天井の入口
天井への進入は、思いの外に簡単だった。見つけた扉の傍のパネルに宇宙服をはめた手を当てて現れたレバーを握り、それを捻って引くと呆気なく開いた。地上と異なり、侵入への警戒よりも事故への対応を優先しているのだろう。むしろ、天井に降り立ってから扉のある塔との接続部まで移動することに時間を取られた。
エアロックと思しき部屋を抜け、1つ奥に進んだ先は、外に出るための準備室らしき場所だった。壁面にロッカーが並んでいて、透明カバーの内部に宇宙服が入っていることが見て取れる。ホロパッドの簡易センサーの情報を見る限りここの空気は呼吸可能だったので、動きにくい宇宙服をここで脱いでいくことにした。
開かれた無重量状態の空間で、カイムもアリューも服を脱ぐのに苦心した。車外作業の時に自動車の中で無重量状態での着脱を経験してはいたが、身体を安定させるシートも何もないここでは、その時とはまるで勝手が違った。ヘルメットをなんとか外し、背負った浄化槽を外そうとカイムがアリューのそれを押さえ、アリューが腕を抜こうとするものの、腕を動かすと2人の身体がゆっくりと回転を始めてしまい、停めようとしても上手くいかない。
「アリュー、脚は動かさないで、腕だけ縮めて」
「うぐ、そうしようとしてる、んだけど」
壁に身体を押し付けて試そうにも、部屋の中央付近に漂ってしまっていてどうにも思い通りにならない。いっそのこと、このまま天井内の探索をするという考えも頭をよぎったが、宇宙服を着た手では、万一の時に工具を使うこともままならないし、そもそも宇宙服を身に着けたままでは排泄もままならない。それを考えると、邪魔な宇宙服はここで脱いでおきたい。ここの空気が呼吸可能であることを考えると天井内は概ねどこも同じだろうから、ますます宇宙服は不要になる。
いろいろと試した挙句、カイムはアリューの浄化槽から手を離し、アリューの身体の向きを変えて向き合い、浄化槽を背負っているロープを手で掴んだ。
「これで腕を抜けないかな」
「う、ん、なんとか」
カイムがロープを両側に広げ、アリューが腕を縮めて、なんとか外すことに成功する。
「うう、無重力って大変」
「どうも変な風に動いちゃうな。慣れるまで時間かかりそうだ」
「だね。あ、ホロパッド」
「え? あ」
ホロパッドがゆっくりと、2人から離れようとしていた。カイムは慌てて手に取ろうとしたが、動かしにくい指で掴むことができずに弾いてしまった。同時に、身体にかかる回転の方向が変わる。
「しまった。悪い、ゆっくり動くように意識してたんだけど」
「仕方ないよ、慣れないことだから。あ、戻ってきた」
空間に流れ出たホロパッドは、壁にぶつかり進行方向を変え、さらに別の壁に当たって2人の方にゆっくりと流れてきた。今度は落ち着いてゆっくりと腕を動かし、漂うホロパッドを掴んで引き寄せた。
「よし、上手くいった」
「良かった。あ、身体流れてる?」
ホロパッドを受け止めた作用か、2人の身体がごくゆっくりと壁に向かって移動を始めた。
「このまま、壁に当たるまで動くなよ」
「うん。着いたら手摺を掴めば良いね」
「ああ」
時間はかかったが、壁に着くのを待ったことが吉と出た。ホロパッドとアリューの浄化槽を壁に置いて、後は壁の手摺を掴んで、身体をある程度固定させることができたから。
両手で手摺を掴み、身体を固定したアリューの宇宙服の背中を開き、まずアリューが身軽になる。
それから今度はカイムが手摺を片手で握り、片脚を手摺に引っ掛けて、アリューが浄化槽のロープの片方を外した。それだけで、脱ぐのは随分と楽になる。自分で反対側の肩のロープも外したカイムは、浄化槽をそっと壁に置くと背中をアリューに開けてもらって宇宙服から抜け出した。
「ふぅ、やっと脱げた」
