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忘却の天井  作者: 夢乃
第三部 ~忘却の天井~
19/28

遭遇

 エアロックの反対側の扉も、簡単に開いた。その先には通路が左右に伸びている。左右ではなく上下かも知れないが。

「どっちへ行けば良いんだ?」

 どちらを向いても先の見えない通路を見回したカイムはアリューに聞いた。アリューはホロパッドに映した天井の構造図を見ている。しかし、そう詳しいものではない。それに、何千年も前の資料だ。どこをどう改装されているか、判ったものではない。


「取り敢えず北に進みたいんだけど・・・ほら、ここら辺がいまいる場所で、この辺りで送電制御できるはず」

「なるほど。この通路は・・・東西に向いている、な」

 ホロパッドに表示される方位センサーのデータを見ながらカイムは言った。

「でも、この表示、正しいのかな」

「なんで?」

「地上から離れちゃったからね。地磁気も弱いし、宇宙線の影響もあるし、何より、天井自体が金属の塊だもん、方位センサーの測定値も当てにならいと思わない?」

「言われてみると、そうだな・・・どこかに案内版とかないかな。これだけ広いんだ、場所を示すものがなければすぐに迷っちまう。あ、あれか」

 出てきた扉の向かい側の壁に、ほかの部分とは違う箇所がある。通路の方向に矢印も書かれている。2人は扉をそっと蹴って、案内表示らしきものが埋められた壁の手摺に取り付いた。


「・・・なんだこれ。読めない」

「昔のどこかの地方の言葉なんだろうけど・・・翻訳できるかな」

 ホロパッドのカメラを文字らしきものに向ける。読める文字が映し出された。

「なになに、《東》、《西・エレベーター方面》。なら、方位センサーは合っているのか、な」

「みたいね。なんでかな」

「さあな。偶然か、それとも、意図的に磁場を発生させているのかも。これだけ広いんだ、方位が判らないと不便だからな。それで、どっち行く? 北には行けないけど」

「うーん、西かな。エレベーター、塔の中心方向に向かった方が良いと思う」

「じゃ、そっちに行こう」


 2人は進み始めた。しかし、その速度はのろのろとして、なかなか(はか)が行かなかった。何しろ無重量状態での移動など、これまでの人生で体験したことがない。下手に壁から離れてしまうとどこへ流れてしまうかわからないことは、宇宙服を脱いだ時に散々味わった。だから2人は、壁に付けられた手摺を握って少しずつ移動した。

 背中に浄化槽が当たって気になってしまう。そもそも、背負うようにはできていない。ロープの長さを調節して腕から抜けてしまわないようにしたが、硬い平面が背中に密着するわけはなく、腕を動かすだけでも肩甲骨あたりがぶつかって異物を背負っていることを嫌でも意識してしまう。

(後でタオルでも挟むか)

 手摺を掴んで進みながら、カイムは思った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「なんだ? あれ」

 カイムの目に、動くものが映った。

「どうしたの?」

 アリューが問う。

「なんか、この通路の先、白いものが横切った気がするんだけど」

「白いものって?」

「いや、すぐに見えなくなったから良くは判らない。大きい布切れみたいだったけど」

「見間違いじゃなくて?」

「そう言われると、そうかもしれない。壁も白く光っているし」

「どこらへんに見えたの?」

「あそこ、多分通路が交差してるだろ? あそこを横切ったように見えたんだけど」

「なら、取り敢えずそこまで行ってみよう」

 アリューはホロパッドを手に、手摺を器用に片手で掴んで進んで行く。進み方は遅いが、その速度は両手を使っているカイムとさして変わらない。無重量状態での身体の動かし方については、カイムよりも飲み込みが早いようだ。


