暴走百合女子はこわい
【登場人物】
国方真尋:高校二年生。実家が道場で小さい頃から空手を嗜んでいる。ボーイッシュで男勝り。
清川珠姫:高校二年生。真尋とは違う高校に通っている。見た目はゆるふわ系。
人から嫌われるよりは好かれる方が良い。クラスメイトでも先輩後輩でもよく行くコンビニの店員でも、笑顔で接してくれた方が嬉しいと思うのは当たり前だ。
父親からは空手の稽古の合間に『誰からも好かれるような人間になれ』と教えられた。八方美人になれということではなく、自分自身で誇れる生き方をすれば自ずと誰もが自分を慕ってくれるようになる、ということだ。父の薫育の甲斐あってか、私も自然とそういう人間になろうと考えるようになった。
その結果、女の子の追っかけが出来た。
事の始まりは私が通学で乗っている、朝の電車でのことだった。
ドア横のスペースに立ってスマホを触っていた私は、ふと顔を上げたときに正面――もう一方のドア横で私と同じように立っていた女子高生の異変に気が付いた。
その子は別の高校の生徒ではあったが、私と乗る車両の位置がずっと一緒だったのと降りる駅が同じだったので顔だけは知っていた。少し天然パーマ気味のボリュームのある髪にくりっとした目。ショートカットで男っぽい私とは違って可愛らしい子だな、なんていつも思っていたものだ。
その女の子は見るからに体調が悪そうだった。顔色は悪く、ハンカチを口元に当てたまま眉根を寄せて視線を下に向けていた。
私は彼女にすぐに近づいて声を掛けた。
「大丈夫?」
結局その後、学校の最寄り駅で降りてからホームのベンチで具合を聞き、彼女がお母さんに連絡してタクシーを呼んで帰ることが決まったので乗るところまで付き添って、そこで別れた。
私は遅刻してしまったが、それでも人の為になることが出来て良かった良かったと満足していた。
その数日後だ。朝いつものように電車に乗ると彼女が電車の中で待っていた。
「この前はありがとうございました!」
「もう体調は大丈夫なの?」
「はい、ばっちりです。あ、あとこれ、お礼なんですけど」
そう言って紙袋を手渡してきた。
「え? いやいやいいって」
「そういうわけにはいきません」
強引に紙袋を押し付けられたので受け取る。こういうのはあまり固辞しすぎてもよくない。
「じゃあまぁ、せっかくなので。ありがと」
彼女は嬉しそうに微笑んだあと、思い出したかのように切り出してきた。
「そういえばまだわたしたちお互いに名前も知りませんよね? わたし、清川珠姫って言います。高校は――」
「私の近くのとこでしょ? 制服そっちのが可愛くていいよね」
「か、可愛い……」
「私は国方真尋。高校二年」
「わたしも高二です!」
「やっぱり同い年だったんだ。ずっと電車一緒だったしね」
「わたしは国方さんの方が一学年上なのかと思ってました」
「そんなに老けて見える?」
「ち、違います! わたしより大人びてて素敵だなって思ってただけで――」
「あはは、冗談冗談」
このときは清川さんのことを通学友達が出来たくらいにしか思っていなかった。
その日の放課後、空手部の練習を終えて学校を出ると、いきなり話しかけられた。
「国方さん、今から帰りですか?」
門の陰から出てきたのは清川さんだった。
「清川さん? なんでここに?」
「たまたまこっちに来る用事があったから、せっかくだし国方さんと一緒に帰れないかなと思いまして」
「そうだったんだ。うん、いいよ。どうせおんなじ電車に乗るしね」
「ありがとうございます。あ、国方さんラインやってます? よかったら教えてくれませんか?」
「おっけー。ちょっと待ってね」
清川さんとラインの交換をした後は、お互いの学校生活のことなどを話し合いながら一緒に帰路についた。
「え、国方さんって空手部なんですか?」
「うん。家に道場があってね。小さいときから護身用にってお父さんに空手を教わってたんだ」
「道場! すごいですね!」
「そんなたいしたもんじゃないよ。門下生だっていたのは曾おじいちゃんのころまでだし」
「でもその道場があって空手を教わったから、今の国方さんがあるんだと思います!」
「あ、ありがと……」
