火山の街
電力受電所に機能する見込みがあることを確認して、2人は南へ向かう旅を再開した。
「でもさ、塔まで行ったとしてどうやって天井まで昇るんだ? このホロパッドの資料だと昔は籠・・・エレベーターか、それが動いていたようだけど、今は電力すら通ってないんだろ?」
「それはね、塔の外側に整備用の溝が造ってあるの。歯車で昇っていけるように」
「歯車で? そうか。それでこの車、不恰好なでかい歯車が付いているんだな。車の幅も、その整備用の溝に合わせてあるわけか」
「溝の幅はもっと広いよ。アームを伸ばして溝に合わせるのよ」
「なるほどね」
運転をアリューに任せ、ホロパッドの傍らに地図を表示して自動車のセンサーが送ってくる情報を元に表示される進路を横目に見ながら、別に表示した塔の図面をカイムは確認した。
「しかし、よくこんなに詳しい図面が手に入ったもんだな」
「お祖父ちゃんとお父さんと、それに叔父さんの努力の賜物ね。あっちこっちに遺っている図書館とか資料館とかを巡って、集めたんだって。まともに遺っているものなんてほとんどないから、苦労したらしいけど。あっと」
アリューはブレーキを踏んで速度を落とし、ハンドルを切って地面に空いた穴を避けた。
「苦労なんてもんじゃないだろう」
ヘッドライトに照らし出される狭い情景を見て、任せておいて大丈夫と判断したカイムはまたホロパッドに視線を戻した。
「完全な形で遺っている資料なんて皆無だろうからな。少しずつ資料をかき集めて、繋ぎ合わせて、その集大成だろうな、このデータは」
「うん。お父さんの遺してくれた形見だと思ってる」
「形見、か。そんな大事なものを、俺が見ちゃっていいのかな」
「いいんだよ。カイムは私のお兄ちゃんみたいな人だし、それに今は探検家仲間だし」
アリューは顔を前に向けたまま、にっと笑った。
「それより、親方はこの車を塔を昇れるように造ったのは解ったけど、上まで昇れるのかな。壊れているところもあるんじゃないか」
「それは私もそう思う。でも、そんなこと行って昇ってみないと解らないし。それに勝算がないわけじゃないのよ。栞を貼っといたと思うんだけど、えっと、何色だったかな」
「栞のところだろ? 探すよ。どんな内容?」
「空から落ちてきた鉄板とか構造体とか、そんなの」
カイムは、アリューがホロパッドに貼った栞を順番に開いていった。いくつか開いて、それを見つけた。
「これか。何々、大きなクレーターの中にあった巨大な板状の構造体。へぇ、親方が見つけたのか。天井の外板の一部と思われる巨大な板・・・」
カイムはそこに書かれている情報を読み進めた。
「発見したときには地面に叩きつけられたためだろう、かなり歪んでいたが、回収してから数ヶ月のうちに滑らかな板状に自己修復した。ほんとかよ」
「本当らしいよ。お祖父ちゃんはナノテクだろうって言ってた」
「へぇ。昔はこんな技術もあったんだな」
「それで、天井がそういう素材でできているなら、多分、塔も同じ素材なんじゃないかな。それなら、多少壊れても、修復されているはず」
「それで、勝算あり、か。確かに、自己修復素材でできているなら、天井まで昇れそうだな」
「うん。今はそれを信じるしかないよ。行って駄目だったら、またそのときに考える。それしかやりようはないしね」
「そうだな。ところで、そろそろ運転を代わろうか」
「うん、そうね。それじゃ、一度停めるね」
アリューはブレーキをゆっくりと踏んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日が過ぎた。
「もうどれくらい来たかな」
ハンドルを握っているカイムが聞いた。
「まだ1,500キロくらい。蛇行してるから、街からの直線距離だと1,000キロも離れてないけど」
アリューがホロパッドに記録された情報を見て答えた。
「まだ1/5くらいか。先は長いな」
「カイムが持ってきてくれたお芋、終わっちゃったね。あとはペーストと水だけか」
「街を出るときに覚悟してたことだろ? だいたい、俺が芋を持ってこなかったら、これまでだってペーストだけだったんだから」
「うん。おかげで少しはマシな食事ができたよ。ありがとね」
