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忘却の天井  作者: 夢乃
第二部 ~天井への道~
15/28

障害

 塔を昇り始めてから1ヶ月が経過しようとしていた。最初こそ手間取ったものの、その後は順調に速度を上げ、今は時速20kmほどで順調に進んでいる。予定よりは掛かりそうだが、3ヶ月は待たずに天井まで辿り着きそうだ。

 その間、ずっと自動車の座席に座り放しだ。流石にそのままでは身体が硬直してしまうので、狭い車内で体勢を変えたり動ける範囲で筋肉をほぐしたりと、身体を動かすことが日課になっている。何かしていないと1日が判らなくなる、ということもある。


 陽がまったく昇らない、というだけなら、街での冬と同じだったが、街では日々の人の営みがあった。朝の時間には起きて、昼の時間帯には働き、夜がくれば眠る。工場に行けば毎日のように修理の依頼が舞い込み、それがなくてもプルトニウム電池の出力を調整したりとそれなりに忙しかった。

 他の人々も、それぞれに街での役割を持ち、互いを補い合って生活を送っていた。そうしていなければ生活が成り立たなかった。1人で生きて行けるほどには地上での生活は甘くない。それは物理的な面でのことだったが、それだけではなかったのだ、と今のカイムには解る。


 他人との接触、他愛のない日常での会話、ちょっとしたことが精神的にも街の人々を支えていた。街を出てからというもの、何度か人々の集まる地域はあったが、それも稀だったし、暗黒大陸に入ってからは皆無だ。橋の街から塔に至るまで、1人の人とも出会わなかった。

 それでも、塔に向かっている間は、自動車を運転していたから気も張っていたし、アリューが運転している時にも車外を観察し、行く先に危険がないか常に気を付けていたから、街にいた時とはまったく違う形だったが、“生活”があった。


 それが今は、ただ上昇する自動車に身を任せているだけ。やれることと言えば、計器と窓の外の目視確認くらいしかない。しかも、地上を走行している時と違って、おそらく自動修復素材で造られた塔の外壁はどこまでも平坦で、異常事態は起こりそうにない。


 窓の外も、上は照明の照らす数十m先しか視界は届かず、自動車の形状から真下を見ることは叶わないため、地上の光ももう見えない。何もすることのない、ただ身を任せるだけのこの状況の中、独りきりで3ヶ月近くも過ごすことになったら、ほぼ確実に気が変になっていただろう。

 1日で、起きている16時間のうちの半分は、会話の相手がいる。だからこそ、2人は精神状態をなんとか平常に保つことができていた。先はまだ長い。1人の時は、外と計器を確認する他は、アリューがホロパッドに入れてきたデータやコンテンツを眺めて、時間を潰す。


 2人ともに起きている時間帯は、ホロパッドに落としてきたものの内容や天井のこと、街での生活のこと、いろいろと話し合った。話し合うことが目的ではなく、持て余す時間を潰すための行為ではあったが、楽しい時間でもあった。

 カイムは、アリューの祖父ディルクの工場で働いていたし、アリューも祖父の仕事を手伝っていたから、話は合った。街で暮らしていた時は、日常生活と仕事絡みの会話ばかりだったが、今は過去の文明の話などに、話題が広がっている。


 カイムは、これまで過去文明についてはそれほど興味を持っていなかった。失われた技術には関心があったが。対してアリューは、元々そういったことにも興味があったようだ。探検家の血、かもしれない。その彼女から話を聞くほどに、カイムも過去の技術だけでなく文明にも関心が出てきた。


