていない。では、何が彼女を変えたのか。
「教えてくれないか? 魔王様とウルスラはどんな出会いをしたんだ?」
「う……」
なぜか魔王様はたじろいだ。
「わ、妾が夜の散歩をしていたら、突然空に魔法陣が浮かんで、あ奴が空から降ってきたのじゃ。一目であやつの才能を見抜いた妾がな、『妾に仕えよ』と言ったら、妾の威光にあ奴はひれ伏して忠誠を誓ったのじゃ」
ものすごい早口だった。
「とりあえず、ウルスラとも話してみる。何か手があるかもしれない」
「頼む。刀夜殿。ウルスラのこと、よろしく頼む」
こんな風に誰かに頼まれたのは初めてかも知れない。
◇ ◇ ◇
「え゛……」
ウルスラにも魔王様との出会いのことを聞いてみたところ、明らかにたじろいだ。
「ゆ、魔王様が夜の散歩をしているところに僕が招喚されたんだ。一目見てあの方の格の違いを思い知った僕は、『妾に仕えよ』と言われて即座にひれ伏して忠誠を誓ったんだ」
ものすごい早口だった。
「そんなことより刀夜さん! 貴方の知っている僕は、今より強くなれるのだろうか!?」
鼻と鼻が当たような至近距離でまくしててくるウルスラ。せりなにも感じたことだが、アニメ出身の招喚者はソーシャルディスタンスが異様に狭い。
参ったな。正直に話すべきか。
「ウルスラ、君を強くするのは、その、『恋』なんだ」
「な……」
一瞬固まる。
「冗談はやめてくれ! そういうのは青少年向けの娯楽作品の中の話だ!」
「まぁ、青少年向けの娯楽作品の話だからな」
「僕は……恋なんかできない。そんな余裕は僕にはない」
そういうのがコロっと落ちるのだ。そして激しく燃え上がる。すっごく、ちょろイン上位ランカーっぽい発言だった。
この異世界で、彼女は主人公以外の誰かと恋に落ちるのだろうか? それで元の世界に戻った時、物語はどうなってしまうのだろうか?
「よし、刀夜さん! 今から貴方が僕の恋人だ! さあ、僕に力を!」
違う。そうじゃない。
そういえばこの子、序盤は天然ポンコツキャラだったっけ。
「そうか、何か恋人の儀式が必要なのか? 接吻か!? 挙式!? 盃を交わすのか!」
「落ち着けぃ」
思わず脳天をチョップする。
女性の頭に触れたのは、母ちゃんの白髪染めを手伝った時以来だな。
「……僕は今、叱られたのか?」
「まあ、そうだな」
「そうか」
ウルスラは急にしおれると、ぷいと顔をそらした。
「じゃあ、どうすればいい?」
「まずは認識を改めてくれ。物語の君は恋をしたから強くなったのであって、強くなるために恋をしたんじゃない」
「でも、今の僕は恋をしたいんじゃない。強くなりたいんだ」
「そうだな。俺の説明が悪かったみたいだ。君は、恋をすることで心の鎖を壊したんだ」
「どういうことだ?」
「君は、代々魔剣と聖剣を受け継ぐ剣聖の家に生まれた。だが、君は継承の儀でどちらの剣にも選ばれず、剣の力を引き出すことができなかった」
「……そこまで知られているんだね」
「親から失望された君は、後継ぎとなる婿探しを命じられて名門の軍士官学校を受験するが、剣の修行に明け暮れていた君は筆記試験に通れなかった」
「知ってる。僕自身のことだからな」
「つらいだろうが聞いてくれ。大事なことだから」
ウルスラは素直にうなずく。少女の心の傷に塩を塗っているのは俺も自覚している。でも、今の彼女には1から10まで説明しなければ伝わらない気がする。
「やむなく軍学校最底辺と言われるコキュートス学園に入学したが、すでに両親は君のことを見ていなかった」
「そんな――! いや、そうかもしれない……」
「君が今まで剣の修行に明け暮れてきたのは、両親の期待に応えるためだ。底辺学園に入学したのは、何とか両親の信頼を取り戻そうとした君が最後にすがった藁だった」
「……」
「君の努力の原動力は、両親だ。でもそれは同時に君を縛る鎖でもあった。それを断ち切るきっかけになったのが、物語ではたまたま恋だったんだ」
「なるほど、わかった」
ウルスラは顔を上げると、真っ直ぐに俺を見た。
「つまり、恋をすれば心の鎖が断ち切れるんだな!」
「何もわかってねぇ!」
「刀夜さん。僕は一刻も早く強くなりたいんだ。他のきっかけを探しているヒマはない。一番確率が高いのが恋ならば、まずは恋をするしかないだろう!」
言うが早いか、ウルスラは俺に飛び掛かるように抱き着いてきた。
「さぁ好きだ! 刀夜さん!」
こんなにも純粋で真っ直ぐに心のこもらない愛の告白があるだろうか?