アリューはカイムを見てニッと笑った。
「それよりさ、今日はそろそろ休む? 結構進んだよね」
「そうだな。今日進んできたところは道の状態が良かったからな。ここまでにしておくか」
カイムはブレーキを踏んで自動車を止めた。
「メシにするか」
「うん」
アリューはペーストと水のチューブを取り出した。カイムも同じように取り出そうとして身をかがめたとき、外にそれが見えた、気がした。
「ん? あれは?」
「どうしたの?」
アリューが聞いた。
カイムはそれにすぐには答えず、まだ点いたままの自動車のヘッドライトを消した。外、自動車の右手方向を見る。
「・・・アリュー、あそこ、光が見えないか?」
「うん? どこ?」
「ほら、向こう」
アリューは目を凝らした。確かに、微かにゆらめく光が点々と見える。
「街があるのかな」
「ここからじゃ、街かどうか判らないけどな。あそこまで行ってみるか」
「そうね。ご飯はあそこまで行ってからにしようか」
「そうだな」
カイムは再びライトを点け、ハンドルを握りなおした。再び自動車は走り出した。
近付くにつれて、見える灯りは増えていった。2人の視線より高い位置、左右に並んでいるようだ。さらに進むと、両側を切り立った崖に挟まれた、谷底のような場所を自動車は進んでいた。灯りは両の崖の上に並んでいる。
「この上に人が住んでいるのかな」
「そうみたいだな。両側を繋ぐ橋も見えるし、崖の両側に跨った街、みたいだな」
「どこからか上に登れないかな」
「それなら、ここまでにも何箇所か階段があったぞ。そこから登れるんじゃないかな」
「え? そんなのあった? 言ってよね」
「気付いているかと思った。探険家なら、常に回りに気を配っていろよな」
「ぶー」
アリューは口を膨らませた。けれどカイムの言うことは尤もなので言い返せない。
「お、そこにもある」
「ん? あ、あれね」
左側の崖、カイムが指差したところに、アリューも階段を認めた。
「登ってみるか?」
「うん」
カイムは階段に向けてハンドルを切ると、その手前でブレーキを踏んだ。ライトを消し、暖房を切ってキャノピーを開ける。外の冷気が吹き込んでくる。
「一応、使いそうなものは持っていけよ」
「うん、わかってる」
2人はそれぞれのバックパックを持つと自動車を降りた。キャノピーを閉める。懐中電灯で足元を照らしながら階段に向かい、そして1歩1歩登り始める。95段あった。
「疲れてないか?」
「平気平気。問題なし。並んでいるの、家、だね」
2人の前には、並んだ街灯と、それに照らされる道、それにレンガを積み重ねて造ったと思しき、家があった。道に人の姿はない。もっとも、もう夜も深いから、人が外に出ていなくても不思議はない。
「どうしよう。どこか訪ねてみる?」
「そうだな・・・1軒くらいは。もう眠っていたら悪いけど、ここで人が出てくるのを待っていても時間の無駄だし」
「誰も出てこなかったら、どうする?」
「その時は仕方ないから、車に戻って俺たちも一眠りしてから、出直そう」
「そうだね」
カイムは、一番近くに見える扉に近付くと、控えめにノックした。誰も出てくる気配はない。
「空き家かな。留守かな。それとも、もう寝ちゃったかな」
「どうだろうな」
もう一度、今度はもう少し強くノックする。少しの時間ののち、目の前の扉が開かれた。
中から顔を出したのは、カイムの両親と同じくらいと思しき女性だった。
「どちら様?」
女性は2人の顔をまじまじと見た。
「あなたたち、誰? この街の人じゃないわね」
カイムは一瞬の躊躇の後で、口を開いた。
「あの、旅の者です。ちょっとお尋ねしたいのですが」
「こんな暗い中を旅だなんて、物好きだねぇ。それで、何を聞きたいんだい?」
「えーと、ここ、この街はどこですか?」
「ここかい? 街のみんなはコルバスの街って呼んでるけど」
アリューがホロパッドで確認する。
「ううん、データにはないみたい」
「あの」
カイムは再び女性に向いて言った。
「この辺りで目印になるような目立つ場所、ランドマークは何かありませんか?」
「目印ねぇ。目印って言ったら、お山くらいかな」
「お山?」
「ああ、あれだよ」
