塔へ向かう道
「この辺りって、もう常夜の領域に入っているのかな?」
停めた自動車の中で、ペーストと豆の、ここ数日よりはほんの少しだけ豊かな昼食を摂りながら、カイムが言った。
「うーん、まだだと思うよ。常夜の領域って、言われてるより狭いからさ。あ、ほら」
周りが明るくなった。上を見たが、天井の端が見えない。体を前に乗り出した上に首を巡らせて、ようやく空が見えた。太陽が覗いている。
「これだけ南に来ても、まだ太陽を見られるんだな」
「6月だからね。でも、1時間もしないで隠れちゃうかな」
「そうだな。殆ど真北に出ている感じ」
体を椅子に戻してカイムは言い、椅子の下の浄化槽からチューブを取り出して水を口に含んだ。
「うん、お豆だけでもあると違うね。食事が華やかになる、とまでは言えないけど」
「大切に食べないとな。この先、もう手に入る見込みはないんだから」
「そうだね」
質素な食事を終え、2人共それぞれの浄化槽に用を足してから、南へ向けて再び走り始めた。
「その右側に走っているの、川かな」
左側の座席に座っているアリューが聞いた。
「そうらしい。多分、橋の街の人たちが集めている土は、ここの下流なんだろうな」
幅数m程度の川。今でもこれだけの幅を保っているということは、かつてはかなり広い流れを持っていたのだろう。
「どうしよう?」
「どうするって、何が?」
「うん。古い地図だと、この川を遡っていった先の湖に、塔が建てられたみたい」
「それじゃ、川に沿って行けば目的地に着けるのか」
「そうなんだけど、結構蛇行しているから川に沿っていくと時間の無駄になるんだよね。それに、川が途中で涸れちゃっているかもしれないし」
「これだけ流れているなら涸れてることはないと思うけど、地下に潜っているところはあるかも知れないな」
「川の流れに頼っちゃうと、そういうところで道を見失うことになっちゃうし」
「センサを頼りに、南下していった方がいいかもな」
「だよね。それじゃ、そういう方針で」
「誘導、しっかり頼むよ」
“暗黒大陸”に渡ってから、比較的なだらかな地面が続いている。このまま塔まで平穏に行けばいいけれど。ハンドルを握りながら、カイムは思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「街ないね」
「そうだな」
「光も見えないね」
「そうだな」
「お豆、終わっちゃったね」
「そうだな」
「・・・ねぇ、カイム、聞いてる?」
「聞いてるよ。他に答えようないだろ」
「そうなんだけど」
橋を渡って“暗黒大陸”に入ってから、10日ほどが過ぎていた。
暗闇の中、自動車の照明に照らされる僅かな視界とセンサーから得られる情報だけを頼りに、2人は旅を続けていた。
「それにしても、“暗黒大陸”とは良く言ったもんだな。6月だっていうのに、太陽の出ている時間が一日に何十分しかないんだから」
「本当。知識では知ってたけど、実際に来てみるとまた違うね」
「人がいないのも判るよな。これじゃ、野菜なんかも育つ余地ないし」
「あの、橋の街でもよくお豆育てていたよね。あそこだって、今の時期でも1時間くらいしか太陽出てなかったよね」
「そうだよな。浄化槽がなかったら、生活が成り立たないよ」
「うん。それを思うと、私達の街は恵まれていたんだね。今の時期なら2時間以上も太陽が出るし、近くにプルトニウム鉱山があるから、贅沢を言わなければ電力もなんとかなってたし」
「そうだよな。この辺りにもプルトニウム鉱山でもあれば違うんだろうけど」
カイムは真っ暗闇の外を見回した。
「多分、ないんだろうな。あれば、そこが街になっているだろうし」
「うん。古い記録でも、プルトニウムってほとんどが高緯度の地域に埋められたらしいから、こっちの方には多分ないんだろうね」
「電力受電所は低緯度地域にもあるんだろう?」
「うん、あるはず。もしかしたらその辺にもあるかもね。暗くて判らないけど」
「天井に行けばそれも復活できるだろう。そうしたら、またこの辺りにも人が増えるかもな」
「何年かかるかわかんないけど」
「まぁ、後のことは後の奴らが考えればいいさ。今は俺達の生活を少しでも楽にするために、電力受電所の機能を復活できればそれでいい」
「そうだね」
会話が途絶えた。暗い中を、自動車は進んだ。先が見えないのでそれほど速度は上げられない。
およそ、時速20~30kmほど。センサーが正しく動作していれば、あと10日から15日ほど走れば塔に着くはずだ。
少し荒々しく、カイムは自動車を止めた。
「何? 何かあった?」
ホロパッドに目を落としていたアリューが聞く。
ヘッドライトが照らす前の地面に、亀裂が走っていた。
「これは・・・迂回するしかないな」
運転席の上にあるライトを左右に振って亀裂を照らす。それでもたいして広い範囲を照らせる訳ではない。どこまで続いているのかまったくわからない。
「・・・どっちに行く?」
「そうだな・・・」
カイムは考えた。