瞳を輝かせたその表情には覚えがあった。私のこういう性格や振る舞いは女子受けがいい。私を慕ってくれる女子たちはだいたい清川さんみたいな反応を見せる。
正直、このとき予感のようなものはあった。
「それじゃ清川さん、また明日」
私の降りる駅になって挨拶をした。清川さんも笑顔で返してくれる。
「はい、また明日。これから国方さんと毎朝登校できるのが嬉しいです」
「そんな大袈裟な」
今までだって電車では一緒だったし。まぁ他人として会うのと友達として会うのとでは全然違うのは分かる。一人でも話せる人がいてくれれば、電車の中が混み合ったとしてもだいぶマシになるものだ。
そして翌日。いってきます、と家を出た私の耳に、聞き覚えのある声が届いた。
「おはようございます、真尋さん!」
「……え?」
清川さんだった。見慣れた制服姿でカバンを両手で持ち、元気いっぱいの笑顔で私を見つめている。
「なんで……?」
なんで私の家の前にいるの? と聞きたかったが、あまりに驚きすぎて言葉が詰まった。
その問いかけを清川さんが勘違いする。
「あ、真尋さんって急に名前で呼ぶのは失礼でしたか?」
「い、いやそうじゃなくて」
「よかった。ならわたしのことも珠姫と名前で呼んでください」
「だからそうじゃなくて、なんでここにいるの?」
「一緒に登校しましょうって昨日言ったじゃないですか」
「……言った?」
「そういう風にとれなくもないことを言いました」
「それは言ってないも同じでしょ!」
「とりあえず歩きながら話しましょう。電車に遅れますよ」
「…………」
不服ではあったが時間にそれほど余裕があるわけでもない。駅に向かって進みながら清川さんに問いただす。
「で、どうやって私の家の住所知ったの? 後でもつけた?」
「そんなことしませんよ。ネットでこの辺の場所に絞って名字と道場で検索かけただけです」
「それもどうなの……?」
「大事の前の小事。真尋さんと一緒に登校できることと比べたら些細なことですよ」
「些細かなぁ」
首を捻りながら改めて気が付いた。私が出発する時間に彼女がここにいるということは……。
「え、じゃあ私と登校する為にわざわざ早起きして、途中の駅で降りて私の家まで来たってこと?」
「はい、今日はいつもより一時間半くらい早起きしました」
「なにやってんの……」
「あ、でも真尋さんがいつ家を出てるのか分かったので明日からはもうちょっと遅く起きますよ。今日は電車の時間と家までの距離を逆算して念のため早目に来たので」
また何か怖いことを言ってるんですが。というか明日からもこれを続けるつもりなのか。
「そんなに早起き続けて大丈夫? また体調崩したりしない?」
清川さんがぐっと拳を握ってみせる。
「大丈夫です! むしろ真尋さんに会いにいくっていう生きがいが出来たので気力体力十二分です!」
いつの間にか生きがいになってるらしい。初日でそこまで思い込めるのはそれはそれですごいことだと思う。
「まぁ、一緒に登校するのを許可したわけじゃないけど」
「でもたまたまわたしが朝この辺りをうろついてて偶然真尋さんと出くわして一緒に駅に向かうのはアリですよね?」
「…………」
まったく堪えてない。しかもこの口振りからして昨日校門で会ったのも偶然じゃないんだろう。つまり。
「それ、下校するときも言うつもり?」
清川さんが無言でにっこりと笑った。どうやら正解らしい。
まぁ、慕われる分にはいっか。登下校を一緒にするだけなら実害があるわけじゃないし。
それから毎日、清川さんもとい珠姫さんと登下校をするようになった。
話をきいてるうちに、彼女がわりといいところのお嬢さんだということが分かった。どおりでむちゃくちゃな行動をしながらも言葉遣いが丁寧だったり物腰が落ち着いていたりするわけだ。
「真尋さんの空手部って他校の生徒でもマネージャーになれたりしませんか?」
ある日の帰り道に珠姫さんがいきなり聞いてきた。
「いや、そりゃ無理でしょ」
「なら制服は調達してくるので見学させてください」
「多分先生にすぐバレるよ。っていうか調達ってどこから……?」
「秘密のルートからです……うふふ」
珠姫さんが薄気味悪い笑みを浮かべた。多分普通にうちの制服を買える指定店にでも行くんだろうけど。
「で、なんで急にマネージャー?」