女性は外に出ると、街の奥、少し上方を指差した。
「この辺で目印になるって言ったらあれくらいかしらね」
目を凝らすと、彼女の指の差す先には大きな山が黒々と聳えていた。背景も暗い上に街灯の光が邪魔をしてて判りにくいが。
「あの山、なんていう名前ですか?」
カイムは山から女性に視線を戻して聞いた。
「さぁ、“お山”としか呼ばないからねぇ。名前もあるんだかないんだか」
「そうですか・・・」
アリューが心持ち肩を落とす。
「名前を知っているとしたら、長老くらいかね」
「長老? その方はどちらに」
「あそこだよ。そこに橋が架かっているだろ? あれで向こう側に渡って左側3軒目。あの大きい家」
女性が示す先には、街灯に照らされて、他の家に比べて大きな家が建っていた。
「解りました。その方に聞いてみます。ありがとうございます」
「ちょっと待った。長老はきっと、今の時間もう寝てるだろうから、明日にした方がいいよ」
「解りました。いろいろすみません」
「いろいろありがとうございます。遅くにすみませんでした」
アリューも頭を下げる。
「あんたたち」
そのまま辞去しようとする二人を、女性が呼び止めた。
「はい、何か?」
「あんたたち、寝るところはあるのかい? なければ、泊めたげるけど」
2人は少し顔を見合わせた後、カイムが答えた。
「はい、大丈夫です。自動車で旅しているので、その中で休めるようになっているから」
「自動車? 狭いんじゃないかい?」
「いえ、慣れていますから」
正確には、最近慣れてきた、と言うべきか。
「そうかい。でも、広いところで寝たくなったら言ってきな」
それだけ言って、女性は家に引っ込むと、扉を閉めた。
「仕方ない、一晩車で休んでから出直すか」
「うん。でも、さっきの小母さん、ぶっきらぼうだけど優しかったね。泊まってけ、なんて」
「そうだな。旅人に対して排他的な街も多いけど、この街は違うみたいだな。まぁ、今の人が特別だ、って可能性もあるけど」
「うん。その、長老って人も親切だといいね」
「そうだな」
2人は長い階段を、足元に注意して下りた。明日また登ることになるだろう階段を。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アラームが鳴る前に、カイムは目を開いた。窓の外、頭上に並ぶ灯りを見上げる。眠る前と変わった様子は見られない。隣でアリューの動き出す気配がした。
「カイム、おはよ。いつも早いね」
そう言いながらコンソールを確認すると、まだ鳴っていないアラームを止めた。
「おはよう。いつもってことはないだろ。一昨日はアリューの方が早く起きてたし」
「そうだけど、一昨日だけだし。どう? 街の人たちも起きてそう?」
「どうだろうな。ここからだとはっきりとは判らない。けど、灯りが一瞬隠れることがあるから、人が歩いているんだと思う」
「ほんと? どこどこ」
「どこって言われても。並んでいる上の灯りをずっと見てると、時々」
アリューも窓の外、上方を注視する。
「あ、ほんとだ。今あそこが一瞬消えた」
「だろ? そろそろ街の人たちも起きる頃なんじゃないかな」
「なら、ちょうどいいね。その、長老さんって人に会いに行こ」
「その前に飯にしよう。ペーストしかないけどな」
「そうだね」
2人は、座席の下の浄化槽からペーストと水のボトルを取り出すと、それだけの簡単な朝食を摂った。
「お芋だけでもあると違うね」
「そりゃね。ペーストだけじゃ替わり映えしないし、味もそんなにないからな」
「これにも慣れないとね」
2人は簡単な食事を終わらせると、ボトルを仕舞った。
「トイレは?」
「する。カイムは?」
「俺も」
もう、羞恥心は無くなっていた。
狭い車内で、2人は隣り合って一緒に用を足した。
「それじゃ、行くか」
「うん」
暖房を止めてキャノピーを開け、外に出る。昨日往復した階段をもう一度登り、昨夜教えられた家へと向かった。長老の家に行くまでの間、人とすれ違うことはなかった。
離れたところを歩いている人の影は見えたが。
「人、少ないね」
「まだ早いのかもな」
「朝早くから訪ねたら迷惑かな」