「地上には、もう、残っていないかな」

「残ってないんじゃないかなぁ。何しろ、文明を維持するだけのエネルギーがないもん」

「昔は天井から供給されていたはずなのにな。みんな天井に移住していって、残り少ない地上の人のことは忘却の彼方、か」

「地上に残った人の末裔、って、私たちだけど、私たちも忘れているもんね。天井に移住した人が生活している、なんてこと」

「日々の生活で一杯一杯だからな。他のことに構っている余裕はないよ」

「憶えていても、恨み辛みばっかりになりそうだもんね。忘れて良かったと思うよ」

「まあね」


 会話が途切れると歯車が音が響くだけになる。最初は睡眠の邪魔になることもあったが、2人とも、もう慣れた。元々、それほど大きな音を立てているわけでもない。


「でもさ」またアリューが話し始めた。「過去の文明って、残っているところには残ってるんじゃないかな、って思うんだ」

「天井だろ?」

 カイムは言った。

「なんだ、カイムもそう思ってたんだ」

「当然だよ。地上に住んでいた人たちがほとんど全員、移住したんだろ? それなら、昔の文明が残っていても不思議じゃない」一度言葉を区切ってから、カイムは付け加えた。「そのままの形では残っていないだろうけど」

「どうして?」

「天井からのエネルギー供給が止まって、もう数千年だろ。その間に文明も発達してるよ」

「そうか。そう言えばそうだね。じゃあ、天井に着いたらすっごい文明を持った人たちが出迎えてくれるかな」

「それはないだろ。天井の人々にとって俺たちはいないも同然なんだから」

「もう、夢がないなあ」

 アリューはカイムの腕を軽く叩いた。


「あんまり期待するなってこと。学説の中には『天井からのエネルギー供給が途絶えたのは天井に渡った人類が滅びたからだ』っていうのもあっただろ。誰も確認していないけど」

「あったね。でも、そしたら、私たちがその学説の真偽を証明できることになるんだよね。それはそれで、わくわくしない?」

「まったく、アリューの前向き思考には敵わないよ」

「何よそれ~」


 話題は尽きなかった。

 先は長いが、取り敢えずのゴールは判っている。それも2人の精神を正常に留めている理由の1つだったろう。けれど一番大きな理由は、互いに気の置けない相手が常に傍にいたからに違いない。2人とも、それを理解していたから、言葉には出さずとも互いに感謝し合った。


 頭上には、全天を覆う天井が、どこまでも黒く、2人を待ち構えている。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 それが発生したのは、アリューの睡眠時間帯だった。パネルから警告音が響き、赤い警告灯が点り、自動車に急制動がかかる。

「なんだ!?」

 浮きかけたカイムの身体を、座席に引き止めるベルトが締め付ける。それほど速くはないので身体が痛むほどではないが。


 隣の座席で眠っているアリューの身体も少し浮いたようだが、空中に漂い出ることはシートベルトが防いでいた。数秒後には自動車は停止したが、警告音と灯はそのままだ。カイムはT字ハンドルに手を掛け、ニュートラル位置に戻した。警告灯はそのままだが、音は止まった。

「何だろう?」

 カイムは速くなった胸の鼓動を落ち着けるために深呼吸してから、警告灯を確認する。車体に問題が起きたわけではなく、センサーが車外の異常を検知したらしい。ホロパッドで構造図と回路図を確認すると、進行方向、即ち上方のセンサーが障害物を検知したようだ。


 塔の外部に造られた、この平坦な軌道に障害物などあるのだろうか? 上を見ても、窓の外には虚空と照明に照らされる軌道の一部しか見えない。しかし、照明の向きをゆっくりと変えると、軌道に不自然な構造が見えた。外部カメラを伸ばし、映像を拡大することで“障害物”の正体が見えた。

 自動車の上方数mで、軌道の2/3ほどに亀裂が入っている。初めからこのような歪な形状であるわけがない。恐らく、北極ないし南極側の天井の開口部から隕石が飛び込んみ、衝突して抉られたのだろう。しかし、このままでは進むこともできない。


 すでに1ヶ月以上昇って来ているから、一度地上に戻って別の軌道から昇り直するすると、2ヶ月以上も余分な時間を使うことになる。それは、時間だけでなく2人の精神も多分に削ることになるだろう。できることなら、それは避けたい。

 対策を相談しようとアリューを起こすために手を伸ばしかけたカイムは、その手の動きを途中で止めた。時計の数字を見ると、あと1時間ほどでアリューの起床時間だ。それまでは眠らせておこう。カイムは外部カメラを軌道の破損部が映るように固定して、様子を観察することにした。


