第1話『異世界召喚! 隣にいるのは魔法少女!?』
「この人、痴漢です!」
車両中に響き渡る女子高生の声。彼女の指先は間違いなく俺を指していて、俺の人生は終わった。
真面目に生きてきたつもりだった。
両親に心配をかけぬよう、人様に迷惑をかけぬよう生きてきた。そう生きていくしかできなかった。
生来の内気さを克服できず、就職活動に失敗した俺を両親は『正しく健やかに生きてくれさえすればそれが孝行だ』と肯定してくれた。
そんな両親の墓前に、バイトから正社員に昇格できたことを告げ、自分へのささやかなご褒美に本とゲームを買った帰りのことだった。
水平に突き付けられた少女の人差し指は、さっきまでが俺の人生のピークであったことを宣告しているかのようだった。
俺の周りから人が離れ、非難の目を浴びせて来る。無遠慮にスマホを向けて来る者さえいる。
突如押し寄せた理不尽の洪水に呼吸することもままならない。頭が真っ白に染まり、視界がぐにゃりとゆがむ。足元が崩れ落ち、奈落へと転落していくような感覚。
人々の声が、遠い。
――そして俺は、異世界に転移した。
◇ ◇ ◇
いや、ちょっと待て。いくらなんでも唐突がすぎるだろう。
頭を振り、顔を叩き、頬を抓る。だが現実(?)は変わらない。
俺は今、だだっ広い草原に1人、呆然と立ち尽くしていた。
必死に記憶をさかのぼり、さっきまでのさっきまでの光景と今の状況をつなぐ。
(思い出せ、もう一度!)
女子高生に痴漢と呼ばれたのは間違いない。だが、極度の驚愕と緊張のためにその後の記憶がどこかあいまいだ。
周囲の人々が飛び退くように俺から距離を取ったのは、痴漢呼ばわりされた危険人物を避けるためか?
白く染まり、ゆがむ視界。あれは俺の内面で起こったことか? 思い出そうとすればするほど、あれは俺の外側で起こったように思えてならない。
足元が崩れるような感覚も、よくよく思い出せば違う気がする。崩れていたのは床ではなく、俺自身が足から消えていったのではなかったか?
遠く感じていた人々の声は、何を言っていた?
――なんだこれ!? 光ってる!?
――魔法陣?
――おい! 何かヤバイぞ! 君! そこから逃げろ!
――来たれ! 救世の勇者よ! 我らに希望をもたらす8つの星々よ!
何だ最後の?
……可能性は2つに1つ。俺は夢を見ているのか、俺の頭がマジでイカれたかだ。
俺は思った。
(なら、いいか)
ここはポジティブに考えることにした。
夢ならいずれ覚めるし、妄想に囚われたのなら俺自身は幸せだ。ならばとことんこの状況を楽しむのも一興だ。
どうせ現実に待っているのは留置所だし。
(それにしても、広い草原だな)
思えば、地平線なんて実際に見るのは生まれて初めてな気がする。
湿気を含んだ風がむせかえるような草の匂いを運んでくる。
ぐるりと見渡すと、地平線の向こうにうっすらと青い影が見えた。
(城?)
それはいくつかの尖塔と城閣のように見える。目を凝らして見れば見るほど、中世ファンタジーに出て来る巨大な城の形そのものだ。
(とりあえず、向かってみるか)
正直、距離の見当がまったくつかない。何日も歩く羽目になったらどうしようという不安もあるが、進まなければたどり着けないだろう。
我ながらずいぶんなポジティブシンキングだが、どちらかと言えばやけっぱちと言った方が近い。
どれくらい歩いただろう。
城の影は蜃気楼である可能性を疑うほど近づいている気がまったくしない。
のどの渇きを感じ始めた時、背後からドドドド、と地響きのような音が聞こえてきた。
振り返った俺の目に飛び込んできたのは、馬に跨った数人の男たちだった。
人に出会えて助かった、と思う気持ちと、馬ってどういうこと? という困惑が同時に押し寄せる。
彼らに助けを求めるべきか、それとも逃げるべきか?