「でも、出発するなら早いほうがいいし。多分大丈夫だろ。長老ってことはそれなりに歳をとっているだろうし、老人なら朝は早いよ。きっと」
「希望的観測、って奴ね」
「まあね。駄目だったら出直せばいいよ。って言うより、出直すか諦めるかの二択しかないけど。昨日の人の話だと、他にここの場所を特定できそうな人はいないみたいだし」
「うん。そうだね。・・・この家、だよね」
2人は、昨日教えられた家の前に立った。また、カイムが扉をノックする。
「はーい」
中から小さく声が聞こえた。暫くして、内側から扉が開かれた。
「はい、どちら様?」
家の中から、若い、それでもカイムよりは少し歳上に見える女性が出てきて2人を迎えた。
「すみません、旅をしている者ですが、この街がどの辺りか確認したくて。こちらに、あの山の名前を知っている方がいると聞いて、伺いました」
出てきた女性に、カイムが聞いた。
「まぁ。この暗い中、旅をされているですか。大変ですね。少しお待ちください」
女性は、扉を開けたまま、家の奥に戻って行った。
「ねぇ、カイム、今の人、髪の毛生やしてたね」
「あぁ。そういえば、昨夜訪ねた人も生やしてた気がする」
「そうだったっけ。お手入れ、大変そう」
アリューは、剃って髪のないカイムの頭を見、同じ自分の頭を撫でた。
「この辺り、水が豊富なのかもな」
女性はすぐに戻ってきた。
「お待たせしました。どうぞ、中にお入りになって」
2人はちょっと顔を見合わせた。
「それでは、お邪魔します」
通された部屋には、柔らかそうなソファに腰掛けた、年老いた人が座っていた。
「いらっしゃい。その辺の椅子に適当に座っとくれ」
老人はのんびりとした口調で言った。
「なんでも、旅をしておられるとか」
「はい。それで、ここまでのルートは記録しているのですが、どれくらいずれているか確認しておきたくて、それで、ここがどの辺りか解る情報を欲しくて」
「なるほどの。それでお山の名前というわけですか」
「はい。街の名前を聞いたのですが、聞いたことがなくて」
「街同士の交流も少ないですからの。あなた方は、どれくらい旅をしてきたのかね」
老人は顎を撫でながら聞いた。老人の頭にも、白くなった毛が生えていることにカイムは気付いた。
「・・・まだ、だいたい1,000キロくらいです。測定が正しければ」
「1,000キロ! それはまた遠くから。それでは街の名前を知らないのも無理はないですの」
「ええ。俺たちの街ではそれくらい移動する人もいるのですが、移動はほとんど東西と、時々北に行くくらいで、南にこれだけ来たのは俺たちが多分初めてです」
「北から。北ならここよりは太陽の出ている時間も長いだろうに、なんでわざわざ南に?」
2人は顔を見合わせた。ここは早く山の名前を聞きたいのだが。
「ええ。塔を目指しているんです」
「塔? 塔とは?」
「天井に至る道です」
「天井! あんたたち、天井へ行こうと?」
「はい。最終的には」
「ここからまだ5,000キロ以上あるだろうに、気の遠くなるような話ですな」
老人は上を見上げるようにした。つられて、カイムも上を向く。この家の屋根は半透明になっていないことに、カイムはこのとき気付いた。
「そういえば、お山の名前でしたな。この歳になるとどうも無駄話が多くなっての。あのお山は、昔はコルビオ火山と呼ばれておったそうだよ」
「コルビオ火山」
カイムはアリューを見た。アリューはホロパッドに入れてきたデータを検索する。
「コルビオ。あ、あった。古い地図に。えーと、これだと、走行記録よりも結構西になるね」
カイムは老人に向き直った。
「ありがとうございます。これで、記録の誤差が解ります」
「そうかの。こんな老人の知識がお役に立てたのなら、なによりですな」
「ええ。このまま、記録がずれたままだったらその修正に余計な時間がかかるところでした。ありがとうございました」
カイムは立ち上がって礼を言った。
「もう出発するのかね?」
「はい。あまり長居してお邪魔してはご迷惑でしょうし」
「まぁ、そう慌てなさるな。長旅で2人共お疲れではないかの。ここで旅の疲れを癒していってはどうかの。この街はそれにうってつけの場所でもあるし」
老人はそう言って、傍に置いてあった呼び鈴を手許に引き寄せると、それを鳴らした。