 塔も修復素材で造られているなら、その過程を見られるかもしれない。仕組みを知るのは無理だろうが、せめて修復の様子を見てみたい。純粋に技術者としての興味から、カイムは破損個所の撮影と観察をしながら、アリューの起床を待った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「うーん、おはよ。あれ? なんか静かだね」

 設定してあるアラームの鳴る5分前に、アリューは目を覚ました。アリューは、カイムもだが、このひと月の規則正しい生活に身体が慣れたらしく、就寝時間になれば5分と経たずに睡眠に引き込まれるし、起こされなくとも時間通りに目を覚ます。


「おはよう。トラブル発生して一時停止してる」

「トラブルって?」

「取り敢えず、食事しながら説明するよ」

 浄化槽の作り出すペーストと水だけの、いつもの食事を摂りながら、カイムは前方(上方)の障害について説明した。

「・・・それじゃ、一度降りて別の所から昇り直すしかない?」

「いや、それだと時間のロスが大き過ぎるだろ」

「じゃ、どうするの?」

「考えてみた。一度、車を軌道から離して、亀裂の向こう側で接地し直す」

「どうやって亀裂の向こうに持っていくの?」

「外に出て押すさ。でっぱりに足を掛けて思いっきり力をかければなんとかなるだろ」


 平坦とはいっても、軌道には規則的な凹凸がずっと並んでいる。そこに足を掛ければ自動車を押し出すことも可能かもしれない。

「でも、重いよ? いくら無重量状態って言っても、動かせるのかな?」

「あとは地上に降りるか、あるいは亀裂が修復されるのを待つくらいしかできないと思う。でも、地上に戻っていたら時間かかるだろ。さっきも言ったけど」

「なら、亀裂が直るの、待つのは?」

「それもかかりそうなんだよな。見てみろ」

 カイムはホロパッドを操作して、1時間前のカメラの映像と今の映像を並べて映し出した。


「アリューが起きるまで1時間くらい、亀裂を見ていたんだけど、この程度の時間じゃ修復状況がぜんぜん見えなくて。亀裂が完全に塞がるには、数ヶ月かかるんじゃないかな」

 アリューはホロパッドを操作し、2枚の映像を重ねて表示した。

「ほんとだ。全然進んでないね」

「拡大すると、少しは変化しているようにも見えるけど、この解像度だと誤差かもしれないし。1日くらい経てば違うんだろうけど」

「じゃ、やっぱり?」

「ああ。車外に出て作業するしかない」

「・・・解った、そうしよう。他に良い考えも無いし。すぐ始めようよ。宇宙服着るの、大変だし」

「待った。その前に、きちんと計画を立てて準備しないと。宇宙服着ると、指を動かすのも大変だからな」

「そっか。そうだね。どうするの?」

「だいたい考えてある。アリューの意見も聞かせてくれ。ええっと、まずは・・・」


 失敗したら、最悪は地上に戻る程度では済まない。それは黙ったまま、カイムは1時間の間に考えていた手順をアリューに説明し、2人で検討を重ねた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 苦労して身につけた宇宙服姿で、カイムは自動車のシャーシに掴まりながらゆっりと下部──地上を走行していた時の前部──へ移動する。ワイヤーで腰と自動車を繋いであるが、虚空に放り出されたら戻るのに苦労することになるだろう。

 それが解っていたから、宇宙空間に漂い出ることなく、カイムはそっと動いた。漸く下側に辿り着いた時には、宇宙服の中は汗でぐっしょりになっていた。宇宙服の右腕に縛り付けた懐中電灯の薄明かりの中に、塔の壁が浮かび上がる。


 昇ってきた方向に目を凝らせば、地球の輪郭が僅かに見える。既に夏至は過ぎたが、まだ夏の時期だから、天井の北側の開口部から射し込んだ太陽の光が北極付近を明るくしている。それ以外は、漆黒の闇。南北の天井の開口部から星の光が点々と見える程度だ。

