天井へ向けて
塔を昇る前に、もう1つやることができた。浄化槽の改造を行なった後、その日はそのまま休み、翌朝の朝食を摂っている時にアリューが僅かな異変に気付いた。
「今日のペースト、ちょっと味が違ってない?」
「そうか?」
言われるまでカイムは気付かなかったが、意識して口にすると、違うような気が確かにする。
「昨日、パイプを付けたからかな」
「そんなことは関係ない筈だけど・・・機構的には吸排気口を延長しただけだし・・・いや、待てよ」
「気になることある?」
アリューの最後の質問には答えず、カイムは足元に簡単に固定されているパイプを持ち上げ、その先端を見た。
「・・・これだな」
「どれ?」
「パイプの先、宇宙服に繋げられるようにクイック・ディスコネクターになってるんだけど、外した状態だと密閉されることになるから」
「だから、浄化槽の微生物が呼吸できない、とか?」
「多分」
「それって拙いじゃないっ」
アリューが慌てる。
「浄化槽が壊れちゃったら、塔に昇るも何もないよ。それどころか、街にも帰れなくなっちゃう」
「落ち着けよ。すぐに死に絶えるわけじゃないから、今日中に対策すれば大丈夫」
「対策って、どうするの?」
「宇宙服からコネクターを外してはめておけばいいさ。呼吸に応じて弁が開閉するようになってるから、開いたままになるように加工は必要だけど」
「なるほど。じゃ、また塔に入って宇宙服を持ってくる?」
「うん。・・・いや、あれをもう一度持ってくるのは大変だから、中でコネクターだけ切り離して持ってこよう」
「その方が楽だね。じゃ、御飯終わったら行こうか」
「ああ。早い方が良いしな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
既に一度往復していることもあり、エレベーターから宇宙服のコネクターを持ち帰るのに苦労は無かった。浄化槽の追加改造も簡単に済んだ。すぐに天井へ向けて出発しても良かったが、念の為、翌日まで待機してペーストの味が元に戻っていることを確認した。
次の問題は、塔を昇ろうとしたところで発生した。
アリューの運転で塔へと続く広い橋を1kmほど戻り、整備用の昇り口を見つけて後ろ向きに自動車を進める。
「後ろ向きでいいのか?」
「うん。運転席が後ろに90°回転するから、バックじゃないと」
つまり、重力に対して頭が上になるように、球形の運転席が可動することになる。可動レールが背面のカーボメタル部分にしかないから、可動域は広くはない。地上走行と塔を昇ることだけが目的だから、90°も動けば充分だ。
「じゃ、行くよ」
アリューはハンドルを前に跳ね上げ、二人の座席の間にあるレバーを引いた。車体前後にバンパーのように備えられていた4つの大きな歯車がアームに支えられて左右に伸び、左右のレールの溝に嵌った。
「この幅を計算してサイズを決めていたのか」
「うん。お祖父ちゃん、塔の図面を集めまくってたから。大丈夫みたいね」
車体上部のライトを左右に振り、接地面を確認しながらアリューは言った。
「じゃ、行くよ」
歯車を操作したレバーの前方にあるT字ハンドルを掴み、そっと後方に倒す。
すぐには動かなかったが、やがてゆっくりと自動車は後退を始めた。
「カイム、後ろ見てて」
「了解」
とは言っても、後方に窓がないこの自動車では、バックミラーと外部カメラの映像を確認するくらいしかできない。それでも、大き目に作られたミラーの奥で、道が昇ってゆくのが見える。
「問題なさそうだ」
大きなゴミなどの障害物は見られない。このまま進んでいけそうだ。徐々に速度を上げてゆく自動車はしかし、勾配がきつくなると速度が落ちてゆき、ついには途中で停止してしまった。電動機の唸りが聞こえるが、動く気配はみられない。
「駄目みたい。モーターのパワーが足りないのかな」
歯車をロックしてT字ハンドルを戻したアリューが言う。その声は沈んでいる。
「もっと勢いを付ければ・・・いや、無理か。この後、垂直の壁を登らなきゃならないし、多少勢いを付けたところでなぁ」
カイムは頭を巡らせ、歯車を見た。
しかし、この場で考えていても仕方がない。
「アリュー、一度平らな所まで戻せ」
「うん、解った」
電動機がまた軋みを上げ、ロックを解除すると少しずつ降りてゆく。地面とほぼ平行になったところで、アリューは自動車を停めた。