「疲れを癒すのにうってつけの場所、ですか? この街に何かあるんですか?」
「ここは火山の街ですからの。温泉が湧いておるのよ。温まっていくといい」
「温泉?」
「って何ですか?」
カイムとアリューは口を揃えて聞いた。老人は呵々と笑った。
「お2人の住んでいた街では、風呂に入るという習慣はなかったかの」
「ありましたけれど・・・月に一度くらいは使いました」
「普段は水で絞ったタオルで身体をよく拭くだけで」
「ほっほっ、大抵の街ではそんな感じかの」
老人は、傍らの茶碗を手に取ると、中身を一口啜った。
「この街には水の湧きだす泉があって、それが火山の熱で温められて最初から熱くなっておっての。天然の風呂というわけじゃ。それを温泉と呼んでおるよ」
「はぁ、そんなところがあるのですか」
そこへ、先ほどの女性が入ってきた。
「お父様、呼びました?」
「おお、来たか。このお2人を、温泉に案内してやってくれんかの」
「はい、解りました。お2人とも、私に着いていらして」
カイムは頷いて立ち上がると、老人に頭を下げた。
「いろいろとありがとうございます」
アリューも慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「気にしなさるな。さ、行って来なされ」
もう一度頭を下げると、カイムとアリューは部屋を出た。女性は、家の入口のところで待っていた。手に何か、桶のようなものを持っている。
「お2人とも、お荷物は置いてらして良いですよ。帰りに取りにくれば済むことですから」
カイムとアリューは顔を見合わせた。どちらにしろ、“温泉”に入るときには下ろさなければいけないだろうから、それならここに置かせてもらっても同じことか。
「解りました。置かせておいていただきます」
カイムがバックパックを下ろすのを見て、アリューも自分のそれを背中から下ろし、ホロパッドを中に仕舞って床に置いた。
「それでは行きましょう。すぐそこですから」
女性が開けた扉を通って、二人は再び外に出た。
暗い街の中、並んだ街灯に照らされた道を歩いてゆく女性の後に着いて、2人も街の中を歩いた。街灯と街灯の間には、電線が張られている。
「この街、発電所があるのかな」
アリューがカイムに話しかけた言葉は、前を歩く女性にも聞こえたようだ。
「この街には、地熱発電設備があるんですよ」
「地熱発電?」
「はい。お山が出す熱を利用して、発電しているんですよ」
「へぇ。それで街全体の電力を賄っているんですか?」
「ええ、電線を街中に張り巡らせてあるんです。それでも、古い設備ですから、時々壊れますけど」
「なるほど。電線の通っていないところに行くときはどうするんですか?」
「蓄電池を使った携帯の電灯を使います。でも、時間が短いから遠くまではいけませんけれど。近くなら、一時的に電線を延ばすこともありますけれどね」
「どこも似たようなものですね」
5分ほど歩いた所に、“温泉”はあった。
「こちらです。男女一緒ですけれど、良いですか?」
2人は顔を見合わせた。街にいたころは気にしていたけれど、今では互いのいる車内で体も拭くし、一緒に用も足しているから、気にならない。
「ええ、大丈夫です」
「よかった。街によっては気にする人もいて」
女性は温泉脇の小さい建物に2人を導いた。中は一部屋しかなく、真ん中に岩を削って造った長椅子と、両側の壁に棚がある。
「服はこちらに置いておいてください」
それから女性は持ってきた桶をカイムに渡した。それで、中にタオルが入っているのが解った。
「温泉から出た後で、身体を拭くのに使ってくださいね。身体を洗うのには、小さいタオルも入っていますから。何かご要望があれば、今のうちにどうぞ」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「終わったら、家まで来てください。道は判ります?」
カイムがここまでの道のりを思い返している間に、アリューが答えた。
「はい、大丈夫です」
女性はアリューに顔を向けて微笑むと「それじゃ、私は先に戻っていますね。ごゆっくりどうぞ」と言って小屋から出て行った。
