探索
塔の中は暗い。常夜の領域であるこの辺りは陽が射す事はないから、外でも中でも暗さは変わらない筈だが、外に比べて一段と暗く感じる。閉鎖された空間がそう感じさせるのかもしれない。その暗闇の中を、カイムとアリューは奥へと歩いて行った。懐中電灯で前や周囲を照らし、時々後ろを振り返って自動車のライトがまだ見えることを確認しながら。
「結構埃が積もってるね」
アリューが懐中電灯を下に向けると、2人の歩みで舞い上がった埃が光った。
「何百年か、何千年か分の量にしては少ないけどな」
「そうかもね。埃を掘りながら行く必要が無くて良かったね」
「流石にそこまでは積もらないだろ、埃だけじゃ」
舞い上がる埃以外に動く物のない建造物の中を、2人は歩いた。歩いている通路は、開けた入口から真っ直ぐに続いている。かなり広い。
幅は10m、高さは5mほどあるだろうか。600mばかりを進んだところで行く手を壁に阻まれたが、横に発見した扉を押すと、難なく開いた。壁の先には、通路よりもさらに広大な空間が広がっている。
「ここ入ると、入口見えないね」
「だな。ここからワイヤーを使うか」
予定よりも早かったが、扉のそばのポールにワイヤーを結び、繰り出しながら先へ進む。
「ワイヤー、足りるかな?」
「どうかな。ま、足りなかったらなんとかするさ」
「・・・カイムって、そういうとこ、凄いよね」
「何が?」
カイムは驚いたように、暗闇の中のアリューを見た。
「『なんとかなる』じゃなくて、『なんとかする』って、自然に言えるとこ。私じゃ、言えないもの」
「色々と用意はしてきたからな」
「それでも、そう言えるのって凄いよ。用意した道具じゃ足りないかもしれないし。やっぱり、私よりカイムの方がずっと“探検家”だよね」
「アリューは今までほとんど、街から出なかったろう? 俺は鉱山に何回か行っていたし、それでいろいろ覚えたから。天井から帰って来る頃には、アリューも俺くらいのこと、言えるようになってるよ」
「うん、そうなれるように頑張る」
「よし、その意気だ」
会話を続けながらも、アリューは手にしたホロパッドと、懐中電灯の頼りない光が照らす塔内を見比べて、進むべき方角を確認している。他所事に気を取られずにやるべき事はきちんとやっている、という点では、アリューも探検家向きと言えるんじゃないかな、とカイムは思った。
「あ、この辺、左に曲がるよ」
アリューがそう言った時、2人がいるのはまだ広大な空間の只中だった。
「目印も何もないけど、いいのか?」
懐中電灯を前方に向けて目を凝らすと、数m先が壁になっているらしいことは、僅かに判った。
しかし、それならば突き当たるまで真っ直ぐに進んでも良いように思う。
「歩いて来た距離と方向が正しければ、ここが曲がる場所なの」
「ふうん。なら、センサーを信じて、曲がってみるか」
「うん」
ホロパッドのセンサーは自動車のものより精度は低い。
しかし、それほどの長距離を移動しているわけでもないし、速度も遅いから、誤差はそれほど大きくなっていない筈だ。多少違っていたところで細く入り組んでもいないのだから、問題は無いだろう。2人は、広い空間で左へと向きを変えた。
数十mも進むと、今度は右手に構造体が並んでいるのが見える。
「あ、あれ、多分、ここだ」
アリューがホロパッド上に示したのは、籠への搭乗口への入口のようだ。幅を広く取られたその入口は、いくつもに区切られているらしい。
目を構造体に戻し、懐中電灯を向けながら近付くとゲートが並んでいることが見て取れた。幅2m、高さ3m、奥行き4mほどのトンネルが横にいくつも並んでいる。
「だいたい一致してるな。ずれてるのは、センサーの誤差か、改装されたか」
「でも、籠の乗り口はそうそう変えられないと思うから、あとはここを抜けてまっすぐ行けば良いはず」
「もう少しだな。・・・ちょっと待った」
「どうしたの?」
「1本目のリールが終わりそうだ。ここで2本目を繋いでおくよ」
カイムはもう一つのワイヤーリールを小型バッグから取り出すと、ここまでワイヤーを繰り出してきたリールに繋いだ。
「これで足りれば良いけどな」
「この先は500mも無いはずだから、充分だよ」
並んでいるゲートの一つをくぐり、先へと進む。
「しかし、ほとんど何も無いな。塔の中ってこんなに殺風景だったのか」
懐中電灯の弱い光ではそれほど遠くまでは見渡せないが、ここまでほとんど、広い空間しかない。