 時間をかけて、交差路に着いた。

「向こうに漂ってったと思うんだけど」

 カイムの指差す通路を、アリューも見た。何もない。

「やっぱり見間違いだったかな」

「でも、あの辺りも別の通路と交差してるみたいだし、曲がってったのかも」

「生物っぽくはなかったけどな」

「なんだったんだろね」

「さあな。で、どうする? どっち行く?」

 交差路からは4本の通路が伸びている。1本は2人が通って来た方向だから、残るは3本。

「この通路が南北に伸びているみたいだから、北に行こう」

「解った。こっちだな」

「違うよ。反対」

 カイムの見た《物体》の消えた通路へ進もうとしたカイムを、アリューが止めた。

「西に向かってたから、北は右だろ?」

「違うよ。こっちが下っていうか、地上の方角だもん」

 アリューは壁を指差した。

「あ、そうか、無重量だから上も下も判らないんだな」

「気をつけないと、すぐ迷子になるよ」

「悪い。次から気をつける」

(もっとも、目的地がはっきりしているわけでもないから、迷子も何もないけどな)

 カイムは思ったが、それは口には出さずに北へ向かう通路へと手摺を伝って行った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 2日も経つと、手摺を使った無重量状態での移動にも慣れてきた。壁を手で押して空を漂い、手摺を掴んで動きを止める、という移動手段もとれるようになってきた。

「随分来たと思うけど」

 手摺を掴んで流れる身体を止めたカイムは、後から来たアリューに言った。

「まだ全然だよ。ほら」

 アリューの見せたホロパッドには、天井の立体透視画像が浮かんでいる。その中を通る赤い光線は、2人が漂って来た道だ。天井の構造が曖昧にしか判っていないので、よく見ると光線が壁を突き抜けたりしている。


「まだこれだけか。宙を泳ぐのにも慣れたから、結構来たと思ったんだけど」

「速くはなってるよ。今日の分だけで、昨日と一昨日の合計の倍近く進んでるもん」

「こりゃ、ゴールは遠そうだな」

「うん。今のスピードだと、えっと、目的の場所がちゃんと合ってて、後戻りがなくて、それでも2ヶ月くらいかな」

「気が遠くなるな。それでも、塔を昇って来た時間程度と思えば、何とかなるか」


 自分で言ったことが気休めに過ぎないことは、カイムにも解っていた。しかし、そうでも思わないことには気持ちが折れてしまいそうだ。何しろ、天井に侵入してから何の変哲もない通路が続くだけ、時々見かける扉は簡単に開いたが、どこにも大したものはなかった。カイムが見たと思った布切れのようなものも、あれ以来一度も見かけない。そればかりか、一度も人に会わないし、ロボットのような自律行動する機械の類もまったく見ない。

 本当に、天井に移住した人類は何千年かの間に絶滅してしまったのだろうか。そういった予想もしていたが、実際にその可能性を目の当たりにすると、背筋に走る悪寒を止められない。可能性の1つとして予想していたことなのに、なぜ今になってこれほど戦慄するのだろう? 予想はしていても、こうして無人の天井を目の当たりにしたことで、実感したのかもしれない。“人類”に未来が残されていないことを。


 いや、そうではない、とカイムは頭を振った。天井に人類が残っているか否かに関係なく、地上で自分たち人類が生き続けるために今ここにいるのではないか。

 ・・・それも違うな、と今度は自嘲する。ここに来た目的は、人類の未来などといった大層なものではなく、ただただ自分たちの生活を改善し、より楽に暮らせるように、とそれだけだった。どうも、“天井”という人類の技術と叡智の粋を目の当たりにして、心が騒めいているようだ。

 無理に人類のことを考える必要はない。未来のことは未来の人々に任せておけば良い。自分のために自分にできる最善のことをする、その積み重ねが歴史というものだ。


 ・・・まだ大仰なことを考えているな、と前を進むアリューを見ながらカイムは思う。直接聞いたことはないが、アリューは人類の歴史や未来のことなど、考えもしないだろう。いや、アリューも過去や未来に想いを馳せることはある。しかし、今の自分の行動とそれを結びつけて考えたりはしない。自分のやりたいことをやっているだけだ。多分、天井からの送電の回復で自分の暮らしが楽になるとかならないとか、それすらも気にしていないだろう。純粋に、それをやりたい、ただそれだけだ。