「私、お風呂久しぶり。2ヶ月くらい入ってなかったかな」
アリューは早速、外着を脱ぎだした。上下ともさっさと脱ぎ、下着も取って裸になる。
「カイム、早くしよ」
「先に行ってろよ。俺もすぐに行くから」
「うん、わかった」
「足元に気をつけろよ」
アリューを見送って、カイムも下着を脱ぎ終わると、タオルを手に外に出た。
アリューはもう、温泉に足を付けるところだった。
「あつっ」
伸ばした足を引っ込める。
「アリュー、身体は拭いた?」
「うん、拭いた。結構熱いよ」
また、恐る恐る足を伸ばす。カイムも温泉にタオルを浸けて濡らせた。確かに熱い。こんな熱い湯を、街で使ったことはない。
引き上げたタオルをしっかりと絞って、全身を拭く。ここしばらく、狭い自動車内で、浄化槽の作る水で絞ったタオルで身体を拭くだけだったので、気持ちがいい。腕を伸ばしてもぶつからない広い空間、火傷するかと思うほどに熱いタオル、それらがみんな、気持ちいい。
念を入れて身体を拭き終えると、温泉に入る。さっきのアリューの様子を見ていたので、そうっと。そのアリューはと言えば、もう熱さには慣れたようで、温泉の中をあちこち歩き回っている。深さはそれほどないようだ。カイムは足を湯に付けた。
「あちっ」
タオルを濡らすときに手で触れていたのに、もっと熱く感じる。手と足とで感覚が違う感じがする。もう一度、ゆっくりと足を湯に付ける。足の先、踵、足首、脛から膝。熱さが身体を昇ってくる。これまでに感じたことのない温度ではあるが、火傷の心配はなさそうだ。
ゆっくり、ゆっくりと、ようやく肩までを湯に沈めた。温泉の底に座って、丁度肩までが湯に浸かるほどの深さだ。アリューは座ったら、頭まで沈んでしまうだろう。そのアリューはと見ると、カイムが湯に浸かるのを待っていたように、こちらにやってきた。
「気持ちいいね」
「あぁ。こんなの、街じゃ味わえなかったからな」
「なんだか、みんなに悪い気がしてくるよ」
「そうだな。でも、あそこに行けば、街でも毎日風呂に入れるようになるんだろ。温泉は無理でも」
カイムは黒い空を見上げた。
温泉を囲むように並んでいる街灯の灯りの向こう、空の上は暗闇に包まれている。そこには、遥か上空に、天井がある。アリューもカイムの隣に来て、身体を湯に浮かべて上を見た。
「遠いね」
「遠いな」
「でもあそこに行かないとね」
「それが目的だもんな」
時間を忘れて、2人は空を見つめ続けた。その暗闇の向こうにある、空の半分以上を覆っている、天井を。何千年も前に、地上のことを忘れ去ってしまっているであろう天井を。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
温泉から出た2人は、街灯に照らされた道を通って長老の家へと歩いて戻った。行きの時よりも人通りが増えたようだ。それでも、数えるほどだったが。2人の住んでいた街と同じように、ここも人口は少ないのだろう。右手の深い谷底は、深い闇に覆われていた。
2人の乗ってきた自動車もそう遠くないところに停めてあるはずだが、街灯の光は僅かに谷の上部に届くのみ。どこにあるのかは判然としなかった。そんな街の様子を眺めながら、2人は荷物を置いてきた家へと戻りついた。
「お帰りなさい。いかがでした?」
最初に訪れたときと同じような柔らかい笑顔を、女性は戻ってきた2人に見せた。
「はい。とても温まりました。ありがとうございました」
そこでカイムはちらりとアリューと顔を見合わせ、ここに来るまでに歩きながら2人で話し合ったことを女性に言った。
「あの、温泉のお礼に、受け取っていただきたいものがあるのですが」
「あらあら、気にしなくて良いんですよ。温泉はお山の恵みで私たちが用意したわけではありませんから」
「それでも、温泉や周りの設備は街の方々が管理しているのでしょう?」
「それを使わせてもらったんだから、何かお礼をしないと」
途中からアリューがカイムの言葉を引き継いだ。
「そう言っていただけると嬉しいです。うーん、そうですね、温泉に入っていただくように言ったのはお父様ですから、その言葉はお父様に伝えてみてください」