「だって真尋さんの胴着姿見たいじゃないですか」
「別に普通だよ」
「絶対そんなことないですよー。想像しただけでかっこいいですもん」
「そりゃどうも」
「あー、信じてませんね。自分のかっこよさを」
「男っぽさが女子受けしてるのは知ってる」
「そういう表面的なことじゃなく、外見も内面もかっこいいんですよ!」
外見は表面的な気がするけど……。一応私も女の子なのでかっこいいよりは綺麗とか可愛いの方が嬉しいが、まぁ褒められて悪い気はしない。
「じゃあさ、今週の土曜か日曜にうちの道場に来る? ついでに珠姫さんもちょっと体験してみたら? 予備の胴着あるし」
「い、いいんですか!?」
「いいよいいよ。どうせ休日は稽古してるから」
「絶対行きます何がなんでも行きます! わたしも土日にいきなり真尋さんのおうちにお邪魔しようかなぁと思っていたところなんです!」
「いや、アポはしっかり取ろ?」
「驚く真尋さんの顔が見たくて」
「十分驚いてるから。驚き過ぎて引いてる私の顔見て?」
「かっこいいです」
「うん、ありがと。でもそういうことじゃない」
とまぁ、こうして私の家に珠姫さんが来ることになった。道場に友達が来るのは初めてじゃないだろうか。しかも同い年の同性。
少しだけ楽しみにしている自分に気付き、小さく笑った。
土曜日のお昼、私の家に体操服姿の珠姫さんがやってきた。玄関は通らずにそのまま道場の方へと案内する。
中に入ると珠姫さんが板張りの空間を見て「おー」と感嘆の声をあげた。
「結構ボロいでしょ」
「こういうのは歴史があるって言うんですよ。はぁぁ……ここで真尋さんが育ったんだと思うと感動もひとしおです」
「まぁいいけど。はい、これ珠姫さんの胴着ね。体操服の上から着ちゃって」
「わぁ、ありがとうございます!」
珠姫さんに帯の結び方を教えてから私も胴着に着替える。ズボンを履き、上着の袖に手をを通し帯を結び、最後に襟元を引いて整えていると横から視線を感じた。見ると珠姫さんが口を手で押さえて瞳を揺らしていた。
「やばい……めっちゃかっこいい……!」
推しのアイドルのコンサートで感極まっているファンみたいだ。
「えぇと、珠姫さんも似合ってるよ?」
「わたしはいいんです! あぁ、やっぱり白の胴着には黒帯ですよね……彩りがないからこその美っていうか、こんなにかっこいいからこそみんな黒帯を目指すんだなぁ……」
「みんながみんなそういうわけじゃないと思うけど」
鍛練の結果が段位に繋がるし、向上したい理由なんて人それぞれ。黒が一番合うというのは同感だが。
二人とも着替えたあとは柔軟から始めて、筋トレへ。しかし珠姫さんが早々にギブアップしてしまったのでさっそく練習に取り掛かることにした。
立ち方、構え方、拳の握り方を順番に教え、珠姫さんと向かい合い形で私が拳を突き出してみせる。
「これが正拳突きってやつね」
「あぁ知ってます! 極めると風圧で相手を飛ばしたり、大木を真っ二つにしたり出来るやつですね!」
「そうだねーできたらいいねー」
「ちょっと真尋さん! 突っ込みを放棄しないでください!」
「いいからはい、私の見ながらやってみて」
「は、はい――じゃなくて、押忍!」
「そういうのは真似しなくていいから」
一緒になって正拳突きを行う。
「拳は引いたときに手の甲が下側、突くときに甲が上側にくるように捻って出す。引いた拳は脇の下のとこにくるように。突き出した拳の位置は、私の正中線――ちょうど体の真ん中の線上にくるように突き出して。ゆっくりでいいよ。姿勢はブレないように、肩も上げないように。はい――はい――」
「ふっ――ふっ――こ、これ、結構、大変ですね」
「普段使ってない筋肉動かしてるからね」
「こ、これを、一日一万回、感謝しながらやれば……」
「やっても何かに目覚めたりしないと思うよ。そもそもそんなにやらない」
「で、ですよね」
「慣れてきたら腰の回転も意識してみよっか。腰を回す力に乗せて拳を突き出す。よろけちゃダメだよー。自分の軸はずらさないように」
「む、むずかしい、です――」
「最初は誰でもそうだよ。これも慣れだから頑張って」
「あぁ、応援されたら頑張れる気がしてきました」
「頑張れ、頑張れ」