 しかし、今はそれらをのんびりと眺めている暇はない。シャーシに掴まって自動車の運転席を振り返り、開いたキャノピーから身を乗り出しているアリューに向かって、懐中電灯の光が見えるように右腕を振った。それに応えたアリューの姿が車内に消える。


 すぐに、ゴゴンとシャーシに掴まる手に振動が伝わり、塔の軌道を噛んでいた歯車が離れた。自動車が宙に浮き、僅かに塔から離れる。それを確認してカイムは軌道の窪みに足を掛けて踏ん張り、シャーシに両手を掛けて力を込めた。重い車体はびくりともしない。

 手足の位置を少し動かして位置を調整し、改めて渾身の力を込める。

「ふんむっ」

 宇宙服の中で、カイムの顔が真っ赤になった。動かない、と思ったが、ほんの少し、車体が動いた。続けて力を入れる。ゆっくりと、自動車が上に向かって動き出した。


 蚯蚓が地を這うような速度でゆっくりと虚空を漂ってゆく自動車。カイムは軌道の窪みに手を掛け、梯子を登る要領で自動車を追いかけた。カイムの身体はワイヤーで自動車と繋がっている。せっかく動いたのに、余計な力を掛けて止めるわけにはいかない。

 ワイヤーがいっぱいに張らないように、また、ワイヤーを絡めないように注意しながら、カイムはゆっくりと塔を登った。登るといっても、ほぼ無重量状態のここでは、どちらが上なのかも判らない。登るというよりも這うような感覚で、カイムは進んだ。


 自動車の浮遊速度は、分速1mに満たないだろうか。カイムの速度もかなり遅いが、やがて自動車に並んだ。軌道の亀裂を越えたところでカイムは一旦止まる。隣を進む自動車が、完全に亀裂を越えるのをじっと待つ。運良く、塔とほとんど平行に浮遊している。

 最初に押し出す方向がずれていたら、塔から離れていってしまう危険も大きかった。そうなったら、どうしようもなかっただろう。そのまま虚空を漂い、いつかは天井まで到達するだろうが、この速度では何年かかるか解ったものではない。


 そうならなかったことに胸を撫で下ろしつつ、いや、今は余計なことを考えている時ではない、と改めて気を引き締める。それから、随分と長く思える数十分が経って、下部の歯車が亀裂を越えた。運転席を見上げ、右腕を振る。再び顔を出していたアリューが腕を振り返し、中に消えた。

 歯車が再び外に移動し、軌道の窪みを捉える。軌道に掴まっているカイムにも振動が伝わる。問題なさそうだ。軌道やシャーシに掴まりながら、運転席に戻る。ワイヤーをすべて回収し、内側に引き込んでからアリューに合図した。


 アリューがヘルメットの中で頷き、フロントボードの中央に固定したホロパッドに大きく表示したボタンに触れた。グラスメタルのキャノピーが閉まる。閉じきったところで次のボタンに触れる。すぐには何も起きたように見えなかったが、やがてシューシューと音が聞こえてくる。

 空気ボンベの中身が運転席に充填されてゆく、その音が止まってから、カイムはヘルメットを外した。ふうっ、と息を吐き、外したヘルメットを後ろに置いて、外すのに梃子摺っているアリューを手伝った。


「はあっ 上手くいった、よね?」

「ああ、なんとか。これで先に進める」

「良かった。じゃ、さっさとこれ脱いで、先に進もう」

「そうだな」

 着た時と同じように時間をかけて二人は宇宙服を脱ぎ、浄化槽を座席の下に戻した。宇宙服はヘルメットと一緒に後部に固定する。シートベルトで身体を固定し、警告灯がすべて消えていることを確認する。

 すべて問題なし。


「じゃ、改めて、出発っ」

 アリューがT字ハンドルを倒すと、自動車は再び塔を昇り出した。地上からの発車時と違い、すぐに巡行速度に達する。

「もう何もないといいね」

「ああ」


 自動車は塔の壁面をどこまでも昇ってゆく。

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