“お父様”とは長老のことだろう。そういえば、温泉に案内してもらう前にもそう呼んでいた。あの老人の娘にしては若い気もするが。そんなことを思いながら、カイムは「解りました」と返事をすると、入口の脇に置いておいたバックパックを手にして先を行く女性に続いた。アリューもカイムに倣う。
老人は、温泉に行く前と同じ姿勢で椅子に座っていた。
「お礼など、気にする必要はありませぬよ」
老人は、女性と同じ言葉を口にした。
「けれど、あの温泉はこの街の財産でしょう? それを使わせて戴いたのですから、何かお礼をしないと」
カイムはバックパックを探って懐中電灯を取り出した。そこから、プルトニウム電池を取り外して老人に差し出す。
「これを受け取っていただけませんか?」
「これは?」
老人は、受け取ったプルトニウム電池を眺めながら聞いた。
「プルトニウム電池です」
カイムは、その価値を計るようにそれを様々な角度から見ている老人に言った。
「温泉に行くまでに聞きました。ここでは電灯を使うのに容量の少ない蓄電池か電線を延ばすかしている、と。それがあれば、そんな必要もなくなります。1つしかお渡しできなくて申し訳ないのですが」
「ほう。聞いたことはあるが、実物を見るのは初めてですな。この辺りにはプルトニウム鉱山はないのでの」
「お役に立てられそうですか?」
「ふむ。儂には判断しかねるの。おお、丁度よかった。後でロンダークを呼んでくれんか。暇な時に来るように」
後半の言葉は、お茶を持って部屋に入ってきた女性に向けられていた。
「はい、解りました」
女性は答えると、持ってきた茶碗を置いて、また部屋から出て行った。
「しかし、これを手放してしまって、お前さんらは大丈夫かの。これからの旅で必要なのでは?」
「大丈夫です。実は使う予定だった電池を1つ、使う必要がなくなったので。それは自動車に置いてきたのですが、その替わりにその電池を」
「そうかの。それでは遠慮なく」
「ところで、1つお尋ねしたいことがあるのですが」
温泉から戻って来る時に気になったことを、カイムはついでに聞いてみることにした。
「何だの」
「この街、随分と深い谷がありますよね。見たところ人の手の入れられた跡がある、というより、谷自体が人手で掘られたように見えるのですが」
「そのことか。見ての通り、街の者達で掘っておるよ。今は北の方を集中的にやっておるの」
「随分な大工事だと思うのですが、何のためにそんな労力をかけて谷を掘っているんですか?」
「ほっほっ、それはの」
老人は茶碗を手にしてお茶を飲んでから、後を続けた。
「この街はお山の恵みで生活できているわけじゃが、お山は同時に試練も与えるのでの」
老人は椅子に背をあずけた体勢で、2人に語り始めた。
「あのお山、コルビオ火山は、その名から判ると思うが、活火山での。数十年に一度ほど、その猛威を街に対して振るうのよ」
「・・・噴火、ですか」
「そう。儂の子供の頃にも一度、そんなことがあっての」
老人は当時を思い出すように目を細めた。
「お山が噴火すると、街一面を火山灰と噴石が覆うわけじゃが、それだけでなく火口から流れ出した溶岩が麓に向かって流れおる」
「それはつまり、街の中を溶岩が流れてゆく、ということですか」
「その通りでの。噴石や火山灰もやっかいだが、溶岩は、これはもう、我々の手に負える代物ではないからの。とにかく逃げるしか出来ん。そのためにこの街は、何度となく絶滅の危機を迎えてきたわけじゃ」
「それなら、街を移せばいいのでは」
言ってからカイムは、それが愚問であることに気付いて恥ずかしくなった。天井に忘れ去られた現在の地上で、人が住み続けられる場所は限られている。ここに住んでいるということは、そして、簡単に行き来できる距離に街がないということは、ここに住むのがベストということだ。
カイムの表情を読んで、老人は笑った。
「ほっほ、そういうことじゃ。お山から出る熱で電気も使えるし、温泉もある。その熱で、少ないながらも魚や野菜を育てることもできる。微々たるものじゃがの。それで、できるだけお山の近くに住みたいのよ」
「それじゃ、あの谷ってもしかして」
