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忘却の天井  作者: 夢乃
プロローグ ~残された地上にて~
2/28

発端

 翌朝、簡素な朝食を済ませたカイムはディルクの工場へと暗い道を歩いて行った。消えることのない街灯が道に沿って並んでいる。時間の余裕はある。急いで無駄な体力を使うこともない。顔見知りに挨拶をしながら、カイムは通いなれた道を進んだ。


「おはようございます」

 工場に着くと、いつものようにガレージの脇にある扉を開けて中に入った。ガレージにはディルクが作っている変な形の自動車が置いてある。もうほとんど完成しているように、カイムには見える。実際、あとは調整だけなのかもしれない。

 いつもなら、カイムが来たときにはディルクはもうこの自動車をいじっているが、今日はその姿がなかった。昨日までと、どことなく様子が違う。


「おじいちゃん、おじいちゃん、しっかりして」

 少女のか細い声がカイムの耳に届いた。この声は、アリュー?

 カイムは急いでガレージと店舗の間の引き戸を開けた。奥の住居への扉の前にディルクが胸に手を当てて倒れている。その老人に取り付いて、ディルクの孫娘が体を揺すって今にも泣き出しそうな顔で声を掛けている。


「親方!」

 カイムは2人に駆け寄った。左手で胸を押さえたディルクの息は荒く、酷く苦しそうだ。

「アリュー、どうした!」

 老人を抱え起こしたカイムは少女に聞いた。

「わかんない。突然倒れて。おじいちゃん、おじいちゃん」

 カイムは老人の体を抱き上げると、奥の部屋に入った。ここで働いてもう長い。部屋の間取りは把握している。カイムは、ディルクを寝室に運んでベッドに寝かせた。

「アリュー、ダムラス先生を呼んでこい」

 ディルクに毛布を掛けながら少女に言ったが、アリューはディルクにしがみつくようにしていてカイムの声が聞こえたかどうか。


(仕方がないか)

 カイムは医者を呼びに行くための立ち上がろうとした。が、腕を掴まれてその動作を中断される。アリューかと思ったがそうではなかった。カイムの手首を掴んでいる腕は毛布の下から延びている。息も絶え絶えの老人とは思えない力で、カイムはディルクに引き寄せられた。

「親方?」

「・・・アリューを・・・たの・・・む・・・」

 ディルクの声は小さく擦れていたが、確かにそう言った。

「大丈夫、俺がいる。親方もしっかりしてくれ。今、ダムラス先生を呼んでくる」

 カイムの答えに安心したのか、ディルクは手を離した。


「アリュー、ちょっと待ってろ。すぐに戻る」

 カイムはそれだけ言い捨てて工場を飛び出した。さっきはゆっくり歩いた暗い街の地面を、力一杯その足で蹴る。街で唯一の医者の家に向かって。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「先生! すぐ来てください!」

 扉を開けて医院に文字通り飛び込んだカイムは、開院の準備をしていた初老の医師の姿をその場に見つけると、走ってきたままの勢いで叫んだ。

「どうした。カイム。まず落ち着きなさい」

 ダムラスはカイムを一瞥すると、手を止めずに答えた。

「落ち着いてなんていられません! 親方が倒れたんです。すぐ来てください!」

 それを聞いてダムラスはその手を止めた。


「ディルクが? どんな様子だ」

「俺が朝、工場に着いたときには、左胸を押さえて蹲ってました。それからベッドに運んで、すぐにここへ」

「意識はあったんだね?」

「ええ、俺が見ていたときは。今はわかりません」

「解った。すぐに行く。・・・ディーラン!」

 ダムラスが奥へ顔を向けて声をかけると、まだ若い彼の息子が父親と同じ赤いラインの入った白い服で現れた。


「父さん、何?」

「ディルクが倒れたらしい。様子を見てくる。今日の診察は任せる」

 そう言いながらダムラスは、診察鞄を取り出して必要なものを詰め込んだ。

「ディルクさんが? そう言えば、そろそろ次の薬を取りにくる頃じゃなかったっけ。用意してあったよね?」

「ああ、ある。それも持っていく。帰りはいつになるか判らないがしっかりやっといてくれ」

「それより父さん、今日はキャナルさんとミズウィールさんの往診だろ? そっちはどうするの?」

「ディルクの容態次第だ。とりあえず急患が先だ」


 2人の会話を聞きながらもカイムは気が急いていた。

「先生、早く!」

「そう慌てるな、カイム坊。今行く」

 どっこらしょ、とダムラスは椅子から立ち上がって診察鞄を取り上げ、出入口の扉へと歩き出した。

「早く、早く!」

 カイムは地団駄を踏みながら急かした。

「そう急かすな」

 ようやくという感じで出入口まできた老医師の手を掴んで、カイムは走り出した。それでダムラスの足がもつれ、倒れそうになる。

「おっとっと。気を付けんかい」

「すみません。でも」

「儂が転んだりしたら余計遅くなる。気持ちは解るが、落ち着きなさい」


 ダムラスは、叶う限り足早に歩いている。それでもその歩みは、今のカイムには止まっているようにも感じられた。

「・・・それ、俺が持ちます」

 言うなり、老医師の鞄を引っ手繰るように掴んだ。

「うわっと」

 思わず、バランスを崩した。思ったよりも重い。

「すまんね。落としたりするなよ」

「解ってます」

 カイムは鞄をその手にしっかりと握りなおすと、先に立って歩き出した。重荷のなくなったダムラスも、カイムに遅れないよう足を速めた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 修理工場の扉は、カイムが飛び出した時の開け放したままになっていた。