「図面だと、もう少し壁があっても良さそうなんだけど。使わなくてなった時に片付けちゃったのかな」
「それにしては、さっきのゲートとか、入口の通路とか、中途半端に残っている気もするけどな」
「そゔだね。昔の人のやってることだから、よくわかんないよ」
「まあ、な」
広い空間は突然終わった。いや、空間はまだ奥まで続いているが、腰ほどの高さの壁が通路を無数に分けている。
「これだ。これに沿って通った突き当たりが、籠の乗降口のはず」
その、幅が2mほどになった通路をさらに進む。狭くなった分、足元の誇りが余計に舞うように見えて、自然と2人の歩みは慎重になった。左右の壁──手摺を軽く払うと、そこにも埃は積もっている。
「ここって、動力さえ戻れば、また動くのかな」
「どうだろう。見たところ、動いても不思議はなさそうだな。入口の扉も電源を直結したら開いたし。どうした?」
「うん、なんかね、ここが動いているところ見てみたかったなぁ、って。天井に行ったら、ここも動くかな、って」
「ここの電力は確か、天井から直接供給されてたんだっけ」
「うん。って言うか、マイクロ波送電も併用していたらしいけど。併用っていうより、片方はバックアップなのかもしれないけど」
「なるほどね。それなら、天井からの送電を回復させれば、生き返るかもな」
「そうなったらさ、ここ、どんな風に変わるんだろう」
アリューは左右や上に懐中電灯の光を向け、また前に戻す。
「今は暗くて何にも見えないけど、きっとすっごい素敵なんだろうな」
「綺麗かどうかは兎も角」
カイムも闇に目を向けて言った。
「凄い技術の塊なんだろうな。明るい光の下で見てみたいよ」
懐中電灯のささやかな光では、かつて威容を誇ったであろう、いや、今でも充分な光源さえあれば見せるだろうその光景を、2人はそれぞれに夢想した。そうしている間もゆっくりした歩みを止めず、やがて左右の壁が無くなった。
今度は懐中電灯の光が辛うじて届く距離に、壁が見える。単なる壁ではなく、縦にいくつも仕切られているらしく、それが左右にも続いているようだ。
「あ、ここ、あの扉の向こうがエレベーターの籠のはず」
2人はその壁に近付いた。
「これが、籠?」
壁──壁ではなく、近付くと確かに扉があった──は、カイムが見上げるほど大きい。プルトニウム鉱山でもエレベーターは使われているが、その籠とは比べ物にならない。扉と壁に隠れて解らないが、籠本体はどれほどの大きさだろうか。
「これ、開くかな」
「ちょっと見せてみろ」
カイムは懐中電灯とワイヤーリールをアリューに渡し、扉の前に中心を走る縦の線に指を当てた。ごく僅かな隙間に指先を入れようとする。が、狭い隙間は手袋越しの指を拒んだ。
「こりゃちょっと、手じゃ無理だな」
塔の入口にあったようなパネルも見当たらない。カイムはバックパックを下ろし、中を探った。持ってきた工具から一番大きなレンチと、一番先の細いペンチを取り出す。まず、ペンチの先を扉の隙間に差し込む。捻りながら無理矢理押し込むと、辛うじて数mmほどに隙間が広がった。
そのペンチの握りを今度はレンチの先で叩き付ける。ペンチの先がなんとか2/3ほどめり込む。抜けないように注意しながら横に倒すと、隙間がなんとか2cm強にまで広がった。その隙間に今度はレンチを押し込む。上下に動かしながらペンチも併用して、頭の部分だけ捩じ込んだ。
ペンチを離し、両手でレンチを持ってゆっくりと、力一杯横に倒す。カイムには重かったが、それでもゆっくりと扉が開く。一度力を抜き、広がった隙間の奥にレンチを更に差し込んで、もう一度、力を込めた。隙間が、アリューの頭が入るほどになる。
「よし、もう少し。アリュー、ちょっと手伝え。両側から引っ張るぞ」
「うん、解った」
アリューは荷物を床に置き、懐中電灯の光が扉を照らすように床に置いて、カイムの傍に立った。一度屈んで足下の埃を払う。滑って倒れたらたまらない。それが済むと、左右の扉に2人で手を掛けた。
「よし、行くぞ。せーのっ」
渾身の力を込めて、2人で扉を引く。少しだけ開いていた扉は、その隙間をじりじりと広げてゆく。
「よし、これくらい、開けば、なんとか、通れる、だろ」
カイムが言った時には、2人とも汗をかいていた。
「ど、うだ、中の、様子、は」