「そう、お嬢ちゃんの推察のとおり、お山が噴火したときに流れ出る溶岩を流すための道というわけじゃ。街が溶岩で流されないように、溶岩を誘導するために掘っておる。それでも、被害はゼロというわけにゆかんがの」
「ね、カイム、車あそこに置いてきちゃったけど、大丈夫かな?」
アリューがカイムに囁いた言葉は、老人の耳にも届いたらしい。
「心配は無用だよ、お嬢ちゃん。噴火の前には数日前から前兆があるのでの。今日明日に噴火することはないよ」
「あ、すみません、ちょっと心配になっちゃって」
アリューは軽く頭を下げた。そのとき、入口の方から人の気配がすると、先ほど出て行った女性が若い男を伴って戻ってきた。
「お父様、ロンダークを連れてきました」
「おお、ロンダーク、忙しいところ済まんの。後でも良かったんだが」
入ってきた男、ロンダークは、老人に軽く頭を下げた。その顔には何の表情は浮かんでいない。
「これなんだがな、ロンダーク、使えそうかの?」
老人は、プルトニウム電池を持ったままの手を持ち上げて、ロンダークに向けて差し出した。
ロンダークは黙ったまま老人に近寄ると、その手に載せられた箱を手に取った。掌に乗るほどの大きさのそれを、いろいろな角度からしげしげと眺めてから老人に顔を向けて、初めて声を発した。
「これは?」
老人が答えるより先に、カイムがその疑問に反応した。
「プルトニウム電池です」
ロンダークはその声で初めてカイムに気付いた、というようにカイムを見た。
「そのカーボメタルの箱の中にプルトニウムが入っていて、その崩壊熱で発電して、隅にある端子から電力を取り出せます。直流ですが」
相手の態度が気にならなかったといえば嘘になるが、カイムはそんな素振りを見せずに説明した。
「へぇ、こいつがねぇ。初めて見るな」
ロンダークは手にした箱を改めて見返した。
「崩壊熱で発電しているってことは、今も発電を続けているってことか?」
「はい、そうです。使っているプルトニウムの半減期は3万年近いですから、事実上永久に電力を供給し続けます」
「なるほどねぇ・・・」
「どうかの。使えそうかの」
2人の会話を面白そうに聞いていた老人が、ロンダークに同じ問を繰り返した。
「使えると思うが、詳しく調べてみる」
ロンダークはその言葉を最後に、帰りの挨拶もなく部屋から出て行った。その姿を呆気にとられたように見送るカイムとアリューを見て、老人はふぉっふぉっ、と笑った。
「気にせんでくれ。態度はあんなだが、気はいい奴なのでの」
「いえ、気にしていませんから」
アリューが答えた。
「それでは、俺たちもお暇します。温泉を使わせていただき、ありがとうございました」
2人は、老人に礼を言うと、バックパックを持って部屋を出た。家を出るとき、女性が見送ってくれた。
「もしもまた、この街の近くを通ることがあったら、遠慮なく寄ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
恐らく守られることのないだろう約束を交わして、二人は長老の家を後にした。
「昨夜の小母さんも、素っ気なかったけど優しそうだったよね」
「うん。あのロンダークって人もそんな感じだったな。この街の人ってそういう人が多いのかもな」
闇に包まれたこの地上で生活するのは、それだけでも気が荒む。それでも、人の少なくなった今、いがみ合っていては生き残ることも難しい。
この街の人の、素っ気ない、けれどどこか優しい性格は、そんな地上の状況を反映しているのかもしれない。
「足元、気をつけろよ」
「わかってるよ」
石を削って作られた階段を注意深く下りながら、カイムは、自分たちの住んでいた街はどうだったろう?と考えた。
街の外の人たちへの対応は同じようなものだったと思う。近くのいくつかの街と交流もあった。この街で会った人たちよりも、人当たりは良い人が多かったと思う。ここよりは北にある分、太陽を見られる期間が長いから、かもしれない。光に照らされる期間が長いから。
長い石段をようやく下りきって、2人は自動車の座席に収まった。
「それじゃ、行くか」
「うん」
自動車に暖房を入れ、ハンドルを握ってモーターを始動する。そして、ほんの数時間滞在した街を、2人は後にした。