どうにも嫌な予感がする。彼らの纏う雰囲気が、俺の脳裏に警鐘を鳴らしている。彼らからは動物的というか、獲物を求めてさまよっている獰猛な獣のような空気を感じるのだ。
そしてついに、彼らの手に剣や斧といって物騒な得物が握られているのが見えた瞬間、俺の思考は恐怖一色に塗りつぶされた。
「いやァーーーーーッ!」
……正直自分でもアラサーのおっさんが上げる悲鳴としてどうかと思うが、俺に悲鳴を選んでいる余裕はなかった。
彼らは危険だ。おそらく馬に乗ったやくざ者か暴走族のような存在だろう。もっと的確な表現をするなら、ファンタジー世界に出て来る野盗ってやつだ。
俺は走る。だが所詮は人と馬。追いかけっこで勝てるはずもなく俺はあっという間に囲まれた。
馬上にいる誰も彼もが、もりもりとした筋肉を飾り気のない古着で覆い、獣のような空気を発していた。
ニヤニヤと嗤う男たちの貌。俺を見下ろす下卑た眼。
俺は知っている。これは、人を寄ってたかって嘲り、いたぶることに快感を覚える悪魔の顔だ。
(まったく、夢の中でもこれか……)
鈍い光を放つ武骨な剣が、俺の眼前に突き付けられる。
「〇〇! 〇〇〇! 〇〇〇〇〇〇、〇〇〇〇!」
どこの言葉だ? 少なくとも英語ではない。それ以外はわからない。
「〇〇〇、〇〇〇〇〇!」
どっと男たちが笑った。言葉はわからないが、俺を嘲笑っているのだけは解る。
剣の切っ先が、ピッと俺の頬の皮を切った。だらっと血が流れる。
痛い。
なまじ切れ味があまりよくないだけに、俺の頬は引っかかれるように引き裂かれていた。
「ひぃ……」
息がそのまま悲鳴になった。足腰から急激に力が抜け、俺は草の上に尻もちをついた。
痛い。
血が出ている。
否応なく突き付けられる事実。
ここは夢の中ではない。まして、妄想の中でもない。ここは現実。まぎれもない現実だ。
「ひぃッ! ひぃぃッ!」
声が漏れるのを止められない。脊髄に突っ込まれた恐怖が全身をがたがたと揺さぶる。
そんな俺を見て、男たちは手を叩いて笑った。
不意に、彼らは笑いを止めた。
俺で遊ぶのに飽きたのだ。こういう輩の次の行動は2つに1つ。身ぐるみを剥いで立ち去るか、俺を袋叩きにした上で身ぐるみを剥いで立ち去るか。
だが、俺の予想と常識を超え、彼らは第3の選択をした。
目の前の男が剣を大きく振りかぶったのだ。殺意による空気の揺らぎ俺は確かに見た。
(死ぬ!? 殺される――ッ!)
思わず目をつぶる。
どうなる?
頭をカチ割られた後の俺は?
夢から覚めるのか? それとも――
爽やかな風と共に、ほんのりと甘い香りがした。
衝撃はいつまで経っても訪れなかった。
「……?」
恐る恐る目を開くと、俺の前には陽だまりの妖精がいた。
それは、小柄で華奢な少女の背中だった。
バレリーナのような淡やかな生地のフリルを幾重にも重ねたスカートを着け、上半身は細身の体にフィットした半袖の白いブラウスに袖なしの黄色のブレザーを着ている。
一言で表わすなら、アイドルのステージ衣装。そして、少女の全身はほんのりと黄色に輝いていた。
「大丈夫ですか?」
少女が背中越しに問う。日本語だった。
「あ、ああ……」
少女はうなずく。どうやら、彼女は両手に何かを持ち、それを目の前の男に向けて突き出しているようだ。男は剣を振り下ろそうとした姿勢のまま、固められたように動けない。
「何なんですか貴方たちは! こんなこと、してはいけないと思います!」
「〇〇? 〇〇〇〇!!」
男が怒声を上げ、他の周りの男たちがへらへらと笑いながら詰め寄ってきた。
「近寄らないで!」
言葉は通じなくても、少女の切迫した雰囲気は伝わったのだろう。棍棒を持ったひげ面の男が、剣を持つ男を押しのけると馬から降りて少女の正面に立つ。
巨漢だった。少女の背丈は男の胸にも届かない。
「〇〇〇〇〇〇〇。〇〇〇?」
ひげ面の巨漢が汗の臭いをまき散らしながら、目線で舐め回すように少女を見下ろす。少女の細い脚が小さく震えた。
男の手が少女の体に伸びる。
「いやッ!」
少女が両手を振りかぶる。その時、彼女が持っていたものが見えた。
(クマ!?)