「見え透いた頑張れコールだけど嬉しい……!」
応援だけで体力が続くのなら苦労はいらない。少しして完全にバテてしまった珠姫さんには休憩してもらって、私はひとりで練習を再開した。
踏み込みながらの突き、連突き、蹴り。私が何かをするたびに珠姫さんの感嘆する声が聞こえてきた。部活中でもたまに女子に見られていたりするので今更気になったりはしないが。
「真尋さんっていつもこうやってひとりで練習をしてるんですか?」
「ん? 相手がいれば組み手をやったり、ミットを持ってもらって打ち込んだりしてるよ。いつもだったらお父さんがいるし」
「お父様は今日はいらっしゃらないんですか?」
「いるけど来ないでって言ってある」
「来てもいいじゃないですか。わたしもご挨拶したいですし」
「別にしなくていいよ」
父親を友達に会わせるのはなんか恥ずかしい。余計なことを喋られても困る。
「珠姫さんもう大丈夫? せっかくだから蹴りやってみない? 私がミット持って受けるから」
「やってみたいです!」
それから15時前まで練習を続けた。
休憩をしながらとはいえ珠姫さんも疲労困憊だ。
「そろそろ終わりにしよっか。さっと掃除して私の部屋にいっておやつでも食べよ」
「へ、部屋にいってもいいんですか!?」
「友達の家に遊びにいって家に上がらずにそのまま帰ることある?」
「そ、そうですよね」
かすかに頬を赤らめた珠姫さんを見つめ、ジト目を送る。
「ヘンなこと考えてない?」
「か、か、考えてないですよ! 隙あらば枕の匂いをかごうとか、よろけたフリして押し倒そうとかそんなこと微塵も考えてないです!」
「いやもう、うん、わかった……まぁそっちがヘンな気起こしても私が負けるわけないし、泣かされても文句言わないでよ」
「……それってもしかして、わたしが勝てば好きなことしていいんですか?」
「え?」
…………。
道場の中が静まりかえる。
確かに、今の言い方だと私の反撃に勝てるなら好きなことが出来ると聞こえなくもない。
珠姫さんがいつになく真剣な表情で私を見つめている。
「勝負しましょう。ここで」
「勝負ってどんな?」
「空手のルールは詳しくないので、単純に相手を降参させたら勝ちで」
「うーん、今日初めて空手をやった子と試合するのはちょっと……」
「遠慮しなくていいですよ。痛かったらすぐ降参しますから。ただし一つだけ条件があります。負けた方が勝った方の言うことを何でもきく」
「な、何でも?」
「命に関することは無しにしましょうか。それ以外なら何でも」
「……本当にいいの?」
言うまでもなく勝負の結果なんて最初から分かりきっている。武道経験のない女の子が相手なら片手でだって勝つ自信がある。
しかし珠姫さんは臆することなく頷いてみせた。
「はい。真尋さんが勝ったあかつきには、奴隷になれでも鼻からスパゲティを食べろでも裸で町内一周しろでも何でも命令してください」
さすがに非人道的な行為や犯罪になることは命令するつもりはないけど、まぁ本人がそこまで言うなら軽く相手をしてあげよう。それでちょっと高いスイーツでもおごってもらえばいい。
「分かった。怪我はさせないようにはするけど、青アザくらいは覚悟しといてよ」
「もちろんです。あ、始める前に飲み物だけ飲んでいいですか?」
「どうぞ」
荷物の方へ向かう珠姫さんの背中を尻目に思考にふける。こんな勝負をして何か意味があるのだろうか。私に命令されることで喜ぶ……なくはない、かな。それを言ったら普段から私がお願いをしたらたいていのことは聞いてくれそうではあるけど。
「お待たせしました」
珠姫さんが戻ってきた。
あと考えられるのは、彼女には何らかの勝算がある、くらいか。
(ん? 珠姫さんの胴着のお腹のあたり、ちょっと膨らんでない? ――そうか)
さっき珠姫さんはこの勝負のことを『降参させたら勝ち』と言っただけで、空手の試合とは明言しなかった。だからこれは本当に『何でもあり』の試合なんだ。
「じゃあ始めよっか。一応お互いに礼して……始め!」
私は指摘しなかった。どうせ最初から結果の分かりきっていた試合。むしろ武器を隠し持つくらいのハンデがないとまともに相手をするのも忍びない。
(さて、どんな武器か。近接? 飛び道具?)
