天井の人間
揺らめく布地に導かれて、カイムとアリューは天井の通路を進んで行った。
「どこまで行くんだろ? どっちに向かってる?」
上下の区別のないここで、方向感覚はすでにない。最初のうちはカイムも意識して自分がどの方向に向かっているかを覚えておくように努めていたが、東西南北方向だけでなく上下方向への移動が加わるようになってしばらくしてから、完全に位置を見失ってしまった。
「上の方、えっと、地上から離れる方に進んでる」
アリューは、持っているホロパッドが自動記録している経路を頻繁に確認し、おおよその現在地を把握しているようだ。布切れの移動速度が速かったら確認している余裕はなかっただろうが、無重量空間の移動に慣れてきた2人にとって、そいつの動きは焦れったくなるほど遅かった。
それでも、動く布地に出会ってから結構な距離を進んでいたので、今更別れるよりはこいつの案内に従っていた方が良いだろう。移動速度はカイムたちよりも遅いし、最前捕まえた感じでは抵抗する力も持たないようだから、万一何か良からぬことを企んでいたとしても、どうとでも対応できるだろう。
そもそも布切れに何かを企む頭があるとも思えない。いや、しかし、その白い表面に文字を浮かばせて、ごく短い文ながらも2人と意思を疎通できたのだから、ある程度の知能、それも人間に似た傾向の知能はあるのだろうか。それよりはむしろ、遠隔操作のロボットという可能性の方がありそうだ。ただの布切れにどんな用途があるのか見当も付かないが。
カイムのそんな思いを余所に布地はふわふわと漂ってゆき、やがて壁にぴたりと張り付いた。そこは扉になっていて、布の張り付いた場所は開閉用のパネルの上だ。直後、扉が音もなく開く。壁から剥がれた布は、開いた扉の中にふわふわと漂って行った。
「ここが目的地かな」
「らしいな」
カイムとアリューも入って行く。その部屋は、これまで2人が入った殺風景な部屋とは違ってシステム端末のようなものが壁際に並んでいる。先に入って行った布切れは正面の端末のコンソール右手にある平面部分に載った。ほぼ同時に、コンソール上の画面が光り出す。
「わ、眩しいっ」
思わずあげたアリューの声に反応したのか、画面の光度が少し落ちて、壁よりもやや明るい程度に抑えられた。
「私の声、聞こえたのかな」
「さあ。マイクぐらいはありそうだけど」
2人が辺りを見回していると、正面の画面に文字が表示された。
《これで話せるかな。君たち、この文字読める?
ああ、返事は音声で構わない》
「え? あ、うん、読めます」
《良かった。さっき捕まれた時は驚いたよ。
ここに生物がいるとは思わなかったからね》
「悪い、得体の知らないものが浮いてたもんで、調べようと思って」
「私が頼んだの。ごめんなさい」
カイムとアリューがそれぞれ謝罪の言葉を口にする。
「ってか、この文字を出しているの、この布切れなのか?」
《布切れ? ああ、僕のことか。
昔はそういうものがあったらしいね。
僕はパイク。君たちは、旧人類だね》
「旧人類? あ、私はアリュー」
「俺はカイム。パイクと言ったな、その布切れのことか?」
カイムはコンソール横の布を見て言った。
《そう。君たちはどこに潜んでいたんだい?
旧人類がまだ生き残っているとは知らなかったよ。
ぼくの住んでいる辺りでは見ないからね》
「ちょっと待って。頭が追いつかないよ。ええと、あなた、パイクだっけ? ちょっと聞いていい?」
《構わないが、僕も質問したいな》
「おっけー。それじゃ、さっきの質問に先に答えるね。私たち、私とカイムは地上から来たんだよ」
カイムはひとまず、対応をアリューに任せることにした。2人でそれぞれに疑問を口にするより、その方が良さそうだ。
《地上から? 本当に? すごいな。
地上にまだ旧人類が生き残っているのかい?
軌道エレベーターはまだ動いているのかい?》
「待って。今度は私の質問。パイクって人間なの? この薄い布が体なの?」
《そうだよ。今、オービタルリングに住んでいる人は、
僕の知る限り、旧人類の肉体を持った人はいないね》
「ふーん。不便じゃない?」
《おっと。その前に僕の質問に答えてほしいな》
「あ、ごめんね。うん、私たちは地上で生きているよ。軌道エレベーターは動いてなかったから、私たちは、私のお祖父ちゃんの造った自動車で塔の外壁を昇って来たの。じゃ、次の質問ね」
カイムはパイクと名乗る布地とアリューの会話を聞き逃さないように静かにしていた。
パイクによると、何千年か前に天井の人類は肉体から布のようなこの体に“進化”したらしい。進化と言っても自然のものではなく、人為的な操作によるものだ。そもそも意識だけを電子データに変換する計画だったらしいが、上手くいかなかったようだ。あまりにも昔のことで、パイク自身も資料での知識しかないということだが。
布の体は、その表面で光や音を感じ取り、また本人の意思で模様を変えられるので、端末などなくても“旧人類”との意思疎通は可能だそうだが、いかんせん効率が悪いのでアリューとカイムをこの部屋まで連れて来たということだ。
《僕は普段は上層、地上の反対側に住んでる。
ほとんどの人間はそこにいるよ。
下層、地上側は旧人類用の設備が残っていたけど
今はほとんど解体されているんじゃないかな。
ここは中層で、人間と旧人類のインターフェースが
まだ残っているんだ。この端末もその一つだね》
パイクは旧人類に興味を持っていて、その暮らしぶりなどを少しでも知れれば、と地上近くまで来ていたらしい。しかし、2人がこれまで見てきたように、またパイク自身も言ったように、ほとんど何も残っておらず収穫は無かったようだ。