 最初は、祖父が遣り残したことに囚われているかと思ったが、そういうことでもなさそうだ。自分でも最初から言っていたし、旅の中でそれが気負いではないことをカイムも感じていた。ただひたすら、自分の欲求に忠実に行動している。


 俺も、自分の欲求に素直に従おう。妹のように思ってきた、まだ目を離せないアリューを見守ること、それに、街での暮らしを豊かにすること、それが今の俺の望みだ。アリューに遅れないように身体を押し出し、壁から離れ過ぎないように手摺を掴みながら、カイムは思った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「あそこの突き当たり、右、あ、こっちね」

 前方に見える壁を前にして、アリューが進むべき方法を指差して示した。

「わかった。あっ」

 一息にその通路の突き当たりまで行こうと身体を手摺から押し出した時、曲がろうとしていた先から現れたそれが、目の前を横切った。今度は見間違いということはない。

「あれ? こないだカイムが見たって布切れ」

「同じものか判らないけど、そう。どうする?」

「目標変更。あれを追いかけて、捕まえるっ」

 突き当たりの壁にはカイムが先に着いた。近くの手摺を握り締め、頭を捻って目標を視界に捉える。得体の知れないそれは、揺らめきながら遠去かりつつある。それを目掛けて、カイムは身体を押し出した。


 ひらひらと揺らめきながら流れてゆく布地(のようなもの)とカイムの距離が縮まってゆく。カイムの移動方向から外れてゆくが、速度が遅いので手は届きそうだ。カイムは手を伸ばした。布地の長辺の中央付近に指が触れた。握り締める。

「捕まえたっ」

「やったっ」

 捕まえたそれは、カイムに掴まれてばたばたと身(?)を捩った。ただの布と言うわけではなく、生きているかのようだ。暴れるそれを掴んだまま、カイムは近付いた壁の手摺を掴んで動きを止めた。すぐにアリューも追いついてくる。


「なんだろうな、これ」

 片隅をカイムに握られたままびちびちと動く四角い白い布切れ。

「生き物なのかな。あれ?」

 暴れ方が弱くなり、白い表面に模様が現れた。同じ形を留めることなく、目まぐるしく変わっている。

「カイム、手を離してみて」

「逃げられないかな?」

「大丈夫な気がする。その布に浮かんでるの、文字みたい」

「・・・そう見えなくもないな」

 カイムが手を開くと、そいつの表面は白い無地に戻り、うねうねと動いて2人の眼前に直立(?)した。横40センチメートル、縦60センチメートル、厚みは1ミリメートルに満たないほどの、白い布。短辺の一辺、2人から見て下側には、中央付近から20センチメートルほどの切れ込みが入っている。


 落ち着くと、その表面にまた幾何学模様──アリューが言ったように文字のようだ──が浮かび上がった。先ほどよりはゆっくりと、形を変えてゆく。2人はそれを凝視した。

「あ、今、『誰だ?』って」

「そう見えたな。偶然かな?」

「さあ。あれ?」

 文字の変化がさらに遅くなった。

「あ、また、『誰だ?』って」

 その声に反応したように、『誰だ?』の文字がしばらく浮かんだままになり、消えた。

「終わりかな。あ、また出た」

「『ついてこい』だって」

 わずかに揺らめきながらその文字を浮かべていた布切れは、また白く戻ると身体(?)を翻し、切れ目の入った辺を脚のように動かして宙を漂い出した。


「どこか案内してくれるのかな?」

「みたいだな。ついていくか」

「うん。そうしてみよう」

 2人は、得体の知れない布切れを追って宙に泳ぎ出た。

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