「右に行くと、橋の街まで続く川があるはずだよな・・・左に行くと、海岸線、か。・・・よし、左に行こう」
「なんで左か、聞いてもいい?」
「あんまり深い根拠があるわけじゃないけど」
カイムはあまり自信なさそうに言った。
「川は結構蛇行しているって言ったよな? 川に当たるとその後のルート選択が難しくなるんじゃないかな。でも、海岸線なら、それほど複雑な形状をしているわけじゃないだろう? そっちの方が良いかと思ってさ」
「うん。確かに海岸線は割と緩やかだね。じゃ、そっちに行くことにしようか」
「ああ」
カイムは改めてハンドルを握ると、自動車の向きを変えた。
2人の旅の先は、まだ長い。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
海岸線まで出る前に、地面の亀裂は終わっていた。再び向きを変えて南を目指す二人。
「それにしても」
夜になって、といっても、昼も夜も暗闇の中、車内やホロパッドの時計を見なければ時間も解らなかったが、その夜の自動車の中でペーストの食事を摂りながらカイムは言った。
「この辺り、殆ど常夜の領域だよな。その割には気温が低くないよな」
車体の外側に付けられた温度計の表示は、“暗黒大陸”に渡ってからも-10℃前後を維持している。
「俺たちの街だって、冬でも-7~8℃はあったもんな」
「うん、いくつか説があるみたい。有力なのは2つかな」
「俺より歳下なのに、結構いろんなことを知っているよな」
アリューの言葉に感心したようにカイムが言う。
「えへへ。昔の資料とかいろいろ見るの、好きだから」
「それで、その説ってどんなのだ」
「えーと、1つは、天井から熱が地球側に向けて放射されているって説。天井ってさ、地球に降り注ぐ太陽のエネルギーを90%以上吸収しているわけでしょ? そうすると天井に熱が籠ることになるじゃない?」
「ああ、熱力学の法則か」
「そう、それ。それで、その熱を地球側に向けて放射しているから、それほど気温が下がらない、っていう説」
「なるほどね」
「でも、私はこれ、違うんじゃないかな~、って思ってるよ」
「ん? なんで?」
アリューは水で口を潤してから続けた。
「古い資料を見ると、天井って地球を完全に覆うまでに広げる計画があったらしいのよ。その計画が事実だとすると、内側に向けて放熱したら、全然放熱の意味がないじゃない?」
「なるほど。でもその計画は破棄されたんじゃないのか? 天井は地球を完全には覆っていないし」
「うん。だから、私の予想の方が間違っているかもしれない。それで、もう一つはね、地球が発生した熱が温室効果で留まっている、っていう説」
「温室効果? そうか、天井が温室の窓と同じ役割を果たしているのか」
「そう。元が太陽の熱じゃないのが違うけどね」
簡素な食事を終えてチューブを椅子の下に戻したカイムは両手を頭の後ろに回した。
「そっちの方がありそうかな。いや、寧ろ両方が合わさっているんじゃないかな。北と南は天井が開いているわけだし、温室効果があっても地熱だけじゃ足りない気がする」
「そうかもしれないね」
「それも天井に行けば判るかな」
「そうだね。まずは行ってみないとね」
カイムは真っ暗な外を見た。アリューも。ヘッドライトを消し、自動車内の照明を点けているため、何も見えない。
「もうそろそろのはずだよな」
「だね。塔に着いてからも長いけど」
「それもそうだな。明日に備えて、今日はもう寝るか」
「そうだね。その前におしっこしておかないとね」
いつものように、2人はそろって用を足した後、椅子を倒して眠りについた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんだか地面が柔らかくなってる気がする」
左の座席でハンドルを握っているアリューが言った。
「うん・・・なんとなく、車の震動が昨日までとは違うよな」
カイムも言った。ヘッドライトに照らされる地面も、これまでと比べて黒味が増しているように見える。
「あんまりスピード出すなよ」
「うん、解ってる」
2人を乗せた自動車は、ゆっくりと暗闇を進んで行った。自動車のライトが照らす狭い範囲だけが、二人に見える世界のすべて。他は何も見えない。
「センサーと地図が正しければ、そろそろのはずなんだけど」
ホロパッドの表示を見ながらカイムが言う。
「こう暗くちゃ、目の前にあっても解らないよな。真正面に見えればいいんだけど」
「でも、それしか手掛かりがないんだもの。仕方ないよ」
「まあね。せめて、少しでも左右が見えるようにしておくか」
カイムはパネルのスイッチを操作して、自動車の上についている照明の角度を左右に向けた。これで、前方150°ほどは視界を確保できる。見える距離は100mと少し。あまりにも心許ないが他にどうしようもない。何も見落とさないようにと、二人は窓の外に注意しながら進んだ。
「あれ」