生まれて初めてされた異性からの告白がこれか。悲しい。とっても哀しい。
「話は聞かせていただきました」
「うぉ!」
いきなり後ろから声をかけられて跳び上がる。
「アニメみたいな動きをするな、刀夜さんは」
ウルスラに言われてしまった。この期に及んで、彼女は俺の身体に抱き着いて離れようとしない。
俺たちの話を聞いていたのは、巨大な体を全身鎧で覆い、撞木鮫の頭を持つ男、五将軍の1人ドクター・フロストだった。
――てっきり脳筋担当だと思っていたのだが、まさかの頭脳担当だった。
「私がかつて取った統計データによれば、恋するカップルの99.9パーセントはデートというものをするのです」
すっごく、色恋に縁のなさそうな人の言葉だと思った。
「そんなお2人に、とっておきのデートスポットをご紹介。訪れたカップルの優に80パーセントがアンケートに『非常によかった』『とてもよかった』『まあまあよかった』と回答しております」
「そのアンケート、よかった系以外の選択肢はあるの?」
「今なら特別にディナーショーを通常価格の50パーセントでご提供」
「金取るのかよ!」
「だが行ってみる価値はある。お得だし」
「まずはその通常価格ってのを――っておい!」
止める間もなく、ウルスラはドクターに言われるまま結構な金額を即金で支払っていた。招喚者は本当に決断と行動が早い。この子、俺の世界に来たら絶対詐欺に騙されるわ。オゾン発生器や水素水箱買いするわ。
「では。転送!」
サメ頭がガバっと口を開く。びっくりするほど大きな口腔内に魔法陣が展開し、淡い光を放ちながら回転する。
「ちょ、そこに入るの? つーか、入れるの?」
「安心しろ。ドクターが誇る世界最速の移動手段だ。コツは足から入ることと、息はあらかじめ吸っておくことだ」
生臭いんだ、やっぱり。
◇ ◇ ◇
サメの口を抜けると、そこは港だった。様々な種族の人夫たちがせわしなく動き回り、活気が熱波のように押し寄せて来る。
そして、俺たちの目の前には――
「これが話に聞いていた巨大戦艦……」
ウルスラが呆然と巨大な建造物を見上げた。
「センカンとはよく解りませんが、これが我がクインゼル自治領が総力を上げて建造しております超巨大船、その名も『ハーレイクイン』!」
ドクターが大仰な仕草で解説する。あんた、どうやってこっちにテレポートしてきた?
