あわててはいけない、ということ。
えっと、まずは誤解を招きそうなタイトルがついていますので、お断りを入れたいと思いますが。ここで言う「慌てる」というのは、執筆速度や更新速度のことではありません。
……まあ、実は関係無くもないのかもしれませんが。ですが、ここで言いたいのは執筆速度ではなくてですね。展開の速度のことを言いたいのです。
と、言いつつも。実のところ、「展開を慌てる」とはどういうことなのか、まずはそこから語らなくてはいけないのですが。
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例えばそうですね、冒頭から、何が面白いのかわからないようなアクションシーンで始まる作品とか、見たことはありますか?
もしくは、なんとなく早く見せ場に行きたがっていると感じる、そんな作品とかを見たことはありませんか?
そんな、どこか読者を置き去りにして物語を進めようとしているような、そんな物語のことを、ここでは「展開を慌てる」と表現しています。
そうですね、その根底には、どこかに「物語は見せ場が一番面白い」という考え方が見え隠れしているのかなと。だから、物語を面白くするために、とにかく見せ場を出そうとしてしまう。
そしてそこには、面白いものを書かないと切られるみたいな、ちょっとした恐怖心みたいなものも見え隠れしている気もします。だから余計に、切られる前になんとか見せ場に行こうと必死になってしまう。
――まあ、見せ場にしか面白さのない作品は、見せ場以外の場所で読者に切られるだけなのですけどね。
見せ場が面白いかどうかに関係なく、つまらない場所なんてあってはいけない。だから、見せ場に行くまでの話も面白く書かないといけないのですが、そのことに気付いていない人は、読まれている内に見せ場に行こうとする。
その結果、書く文章が「話を進めるための文章」になってしまう。風景を書いて表情を書いて、その中に必要な情報を埋め込むべきなのに、慌ててしまった結果、風景や表情がまるっと抜けてしまう。そうして、話を進めるための説明くさい文章だけになってしまう。
――そんな、物語なのか長いあらすじなのかわからないような文章を経て到達した見せ場が、本当に面白いと思いますか?
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例えば、空に浮かぶ古代遺跡の中心部でいい年こいたオッサンに追い詰められた少年少女が意を決して「バルス」と叫ぶシーンがあったとして、そのシーンって本当に面白いのでしょうか。本当に面白いのなら、その場面だけ切り取って見ても面白いはずですが、本当にそうですかと、そんな話です。
いや、そりゃあムスカに追い詰められたパズーとシータが滅びの言葉を口にしてラピュタを崩壊させるシーン、時間を忘れて見入りましたよ。でもそれって、ラピュタという舞台の上にムスカ、パズー、シータという人たちが立っていたからこそ、のめり込むように見ることができたのです。それは言い方を変えれば、それまでの物語がそのシーンを面白くしたとも言える訳です。
見せ場でないシーンでキャラや世界観を表現して、ラピュタという舞台やムスカ、パズー、シータというキャラの魅力を見る人に伝えたから、その先にある見せ場で時を忘れるほどにのめりこむことができた筈なのです。
――ほら、ムスカさんだって言ってたじゃないですか。「事を急ぐと元も子も無くしますよ」って。
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ここは見せ場じゃないのだから力を入れて読まなくていい、作者がそう思うのは自由です。ですがそれは、作者が力を入れずに執筆していい理由にはなりません。小説は文章が全てです。手を抜いた文章には手を抜いただけの魅力しか残りません。だから、作者が「さらっと流しても良い」と思うような文章にだって、作者は全力で取り組んだ方が良いのです。
だから作者は、物語の世界や風景、そこに住む人たちのことを全力で書かないといけない。そうすることで初めて、その文章を通して、物語の世界やその世界に住む人々のことを読者に伝えることができるのです。
――文章で表現した先にある物語の世界や人々が、見せ場を面白くするのです。
とはいえ、その見せ場を早く書きたいという気持ちだってわかります。私だっていいシーンを思いついたという理由で筆を執り始めたことがありますし。
だからそうですね、まずは「その見せ場に登場する人たち」をしっかりと書ききって、その人たちに「見せ場となる舞台のことをしっかりと説明してもらう」ことを考えてはどうでしょうか。
もしそれが上手くいけば、読者はきっと「この先どんな見せ場が待っているんだろう」と思ってくれると思いますよ。
――何より、そうして作者自身が面白いと思う見せ場を読者に見せて面白いと思ってもらうことができれば、作者冥利に尽きると思うのですが、どうでしょうか?