力尽きて床に座り込んだカイムに変わり、まだ力を残しているアリューは床に置いた懐中電灯を取り上げて暗い空間を照らした。
「うーん、真っ暗。何にもない。ここの籠は上に行っちゃってるみたい」
「は、そう、か。籠はこれだけか?」
「ううん、えっと、塔を囲むように、だいたい直径1キロくらいの円を描いて並んでる」
「1キロっ ってことは、30mおきにあるとしても、100基もあるのかよっ」
カイムは座り込んだまま、疲れきった声を上げた。
「・・・どうしよう。宇宙服は必須ってわけじゃないから、諦める?」
「いや」ようやく落ち着いてきたカイムは、ゆっくりと立ち上がりながら言った。「何があるか判らないし、まだこれ一個だけだ。せめて、いくつか探そう」
「大丈夫?」
「なんとかね。しかし、3キロもあると、どう頑張ってもワイヤーが足りないな・・・」
「でも、ケージはこの壁に沿って円形に並んでいるはずだから、壁を見失わなければ迷わないと思う」
「そうか。なら、ここに懐中電灯を一個置いて、目印にしよう」
「そうだね。さっきの廊下の出口くらいまで離れたほうがいいかな。私がやっておくよ。カイム、照らしてて」
アリューはワイヤーリールと懐中電灯を1個持って壁から離れ、先に通った無数の廊下の手摺にリールを置いて、その上に懐中電灯を重ねた。これくらい離れていれば、壁際からなら少し離れた場所から見ても見失うことはないだろう。カイムの手にするもう1つの懐中電灯の光を頼りに、アリューが戻って来た。
「それじゃ、次に取り掛かるか。下手するとこれだけで何ヶ月もかかりそうだもんな」
「そんなにかかったら、運を天井に任せて宇宙服無しで行くしかないよ。体力も保たないだろうし」
「まあね。どうする? どれだけ探るか、決めとく?」
「うーん、20個。それで無かったら、諦めよう」
しかし、2人の運はそれほど悪くはなかった。3個目の扉を開けた時、向こう側に籠があったのだから。
「・・・これがエレベーターの籠か。広いな。それに、でかい」
「“広い”と“大きい”は、この場合ほとんど同じ意味だと思うけど」
「でも、解るだろ」
「まあ、ね」
10人も乗れない、プルトニウム鉱山のエレベーターとは桁が違う。扉の大きさでそれは解っていたが、実際に中に入ってみると、改めてその大きさを実感する。中に入ってすぐの場所は目の前に壁があり、左右に通路が伸びていたが、通路を歩いて内側へと続く横道を抜けると、広大な空間が開けていた。
人が歩くのに困らない間隔を空けて、大きな椅子が何十脚も整列している。乏しい光の照らす範囲はごく狭いが、光の向こうの光景も補完して、カイムは感嘆の溜息を吐いた。
「これ、籠と言うより、集会所だな」
「そうだね。街の集会所よりずっと広いし、椅子も大きいけど」
「これがこのまま、天上まで昇って行ったなんて、ちょっと信じられないな」
「しかもこれ、ここだけじゃないはず。籠自体が5階層あるから」
アリューがホロパッドに浮かぶ構造図を見ながら言った。
「ほんと、とんでもないよな。それで、宇宙服はどこにあるんだ?」
いつまでも感嘆しているばかりではいられない。カイムは頭を切り替えた。
「えっと、壁際にあると思う。壁のどこかが開くんじゃないかな。どこが開くかまでは、この図じゃ判らないけど」
カイムは右手の壁に懐中電灯を向けた。何の変哲も無い白い壁が光の輪の中に浮かび上がる。
「場所が判らないなら、調べるしかないな。こっちから行こう。今度は簡単に開くことを祈るよ」
「大丈夫だよ。非常用だから、簡単に開かないといざという時、使えないもん」
「だといいな」
それらしいところはすぐに見つかった。
2人の入った入り口から数m、カイムの腰の下あたりの高さに赤い逆三角形の印が見付かり、その下の目立たない窪みを強く押すと、壁の一部がするすると床に落ちていった。非常用というだけあって、動力を必要とするような扉にはなっていないようだ。
中には、ぶくぶくごわごわした服がたくさん用意されていた。
「何千年も前のだろ? 使えるかな」
「それをまずは確認しないとね。えっと、カイム、取り出せる?」
1着を取り出そうと奮闘していたアリューが言った。アリューが扱うには少し大きい、というより、留め金の位置が高いようだ。
カイムは懐中電灯をアリューに渡すと、壁を探った。留め金があるわけではないらしい。服の上の部分を掴んで引っ張ると、簡単に壁から離れた。アリューの背では、手を掛ける位置が低かったようだ。取り出した宇宙服は、見た目よりも軽い。頭を覆うヘルメット部分は着脱式らしく、壁の中に残った。