「それで、どうする?」
「それにこの車の図面、入ってるだろ? ちょっと見せてみろ」
「あ、うん」
アリューがホロパッドに自動車の図面を表示し、そのままカイムに渡す。カイムは受け取ったホロパッドに表示された図面の詳細な検討を始めた。
しばらく、静かに時が流れた。カイムはホロパッドを食い入るように見つめ、アリューはその邪魔をしないように息を殺している。外にはもとより動くものの影も音を立てるものもない。常夜の領域は、どこまでも静かだった。
「上手くいくか判らないけど、これでやってみるか」
長々と図面を見つめていたカイムが顔を上げた。
「どうするの?」
「重量削減とモーターのパワーアップ」
尋ねるアリューにカイムは自分の出した単純な回答を伝えた。
「具体的には何をするの?」
「うん。まず、重量の方は、後ろの空気ボンベを2本下ろして半分にする」
「え。あれって外で作業が必要になった時に抜いた空気の補充用だよ。置いてって大丈夫?」
不安そうに言うアリューにカイムは言った。
「これによると、ボンベ1本で運転席に空気を充満できる。天井に着くまでにどれだけ車外に出る必要があるか、に依るから何とも言えないけど、塔が例の修復素材でできてるなら、そんなに数は要らないと思う。それより、今は兎に角、昇ることが優先だ」
「うん、まあ、確かに」
「それと、大した重量軽減にはならないけど、ヘッドライト2個も外す。もう要らないだろ」
「昇り始めたら前を照らす意味ないもんね。解った。モーターは?」
「この車、タイヤと歯車を動かす電気系統が分かれてるんだよ」
カイムはホロパッドを操作した。自動車の動力系統が二組、別の色で浮かび上がる。
「ほんとだ。電池も別になってるね。じゃ、このタイヤ用の電池も歯車に繋ぐんだね」
「正解」
「でも、電圧違うよ。効率落ちるんじゃない?」
「そこは調整するよ。街でやってた仕事と変わらないし」
「それもそうか。私にもできるし。でも、それでも昇れなかったら?」
「その時は時間を掛けるしかないな」
カイムは椅子に寄り掛かった。
「時間を掛けて・・・何するの?」
「モーターから外の歯車までのギアを変える」
「それって、大変じゃない?」
「もちろん。しかも、持ってきた工具じゃ溶接とかは無理だからな。あまり大きい改造はできないかも。車輪の方に使っているギアを分解して上手く使えれば良いけど。あとは、塔の中のどこかにも工具があるんじゃないかな。それを探すって手もある」
「どっちにしろ、時間かかりすぎるね」
「まあね。一先ず、空気ボンベと電池の改造だ。それでいければ良し、その先は駄目だった時に具体化しよう」
「うん。先ずは車をここから出さないとね」
レバーを戻して歯車を回収し、アリューはハンドルを操作位置に倒した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「じゃ、改めて、行くよ」
1日かけ、二人で手分けして改造した自動車を、再び昇り口の中へと進めたアリューは電力系統を切り替え、T字ハンドルに掛けた手に力を込めた。自動車がそろそろと動き出し、徐々に速度を上げてゆく。歯車の振動が車内にも伝わる。
車体が傾いてくる。運転席は回転するので体感では傾きはないが、窓の外、車体の前部の見え方が変わっているので昇っていることが解る。少しずつ、速度が落ちてくる。それでも、まだ止まらない。先程、昇れなくなった地点を通過した。
速度は落ちているが、止まる様子はない。勾配がきつくなり、さらに速度が落ちてゆく。T字ハンドルはもう、一杯に倒されている。けれど、今度は最後まで止まることはなく、いつの間にか、自動車は、垂直の壁をゆっくりと昇っていた。
息を詰めていたことに気付いたカイムは深呼吸した。隣でアリューも大きく息を吐く。
「昇れたね」
「ああ。これで上まで行けるな」
「うん。ちょっと時間かかりそうだけど」
「どれくらい?」
「予定だと2ヶ月だったんだけど、速度が半分くらいしか出てないから倍かかるかも」
「そうか。でも、今はまだ地表に近いけど、昇れば重力の影響が下がる筈だから、倍まではかからないんじゃないかな」
「そうだね」
アリューは上を見上げた。カイムも一緒に上を見る。向きを変えた上部ライトの光に照らされて、塔はどこまでも伸びていた。