それは、黄色いクマのぬいぐるみだった。いや、決して赤い服を着た無職みたいな名前のアイツではない。もっともこもこでふわふわの、可愛らしいテディベアだ。
その時、俺の中で何か閃くものがあった。
俺は知っている。
クマのぬいぐるみを持つ、黄色い衣装を纏う少女のことを。
「ごめんなさいッ!」
少女がクマを振り下ろす。気のせいだろうか、クマもまた、少女の動きに連動して両手を振り上げ、振り下ろしたように見えた。
その時、信じがたいことが起きた。男の頭上に、黄色い光を放つ巨大なハートマークが現れたのだ。
「〇〇!?」
見上げるひげ面の顔面に、ハートマークが押し付けられる。次の瞬間、ひげ面の巨漢は厚みのないペラペラのハートマークに押しつぶされた。
ズン――! と腹に響く音が草原に響き渡り、ハート型に陥没した地面の真ん中で男の体がひっくり返されたカエルのように這いつくばっていた。
風が、草の匂いを運んでくる。
再び、少女がぬいぐるみを掲げる。馬が一斉に怯えたようにぶるるると息を吐き、馬上の男たちに逆らい始める。
「おうちにお帰り」
少女が声を低くして囁く。反応したのは男ではなく馬たちだった。彼らは主の必死の静止を振り切り、喚き散らす男たちを背負ったままバラバラに走り出した。
1人だけ、何とか馬をなだめて戻ってきた男が地面にへばり付いているひげ巨漢の体を引きずるように回収し、一目散に逃げて行った。
「はぁー……」
少女は大きくため息をつくと、その場にぺたんと座り込んだ。その細い体から発していた光が消える。
「ありがとう。助かった」
「いえいえ」
少女は振り返るとちょっと困り顔のまま口元に笑みを浮かべた。
「お怪我を見せてください」
「あ、うん」
少女の細い指先が俺の頬についた刀傷に触れる。
「まじかる☆キュア」
ほのかに温かい光が俺の傷を癒していく。さっきの今なのであまり驚きはなかった。
俺のすぐ近くに少女の顔がある。状況的に顔をそむけるわけにもいかない。
たれ気味の大きな目に大きな瞳が印象的な少女だった。鼻と口は小づくりで人形のように可愛らしい。マッシュボブにした明るい栗色の髪が良く似合っている。
「あの、すみません。ここは一体、どこでしょうか? 私、道に迷ってしまったみたいで……」
治癒を終えた少女がすまなそうに尋ねてきた。
「ごめん。俺にもよくわからない。電車に乗っていたはずなのに、いきなりここに来たんだ」
びょん! と彼女の体が跳ねた。鼻と鼻がくっつくほどに顔を近づけて来る。ふわっと鼻孔をくすぐるかすかな甘い香り。
「私もです! 学校にいたはずなのに、いきなりここに来てしまったんです!」
あんなステージ衣装みたいな恰好で? と思って彼女を見ると、いつの間にか彼女の服装は白いワイシャツにベージュのブレザー、茶色と黒のチェック模様のスカートになっていた。
どういうことだ? と思う反面、頭のどこかで彼女ならそうだろうと納得している自分がいる。
「どうしよう。スマホも使えないし……」
言われて初めて、俺も自分のスマホを見た。さっきまでは夢だと思っていたから、スマホを見る発想がなかった。
予想通りというか何というか、電波は圏外でネットには繋がらないし、位置情報も取得できない。
「あの、すみませんが、ここがどこかわかるまで、私と一緒にいてくれませんか?」
「もちろん。むしろ俺からお願いしたいくらいだよ」
胸元でぬいぐるみを抱きしめながら、彼女は「よかった」と嘆息した。たとえ迷子同士であっても、1人よりは2人の方が心強い。
「私は、喜屋武 せりなと言います」
喜屋武 せりな。
その名前を聞いた瞬間、俺の全身に電光が走った。
知っている。俺は確かに、彼女を知っている。
なぜなら、俺は彼女に今朝も会ったばかりだから。
俺は彼女をよく知っている。だが、彼女は俺を知らない。決して知ることはない。
なぜなら、俺が彼女を見た――いや、観たのはディスプレイを通してのことだから。
日曜の朝に放映されるテレビアニメ『まじかる☆すたぁ・ぷろじぇくと』。ご当地アイドルとして活動しながら、影で街の平和を守る5人の魔法少女の物語。
喜屋武 せりな。獣医を開業する医者の娘で、彼女自身も動物と話ができると言われるほど動物好きの心優しい少女。
そして彼女は3番目に覚醒した黄色のイメージカラーを持つ、『守護り』を司る魔法少女。またの名を――
「すたぁ☆ポラリス……」
「ッ!?」
思わずつぶやいた俺に、せりなは大きな目をさらに大きく見開いて俺を見つめた。
「どうして……」
驚愕の貌が瞬時に剣呑な警戒の貌に引き締まる。それまでのおとなしい雰囲気からは想像もつかない身のこなしで、彼女は立ち上がると俺から一瞬で距離を取る。革のローファーからはかすかに土煙が立ち上っていた。
「あなたは、何者ですか……?」
しまった。せりな=ポラリスの事実を知っているのは今のところ仲間とプロデューサーの6人だけ。
「あ、いや、これはその……」
こういう時に頭が回らなくなってしまう自分が嫌いだ。
「……」
せりながベージュ色のブレザーを翻す。服の中に隠していたポーチからスマートフォンを取り出す。正確には、スマホの形をした変身デバイスを。
「すたぁSHOW・UP。Let’s・シンデレラタイム……」
それってそんなドスの効いた低い声で言うもんだっけ?