「どう?」
「意外にしっかりしてる。使えそうだ」
「着られる?」
「やってみる。外着を着たままで平気かな?」
「非常時にいちいち服を脱がないだろうから、そのままでいいんじゃないかな」
「それもそうだな。どうやって着るんだろ?」
アリューの照らす光の中で宇宙服を矯めつ眇めつし、何度もひっくり返してようやく背中が開きそうなことに気付いた。
背中を開けて中に入り込み、苦労して手足を通し、頭上のリングに頭を通す。
「アリュー、背中、閉めてくれ」
「うん」
何とか、着られた。
「どう?」
「ちょっと、いや、かなり、動きにくい・・・」
大きさは、カイムには少し余るが大き過ぎると言うほどではない。
しかし、これを着たまま何かの作業を行うようには考えられていないらしく、動きがかなり制限される。なんとか壁際まで動いて、ヘルメットを取った。これだけでも重労働だ。着る前にヘルメットを取っておけば良かった。
「アリュー、頭も被ってみるから、背中少し開けてくれ」
「あ、息できなくなっちゃうもんね。・・・いいよ」
アリューの合図で、カイムはヘルメットを装着した。腕の動きも制限されているので苦労したが、アリューに手を貸して貰うことでなんとかなった。
「なんとか、着られたな」
「あとは呼吸用のボンベがあるはずだなんだけど・・・あった、これかな、多分」
カイムの取り出した宇宙服の足下にあったそれらしいものを、アリューは持ち上げた。
「これをえっと、背負って腰のところにこのホースを繋げばいいのかな・・・あ」
ボンベを観察していたアリューは小さく声を上げた。
「どうした?」
「これ・・・中身が無いみたい・・・」
「空ってことか?」
「うん・・・多分、揮発しちゃったんだと思うけど・・・」
カイムはアリューが示すボンベを見た。内容量を示すらしいインジケーターがある。
その針は、“0”を指し示している。
「他のはどうだ?」
そう言いながらもカイムは、恐らく残っているボンベは無いだろうな、と思った。宇宙服を着て動き辛いカイムを待たせて、アリューは他のボンベを調べた。動き回る小さな光を見ながら、カイムは苦労してヘルメットを外した。
ようやく外し終えた頃に、気を落としたアリューが戻って来た。
「駄目みたい。一つも残ってなさそう」
「そうか。ちょっとこれ、照らして」
「無駄だよ。空っぽなんだから」
そう言いつつ、アリューは言われた通りにボンベを持つカイムの手元に懐中電灯を向けた。
暗い中、心許ない灯りだけを頼りに、カイムはボンベを仔細に調べる。特に、宇宙服に繋がるホース部分を。
「絶対できるとは約束できないけど、なんとかなるかも」
「なるの? どうやって?」
思いもかけないカイムの言葉に、アリューは疑問を浮かべた。
「このボンベの代わりに、浄化槽を繋ぐ」
「浄化槽を? どうやって? って言うか、繋いでどうするの?」
「浄化槽はね、排泄物をペーストと水に還元するためだけのものじゃないんだ」
「他に、何かできたっけ?」
アリューの顔にはまだ疑問符が浮かんでいる。
「あれは閉鎖生態系の生命維持システムなんだよ。だから、人間の呼気に含まれる二酸化炭素を、酸素に還元することもできる。できると言うより、最初からそのためのものでもあるんだけど」
「えっと、つまり、浄化槽を宇宙服に繋げば、閉鎖生態系環境ができるってこと?」
「そう。ってか、あの車もそれで閉鎖生態系になるように造られているだろ」
「あ、そっか」
「まあ、排泄物を宇宙服から浄化槽まで送るように改造するのはここでは無理だけど、呼吸だけならなんとかなると思う」
「やったっ それじゃ、すぐに戻ってその工作をやろっ」
アリューは飛び跳ねんばかりに踊り上がった。
「落ち着けって。まずはアリューの分の宇宙服も探さないと。取り敢えず脱ぐから、手伝ってくれ」
「うん、解ったっ」
アリューの感情の起伏がいつになく激しい。宇宙服を脱ぎながら、カイムは思った。天井へのスタートを目前にして、気が昂ぶっているのかもしれない。
カイム自身も気持ちの昂りを抑えきれない。けれど、寧ろこれからの方が道のりは長い。今からこの調子では、天井に着くまでに心がけて疲れてしまう。そう思うカイムは、意識して自分の気持ちを無理に抑えていた。