構えたまま警戒を怠らずに珠姫さんに近づいていく。珠姫さんは私の間合いに入るまいと必死に距離を取ろうとしている。一足飛びに詰めてもよかったが、せっかくだし隠し持っているのが何かくらいかは見たい。
徐々に歩く速度をあげて圧をかけていくと、珠姫さんが自分の胴着に手を入れてそれを取り出した。
ハンドタオルだった。少し大きめの。
拍子抜けして思わず鼻で笑ってしまう。
「それで汗でも拭いてくれるの?」
これ以上は時間のムダだ。私は珠姫さんの方に駆け出し――タオルを顔目がけて投げ付けられた。
(目くらまし!? けど――)
手でタオルを払い飛ばし、いったんその場で構えなおす。一瞬の隙に近づかれて奇襲されるのを警戒してのことだ。
しかし珠姫さんは先程と同じ場所にいた。その手にロープを持って。
(ロープ?)
ロープは私の足元にまで伸びていて、私を囲むように大きな輪っかが出来ていた。
(ん――?)
私が気付くよりも珠姫さんがロープを引く方が早かった。輪っかは急激に小さくなり、私の両足を足首でまとめてしまった。そのまま強く引っ張られたせいで足を掬われる形で背中から床に落ちた。
(視界を一瞬封じた隙に投げ縄を放ったってこと!? んな器用な――)
ドン、と衝撃。咄嗟に腕で受け身を取ったからいいが、反応出来てなかったら後頭部を打ち付けていたかもしれない。
「ちょっと珠姫――」
文句を言おうと顔を上げたとき、珠姫さんが私の体の上に飛び乗ってきた。マウントポジションに着いて嬉しそうに笑っている。
「どうですか! これ結構練習したんですよ?」
「投げ縄の練習って、人生でどんだけ役に立つのよ……」
「現に役に立ったじゃないですか」
「それを被害者の私に聞く?」
「まぁまぁ、それはそれとして。これで勝負決まりですね」
得意げな珠姫さんに溜息を返す。
「まさかこんなので私の動きを封じた気になってるの? 両手が自由ならいくらだって――……あれ?」
手を動かそうとして、違和感に気付いた。いつの間にか違うロープで両手首を縛られている。
「うっそでしょ……どうやって……?」
「話してる隙にこう、ちょちょいと」
「いやいや、ロープはどっから出したのよ!」
「帯の背中のとこに挟んでたんですよ」
なんなのこの手際の良さ。才能? ロープの達人か?