「でも、私たちが外から入った部屋には宇宙服がたくさんあったよ。ねぇ」
「ああ。そこに、俺たちの着てきた宇宙服も置いてきたな」
《本当に? それは見てみたいな。場所は解るかい?》
「うーんと、ホロパッドに私たちの通ってきた道は記録されてるから、それ見れば。ええと、これ見えるかな」
アリューがホロパッドを操作すると、天井の一部と2人の通ってきた軌跡が浮かび上がる。
《ここのカメラだとちょっと見難いな。
この端末に直接繋げないかな》
「待って。えーと、これ、コネクタとかあるのかな。ん、あ、これが蓋になっているのね」
パイクの言葉が文字表示されている画面に、この端末の図が映った。パイクが表示してくれたらしい。示された場所の蓋を開くと、外部機器接続用らしいコネクタが現れた。
「この形だと、そのままは繋がらないなぁ。これ、分解しちゃって平気かな?」
《大丈夫だと思う。派手に破壊したりしなければ》
「じゃ、やってみる。カイム、カイムの工具も貸して。私のだけじゃ足りないかもしれないし」
「解った。外した部品、失くさないようにしろよ。どこ飛んでくか解らないから」
「うん」
自分のバッグをアリューに渡し、彼女が作業をしている間、カイムはアリューに代わってパイクから情報を引き出すことに努めた。カイムも、旧人類について知りたいというパイクに、地上での生活やここまでの旅について話して聞かせた。
パイクによると、彼ら布地のような“新人類”の間での意思疎通はテレパシーのようなもので行なっているらしい。テレパシーと言うより、電波による情報通信と言った方が適切のようだが。中層や下層に来てしまうと、至近距離の直接通信しか使えないが、上層にいればどれだけ離れていても時間差ゼロでの双方向通信が可能らしい。要するに、上層の至る場所にアンテナがあり、彼らの体内、それとも脳内に、通信機が埋め込まれているようなものだな、とカイムは理解した。
とても生物に見えない彼らも、生物としての特徴をきちんと備えているようだ。大気中の窒素や酸素、水素、炭素などを体表面から取り込み、電磁波──主に紫外線から赤外線までの波長の電磁波──を媒介にして肉体──布地──を作り、維持しているそうだ。天井の中が真空ではなく、カイムやアリューにも呼吸できる空気で満たされているのはそういう理由のようだ。二つの個体から子供も生まれるし、成長もするし、寿命もある。こうして違和感なく自然なコミュニケーションを取れることから、精神や思考も人間──旧人類──とそれほど変わらないようだ。
違うことと言えば、その見てくれの他には、性別がないこと──子供を生むのに必要なのは“二人”であって、男女は無関係、というより概念が無い──、寿命が長いこと、たとえ外部からのエネルギー供給が途絶えても──極端なことを言えば真空中に放り出されても──仮死状態になるだけで、適切な環境下に戻れば回復すること、などがあるらしい。
そんな彼らの生活の主体は、知的好奇心を満たすこと、だそうだ。人体通信で直接情報をやり取りできるのだから、生まれたばかりの子供でもすぐに他人から知識を吸収できる。しかし、中途半端な知識しか持たずひけらかすように騙る人も中にはいるから、子供を持った親は、正しい知識を得る方法、情報の正誤を見極める方法を教えることが、子育ての最初のステップになるという。
《僕の興味は旧人類だけど、今の大勢は外宇宙だな。
もう何隻も旅立っているし、今も建造中の宇宙船があるよ。
もし君たちが上層に来ることがあったら、見てみるといい。
興味の有無にかかわらず、あれは壮観だよ》
人類最大の建造物である天井に住んでいながら、それより遥かに小さい(だろう)宇宙船を見て壮観と思うことには違和感を覚えなくもないが、内側に住んでいて全体像を見られない天井と、外からその威容を観測できる宇宙船とでは、確かに感じ方も違うだろうと納得する。
「繋いだよ。これで見えるかな」
アリューの作業が終わったようだ。
《うん、これなら解る。ありがとう》
「あ、パイクって人間、えっと、旧人類のこと知りたいんだよね。なら、ホロパッドに入れてきた昔の資料なんかも見る? あ、そういうのは、天井にも記録があるかな」
《いや、オービタルリングに記録されている資料と
地上に残っている資料の比較検討もしたいから、
教えてもらえるなら助かる。
いいのかい? 見てしまって》
「うん、いいよ。代わりってわけじゃないけど、こっちからもお願いがあるの。地上にマイクロ波で電力を送るための制御ができる場所、知らないかな」
《僕はそっちには興味ないけど、そうだな、
オービタルリングの構造に詳しい友達がいるから
聞いてみよう。
ここに来る前にもそいつに構造を教えてもらったけどね、
その範囲には送電制御室みたいなのはなかったから》
「さっき、ここから上層にいる他の人と通信はできないって言ってなかったか?」
カイムは、少し前にパイクと話していた内容を思い出して聞いた。
《今は端末を使っているから大丈夫。
この端末と繋がっているケーブルが、
上層のアンテナまで伸びているから。
判った。教えて貰えた。
君たちの、“ホロパッド”だったかな、
携帯端末に情報を送った》
「ありがとうっ」
これで、ゴールへの正解の道を手に入れたことになる。天井に着いてから数日でこの情報を得られたことは大きい。下手をしたら何年も天井の中を2人で彷徨う羽目になっていたかもしれないのだから。
目標地点がはっきりと判ったことで、カイムは気持ちが軽くなるのを感じた。目的がはっきりしていてもゴールが見えているのといないのでは心理的な負担が随分と違うんだな、と今更ながらカイムは思った。