まあ、そんな些細なことはどうでもよかった。この艦の巨大さに比べたら。全長はおそらくだが200メートルは優に超えているだろう。これでまだ建造中なのでもっと長くなるかもしれない。
すらりとした流線形の船影は、俺はもちろん、近未来的な世界から来たウルスラすら見惚れているほどに洗練された美しいラインを描いている。
今は斑のある黒灰色をしているが、何色に塗装されるのか楽しみだ。個人的には純白が似合うと思う。
この世界が俺の世界における大体15世紀くらいだと仮定すると、このドクター、頭はサメだが脳は時代の500年くらい先を行っている。
「我々が各地からの逃亡者の末裔だということは知っていますね? ここクインゼルの地に集まった我々ですが、いまだ潜在的な恐怖から逃れることはできていません」
故郷を追われる恐怖。その喪失感は俺にも想像できる。災害で故郷を追われ、避難所や仮設住宅での生活を強いられる人々の姿を俺は知っている。
「この地を追われる時が来るかもしれない。いや、きっと来る。我々は常にそのような虚無感に囚われています。それを打破するのがこの超巨大船なのです」
俺たちは甲板に案内された。
巨大な甲板の上からは、クインゼルの地をかなり遠くまで見渡すことができた。
剣のように切り立った険しい山脈に囲まれ、ところどころ砂漠や灰色の荒野を内包する寂れた土地が広がっていた。
地質のこととかはまったく門外漢な俺でも、この地が人が暮らすのには適さないところだというのはわかる。この地に漂う空気が生き物の繁栄を拒否しているのが肌に突き刺さるように感じるのだ。
これがあの幼い魔王様が必死に守ろうとしている場所なのだ。
「ウルスラ?」
ふと見ると、ウルスラが両目から涙を流していた。
「痩せた土地でしょう?」
ドクターの低い厳かな声が耳を打つ。
「でもね、この地は我らの誇りでもあるのです。いかなる迫害に遭おうとも、決して死なず、決して屈せず、この地にたどり着いて文字通り石にかじりつくように生きてきたことが、我らの誇りなのです」
クインゼルの民は、バーバレラ姫の世界蹂躙宣言に抗戦を選んだ。だがそれは、選ばざるを得なかったとも言えた。
「クインゼルが焼き尽くされた時は、このハーレイクインが我らの新たな誇りとなるでしょう。その時にこれが完成していれば、の話ですがね」
この地に生きる人々もまた必死なのだと俺は思い知らされた。
バーバレラ姫たちと同じくらい、クインゼルの人たちも焦燥に身を焼かれながら日々を全力で生きているのだと。
「ぶつかり合うしかないのか? 俺たちは……」
あいつらも、この地の人々も、誰も私利私欲で動いてなどいない。それなのに。
例えば、招喚者が一丸となってクインゼルを守り、その間にクインゼルの魔術師たちが帰還の術を開発する。そんな妥協点は見出せないだろうか?
だが、それにはやはり彼女たちにクインゼルに対しては制圧より協力の方が早いのだということを証明する必要がある。
クインゼルの抵抗力を見せ、魔術のレベルの高さを示して初めて交渉に入ることができる。
――厄介じゃ。あ奴ら、目的地への最短距離を突き進んでおる。よほどのネタがなければ交渉の余地など欠片もないぞ。
そのよほどのネタを俺たちは早急に作り出さなければならない。
「刀夜さん……」
ウルスラが、そっと身を寄せてきた。
「ここは少し寒いな」
「そうだね」
俺はウルスラの細い肩を抱き寄せた。
そこには恋とか愛とか、そんな甘い空気はなかった。ひたすら寒々とした風が俺たちの身体に吹き付けて来るだけだった。
「お二方!」
突然のドクターの声に俺たちは身体を離す。
ドクターは手に魔石でできた小さな板を持っていた。精神通話石というらしい。バーバレラ姫が世界蹂躙宣言の演説に使ったものだ。
何を聞いたのか、ドクターの声は明らかに動揺していた。
「緊急事態です。招喚者の1人が魔王城に現れ、交戦状態に入りました」
「何だって!? まだひと月は経ってないじゃないか!」
「急いで戻るぞ! ドクター!」
「承知!」
ドクターが口を開ける。ウルスラは凄まじい力で俺の手を引き、魔法陣へ飛び込んだ。