珠姫さんが不敵に微笑んで私に顔を近づけてくる。
「ふふ、あとは真尋さんが降参してくれるだけですね」
「くっ――」
焦った反応だけ返すが、正直全然焦っていない。やるなら徹底的にやらないと。たとえば私の首にロープを巻くとか、そのくらいされないと私は降参するつもりはない。それにいざとなったら。
『おーい、真尋ー。おやつ持って来たからお友達とどうだー。い、いや、母さんが持っていけってうるさいからお父さんは仕方なく来ただけで……』
お父さんに酷似した声とともに、お父さんと思しきいかつい人物が道場に入ってきた。その手には顔に不釣り合いなお菓子とジュースの乗ったお盆を持っている。
頭が真っ白になる、という経験を初めてした。脳が理解することを拒否したのだろう。女友達に手足を拘束されて押し倒されたところを父親に見られた現状に対して。
「…………」
三人の視線が絡み合い、しばし。怒声が道場に響いた。
「真尋ぉーっ!! おまえ人様のお嬢さんに何しとんだぁぁ!!」
「はぁぁぁぁ!!? どこをどう見たら私が危害を加えてるように見えんの!?」
「そんな華奢なお嬢さんがおまえに勝てるわけないだろう」
「私の足と手を見ろ! 縛られてんの! わかった!?」
「ふむ」
お父さんが目をこらして私の手足のロープを確認した。しかし怪訝な表情は崩さない。
「縛られていても使えんわけでもなし。その気になればいくらでも抜け出せるだろうが。ろくに抵抗もせんかったんじゃないのか?」
「い、いや抜け出そうとする前にお父さんが来ただけだし、さすがに女の子の顎を殴ったり気道を絞めたりするのは……」
「わたしを気遣ってくれたんですか?」
「珠姫さんはちょっと黙ってて」
扱いが不服だったのか珠姫さんは口を尖らせた後、背筋を伸ばしてお父さんに話しかけた。
「初めまして。わたし、真尋さんと仲良くさせていただいています、清川珠姫と申します。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「あ、いえいえ、これはご丁寧に。真尋の父親です」
何をこいつらはのほほんと自己紹介をしてるんだ。その真尋さんに馬乗りになってるんだぞ。娘が馬乗りされてるんだぞ。まともなのは私だけか!?
「実は先日、電車内で体調を崩した際、真尋さんに助けていただいて」
「あーっ、真尋から聞きました。あれからどうですか? もう大丈夫なんですか?」
「はい。これも真尋さんと、真尋さんを立派に育てられたご両親のお陰です」
「いやいやいや、困ってる人を助けるのは当然のことですよ、あっはっは」
なごやかに談笑すんな。
「ところでお父様、折り入ってお話があるのですが」
「お、お父様!? ん、ごほん……どういったお話ですかな?」
お父様って呼ばれて照れんな。
珠姫さんが三つ指をたてて頭を下げた。私に乗ったまま。
「真尋さんを私にください!」
「なにぃぃぃ!?」
「はぃぃぃぃぃぃ!?」
お父さんと私の叫び声が重なった。
珠姫さんが悲哀の表情を浮かべて胸元に拳を当てた。
「わたしはもう、真尋さん無しでは生きていけない体なんです……」
お父さんにキッと睨まれて私は首を横に振った。知らない知らない。私は無実だ。
「真尋さんと出会ってから毎日が本当に楽しくて、でもわたしだけが楽しいじゃダメなんです。真尋さんにもわたし以上に楽しんでもらいたい――一生をかけて真尋さんを楽しませてあげたいと、幸せにしてあげたいと思ったんです。この気持ちに嘘はありません! どうか、どうかお願いします!」
「むぅ……」
お父さんはお盆を持ったまま目を瞑って唸り、カッと見開いた。
「――許す!!」
「ありがとうございます!」
「おいこら! ちょっと待て!!」
私の抗議の声をお父さんの一声が打ち消す。
「ただし! 本人の気持ち次第だ」
お父さん……娘の気持ちも分からないただの空手バカかと思ったけど少しは考えてくれてたんだ。
ほっと安堵してから私は珠姫さんに勝利の笑みを向ける。
「そういうこと。残念だけど珠姫さんの気持ちには応えられ――え、ちょ――」
珠姫さんの顔がどんどん近づいてくる。
「えぇ、知ってます。だから勝負を持ちかけたんです」
暴れて引きはがそうにも、体が密着してしまっているのでうまくいかない。そうこうしているうちに珠姫さんの手が私の頭を挟んで固定した。