そんな一抹のわびしさを感じる俺の前で、彼女はあの可憐で華やかな変身シーンを見せてくれるわけでもなく、黄色い光に包まれたと思ったら次の瞬間には、再びあのゆるふわな陽だまりの妖精をイメージさせる黄色のステージ衣装を纏い、歌って踊れる魔法少女すたぁ☆ポラリスに変身していた。
胸に抱いていたクマぬいぐるみ――カブちゃん――も一回り大きくなっている。
「待て! 俺は敵じゃない!」
「わかっています」
「え?」
ポラリスがくるりと俺に背を向ける。まるで俺を守ろうとするみたいに。
彼女の細い体の向こうに、淡い土煙が見えた。同時に何かの音が近づいてくる。
(馬の蹄?)
先刻の嫌な記憶がよみがえり、奥歯がガタガタと鳴り始める。
やがて見えてきたのは銀色に鈍く光る鎧に全身を覆い、槍と盾を手にした騎士たちだった。数は6騎。彼らは俺とポラリスをぐるりと取り囲んだ。
全員兜がフルフェイスなので表情が見えないのがまた怖い。
「な、な、な……」
「何の御用ですか?」
俺なんかよりずっと小さくて華奢な体なのに、彼女の方が毅然とした態度なのが男としてちょっと情けない。
「〇〇!」
俺たちの正面に立ちはだかる騎士が何かを言った。相変わらず何を言っているのかわからない。言葉が鋭いのは彼が他の5人に命令を下したかららしい。彼らは一斉に盾を持つ腕を下ろし、槍の穂先を天に向けた。どうやら、俺たちに害意は無いようだった。
正面の騎士が馬から降りる。
「〇! 〇〇〇、〇〇〇〇! 〇〇、〇〇〇、〇〇!」
「あの、ポラリスさん」
さっきの彼女の剣幕が忘れられなくて、つい敬語を使ってしまう俺がいる。
「『まじかる☆トランスレイト』で翻訳してくれ……ません、か?」
また驚愕の瞳が俺を見る。
「あとで、きちんと説明してもらいますからね」
ポラリスが指先で空中にハートや星のマークがふんだんに使われた可愛らしい魔法陣を描く。
「私はすたぁ☆ポラリスと申します」
やっぱり変身中はそっちの名前を名乗るんだな。
続いてポラリスは俺を指す。
「こちらは――えっと――」
ついに、これを言うときが来てしまったか。
「刀夜だ。月代 刀夜」
正直、この自分の名前はあまり好きではない。何というか、ライトノベルの主人公みたいで。
少なくとも、こんな緩い体型で短足で甘く見積って中の中な顔立ちの男には似つかわしくないと思う。
「みなさんはどちら様でしょうか?」
騎士たちは明らかにたじろいだ。さっきまで異国(?)の言葉を話していた者たちがいきなり自分たちの言葉で対話を始めたのだから無理もない。
「失礼。私はウェイン王国の聖騎士、エドワード・ナッシュと申します」
どうでもいいが、言葉は明らかに英語ではないのに、固有名詞は英語っぽいんだな。翻訳魔法の影響だろうか?
だがこの後、エドワード某の言った言葉は俺のどうでもいい疑問を粉みじんに吹き飛ばした。
「招喚者のお2人をお迎えに上がりました」
というわけで、『次元転送』略して じげてん の始まりです。
様々なメディアの創作キャラが一堂に会するというアイデアは既出のもので、最近でも素晴らしいアニメ作品が放映されました。
正直に申し上げて、本作は間違いなくそのアニメからインスパイアを得ています。執筆は『sh0ut』を聞きながら行っているくらいです。
だからこそ、いかにその作品とは全く違う切り口で、全く違う展開を魅せられるかが勝負だと思っておりますので、どうか楽しんでいただければと思います。
登場するヒロインたちについても、あらすじだけで元ネタにピンと来る方もいらっしゃると思います。
彼女たちについても同様に、元ネタとは異なる一面を引き出し、1人のキャラクターとして独立させていきたいと思っております。
我ながら、随分と大口を叩いておりますが、身のほど知らずな作者は捨て置いて、どうか彼女たちを見守ってあげていただければ幸いです。