「動きにくいもんね、これ。はあ~あ、疲れた」
アリューが伸びをする。
「ゆっくり動けよ。どこ飛んでくか解らないから」
そう言うカイムも、身体を伸ばし、ゆっくりと腰を捻ったり膝を曲げ伸ばしする。自動車を出てから天井まで降り、いや、昇り、さらに塔の接続部分まで、動きにくい宇宙服を着ての移動は、心身共に2人を疲弊させていた。
「中に入る前に少し休もう」
「うん。その前に、荷物纏めとこうよ」
「ああ。宇宙服はここに置いとけば良いかな」
「バッグだけ外して浄化槽と纏めとけば良いよね」
二人は、休憩の前の最後の仕事をこなした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そういえば、アリューのそれ、使わなかったな」
浄化槽の作り出すペーストと水という、今までと変わらない食事を摂りながらカイムが目で示したのは、塔を昇っている間にアリューが自動車の中で作っていた、パネルの操作ツールだ。
「そうだね。こんなに簡単に入れるとは思わなかったもんね」
「残念じゃないのか?」
「うーん、まぁ、ちょっとは。でも、カイムが寝ている間の暇潰し目的だったし、その意味では無駄じゃなかったと思ってるよ」
アリューは明るく笑った。
「それなら良いけどな。この先使うこともあるかもしれないし。・・・それにしても」
カイムは部屋を見渡した。
「どうしたの?」
「いや、どこにも照明器具らしいものはないのに、どうしてこんなに明るいのかな、って思って」
一辺10メートルほどの、ほぼ立方体状の部屋は、1つの面にエアロックから入ってきた扉があり、逆側の面には奥へ続くのだろう扉が見えている。残る4面には宇宙服を納めた透明カバーのケースが並んでいる、と言うより、埋め込まれている。部屋の中は薄暗いが、これまでずっと闇に包まれた世界を旅して来た2人にとっては、久方ぶりの明るい光だった。
「壁が発光しているみたいね。どうやって光ってるのかな」
「さあな。電球が埋め込まれているようにも見えないし、そもそもこの壁、何でできているんだろう?」
カイムは指で壁面を弾いた。鉄ともコンクリートともカーボメタルともグラスメタルとも違う、カイムの知らない感触。
「何でできているかも全然判らないよな。何千年も前に造られたものなのに」
「何千年の間に造り替えたのかもしれないし、それとも地上では使わないから廃れちゃったのかも」
「そうだな。塔の壁面はカーボメタルかそれに似た素材だったから、内側だけがこれなのかな」
「かもしれないし、外壁も途中から変わっていたかも。宇宙服越しじゃ、材質なんてわかんないし」
「確かにな」
カイムはまた、部屋を見回した。殺風景な部屋だ。宇宙服の収納ケースが並んでいる以外、何もない。ここは外に繋がる場所だから、万一扉が破れても宇宙空間に吸い出されないよう、余計な物を置いていないのかもしれない。
それにしても静かだ。2人以外、音を立てるものは何もない。外に通じる扉が開いたのだから、何らかの反応はありそうなものだが。人が来る気配もなければ警告灯の1つもない。まるで無人だ。本当に人っ子一人いないということはないのだろうが。
いや、もしかすると、何千年の間に天井の人々は滅んでしまったのだろうか? 地上のことを忘れてしまったのではなく、彼ら自身が時の流れから物理的にも忘れ去られてしまったのかもしれない。そんなことを、ここに来るまでにも2人で話していたことがある。本当に、そんなことになっているのかもしれない。
「じゃ、そろそろ行こうよ。天井がどんなところなのか、早く見たいし」
アリューは水のチューブを浄化槽に戻しながら言った。
「そうだな。疲れも多少は取れたし」
カイムも支度を始めた。
まったくの未知の世界に、2人は歩み出そうとしていた。