アリューが言った。ほとんど同時にブレーキを踏む。速度を落としていた自動車はすぐに止まった。
「どうした?」
「前の地面、真っ黒だけど、水、かな?」
「え?」
カイムも目を凝らした。進んできた地面とほとんど見分けはつかない。
けれど確かに、数m先から地面の様子が違っている。
「・・・そうみたいだな。ということはつまり、この先に塔がある?」
「多分。ここの塔は湖の真ん中に建てられたらしいから」
「それじゃ、今いるここも、昔の湖底か」
「多分そうだと思う」
周りを見ても、暗闇しかないここでは、それが事実かどうかは判らない。
「どうする?」
「どうって?」
「水の中は流石に進めないだろ。どれだけ水が残っているかは判らないけど、それなりに深いはず」
「塔の周り、塔に続く道が造られているでしょ。道っていうか橋だけど」
カイムはホロパッドを操作して、塔の図面を表示させた。確かに、塔へと続く3本の橋が造られたらしい。
「ここから方向を変えて、その橋を見つければ塔に行けるよ」
「橋があっても渡れるか判らないんじゃないか」
「まぁ、半分賭けになるけど、その図面見た感じだと、橋も塔の一部だと思う。だったら、例の自己修復素材でできてる可能性も高いんじゃないかな」
「そうか。確かにこの図だと、橋と塔が滑らかに繋がっているな」
「うん。じゃ、ここから右か左だね。どっちにする?」
「・・・左、かな。理由はないけど。この間も左に行って正解だったし」
「じゃ、そうしよう」
アリューはハンドルを左に切ってアクセルを踏み込んだ。水際に沿うようにして、ハンドルを操る。カイムも、ホロパッドと窓の外を交互に見ながら、何も見落とさないように注意する。
3kmほど進んだだろうか。
「あ」
アリューがブレーキを踏んだ。その理由はカイムにも解った。自動車のライトが照らす先、150mほどのところを銀色の構造体が左右に伸びている。
「あれが、橋か」
「そうみたい。塔の反対側から登れるはずだから・・・」
「塔が湖の真ん中の方なら、左の方から登れるはずか」
「うん」
アリューはまた左にハンドルを切った。カイムは自動車の上、右側のライトを真横に向けて、橋を見失うことのないように注意した。橋はどこまでも続いているように思えた。
図面によると、一本の橋の長さは200kmほど。それが、塔から三方向に伸びている。まるで、塔を支えているかのようだ。途中で一度自動車を停めてペーストと水だけの簡素な食事を済ませてから、運転をカイムに代わって再び進んだ。
昼食を摂ってから1時間近く経って、ようやく橋の終端が見えた。
「あ、カイム、あそこから登れそう」
「そうだな」
「長いねぇ。世界の果てまで続いているかと思っちゃった」
アリューは笑った。塔を目前にして、気が昂ぶっているようだ。
それはカイムも同じだった。かつて、人類が建造した最大の構造物である、天井。そこから地上へと降りてきている塔。それを間もなく、この目で実際に見ることができるのだ。いやでも興奮してしまう。さらに自動車を進め、真直ぐ伸びる橋を正面に捉えて、カイムは自動車を停めた。
「それじゃ、行くぞ」
カイムがアクセルを踏み込もうとする。
「あ、待って」
アリューが制止した。
「何?」
「えーと、ここからはまた、運転を代わって欲しいなぁ、って。駄目かな」
カイムはアリューを見た。控え目にそう言ったアリューの目は、好奇心で輝いていた。
「そうだな。この旅はそもそもアリューの旅なんだし、俺は付き添いだもんな。いいよ。ここからはお前が運転して」
カイムはハンドルを跳ね上げ、アリューからホロパッドを受け取った。
「ありがとう!」
アリューは嬉しそうにハンドルを下ろした。
「それじゃ、行くよ」
自動車はまた進みだした。初めのうちこそ、細かい石や砂利が散っていたが、進むにつれて整地された路面が顕になった。アリューは、これまでに無いほどの速度で自動車を先に進めた。
「走りやすいからって、あまりスピード上げすぎるなよ」
「うん、解ってる」
それでも、時速50kmほどの、これまでと比べるとかなり速い速度で、自動車は疾走した。橋の幅は図面によると1kmほどだろうか。左右を見ても、滑らかな路面が続くだけで何も見えない。広い。
橋へと乗り出してから、およそ4時間。途中、休息を2回取り、中間ではカイムが運転を代わったが、今は再びアリューがハンドルを握っている。ヘッドライトが、巨大な壁を照らした。アリューは自動車を停めた。カイムが、上側ライトを斜め上方に向ける。
アリューが暖房を切るのも忘れてキャノピーを開けた。2人は無言で自動車の外に出た。自動車の先、100mほど先に、壁が真直ぐに立っていた。ライトの照らすほんの少しの範囲しか見えない。けれど、確かに、目指してきた塔が二人の目の前に屹立していた。
「・・・来たね」
アリューが感慨深げに言った。
「ああ、来た」
カイムも短く行った。2人は、首が痛くなるほどに塔を見上げた。ついに、2人は天井への入口に辿り着いたのだった。
第一部・完