「真尋さん、このままお父様の前でキスするのと負けを認めるの、どちらがいいですか?」
「……は?」
「キスは普通のキスじゃないです。舌を絡め合う濃厚なキスでたっぷり私の唾液を飲ませてあげます。お父様の前で」
「ま、待って!」
「3秒以内に決めてください。3」
「珠姫さん!」
「2」
「いやほんとに!」
「1」
天秤は傾いた。どちらが精神的にキツいか。
『父親にディープキスを見られる』>『降参する』
ここに、親公認、本人非公認(片方)のカップルが誕生した。
私の部屋に場所を移し、二人でもそもそとお菓子を食べる。あれから会話はほとんど無い。
お父さんは『今夜は赤飯を炊いてくれるように母さんに言ってくる』と消えてしまった。何が赤飯だ。バカか。ごましお目にぶつけんぞ。
「真尋さん」
「……なに?」
「わたし、取り下げませんから」
「なにを?」
「恋人になってっていう命令です」
「……そういう決まりだったからもういいよ」
ついでに言えば私の油断もある。というか本当に嫌なら馬乗りされた瞬間に吹っ飛ばすべきだったのだ。お父さんの言ってた通りに。
「不服ですか?」
「そりゃね」
「でも真尋さんにだって責任ありますからね」
「はぁ? なんでよ」
「無理矢理登下校についてくるようなヤバい女に優しくしすぎです」
「ヤバいって自覚あるなら自重して……」
「わたしなりのアプローチだったんです! あからさまに嫌がってくれればわたしだって距離を取ったのに」
「助けた女の子に慕われて無下にできるわけないでしょ」
「そういうところが女たらしなんですよ」
「誰が女たらしって!?」
睨み合ってから、ふん、と顔を背けた。
「そっちこそ、たかが一回助けられただけで簡単に私のこと好きになっていいの? 駅員さんに助けられてたらその人のこと好きになってたんじゃないの?」
あてつけがましく言ってやったが、珠姫さんは眉ひとつ動かさなかった。
「なりませんよ。真尋さん以外を好きになんて」
「え?」
「初めて電車で見かけたときからずっと、わたしの心には真尋さんしかいませんから」
「…………あ、そう」
「あれ? もしかして照れてます?」
「照れてない」
「あぁ、真尋さんかわいい……キスしていいですか?」
「なんでそうなる!?」
「さっきキスしそこねたから」
「しなくていい! そういう取り決めだったでしょ!?」
「あれはお父様の前で、って意味です。二人きりならしますよ」
「しない! 勝手に決めるな!」
「あ、じゃあ寝技の練習しません? ちょうどそこにベッドがあるので」
「空手に寝技はない!! こら! 抱き着いてくるな!」
「いいじゃないですか……もう恋人同士なんですから……」
「甘い声で囁くな! んぁっ、こんの! 寝技はなくても関節くらい極められるんだから――ねっ!」
珠姫さんの腕を取り、背中に回して捻りながら珠姫さんの上半身をベッドに押し付けた。
「いたたたたっ! ギブ! ギブです!」
「試合でもないのにギブで終わるわけないでしょうが」
ウサばらしも兼ねてこらしめてやるとしよう。私がさらに力を入れたとき、部屋のドアが開いた。
「おーい、せっかくだから清川さんも晩ごはん一緒に食べて、ご家族のはな、し、でも……」
お父さんがまず私を見て、次に関節を極められている珠姫さんを見て、形相を鬼へと変じさせていく。
「まぁぁひぃぃろぉぉぉぉ!」
「ちがっ、何で私ばっかりぃ!! ちょっと珠姫さん! 何か言ってよ!」
「うぅ……キズものにされたぁ」
「ちょぉい!? あぁもう、ほら、投げ縄お父さんに投げてくれたらほっぺにキスくらいしてあげるから!」
「よっしゃお父様覚悟ぉぉー!!」
数分も経たないうちにお母さんがやってきて全員正座させられました。
これから先、珠姫さんと付き合っていくとこんなことばっかり起きるのだろうか。想像をするだけで恐ろしい。恐ろしいけど、まぁ、うん。楽しそうだなとも思う。
嫌われるよりは好かれる方がいい。つまらないよりは楽しい方がいい。もしもその両方を満たす人物がいるのなら確かに、付き合ってみてもいいかもしれない。
たとえば、私の隣で正座したままマジヘコみをしている女の子とか。
終
大変お待たせいたしました。
いつになくドタバタコメディ感を出してみました。
がっつりお父さんが出てきたのは初めてかもしれない。