(・・・慌てていたとはいえ、まずったな。家の中、冷えちゃったろうな)

 そう思いながらカイムは中に入ると、鞄をテーブルの上に置いた。少し遅れて入ってきたダムラスを迎えて扉を閉める。

「それで、ディルクは?」

「こっちです」


 置いた鞄をあらためて持ち上げ、カイムはダムラスを奥の寝室に促した。ディルクは、カイムが運んだときのままにベッドに横たわっていた。呼吸が荒い。掛けられた毛布の膨らみから、左手で胸を抑えているらしい。ベッドの脇に立っているアリューの両手は毛布の下に差し入れられ、ディルクの右手を握っているのか。カイムは鞄をベッド脇の小卓に置くと、アリューの後ろから肩に手を置いて、できるだけ優しく言った。

「アリュー、ダムラス先生が親方を看てくれるから、少し離れて」

 アリューは振り返ってカイムを見、ダムラスを見てこくりと頷いた。それからそっと両手を毛布の下から引き抜くと、カイムに肩を抱かれたまま、後ろに下がって医師のために場所を開ける。半ば抵抗を予想していたカイムは肩透かしを食った気分だったが、同時に安心もした。


「椅子はないかね?」

 ダムラスの問いかけに、カイムはアリューを気にしながらそっと手を離すと、隣の部屋から持ってきた丸椅子をベッドの脇に置いた。

「どうぞ」

 ダムラスは鞄の置かれた小卓を少しずらしてから椅子に座って患者に向かい、毛布をめくって患者の服をはだけた。

「ふむ」

 肋骨の浮き上がった胸を前に、ダムラスは鞄から聴診器を取り出して、診察を始めた。カイムは再びアリューの後ろからその肩を抱いて、診察の様子を見守った。アリューは震えているようだった。普段は、歳上の自分よりずっとしっかりしているように見えるのに。


 胸の前で手を組んで祖父と医師を見守っている年少の少女を力づけるように、その肩を両手で優しく包みこんだまま、カイムは意識をディルクとダムラスに向けた。そのダムラスが、診察を続けながら言った。

「アリューちゃん、薬は?」

 アリューは首を振って答えたが、それだけでは伝わらないことに自分で気付いた。

「5日くらい前に終わっちゃって、それからは飲んでない」

「無くなったらすぐに取りにくるように言ったのにな。それに、あと2~3日は保つはずだったから・・・多く飲んだな」

「・・・ごめんなさい」

 アリューがカイムの手の中で肩を縮めた。

「いや、アリューちゃんは悪くないよ。すまんね、紛らわしい言い方をして」

 振り返ってそう言ったダムラスは、鞄の中から圧注アンプルを取り出すと、ディルクの左胸を消毒してから注射した。すぐに、弱々しく続いていたディルクのうめき声が消え、安らかな寝息に変わった。

「ひとまずこれでよし」

 ダムラスは患者の服と毛布を元に戻すと、道具を鞄に仕舞い始めた。


「・・・先生、もう大丈夫ですか?」

 カイムはその背に問いかけた。

「まだ予断は許さん状況だね。夕方まで保ってくれれば、まだ暫くは大丈夫だと思うが・・・夕方までが勝負だな」

 ダムラスは鞄を閉じると椅子から立ち上がり、鞄を手に取った。

「よっこらせ、と」

「先生、看ていて戴けないんですか?」

 カイムは、我ながら情けない声だな、と自覚しながら聞いた。

「うむ。儂もついていたいのはやまやまだが、これからキャナルさんとミズウィールさんの往診に行かなければならないんでね。もし様子が変わったら、どちらかの家か医院にいるから、知らせてくれ」


「・・・わかりました。そういえば、薬は戴けませんか?」

「ふむ、そうだな・・・いや、今は素人判断で飲ませたら返って危険だな。昼前後にもう一度来るから、その時に必要なら置いていこう」

「わかりました。ありがとうございました」

 出口まで医師を見送りに出たカイムは、立ち去るダムラスに頭を下げた。そのときになって扉にかけた札が『営業終了』のままになっているのに気付き、『臨時休業』に取り替えてから、ディルクとアリューのいる寝室に戻った。


 アリューは、さっきまでダムラス医師の座っていた椅子に腰掛けて、ただ1人の肉親を不安そうに見つめていた。ディルクは、静かに眠っているようだ。

「朝ごはんは食べたのか?」

「うん」

 カイムの問に、アリューは簡単な言葉と頷きで答えた。

「俺は店にいるから、何かあったらすぐに呼べよ」

 それだけ言って、カイムは部屋を出た。自分もディルクについていたかったが、けれど何もせずに見守っているだけ、という状況に耐えられる自信がなかった。それよりは、手を動かしていた方がいい。


 ここのところ作っていたプルトニウム電池は、後はプルトニウムが届いてから調整するだけだ。カイムは、昨日閉店間際に持ち込まれた浄化槽を作業台に載せると、その修理にかかった。一見、普段と変わらない1日。けれど、隣のガレージからの、昨日まで聞こえていた音はない。

 これなら、店を開けてもいいだろうか? いや、ディルクの容態がいつ変わるか判らない。やはり、閉めたままにしておこう。奥の寝室の様子を気にしながら、カイムは普段通りに仕事を続けた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ようやく天井の端から太陽が顔を見せ、さらに少し経った頃、カイムは作業の手を止めた。半透明の屋根から光が差し込む。

(少し早いけれど、昼飯にするか)

 カイムは立ち上がると奥へと入り、寝室の扉を開けた。その途端、ディルクのうめき声が聞こえた。

「親方!」

 一息でベッドの脇に飛び込む。アリューは椅子から立ち上がって「お祖父ちゃん、お祖父ちゃん!」と繰り返すだけ。ディルクは、苦しそうな声を上げながら、左手で胸を掻き毟っていた。その声こそ小さいが、朝よりもずっと苦しんでいるように見える。

「くそ!」


 カイムは店に取って返すと、そのままの勢いで出口の扉を開けた。思いもかけず、目の前、3mほど先に探し人の姿はあった。

「先生! ダムラス先生!」

 往診に行っていたダムラスが、朝の言葉通りに戻ってきたところだった。

「どうした。そんなに慌てて」

「親方の容態が悪くなったんです。急に苦しみだして」

「すぐ看よう」

 ダムラスは、気の急くカイムがじれったくなる程度の速度で扉をくぐり、そのまま寝室へと歩いた。カイムも扉をしっかりと閉めて後に続く。


「こりゃいかん」

 寝室に入ってディルクが目に映るなり、ダムラスは言った。小卓に鞄を置くと圧注アンプルを取り出す。

「アリューちゃん、少し脇によけてくれ」

 けれど今度は、アリューは祖父に取りすがってすぐには離れなかった。

「アリュー、先生に任せて」

 カイムがその肩を優しく包むと、アリューは振り返り、頷いて、けれどベッドからは離れずに横に身体をずらした。ダムラス医師は毛布をまくると患者の服をはだけて注射する。けれど、今度はディルクの様子は変わらなかった。


「先生、大丈夫なんですか?」

「ディルクの体力次第だな。今を乗り越えられれば持ち直すと思うが」

「もっと強い薬とかないんですか?」

「これ以上強い薬を使ったら、それこそディルクの体力が保たんよ。それよりは2人で声をかけてあげなさい。その方が薬より効くだろう」

 ダムラスは2人のために場所を空けた。鞄からタオルを取り出すと、ディルクの額の汗を拭き始める。アリューはディルクに近寄って声を上げた。

「お祖父ちゃん、しっかり、お祖父ちゃん」

 カイムもアリューの隣でディルクを見守った。

「親方、親方からはまだ教えてもらいたいことがいっぱいあるんだ。まだ逝かないでくれ」


 孫娘と教え子は、ベッドに取りすがるようにして声を掛け続けた。しかし、それはそう長い時間ではなかった。太陽が中天に達した頃、ディルクの様子が変わった。苦しそうに上げていた声が、小さくなり、その口が意味のある動きを見せる。アリューは声を掛けるのを止めて祖父の手を握ったまま、その口元に耳を寄せた。カイムもアリューを邪魔しないように口を閉ざして可能な限り耳をそばだてる。

「ア、リュー、・・・お・・・」

 その後は、カイムには聞き取れなかった。アリューの様子を見ると、彼女には祖父の言葉は届いているようだ。少しして、彼女の手の中でディルクの手が力を失った。


「お祖父ちゃん? お祖父ちゃん!」

 アリューがディルクの身体を激しく揺すった。

「いかん」

 ダムラスはその歳に似合わない強い力でアリューを押し退けると、毛布をまくり上げてディルクの胸をはだけ、心臓に両手を当てて強く押した。それを何度も繰り返す。瞳孔反応を調べ、聴診器を胸に当て、もう一度心臓マッサージを行う。カイムとアリューはダムラスの気迫に圧されて、声も出せない。ただ、心配そうにディルクとダムラスを見守るのみ。


 ダムラスは、最後にもう一度瞳孔反応を見ると、ディルクの胸元を直して毛布をかけ、見守る2人を振り返った。

「・・・先生?」

 かろうじて声を出したカイムと、それからアリューに向けて、目を閉じ、黙って首を振る。

「お祖父ちゃーん!」

 ベッドに取りすがって号泣するアリューに、カイムはかける言葉を見つけられなかった。

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